【0】PROLOGUE
夜風が冷たい。
体に突き刺さるほどでの寒さではないが、夏にしては寒いのだろう。まだ八月に入っていないからだ、というのは少々無理があるだろう。
二十八世紀に入り約七十年、もう二十九世紀に入りかけている現在、世界の国々は大きな問題と対面していた。
『モンスター』と呼ばれるモノだ。
それが地球上に現れてからというもの、地球上の温度が少しずつずれてきたと言われその影響で日本は平均気温が落ちていったのだ。そのためだろう、初夏がここまで涼しくなったのは。
しかし、この夜風は左目の傷にどこか心地よい。もう痛むことも疼くようなこともないが、やはり片目が見えないというのは心細く、世界からの疎外を感じる。しかし、そこに風がそっと撫でる事が心地よいのだ。そうして両目を閉じ、風を感じていると、声をかけられた。
「なにやっているんですか」
後ろから低いような高いような、しかし変声期を終えた少年の声だ。その声の持ち主の彼は俺の仕事仲間であり、俺が受け持つクラスの生徒でもある。すらっとした体躯で、かつ姿勢がよく、上背があるように見える。髪はこの時代でも珍しい深い藍色で、夜闇に紛れる。
俺、こと『北 瞬』はこの時代になって生まれた『戦闘技術』という分野での教師を務めている。まだ教師歴は浅いものだが、一応一度だけ卒業生を受け持ったことがある。
「ボーっとしてちゃ悪いか? 俺としてはこういう仕事前は精神集中したいんだが」
「知りませんよ」
彼は鼻元に手を持っていき眼鏡を押し上げた。
「武器の手入れはいいんですか?」
彼はおれの左腰を見ながら問う。
「ああ、もうやってあるよ。俺だってこの世界長いんだぞ。舐めるな」
「舐めてませんよ。確認です」
我が生徒なのに軽口を叩く彼の名前は『黒鉄 療』という。若干十六歳にも係わらず武器の手入れだの言っているが、この時分にはやや普通になりつつある。戦闘技術はいつのまにか高校での必修科目の一つになっている。たしか必修になってまだ三十年もたっていないはずだ。
彼は濃い藍色の髪を目の辺りまで垂らし、腕のデバイスで時間を確かめる。そして、続けて言った。
「あと五分ですね」
ああ、と軽く俺は頷き腰にかかる適度な重みを左手で握り確かめた。
――いつものように、夜が始まる。