あたしの愛を
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恋人の照彦と一緒に街を歩く。だいぶ冷え始めてきた。あたしも長袖シャツにジーンズという格好でいる。互いに手を携えてゆっくりと歩き続けた。急ぐことはない。時間がたっぷりあるからだ。この街も昔に比べて人口は減っていたのだが、あたしたちはずっとここに居続けて何も変わったことはない。ただ、互いに以前よりも愛情が増えているのだった。目には見えないものだが、大切だ。
あたしの自宅マンションに着き、キーホールにキーを差し込んで右回しにクルッと回す。ガチャリという音と共に開錠された。彼がトリートメントを付けてアップにしていた髪に軽く触れながら、
「仁美、冷えるから早く部屋に入ろうよ」
と言う。確かに言われてみればかなり外気が冷えていた。ずっと勤務先の会社では雑用係だ。三十代になってもまだ小間使いである。大学卒業後、新卒で入社して十年以上が経つのに、まだ平の身だ。だけど別に構わないのだし、返って居心地がよかった。特別なことを任されるよりも、普通に平でいる方が気が楽だからだ。
さっき二人で街中をデートしてきたところだった。この街にはレジャーランドのようなところは一切ないのだが、単にカフェで食事を取りながらお茶を飲めるだけでも十分幸せだった。さっき昼食を取ったカフェレストランは、日替わりランチが一人分千円とちょっとで食べられて、おまけにコーヒーか紅茶まで付いている。格好の居場所だった。だけど部屋になってくるとまた違う。
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「ちょっと寒いな」
「暖房入れる?」
「いや。重ね着してるから、多少なら耐えられるよ」
「そう?だったらいいんだけど……」
同じベッドにいながら、二人で寄り添い合って過ごす。照彦も一会社員なのだが、彼はあたしと違って幹部候補だ。同じ会社勤務でも待遇がまるで違っている。あたしも同じぐらいフル回転で働いていても、扱いは異なっているのだった。さすがに冷えているので、思い切ってベッドから起き出し、熱々のコーヒーを淹れにキッチンへと入っていく。そして電機ポットでお湯を沸かし始めた。
電機で沸かすと早い。あたしもコーヒーは常にインスタントだったが、別に構わなかった。お金が掛らない方を選ぶのである。あまり安手のものばかりだと味わいがないのだがコーヒーは飲めればインスタントでもドリップ式でもいいのだった。照彦にエスプレッソで一杯淹れて、寝転がっているベッドのサイドテーブルに持っていき、置く。彼が起き上がり、カップに口を付けた。そして一口啜り、
「……このぐらいの濃さがちょうどいいな」
と呟く。あたしも追って啜りながら、
「そうね。これだとガムシロップ入れなくても済むわね」
と言った。あたしも元々は甘党なのだが、コーヒーだけはブラックで飲んでいるのだ。苦味など別に気に掛けてない。単に甘いものが好きだというだけで。それに普段から食生活が偏りがちでも、あまり意識してなかった。誰でも外食していれば栄養は偏ってくる。ただ、それだけの話だ。朝はコーヒーを一杯淹れて、トーストを齧るだけだったし、昼間はランチ店で日替わりランチ、そして夕食もスーパーに寄り、安売りのお弁当などを買って帰ることが多かった。これだけ言えばあたしの食生活の乱れが分かるだろう。
照彦とベッドの上で腕同士を絡め合わせて抱き合った。ゆっくりと愛おしいところを愛撫しながら、抱き合い続ける。あたしも彼と抱き合うことに慣れていたのだし、知っていた。照彦が結構性交が上手いのを。体験は年齢相応にしかないかもしれないのだが、関係ない。ずっと抱き合い続けているのだった。愛し合うことに対し、躊躇いも戸惑いもない。
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やがてお互い達する。微妙な時間差を置いて。抱き合いながら、ゆっくりと余韻を味わう。相手を想う気持ちに変わりはない。気持ちを察してあげることが一番なのだった。照彦はあたしの体に腕を絡め合わせ、抱いてくれる。何も言うことはない。素朴な行為だったが、愛がある証だった。
「仁美」
「何?」
「前よりも色っぽくなったよ。何て言うか……成熟ってやつかな?」
「そんなにあたし年齢行ってないわよ」
「だって三十代だろ?もうオバサンだしな」
「ストレートに言うわね。……照彦だってオジサンでしょ?」
「まあ、そう言われればそうだな。俺も年齢相応になってきたし」
「別に隠すことないわよ。お互い十分年齢経てきてるんだからね」
ベッドサイドのテーブルに置いてあるコーヒーのカップに口を付けて飲みながら、水分補給する。コーヒーを飲み干してしまって、半裸の体に毛布を掛けた。そのまま眠りたいぐらいだ。だけど眠るとすぐに目が覚めてしまう。睡眠障害が幾分あった。眠ったと思ったら、また起き出してしまうような……。そういったときは起きていた。眠れない夜などいくらでもあるのだし……。
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混浴する。お互い裸を見せ合いながら、髪をシャンプーとコンディショナーで整え、ボディーソープを塗ったタオルで体を洗い合った。愛があることを表現し合う。確かに互いに年齢は経てきていた。でも気になることじゃない。それが悪いことじゃなかったのだし、人間は生きているうちに知恵も付いてくるのだ。年齢相応に。そしてバスタオルで体を拭き、仄かに熱がこもったバスルームを抜け出して、リビングへと向かう。冷蔵庫からアルコールフリーのビールの缶を取り出し、プルトップを捻り開けて呷った。
ビールを飲みながらバスタオルで髪を拭き、地デジのテレビを付けてリビングに佇む。髪はショートカットなので、ドライヤーを使わず、自然乾燥させるのに時間は掛からない。顔に化粧水などを塗って肌を整える。照彦もスポーツ刈りの頭なので、時を経ずに髪が乾く。あたしも慣れているのだった。自身のショートカットだけでなく、彼の短髪にも。
やがてまた同じベッドに入り、じゃれ合う。そんなことの繰り返しで生きてきているのだった。出会ったのが八年前の夏で、まだお互い若かったから、互いに奔放な生き方をしていたのだ。今はあの二十代のような若さはないのだが……。それに加齢したことで見えてくるものもいろいろとある。若いうちから悟りきるようなことはまずないのだし……。それにあたしも照彦も普段はずっとメールで連絡を取り合っていた。互いにスマホは欠かせない。コミュニケーションツールとして、だ。電話だと時間を奪われるのでなるだけメールにしていた。
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遅い夕食にラーメンを茹でて二人分作る。あたしも結構手抜きするのだ。食事を二人前作ってお互いに取り、出来るだけ体を温めて、後はゆっくりする。眠気が差してくれば、眠りに就けた。互いに納得しているのだ。特にあたしの方がお金が足りないと思うことがあった。そういったときは安い食材を買ってきて調理する。極めて簡単な感じで。
特に料理に凝る方じゃなかったのである。元々食生活に時間やお金などを割かない。そういったところに貴重な金や、金に値する時を使うぐらいなら、別のところに回しているのだった。食の贅沢などあたしにはないのだから……。それにずっと会社ではパソコンのキーを叩きながらも雑用に追われる。小間使いだから仕方ない。
ちょうど午後八時半過ぎだった。外がかなり暗くなっているので、今夜は彼もここに泊まるのだ。
「こんな夜もいいね」
「ええ。……照彦もいつもはこの時間帯、会社で出前食べてるんでしょ?カツ丼とか親子丼とか」
「よく分かったね。俺もずっと食事は適当だから」
「でも無茶しちゃダメよ。栄養がある物食べてね」
「ああ。だけど、なかなかそうは行かないんだよな。食事偏ってるし」
彼もあたしと差し向かいでラーメンを食べながら、すっかり寛いでいた。いつもお互いフルタイムで仕事をこなしている。それに変わりはなかった。単に業務内容が若干異なるだけで……。でも、いずれ今勤めている会社を辞めてもいいと思う。照彦が結婚などを考えてくれているなら、いつでも一緒になる気でいた。そういったことに抵抗はない。
その夜、二人で添い寝した。秋の夜は長い。昼間日差しは照り付けていたのだが、夕方や夜の時間帯に差し掛かると、日が落ちていく。あたしたちもこういった夜は揃ってゆっくりするつもりでいた。別に今すぐ何かをしたいというわけじゃない。ただ寄り添っていたかったのである。それだけのことだ。そういったことだけでも十分幸せを感じ取れる。あたしたちは実に幸福なカップルなのだった。確かにいろいろとあるのだけれど……。
ラーメンのスープを啜り取り、完食すると、洗面台で歯を磨いて、またゆっくりし始めた。特に何かをしたいわけじゃない。あたしたちにとって大事なのは今を生きることだ。それ以外何もない。そして夜が着実に更けていった。寄り添い合えば、照彦があたしの愛を受け止めてくれる。別にこれと言って気にすることは何もないのだ。愛情を注ぎ合うだけである。目には見えないことではあるのだけれど、それが今のあたしたちには一番大事なことだった。夜の長さを具に感じ取りながらも……。
(了)