婚約破棄? よろしい。ならば、この家を私のものにしましょう
「もう君には我慢できない! 婚約破棄させてもらう!」
仕事の打ち合わせ中に言ってきたのは婚約者のシャルルだった。
ビクトリアはその姿に溜息を吐き出す。
「はぁ……馬鹿ですか? 婚約破棄をしたところで目の前の仕事はなくなりませんよ?」
「そうやって俺を見下して! いい加減にしろ! 俺のことをなんだと思ってるんだ!?」
「馬鹿だと思ってますよ」
「俺は馬鹿じゃない!! そう言うやつのほうが馬鹿なんだ!! そもそも、お前のやり方は気に入らないんだ! そんなちまちましたことをして何になる! もっとデカいことをしなければうちはつぶれてしまう!!」
「昔と今では違うんです。緻密な計算が安定した経営に繋がります。――それで事業計画ですが」
「煩い! 必要ない!!」
「……必要ない、とは?」
「わざわざそんなものをやらなくても仕事は回る! それに、もう婚約者でもなでもないお前なんかにうちの事業に口を出される謂れはない!!」
シャルルはそう言って立ち上がり部屋を出ていく。
それを見送ったビクトリアはもう一度、溜息を吐き出した。
(……なんでこの家の事業が傾いたのか、本当に分かっていないのね、シャルルは)
ニューブルック侯爵家は古くからこの土地で果物を産出している貴族なのだが、一代前から事業が傾き始めていた。
それを立て直したのがビクトリアだった。
ビクトリアの家系は商家が出自の新興侯爵家だ。
ニューブルック侯爵家と婚約を条件に事業の立て直しに尽力してきた。
「顔だけの男と婚約してやって、婚約者だからとこれまで事業を手伝ってきたというのに婚約破棄? 私の親切を仇で返すというの?」
婚約当初、まともに機能していない事業を見て頭を抱えたのは忘れもしない。
(決算書の数字は合わず、出荷量に見合わない収入……そして、周辺諸国との兼ね合いを考えてない作付け指示……)
ビクトリアは袖にしまってあった扇を取り出すと苛々を紛らわせるように自身の手で扇を打ち鳴らした。
(出荷時期だけしか収入が入らなくなる農家に向けて加工品を増やすようにアドバイスし、減産期にも十分な収入が入るようにして税収の増加にも手を貸したというのに……)
これまでの領地を駆けずり回ったことを想いふつふつと怒りが沸き起こってきた。
「ここまで育てた事業を手放せと? はっ! 笑わせるっ!」
ビクトリアの声は楽しそうだった。だが、目は一切笑っていない。
ビクトリアはひときわ大きく扇を打ち鳴らすと、バッと扇を開いて口元を隠すようにした。
「よろしい――ならば、この家を私のものにしましょう」
そのまま自身の怒りを抑えるように扇で顔を仰いだ。
そのときだ。
「――中々面白い話だね。俺にも一枚噛ませてよ」
「あら……あなたは……」
ビクトリアはシャルルが開けっ放しにしていった扉の陰からシャルルに似た男――弟のエリオットが出てきたのを見て目を見開いた。
だがその友好的な態度に、ビクトリアは驚きが去ると、妖艶な笑みを浮かべるのだった。
*
シャルルが婚約破棄を宣言した数日後。
シャルルは兵士にその身柄を捉えられた。
理由は詐欺師と結託しての詐欺の横行容疑。
その詐欺師は以前からビクトリアが付き合いをやめるようにと助言をしていた人物だった。
ビクトリアは溜息を吐きながら、伝手を使ってシャルルの釈放に手を貸した。
*
「馬鹿だ馬鹿だと思ってたけど、自滅するなんて、本当に馬鹿!!」
ビクトリアは扇を激しく手の中で打ち鳴らす。
「折角私が立てた計画が台無しじゃない!!」
「まぁまぁ、お茶でも飲んで落ち着きなよ」
隣に座るエリオットが手ずから淹れた紅茶をビクトリアに差し出す。
ビクトリアはじろりとそれを見ると、大人しく紅茶の入ったカップを手に取った。
薫り高く温かな紅茶が喉を潤す。
ビクトリアはそれでホッと一息ついた。
「ありがとう。とても美味しいわ。やっぱりニューブルック領の紅茶は美味しいわね。私、好きよ」
「それは良かった」
「それにしても、シャルルには本当にイラっとする! これから利益が大幅アップする大きな事業をニューブルック侯爵に提案するつもりだったのに!!」
「まぁいいじゃないか。これで急いで準備する必要はなくなったんだから」
エリオットは憤るビクトリアを慰める。
だがその言葉にビクトリアは首を振る。
「いいえ。計画は急ぐわ。この事業が成功すれば領民はより豊かになるし、人口も増えて、税収増が見込めるから」
ビクトリアはぐっと扇を握りしめる。
その目は燃えていた。
「加工品の生産体制を整えて、工場を建設! 商品の品質をより均一化、生産数を今の五倍に! そして、雇用を増やして、それからそれから――」
ビクトリアは楽しそうに微笑む。
明るい未来の展望に楽しくなったのだ。
それを見たエリオットは笑う。
「好きだなぁ」
「何が?」
「君の生き生きとした姿が」
「まぁ、お上手」
ふふふ、と笑い、ビクトリアは照れたように開いた扇で口元を隠した。
そのときだ。
「貴様ら~!! どういうことだ~!!」
「げっ、シャルル」
ノックもせずに突如として部屋に入って来たのはシャルルだった。
シャルルは顔を真っ赤にしながらビクトリアに向かっていく。
ビクトリアは腰を上げ、シャルルから距離を取るようにした。
エリオットの方はビクトリアからシャルルから守るように間に入った。
「エリオット! 邪魔だ! そこを退け!!」
「嫌だね。俺の婚約者に何をするつもりだい?」
「『婚約者』? ……お前、ビクトリアと婚約を結んだのか!?」
「ああ。兄さんが婚約破棄をしてくれたおかげでね。早速、婚約を結んだんだよ」
「やめておけ! その女狐はお前のことを不幸にするぞ!! 現に俺だって嵌められたんだからなっ!!」
「何を言ってるんだよ……兄さん……ビクトリアのおかげで兄さんの釈放が早まったんだよ?」
「煩い! 弟の分際で兄の俺に口答えするな!!」
「――いいわ、エリオット。そこを退いてちょうだい」
「ビクトリア……分かった」
エリオットがビクトリアの前から退く。
そして、ビクトリアはシャルルに対峙した。
「久しぶりね、シャルル。檻の中のご飯はさぞ美味しかったでしょうね」
「ビクトリア!! 貴様のせいで俺は屈辱を味わう羽目になったんだ!!」
「何を言ってるの? 私は忠告したはずよ。付き合う相手は選びなさいって。釈放の手助けまでしてあげたのに、その言い草はどういうこと??」
「あいつが言ってたんだ! 『これは全部仕組まれたことだ! ビクトリアが嵌めたんだ!』と!」
「あいつって詐欺師のこと? なんで詐欺師の言うことは信じるのよ……」
ビクトリアは頭を抱えた。
「お話にならないわ。もう部屋から出て言って。文句があるならニューブルック侯爵にどうぞ」
「ああ、そうさせてもらおう! 父さんに言って、お前をこの家から必ず追い出してやるからな!!」
シャルルは捨て台詞を吐いて部屋を出ていった。
――ちなみにシャルルは父親からも相手にされず、再び別の詐欺師と関わり、また捕まることになるのだがそれはまた別の話だ。
静かになった部屋でエリオットは苦笑いを浮かべた。
「兄さんは本当に愚かだな。優秀なビクトリアを自ら手放すんだから」
「ええ、本当に。私ほど優秀な女の価値が分からないのだから、もともと領主の器ではなかったということよね」
胸を張ってビクトリアは自信満々に言い放つ。
これにエリオットは眩しいものを見るように目を細めてビクトリアを見た。
「君ほど豪胆で聡明な女性は見たことがない」
「そうでしょうとも」
「君は、俺のことも君の所有物にしてくれるかな?」
エリオットはそう言ってビクトリアの手を取り跪く。
突然の出来事に珍しくビクトリアは狼狽えた。
「え? どういうこと?」
「ほら、数日前に言っただろ? この家を自分のものにする、と」
エリオットは真っ直ぐにビクトリアを見つめる。
熱のこもった視線にビクトリアは背筋がぞくぞくとした。
ビクトリアは開いた扇で口元を隠した。
その扇の下では唇を弧の形になる。
そして、
「ええ、もちろん。あなたごと私の物にしてあげる。大船に乗ったつもりでいなさい」
楽しそうに、それはそれは楽しそうにビクトリアが言うと、エリオットは笑って、忠誠を誓うようにビクトリアの手の甲に唇を落とすのだった。
――少し先の未来、ニューブルック領は果実加工で有名になり国内外を問わず幅広く商品が流通するようになる。
その立役者である侯爵夫人ビクトリアの名も併せて広まった。
後年にはニューブルック領にはビクトリアの像が建てられるのだった。
END
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