検分
皆様、どうも初めまして。
ヴィレア王宮の侍女長、兼『影の者』所属のアマリエ・ルルと申しますわ。
まず自己紹介をさせていただきたいと思います。
私の事を制裁系メイドババアだとお思いの方もいらっしゃるでしょう。
違います。
髪の毛が白髪混じりになってしまったのはひとえに苦労故なのですよ。
まだそこまで歳はとっておりません。
ええ、ええ。
なにせ妙にクセの強い、躾けるべき馬鹿者が私の部下にはそこそこの数おりますからね。
ほら、今日も馬鹿者筆頭のミッチェラが、黙ってしかるべき時に発言してしまっています。
それも無礼に当たる言葉を…
はあ。
気苦労が絶えませんわ。
後で給湯室に呼ばねばなりませんね。
…いや、彼女の場合常に一緒に行動しているので、もう直接給湯室に連れ込んでしまいましょう。
まったく!
チョップ!
私はエルフと呼ばれる森の民の血を引いています。
祖父がエルフだったそうなので、種族としてはクウォーターエルフとでも言うのでしょうか。
クウォーターエルフの寿命は人族の倍ほどです。
だから私は60年間生きてはおりますが、まだまだ若輩者なんですよ?
人族で言うと30歳ほどです。
エルフ族は容姿が好まれない場合が多いので、基本的に混血は珍しいです。
まあ冒険者をしているエルフも一定数いるので、彼らは他種族と結婚することもありますね。
私の祖父も冒険者でした。
髪の色が淡い金色の人は、だいたいどこかでエルフ族の血が混ざっていると言えます。
彼らの血が混ざると、髪の色に影響が出やすいようです。
魔力のあまり多くない子が産まれてくることが多いですが、悪い事ばかりではありません。
エルフ族は身体強化魔法のスペシャリストなのです。
多くない魔力を燃費よく使うため、身体強化のみに特化しています。
視力を底上げし、強化した腕で重い弓を引いて獲物を狩る。
エルフ族の長い腕で引かれた弓は、そうとう遠くにいる獲物も仕留めることができます。
そうして森で暮らしているのです。
私もこの身体強化の腕を見込まれて、まず『影の者』としてヴィエラ王宮に仕えることになりました。
それから侍女長の職も兼務することになったのです。
『影の者』は、文字通り影の仕事をこなします。
情報収集、工作員、暗殺も…命じられることがありますね。
私も、命を狩ったこともございます。
一番最近殺った相手は悪徳商人でしたわ。
正規の従魔取引をしている裏で、希少種ユニコーンの密売をしていたとんでもない悪党でした。
ヴィエラ王国は長く善政がしかれていることでも有名で、暗殺対象は言うなれば『悪いヤツ』ばかりです。
だから、人を殺すことになれど…『影の者』として国に尽くすことができるのを、誇りに思っておりますわ。
さて。
侍女長と『影の者』。
2つの顔を持つ私は、自分で言うのもアレですがそうとう優秀な人材です。
故に、誰か一人の専属でメイド業をすることは無かったのですが、今回は事情が変わりました。
ネルシェリアス王子殿下の婚約者、カグァム・リィカ様のお付きメイドをすることになったのです。
失礼ですが、第四王子殿下は優秀で優しい方なれど、容姿がまあ…アレでしたので、浮いた話などは全くありませんでした。
恋の大好きなヴィレア国民であるにもかかわらず、です。
彼だって恋人が欲しかったでしょう。
年頃の男児ですもの。
ただ、美しい者が大好きというこの国において、容姿がアレというのは大きなデメリットです。モテません。彼ほどの容姿となると、もうからっきしモテません。
なまじ善い人なだけに、私も痛ましく思っておりましたわ。
そんな彼の元に現れた、美貌の異世界人リィカ様。
彼女は第四王子殿下を受け入れ、結びの婚約者になって下さいました。
大歓迎です。
ぜひ愛して差しあげて下さい。
その恋、大いに応援させて頂きます!
お世話も頑張りますとも!
彼女は、初対面でこの私が危うく鼻血を吹き出すことになりかけた程の、すさまじく可愛らしい方です。
あの鈴が鳴るような声で『大好き』なんて言われた日にはもう惚れざるを得ません。
私も大好きです。
第四王子殿下なんてメロメロです。
もう呆れるくらいメッロメロ。
相思相愛でなければドン引くレベルに、リィカ様は溺愛されておりますね。
毎日毎日、愛してると言い合っております。
よく理性を保てているなぁと感心していますわ。
それでこそ、王族。
理性は大切なのです。
幼い頃より思考教育を徹底したかいがあったというものですわ。
婚姻の儀が済むまでくらいは待って頂かないと…
焦って距離を縮めようとして、万が一、いや億が一、嫌われてしまってはいけませんから。
後で甘い関係になれると分かっているんですもの。
先走ることのないようにお願いしますね?
…あっ、こら、キスしようとしない!
言ったそばから!
ええい自重なさいませ!
王子殿下はいつも冷静沈着で、私の気苦労のよき理解者でした。
後輩指導にも貢献して下さって、とても助かっていましたわ。
しかしどうしてこうなった。
恋とは人を変えますね。
まあ喜ばしくもあるんですが、ね。
自分の方が年下だと分かってから自重しなさすぎでしょう王子。
幼児退行とも言えますね…
勘弁して下さいな。
貴方まで気苦労のタネにはならないで下さいまし。
私の周りの貴重な常識人なのですから。
頼みますよ?
…手遅れな気がするのは気のせいだと思いたいですね。
リィカ様は美しく、性格も良く、さらには黒髪なので凄まじくモテます。
国中の噂になっていますわ。
たった3日でこんなに広まるだなんて、皆の色恋話好きには呆れを通り越して感心してしまいますね。
アプローチも沢山されています。
王子の婚約者だというのに…まったく。
失礼ですわ?
あまたの貴族だの豪商だの高位冒険者だの…お届けしたお手紙の量だけでも、キリが無い程です。
彼らからのドレスなどのプレゼントは全てお断りしておりますが、もしリィカ様がお受け取りなさったならどれほどの量になるのか…。
想像するのが怖いです。
きっと部屋がプレゼントで埋まりますわね。
リィカ様が賢明な判断をなさる方でホッとしています。
ほんと、私も彼女が大好きですわ。
リィカ様の害になる者や物が近づかないよう、私たち『影の者』は常に警戒しておりました。
魔法のかかった贈り物は即排除し、夜は部屋に結界を張り、警備に勤めてまいりましたわ。
ただ、今回…
その警備さえ逃れた、黒の手紙なるものがリィカ様のお手元に届いてしまったのです。
なんてこと。
お心を不安にさせてしまったこと、悔やんでも悔やみ切れません…。
昨日の夜、部屋に戻ったら、ベッドの天蓋の中にあるサイドテーブルに置かれていたそうです。
彼女が部屋にいる時は極力ただのメイドとして振る舞うよう気をつけ、あまり室内を観察しなかったのがアダとなりましたね。
悔しい、です。
もう二度とこのような失敗は致しませんわ!
この部屋に入ることが出来るのは、王宮滞在許可の出ている使用人、高位貴族、王族くらいのものです。
許可証の無い物は、入り口の簡易結界で弾かれます。
黒の手紙には、何やらリィカ様を傷つける内容が書かれていたようです。
許せませんね。
彼女が傷つけられる理由なんて、何も無いはずですもの。
私も王子殿下も、人の本質をある程度は見抜けます。
リィカ様はとってもお心のキレイな方ですよ。
本当に、心無いことをする者もいたものです。
今は王宮の案内を終え、リィカ様のお部屋に向かっているところです。
時刻は午後6時ですわ。
お食事をお部屋で食べて頂いて、黒の手紙とやらを見せてもらおうと思います。
ストラス騎士の言っていた、メイプルの香り…
それも気になりますね。
あまり宜しくない心当たりがあるのです。
…リィカ様ならその香りを『使われ』ても仕方ないと思える、根拠のある心当たりです。
ハズれてくれているといいのですが。
何はともあれ、手紙を見てからということになりますね。
私も、ミッチェラも、王子殿下も激おこです。
許すまじ。
内容によっては、地獄を見せてやりますわ。
………。
あら。
そんな事を考えていたら、部屋に着いてしまいました。
思考を切り替えなくては、ですね。
心が荒ぶったままでは、美味しいお茶を淹れる事ができませんから。
侍女長たるもの、いつだって最高のお茶を用意できねばならないのです。
今日の夕飯はリィカ様のお好きなコッテリとしたお肉のコース。
沢山食べて、もっと美しさに磨きをかけて下さいな。
心を込めて給仕致しますわ!
貴方が幸せでありますよう。
王子殿下が幸せでありますよう。
このアマリエ、
いつも女神様に祈っておりますよ。
****************
「はい、リィカ。
あーーーーん」
「私だってあーん負けませんから!
リィカ様ぁ、あーーーん」
「こればかりは仕方ありませんわね。
覚悟を決めて下さいませ。
あーーーん」
「……ちょっと待って下さいってばぁぁ!
本当に、悪かったと思ってますから!
今度からはきちんと報告します、何かあっても自分だけで悩みませんー!
だから………
だから、そんなに次から次へとあーーーんしてこないで下さいぃぃー!
もう頬袋が限界なんです!
さっきから何度も一度に頬張りすぎて、口の内側がピリピリしてるんですぅぅぅ!
味わって食べたい!」
「なりません。
ほらほらああああーーーーーん」
「頼みの綱のアマリエさんが1番ノリノリ…!?
絶望しかない!」
…美貌の異世界人、カグァム・リィカ嬢の部屋はそれはそれは盛り上がっていた。
やかましいほどだ。
盛り上がっているのは、主に彼女以外が、であるが。
あーーーん、である。
怒涛のあーーーん、ラッシュである。
カグァム嬢は涙目だが、食べさせようとしている側は皆とてもいい笑顔だ。
涙目な彼女はまた可愛くて、彼らのあーん魂にトクトクと油を注いでいく。
正直、涙目は悪手であった。
皆のほの黒い笑みが深まっただけである。
涙目、おかわり!
容赦無く突きつけられるフォーク。
テーブルの上に並べられていた料理が、それぞれのフォークにこれでもかという程刺さっている。
間違いなくあーんひと口でイケる量ではない。
彼女の大きな口でもだ。
カグァム嬢の顔が引きつるが、皆引き下がるつもりは無いらしい。
…観念した彼女は何口かに分けて、はむはむとフォークから料理をついばみ始める。
ミッチェラが鼻息荒く映像記録魔法を使っていた。
どうしてこんな事になっているのか。
それは、つい半刻ほど前にさかのぼる。
部屋に着いた一団は、リーガと別れて4人となった。
とりあえずということで、侍女たちがお茶を淹れ始める。
カグァム嬢と王子は手紙を持ってくるためベッドへ向かった。
天蓋の中に入る時にドキドキし、ベッドの上に大切そうに置かれたぬいぐるみたちを見て喜び、王子の鼻から液体が出そうだったのはしつこいので置いておく。
サイドテーブルに無造作に置かれていたという黒い手紙。
もちろんと言うべきか、差出人の名前は書かれていない。
一般的な封筒と同じ長方形で、便箋も黒。手紙と共にグリドルウェス王子の肖像画が入っていた。
便箋からは甘ーいメイプルの香りがする。
王子はその匂いに、わずかに顔をしかめた。
お茶が入った所で、2人が席に着く。
侍女たちはすぐ脇に控えていた。
王子は、手紙の本文を読む前に、アマリエにその匂いの確認をさせた。
…彼女も眉間にしわを寄せる。
『影の者』の知識がその表情をさせたのだ。
間違いは、ないだろう。
王子とアマリエは顔を見合わせた。
その反応にカグァム嬢とミッチェラは不安そうな顔をしている。
王子は愛しの彼女の頬を軽く撫でると、はぁ、と大きくため息をついた。
重い口を開く。
「貴方が、何者にも染まらない黒髪を持つ女性で良かった…。
でなければきっと、この香りに魅せられてしまっていた事でしょう。
強力な薬ですからね」
物憂げな表情で、ゆるゆると頬を撫でる。
次いで、カグァム嬢の見事な黒髪に目をやると、彼は少しは安心したようにホッと息をついた。
「……薬、ですか?
こんなに甘い香りがするものなのですか。
危険な薬、なんですか…?」
「『惚れ薬』ですよ。
それも高純度の、極めて魅了効果の高いもの。
人の思考を誘導してしまいかねる劇薬なので、ヴィレア王国では取り扱いが厳禁な代物です。
どうしてこんなものが使われているのか…
急ぎ、調査をせねばなりません」
「……ッ!?」
カグァム嬢はそのつぶらな黒い目を見開く。
『惚れ薬』。
彼女のいた世界では夢物語だとされていた代物だ。
今聞いた限りだと、とんでもなく危険なものなんだと感じる。
取り扱い厳禁…
思考に強制的に干渉する薬など、まるで一種の麻薬ではないのか…。
そんな物を平然と手にしてしまっていた自分に、ゾッとした。
思わず青ざめ、硬直してしまった彼女を王子は優しく抱きしめる。
彼の手も、少し震えていたようだ。
知らぬところで、愛しい人がかすめ取られようとしていたのである。
ようやく婚約者を得た彼にとっては、まさしく恐怖の体験そのものだった。
彼女の頭を胸に抱え込むように抱いて、自身も震えをごまかすように髪に顔を埋める。
この人がいい、と改めて思う。
2人はしばらくそのまま、お互いの体温を求めあっていた。
侍女長が眉をしかめたまま、手紙を開く。
本文を読んで、頭が痛いとばかりにこめかみに手をやった。
せっかくの相思相愛な2人に対して、なんて横槍を入れるのか。
名も分からぬ送り主に対して、怒りがつのる。
ミッチェラも横から手紙を覗き込み、大きな目を釣り上げ怒りに顔を染めた。
どう見ても、カグァム嬢はネルシェリアス王子を愛しているのに!
確かにブサイクだけども!
彼女の幸せをただ願うミッチェラにとって、この手紙はまさに劇薬であった。
許すまじ。
徹底的に、送り主の知られたくないマズい秘密をばら撒きまくってやる!
ふん、と鼻から息を吐く。
『あなたの目は曇っている。
鏡をご覧になったほうがいい。
あなたには、ネルシェリアス王子殿下は似合わない。
すぐに考えを改められよ。
あなたにお似合いなのは、グリドルウェス王子殿下だ』
………。
…抱き合っていたカグァム嬢と王子が一息つく。
少しは回復したようだ。
抱きしめあって回復とは、彼らの相思相愛っぷりには頭が下がる勢いである。
カグァム嬢が、とんとん、と軽く王子の背中を叩く。
少しだけ抱きしめる力を緩めてもらい(それでも抱きしめあっていてゼロ距離ではあるが)、上目遣いに彼を見た。
おずおずと尋ねる。
「…取り乱してしまって、すみませんでした。
心配をかけてしまいましたね。
…教えてもらえますか?
その『惚れ薬』とは、どのような物なのでしょうか。
今のところ、私の身体にも思考にも、何の変化もないように感じられますので」
「ああ…。
そう、ですね。
分かりました、教えましょう。
この『惚れ薬』とは、メイプルシロップの取れるサトウカエデの木によく似た、サドロククロカエデという木から抽出された樹液を元に作られます。
だから甘い香りがする。
ここに、数種類の魔物の血を入れて完成します。
薬という名ですが、パヒュームのように嗅いで鼻から成分を取り入れさせます。
効果は『惚れる』こと。
この香りを強く吸って、肖像画でも本人でもいいので対象を見ると、その人の事を強く愛してしまいます。
効果は、使われる側の魔法抵抗力によりますが…。
髪色が濃いほど魔法抵抗力が強いので、貴方には効かなかったんだと思います。
抵抗力が弱いと、一生対象となった人を愛したままとなってしまうこともありえます。
本人の本心に関わらず、他の異性が一切目に入らなくなる。
あまりの効果に、商品開発は途中で止まり、サドロククロカエデは栽培禁止となりました。
香りで効果が現れますからね…
原液で試行錯誤していた研究員たちは、同性を愛すわ妻に目を向けなくなるわ6角関係にまでなるわ、もう大変だったそうです。
ヴィレア王国では現在、栽培、所持、売買のどれもが禁止されています。
この手紙に使われている『惚れ薬』は、この国にあるはずのない香りが使われている。
誰がこの薬を持っているのか…
いずれにせよ、厳罰確定の案件となります」
カグァム嬢はひゅっと息を飲む。
…偶然、魔法抵抗が高かったから何とも無かったのだ。
悪意魔法探知を使って異常が無かったから大丈夫、などのほほんとしていた自分はなんてマヌケだったのか。
彼以外に恋慕させられていた可能性だってあったのだ。
迂闊さに、ズンと落ち込む。
こんな自分を愛していると言ってくれる彼に、心より申し訳なくなる。
再びぎゅっと、王子の背にまわした腕に力を込めた。
顔を彼の胸に強くすり寄せる。
…愛してる。
「私は貴方以外を好きになりたくない、です…」
か細い声がこぼれた。
王子はその言葉に、思わず頬を染める。
…目元を優しく緩めた。
不意打ちだ。
ともすれば、消えてしまいそうな震えた小さな声。
それを絶対忘れまい、と心に刻む。
彼女の気持ちが嬉しい。
そして幸せだ。
そう言ってくれるなら貴方のために何だってできる気さえする…
こちらも優しく抱きしめ返した。
自分も同じ気持ちだと、伝えたい。
耳元で熱を込めた声で囁く。
「…ーーーありがとう、リィカ。
私もですよ。
愛しています。
貴方が私以外を愛してしまったらと思ったら、とても、とても怖かったです。
どうか私と結ばれていて下さい。
大好きです。
生涯寄り添って生きていきたいと思う人は、愛しい貴方以外には考えられません」
その言葉に、今度はカグァム嬢が頬を染める。
淡く微笑む。
毎度おなじみ、ふわり、と彼らを中心にして部屋中にピンクの気が舞った。
メイプルの香りよりよほど甘ったるい、うっとりするようなピンク色。
恋の色だ。
ーーー間違いなく、彼らが愛し合っているという証しである。
相思相愛など今更な話ではあるが。
侍女たちは顔を見合わせた後、正面に向き直る。
アマリエが優しく、ミッチェラが仕方ないなと言わんばかりの表情で、2人を見ていた。
今日もラブラブで何よりだ。
こういうの、何度目かな。
まだ3日ですよお二人さん。
ふふ、と侍女たちの明るい笑い声がこぼれた。
おや。
カグァム嬢の肩がピクピクと震えている。
どうしたのだろうか。
耳の先までが真っ赤である。
おやおや?
悶えている?
…それを見た王子は、素知らぬ顔で首筋を指でなぞってみた。
すいーっ。
ギリギリ指が肌に触れるかという距離のところ、というのがポイントだ。
ついでに耳にフッと息を吹きかけることも忘れない。
モテないくせに芸達者な男である。
シリアスな雰囲気はどこへやら、顔はどことなくワクワクしているように見える。
カグァム嬢の肩がついにビクッと大きく震える。
きたこれ。
可愛い。
ダメ押し、してみる?
「ーーー…リーィーカ?」
できうる限りのエエ声で攻めてみた。
いつもよりちょっと低めな中に過分な甘さを込めた、渾身の一声である。
はたして、女神は陥落した。
ごちそうさまです。
「~~~~~ッうああああ!?
なんって声、出すんですかネル様…!?
あと指、息ィー!
もう、18歳。
自重して18歳。
色気ありすぎて悶えますよこんなの、なにこれすごい!
ばかー…」
錯乱しているようである。
王子を上目遣いに見やる顔は真っ赤に染まり、瞳はうっすらと涙の膜がはりうるうるだ。
すがりつくようにこちらに体重をかけ抱きついて来ていて、普段控えめな彼女の腕の力が心地いい。
「ばかー…」と言う時はちょっと顔をそむけ、照れながらもすねたような表情である。
王子も陥落した。
幸せな2人である。
「…からかったつもりが、反応が可愛すぎてもうダメになりそう…。
いやもう、ダメで良いです。
ダメダメにして下さい。
もっと可愛い顔、見せて下さい。
もっと!
ねぇ、好きですよリィカ(エエ声)
愛してますよーー?(エエ声)」
「ふわああああああーッ…!?」
…幸せな2人である。
ええい、ごちそうさまってば!
「ダメダメ人間にはならんで下さい。
ほら、王子殿下!
手紙の本文まだ読んでも無いでしょう。
目を通しといて下さいな。
貴方なら筆跡で書き手対象を絞れるかもしれませんわ?」
アマリエがやけくそで若干投げやりに告げる。
彼女とて、王子たちのいちゃラブの邪魔を進んでしたいわけでは無いのだ。
あの甘ったるい空気に割って入り込みたい者など、
「うっひゃぁあーー!
リィカ様こっちも向いてくれないかなぁ、可愛いーー!」
馬鹿者くらいである。
スパンとチョップしておく。
王子たちにはいちゃラブするにしても、場面を選んで欲しかった。
今はあとほんの少しシリアスで続けて欲しかった場面である。
やめてくれ。
あの王子までもがダメダメ人間化など、考えただけで髪が白くなりそうな気がする。
ホントやめてくれ…!
冷や汗をわずかに額ににじませるアマリエは、立派な苦労人であった。
王子は少し不服そうな顔で、カグァム嬢を片腕で抱きしめたまま手紙を手に取った。
半眼で見やる。
鋭い目、というより単純に半眼である。
いちゃラブ邪魔してごめんね。
王子のお行儀が悪いが、アマリエも今はそれにツッコむ気力もない。
部屋の外では王子もそんな態度は取らないのだし、今回ばかりは大目にみようというものだ。
ため息は出るが。
彼は上から下まで余すところなく、じーっと手紙を眺めた後でアマリエに言った。
「……これを書いたのは複数人ですね。
筆跡で痕跡を残さないよう、教科書のお手本に似せた文字を書いていますが、同じ文字でもそれぞれ違ったクセが見られます。
わずかですけどね。
グリド兄上本人が書かせたもの、という線はまず無いでしょう。
あの天然…失礼。
恋に情熱的な兄上が、こんな卑怯と言える手を使うはずもありませんから。
…むしろ、嫌うでしょうねぇ。
個人的には、兄上の親衛隊あたりだと思っているんですよ。
使用人のほとんどが会員ですし、話をつけて部屋に入るのをスルーさせたのではないかと。
手紙自体は、まあ善意のもの…と本人たちは思っているかもしれませんしね。
私より兄上を、というのは。
使用人は下級貴族が多いですから、その上位の貴族が手紙をしたためて、運ばせた可能性があります。
…ザルツェン連合国は確か、劇薬でも所持が認められておりましたね。
国王が王宮に来る途中で寄った貴族たちの家のリストアップをお願いします。
あの人ならやりかねない。
引っかき回すのが大好きですから…。
頼めますね?
アマリエ」
「お任せ下さいませ」
アマリエが完璧な動作でお辞儀する。
彼女たち『影の者』にかかれば、リストアップなど下手をしたら今夜中には終わるだろう。
出し抜かれた悔しさに燃えてもいるのだ。
皆、犯人を探す気合いが段違いである。
恋にのぼせてはいても、王子の思考はいつも通りキレ良く冴え渡っているようだ。
良かった…と内心こっそり息をついたのはアマリエだけの秘密だ。
最近の王子はドン引きするほど恋に暴走していたのだから、心配するのも仕方がない。
コホン、と軽く咳をする。
「ええ。
承りましたとも。
…それでは、あまりこの手紙をここに置いておくのもアレですわね?
こちらで預かっておきますわ。
封印しておきます。
リィカ様は平気かと思いますが、なにせ強力な薬ですので、私たちにはどうも効いてしまうようですから」
おやおや?
アマリエの目が据わっている。
「え……ッ!?
皆さん、大丈夫なんですか!?
思考に影響とかはありませんか……」
「あります」
「あるんですか!?」
カグァム嬢の顔が青くなる。
計算通り。
ニヒルに笑ってみせるアマリエ。
いつも鋭い瞳がさらに細くなる。
…王子とミッチェラが恐れおののく。
彼女のこんな表情は、付き合いの長い彼らも初めて見るのだ。
なにこの侍女長、怖い!
その笑みを真正面から見てしまったカグァム嬢は案の定固まっている。
そして、最終宣告が出された。
「ええ。
私たち…ーーーリィカ様に惚れてしまいましたの。
もう、メロメロですわ?
どうしましょう。
それもこれも、リィカ様が黒の手紙を秘匿なさっていたからですわねー?
………。
責任、取って頂けますよね?」
丁度そろそろ私たちの業務時間も終了しますしね。
と、アマリエは続ける。
業務時間終了。
それはミッチェラが最も心待ちにしていた響きである。
いつも、リィカ様の愛情こちらに頂きですわぁー!と甘えに行っていたのだ。
彼女の瞳がギラリと光る。
業務時間終了+責任とって頂けますよね。
これ、あかんやつや!
アマリエの言いたい事が分かり、王子が苦笑する。
仕方ないなぁと言いたげな表情だが、彼も笑みが何処か黒い。
うっわ。
カグァム嬢が王子の腕の中で固まる中、2人は容赦なく追撃した。
「あらあら、本当ですわぁ。
リィカ様がいつもよりさらに光り輝いて見えますぅー!
これが『惚れ薬』の効果ですのね?
わっ、
責任とってもらわなくっちゃあ!
きゃあーー!」
「私も貴方に更に惚れてしまいましたよ?
もう、このひと呼吸ひと呼吸がたまらなく可愛いですねー。
ふっふっふ。
(耳元で)リ、ィ、カ?(エエ声)
責任とって、下さいね?
丁度そろそろ夕飯が運ばれてきますね。
よし。
あーーーんイベントのリベンジと行きましょうか!」
「「何やってたんですか王子殿下…」」
「ひ、ひええええーー…!」
合掌。
…それで、冒頭のあーんラッシュだった訳ですね。
長い?
うん、作者もそう思ってるよ!
正直、毒物に身体をならせまくったアマリエと王子、魔法抵抗の高いミッチェラには『惚れ薬』といえどなんてことは無かった。
だが、それはそれ。
いちゃラブのためには全てを利用するのです。
美味しいイベントであります。
黒い手紙の送り主よ、ご愁傷さま。
彼らは心が黒…強かった!
「あーーーーん!」
「あーーーーん!」
「ああああーーーーん」
「うわあああん美味しいけど辛いよおおおおーー!!」
ほらほら、涙目は火に油を注ぐばかりですよーー。
なんとも楽しそうな騒がしさですね(ハァト)
ひー、長かったーorz
アマリエ侍女長、ストレス弾けちゃいましたね。
読んで下さってありがとうございました!