【1-1】
「瞬くん、早く!」
「わかってるって、もうちょっと待ってくれ」
俺は携帯電話をポケットに入れ、上着を服掛けから取る。
俺を呼ぶのは幼馴染であり同じ学校で働く、『藤崎 律』だ。肩ほどまで伸ばした綺麗な茶髪を結い、揺らしながら俺の部屋の玄関口で待っている。ここはアパートの階段横の部屋なので通りかかる人に見られているであろうが、彼女は気にしていないようだ。
「それにしても、女だから準備にもっと時間がかかると思うんだけど。しかも毎日同じ時間に来てるだろ? いつ準備してんだよ?」
俺は座り込み靴を履ながら聞く。
「瞬くんは知らなくてもいいことだよ」
律はニッコリと笑いながら言う。家族のように親しくしている幼馴染の俺が言うのもなんだが、とても可愛らしい笑顔だ。
「気になるんだが」
「気にしたら負けだよ。それにレディーに対してそういうのは聞いたら駄目だって親に教え――」
そこまで言って律は口を閉ざした。
「教えられてるけど、律だったらいいだろ、もう長い付き合いだし」
律をホッとさせるためにそのまま続けるように言う。俺は叔父家族の元で育ったため親の顔なんか覚えてなんかいない。写真も探せばあるのだろうが、探そうだなんて思ったこともない。それに俺には顔も知らない両親のことなんかよりも、律や叔父家族のほうがずっと大事で、かけがえのない関係だ。
「……だね。うん! 許す!」
無理やりに言ったような感じがするが、まあいいだろう。律には気にしてほしくないのだが、何度言っても彼女のやさしさが原因でこのことを気にしてしまうのだろう。昔よりはマシにはなったが。
「その代わりに帰りになんか奢ってね」おお、そう来るか。
「十区のカフェでいいよな?」
「うん!」
輝くような笑顔を見せた。まるで子供のような。そんなに嬉しいか? 確かにあそこのケーキは絶品だが――と早く行かないと遅れる。
玄関にかかる時計を見ると七時少し前を指していた。俺は律を片手で押しながら玄関から出し、ドアを閉める。途中で律はバランスを崩したような気がしたが、すぐに態勢を持ち直して、もぉーなんて言っている。律の文句は無視しながら鍵を閉める。このアパートの鍵はこんな時代には珍しくアナログ式――つまり電波やらパスワードやらで施錠しない二十二世紀ごろの施錠方法とパスワード式を組み合わせたダブルロックなので、少々時間がかかってしまう。
「さて、行きますか、律」
ガチャガチャ終わり、律に話しかける。
「うん。急ごう、時間ないよ」
「だな」
二人並び、アパートから歩いていく。今の高校に勤務し始めてから、ずっとこうしてる。あ、いや違う。小学校のときから高校のときまでも一緒に通っていたから、足掛け十二年だ。その頃も今も家が隣同士で、その縁でずっと一緒にいる気がする。ほんとに家族同然の間柄で、一緒にいるだけで大分落ち着く。
◇ ◇ ◇
「おはよう。まあいつも通りだな。さて今日の連絡だ」
俺は教卓に立ち、連絡を始める。今の日本の学校制度は約八世紀前に作られた制度が続いている。ひとつのクラスにつき一人ないし二人の担任つき、クラスの人数は二十人から四十人だ。この俺の受け持つクラスである2年3組もそれにもれなく該当し、クラスは二十九名だ。
朝礼をし、今日のスケジュール上の注意などを述べ、今朝の教員の朝礼で教頭が言っていた生活上の注意も述べたところで、朝のHRを終える。
「……んじゃ、今日も頑張れよ」
イエー、や、1時限目なんだっけー、などの自分もしたことがあるような学生らしい会話や、それとは一方で本を捲る音が聞こえてきたりする。
「あ、そうだ、黒鉄。ちょっといいか?」
騒音の中でも聞こえるように大きめな声で言ったためだろうか、一気に会話の音は消え失せ俺の呼んだ彼に視線が集まる。黒鉄を心配するような声が彼の周りから聞こえてきた。まあ、彼は成績優秀な生徒なので、その分余計な心配をされているのだろう。
「1時限は古典だろ? みんなは早く準備しとけ」
俺は黒鉄に目配りしながら手招きする。
「なんですか? 仕事の事でですか?」
彼は俺の近くまで来て小さく言った。察しがよくてありがたい。
「ああ。こんなとこで言うのは少々気が引けるけど、まあ、一応な」
黒鉄は軽く頷く。
「まあ、仕事だ。って言っても事務的な仕事な。詳しい事はお前のパソコンに送っといたから見といてくれ。ちょっと面倒だからから、部活あるなら早く立ち上げて帰れよ」
「わかりました」
彼は低く言い、頷く。そして軽く会釈をして彼の友人の元に戻っていった。
さて、俺は職員室で授業の準備だな。
◇ ◇ ◇
「リョー、先生なんやった?」
俺に話しかけてきたのは高校に入ってからずっと同じクラスの『古鳥 皇貴』だ。平均的である俺の身長よりもすこし高い彼は、俺の後ろの席に座っていて、俺が席に着くとそう聞いてきた。
「ああ、放課後頼みたいことあるって言ってきた。家のパソコンでもできるから、早く帰れって」
少し上を見ながら言う。
「そーか。良かったわ。なんか『特別指導のお知らせで~す』とかやったら涙でも流してやろかと思っとったんや」
「リョーはそんな悪い生徒じゃないぞ、皇貴クン!」
後ろから可愛らしい声が飛んできた。
「そもそも、リョーにはそんなことする度胸ないからね!」
両手を腰に当て大きくも小さくもない胸を張り、高らかにそう宣言する彼女の名は『八神 陽希』だ。彼女はこの時代でもとても珍しい灰色の髪を、遠目で見たら男子にも見えなくもない長さの髪を、楽しそうに動かしている。
「いや、まずそうだったら、俺は数分で帰ってこれるか?」
「さあ?」
ふたりはわざとらしく両手を上に向け、なんの事でしょうとでも言っているかのようだ。
「ふざけるな」
「ふざけてませーん」
「ふざけてるだろ?」
「いやいや」
「舐めたことぬかすな」
「……酷い。リョーって私みたいなか弱い女の子にそんなこと言うんだ」
「いや、お前には言っていない」
「……オレに言っとるにしても酷いで。見損なったわ」
「そもそも特別指導とかぬかした奴はどこのどいつだ?」
「おお、シーザーお前もか!」
「……なにがしたい? そもそもブルータスだからな」
なんて低俗すぎる会話を繰り広げ、教室に古典の教師がやってきて、陽希は少し離れている自分の席に戻って行った。
◇ ◇ ◇
俺は軽くため息をつきながら職員室の真ん中辺りにある自分の席に座った。実技の多い俺の席にはそんなに物はなく、机上のパソコンと科目に関する資料と引き出しの中にある担当クラスに関する諸々の資料ぐらいだ。ほかの先生方と比べて圧倒的にものが少ない。まあ、私物をここに持ち込まないのもあるのだが。
俺の担当をする『戦闘技術』の授業は体育と一日交代で週に三回の科目だ。俺の勤務するこの学校『桜藤学園高等部』は普通科の学校なので『戦闘技術』が無い火曜日と木曜日は必然的に暇になってしまう。
今日の仕事を確認するためにスケジュール表を見やり、今日の大まかな予定を立てる。
しかし、週のうちに溜まった事務的な仕事は、ほとんど週終わりにするのが俺の決まった仕事の進め方で、週始まりの今日は、三時限までとくにやることがない。さてどうしようか? 仕事を作るにも差し迫って重要なこともないし。夏休みの課題を作ろうにもこの教科でつくるのは難しいものもあり、大半の戦闘技術教員は長期休暇中の課題を作らない。
「あれ? なんだこれ?」
そう思って机上のパソコンの電源を付けようとした時だ、それは俺の目に飛び込んできた。
手紙だ。それも真っ黒な便箋の手紙で意表をつかれた。しかし何も考えることなくそれを手に取ってしまった。近年、手紙のやり取りや情報のやり取りは電子上で行われる事が常となっている。そんな中、俺や俺の周りの人はそうした機械を使うことなく伝達を行うことが多い。なのでその類なのかと思ったのだ。
――しかし違った。
便箋を開けるとひとまず何も考えることがなかった。いや考えられなかった。写真が入っていたのだ。女の子の。恐らく十代中盤、ちょうどこの高校に在校していてもおかしくないような子だ。――いや。そんなことを考えたいわけではない。詰まる所、情報がちゃんと入ってきていない。突然のことで混乱しているのだ。
写真を適当に机の上に裏返して置き、手紙の本文を眺める。頭が混乱しているので何度か読みなおしつつ、なんとか読解した。普通に日本語で書いてあるが、最後には英語式のサインが書いてあった。
簡単に要約すると、つまり、あなたの元にその写真の子が行くので面倒を見てやってくれとのことだ。なんだか厄介事ができてしまったようだ。
◇ ◇ ◇
「さて、そろそろ行くか」
一人ごとのように呟き、机に置いておいたIDカードを手にする。『戦闘技術』の行う『鍛練室』は電子ロックなので、教師かそれに準ずるアカウントがなければ、その棟に入ることもできない。理由は単純明快、そこには武器があるからだ。いくら刃引き、もとい殺傷能力を落としているとはいえ、それ自体が強力な鈍器になるのでセキュリティには力を入れているらしい。どうやらハック自体もできない凄い暗号なのだとか。
パソコンにロックをかけ、立ち上がり早々に鍛練室へ向かう。鍛練室のある T 棟は職員室のある C 棟からは中庭を抜け S1 棟をを通り抜け、約五分で辿り着く。鍵をIDカードを軽く端末に当てることで開き、次の授業で使う部屋の前に行く。
「さてと、準備するか」
蔵――武器庫のような使われ方をされている物置は俺たち戦闘技術教師からはそう呼ばれている――の大きな錠に手を当て、ふと考える。そう言えばここはアナログな鍵を使っているんだな、とどうでもよいことをだ。現在、電子ロックが主流になっていて、珍しく感じた。やはりここは学校だ。セキュリティ面はアナログな鍵では少し不安があると思う。学校だ余計セキュリティは厳格にすべきだと思う。
と思考に一区切りができたところでちょうど授業終了を告げる鐘が鳴った。
そろそろ生徒が来る頃だろう。準備をしっかりとしなければ。
(修訂済)