月下美人
昼四つから夜四つまでの少しずれた半日の間空いているこの茶房は、琴巴の両親が切り盛りしている。琴巴はそれの手伝いの無い時間ーつまり朝の時間は、稽古に行ったり仲の良い幼馴染と遊んだりしている。
今日もまだ寝ていた琴巴を幼馴染が起こしに来て連れ出された。
「ねえねえ、琴巴。また断ったんだって?」
「え、何を?」
朝一番で近所に住んでる幼馴染の莉緒に訊ねられた。挨拶も無しにいきなり何を言い出したのだかさっぱり分からない。
「何を?じゃないの! 司に告白されたでしょう! わたし聞いちゃったの」
「何を?」
「何を?って…、もうっ」
莉緒は小走りで琴巴の前に立ちはだかると片手を腰に手を当てて、もう片方の手でびしりと琴巴を指差す。
「告白よ!」
その言葉に琴巴は首を傾げる。
「こくはく…? 誰の?」
「誰のって貴女のよ、琴巴」
はぁと大きく溜息を吐くと、再び琴巴の横に並び歩き出す。
「司に告白されたでしょう?昨日のお祭りの時。昨日、司から相談…っていうか報告されたの。ほら、丁度琴巴とはぐれた時よ」
「莉緒とはぐれた時……」
琴巴は顎に手を当ててしばし思案する。途端かあっと耳まで赤くなりぶんぶんと何かを振り切るように頭を振る。
「な、何もなかったわ…」
「何も無くないでしょう! 折角人が一晩楽しみにしてたのに。ってあれ?司から聞いた話だとこんな反応じゃ無いはずなのに」
そこでやっと気づいたように琴巴は訊ねる。
「え? 司って? 司がどうかしたの?」
「あれ、琴巴が司に告白されたっていう話なんだけど?」
「初めから?」
「初めから」
「嘘! そんなこと無かったよ? 司には会ったけど、何言ってるか全然聞こえなかったの。だから今日会ったら訊こうと思ってたんだけど…」
「そ、そうだったの」
莉緒は司に心から同情した。
司も莉緒と同じく琴巴の幼馴染で、小さい時から琴巴が好きな同い年の男の子。もう一人幼馴染の男の子がいるんだけどそれは置いておいて…。だからといって莉緒は司が好きで琴巴は他の人が好きでーーなんてベタな展開は全く無くて、莉緒には恋人がいるし、琴巴も司を…かどうかがわからないのだけど。
でも嫌いではないはずだ。
「あー、まぁいいわ。じゃ、それじゃなかったらさっきの反応は何? 何が遭ったの?」
「え、えと、その。な何もなかったよ」
また琴巴の顔に火が付く。
「何も無い反応じゃないでしょう! さあさあ、全部吐きなさい!」
朝から元気の良い莉緒に気圧され、結局何時も通り、全部話してしまう琴巴だった。
昨日の夜、お祭りに一緒に来ていた莉緒が、忙しかった彼が休憩を貰えたと連絡を受けた途端に何処かへ行ってしまったときのこと。
ーー莉緒は彼の所に行ったのかな。
特に焦る様子もなく、賑やかな屋台を見ながら川辺を歩く。しばらくしたら帰ってくるだろうと欄干に手を添え立ち止まる。ここなら先程の場所からそう離れてもいないし、障害物もないから見つけやすいだろうと思ったのだ。
でもそれはイコールで人目に付くことを言う。
「お嬢さん、一人?一緒に遊ばない?」
とんと肩を叩き話しかけて来たのは、近所に住んでる幼馴染だった。
「なんだ琴巴か。まあいいや。一緒に回らない?」
「なんだって一寸非道いよ、裕也。でもごめんね。莉緒を待ってるの。さっき彼が休憩貰えたみたいで何処か行っちゃったんだけど、直ぐ戻ってくると思うんだ」
「ふぅん。そっか。じゃ戻って来るまで一緒にいてやろうか」
裕也は然りげ無く琴巴の肩に手を回す。琴巴は特に気にした様子もなく話を続ける。
「なんで? 別に良いけど。裕也だって一緒に回る女の子の一人や二人、いるんじゃないの?」
「んー? ま、いないって言ったら嘘になるけどさ。どの女の子でも琴巴を先に見ちゃうとみんな普通に見えちゃうんだよね。琴巴、可愛いからさ」
「またまたぁ。裕也はずっとそれ言ってるけど、そんなことないじゃない」
「琴巴は何時になっても自分の可愛さを自覚しないなぁ。こんな所に一人で居たら連れ去られるよ?」
「だから…」
そんなことない、と言おうとした琴巴の肩をぐっと引き体を引き寄せる。
それまで肩に回っていた裕也の手が外れ、ぽすりと誰かに背中から受け止められる形になる。
琴巴はその人物を真下から見上げ驚き声を上げる。
「司! どうしたの? あ、司も花火見に来たのか、そりゃそうだよね」
「琴巴…。そんな呑気なことを言ってる場合じゃないと思うよ?」
当たり前のことを言って呑気に笑っている琴巴に裕也は苦笑する。琴巴の肩を抱く司は珍しく本当に怒っているようだ。少し巫山戯過ぎたか、と裕也は肩を竦め背中を向ける。
「はいはい。悪かったよ、司。ま、琴巴は気にしてないみたいだけどさ。俺は祭りの日に喧嘩する趣味はないからね。じゃあな、精々琴巴が誰かに連れ去られないようにしろよ、司」
すんなりと離れ裕也は人混みに紛れてあっという間に見えなくなる。その間も離れる様子のない司を見上げ、琴巴は首を傾げて訊ねた。
「司…?どうしたの、大丈夫?具合でも悪いの?」
「いや、具合は悪くない。悪いのは気分だ」
「え?気分? …わたし、司に何かしちゃった…?」
「いや。琴巴は悪くない。悪いのはあいつだ」
「あいつ?あいつって裕也のこと?」
司はまだぎゅっと琴巴の肩を掴む手に力を込めたまま動かない。裕也の去った方を見たまま動かないのだ。
「ねえ、司。本当に大丈夫なの?」
心配になってもう一度訊ねると、ようやく司は肩を離してくれた。琴巴はその手を追うように司に向き直る。
「司…?」
熱を図ろうと司の額に手を伸ばした。その手をぱしっと司が掴む。
そういうことは裕也にやられ慣れている上、元から気にする性格でもないので、ただ司の具合を心配して顔を曇らせる。
「本当に具合は大丈夫だ。それより。なあ、琴巴。お前、裕也のことが好きなのか?」
「うん? 裕也のことは大好きだよ。もちろん、莉緒も、司も、同じくらい大好きよ?」
「俺が言ってるのはそう言うことじゃなくてっ」
再び琴巴の肩を掴み俯く。
司には残念としか言いようがないが、琴巴は全く司の気持ちを分かっていなかった。
「そういうことじゃなくて。…琴巴、よく聞いてくれ」
「う、うん。ちゃんと聞いてるよ?」
「俺は……」
司が勇気を振り絞り想いを告げたその瞬間。
大きな音と共に夜空に明るい光の花が咲き誇った。
「え?今何て言ったの、司!
ごめん聞こえなかった。もう一回言って?」
「は?言えるかもう一回なんて!…っくそ、どうして俺はお前のことになると上手くできないんだ…!」
「え……?」
少しずつ音に耳が慣れて来て司の言葉が耳に入ってくる。
「くそっ。あぁあ、もう!お前もきょとんとしやがって! 何してんだよ、俺!」
「つ、司?どうしたの?」
「あぁ、分かった。良いよ、もう。言ってやるよ、もう一回。俺は、お前が……」
「わあぁっ。いっってぇ……。悪いな、兄ちゃん」
司が再び勇気を振り絞ったというのに、そこに乱入者が現れた。口を開いた司に横から飛ぶようにおっちゃんがぶつかって来たのだ。直ぐに謝ってくれたし悪い人ではないのだが、こちらも一大事だったのだ。
「おっちゃん…。何してくれんだよ…」
「悪いな、兄ちゃん。喧嘩に巻き込まれちまってよ。あぁ、兄ちゃんたちも早く逃げた方が良い。彼奴ら色んな人巻き込んで騒ぎが大きくなっちまってる」
「ああ、そうするよ」
じゃあな、と言っておじさんは足早にこの場を去って行く。
「司、わたしたちも早く逃げよう。話はそれから、ね?司?」
ぐいと袖を引っ張って移動しようとするが司は動いてくれない。肩を揺さぶるとやっと司は顔を上げた。
「司! ほら、早く行こう!」
「……っ」
どんっと大きな音を立ててまた誰かが司にぶつかってくる。
「いってぇな…!誰だよ!」
「つ、司!」
こともあろうに司は喧嘩を買ってしまった。絶対怪我すると思い琴巴は必死に司に声を掛ける。
「司、危ないよ!ほら、早く行こう…!」
それでも頭に血が上った司には聞こえるわけもなく、あっという間に琴巴も喧嘩の只中に取り込まれる。
ーーどうしよう…。
喧嘩している中を突っ切って出る勇気も出ず、後ずさる。すると直ぐに背中が欄干に当たり動けなくなる。
ーーま、何とかなるかなぁ。
こんな中でもそんな風に呑気に考え、橋から飛び降りられないかと橋の下を見下ろす。
そんなことをしていると急に誰かに腕を掴まれた。
「何してるんだっ。こんな所に一人で、危ないだろう!早く行くぞ!」
「え、あ、一寸…」
殆どされるがままに腕を引かれて走り出す。琴巴の腕を引いて器用に人の波を走り抜ける彼は、後ろ姿だけで顔は見えない。
そしてやっと落ち着いた所まで逃げ出し彼が足を緩め出すと琴巴はふぅと息を吐いた。そして前を歩く彼に声を掛ける。
「あの、有難う御座いました。おかげで助かりました」
それでもなお、彼は琴巴の手を引いて歩き続ける。
「えと、もう、ここで大丈夫です。騒ぎからも遠ざかりましたし…。あっ、忘れてた。あの、わたし彼処で友達を待っていたんです。だから戻らないと」
そう言うとやっと足を止めてくれた。が、手を離してくれる様子は無い。彼はそのままゆっくり振り返ると琴巴に告げた。
「それならまた彼処まで送って行く。お前は分かっていない、自分がどれだけ美しいか。分かっていてそれを利用するようなやつは好まないが、自覚しなさ過ぎているのは困ったものだな。扱いに困る」
「…?」
「俺の言っていることが分からないか…。まあいい。それも一興」
彼はくつくつと喉を鳴らして面白そうに笑う。しかしその顔は逆光になっていてよく見えない。
琴巴はそんな彼を前にしてただ困惑するしかなかった。何も言えず黙り込んでいると、笑いをおさめた彼は再び琴巴の腕を引き歩き出した。
そして気がつくと二人は騒ぎの収まったあの橋へやって来ていた。そろそろ終盤に差し掛かった花火が橋の下の水面に揺れている。
「花火、もう直ぐ終わっちゃいますね」
琴巴は無意識にそう言っていた。
「ああ、そうだな。折角花火が上がっていたのに、先の騒ぎでろくに観れていないな」
少し寂しそうな声が返って来て、思わず琴巴は彼の袖を引いて立ち止まった。
「まだ、花火は終わっていませんよ」
彼は振り向くと琴巴の頭をぽんと撫でた。そして優しい声音で囁く。
「そうだな。それに後ろに花を連れていたことを忘れていた」
ずっと手を引かれていたのに、急にそこから熱が広がって行くみたいに体が熱くなる。心臓は花火より煩く鳴っているし、緊張して彼の顔を見ることが出来ない。
「もしかしてあれがお前の探している友達か?」
彼の示す先を見ると、橋の向こう側できょろきょろしている莉緒を見つけた。
こくんと頷くと優しくその背を押される。
「行ってこい。折角の祭りだ。楽しめ」
とんと軽く押され足を縺れさせながら前に進む。
足が落ち着いた所で名前も聞いていなかったことを思い出し振り返る。だがそこにはもう彼の姿は無かった。
「なるほどねぇ」
莉緒は一通り聞き終えると腕を組んで思案する。が直ぐににんまりとする。
「ま、琴巴の好きにするのが一番よ!」
「えと、どうしてそうなるのかいまいち分からないんだけど」
「素直に受け取って置くものよ、人の真心(?)は」
「はぁ…」
全然理解出来なくてやはり首を傾げる琴巴だった。
莉緒に一つだけ言っていないことがある。何故だか分からないけど気恥ずかしくて言えなかったのだ。
背中を押されて足を縺れさせたとき、その琴巴を受け止めた彼が耳元で囁いた。
「もし、俺が迎えに行ったら、一緒に来てくれるか…?」
琴巴は彼の言っている意味が上手く掴めず返答が遅れる。琴巴が答えを返す前に、彼は続けて囁いた。
「……好きだ」
数回瞬きをした後、ようやく頭が追いつき琴巴は急いで振り返るが、もうそこには誰もいなかった。
だから琴巴は願っていた。
ーーただ一度だけ会いたくて。
初めて読んでくださった方ははじめまして!
こんにちは。神楽風雅と申します(*^^*)
<作品について>
今回のテーマは「月下美人」です。また花です。月下美人の花言葉は「 ただ一度だけ会いたくて」です。今回は三回目にして初めて最後に台詞として出てきます(笑)
助けてくれた彼は一体誰なのか。ぜひ推理してみて下さい。司でも裕也でもないかもしれませんが( ̄▽ ̄)
<作者について>
こんな未熟な作品を読んでくださりありがとうございます。思いついたら思いついただけ投稿していきますので、また読んで下さると嬉しいです。