【短編版】死んだ王女に成り代わって、自称恩人を公開処刑させていただきますわ
王都の中心に位置する白亜の大広場。
その場は、鼓膜を震わせるほどの熱狂的な歓声と降り注ぐ花びらの雨に包まれていた。
雲一つない空のもとに集まった民衆たちが王家の紋章が描かれた色とりどりの旗を振り、わたくしの名を呼んで感極まったように涙を流している。
「オリヴィア殿下、万歳!」
「我らが美しき王女殿下に、神の祝福を!」
「そして我らが救国の英雄、近衛騎士団長閣下に栄光あれ!」
空気を震わせるほどの地鳴りのような賞賛の波。
その中心で、わたくしは豪奢な天蓋の下に設えられた白百合の玉座に腰掛けていた。
眼下では金糸の刺繍が贅沢に施された純白の礼服に身を包む初老の男が、恭しく片膝をついている。
彼の名は近衛騎士団長バルディア。
二年前、王宮を襲った血塗られたクーデターの夜。
反乱軍が放った業火に包まれる塔から、逃げ遅れたオリヴィア王女を救い出したとされる英雄である。
今日この日は、わたくしが奇跡の生還を果たしたことを祝した救国記念祭の式典。
そして彼は、その輝かしい功績により、一代限りの騎士から世襲の侯爵へと昇り詰める。
今日この場で彼の一族は未来永劫、王家の命の恩人として絶対的な権力と栄華を約束されることになっているのだ。
広場を埋め尽くす民衆も、貴賓席に座る貴族たちも、誰もが彼の栄誉を疑わず、温かい拍手を送っている。
(……ああ、なんて滑稽で――反吐の出る光景かしら)
わたくしは貼りつけた微笑みの裏で吐き捨てた。
彼らが熱狂と信仰を向けるわたくしは――あの、オリヴィアではない。
不吉の象徴とされる深紅の瞳を持って生まれたがゆえに、存在を抹消され、光の届かない塔に幽閉されていた『忌み子』のメリッサ。
それがわたくしの――私の、本当の名前。
暗く冷たい石室で、ただ息を潜めて生きるだけの私にとって、この世界には失望しかなかった。
私の瞳が赤いから。深紅が宿る双眸が不吉だから。関われば、不幸になる。
そんな馬鹿げた迷信を、ただひとり、双子の姉であるオリヴィアだけは信じなかった。
次期女王として誰からも愛され、光の中で生きる彼女だけが、忌み子である私を恐れず、監視の目を盗んでは塔の地下へと通ってくれた。
美しい絹のドレスや、厨房からこっそりと持ち出した甘い焼き菓子、外の世界の風景が描かれた絵本。
そして何より、陽だまりのような微笑みを与えてくれた。
『大丈夫よ、メリッサ。呪いなんてないもの』
『ねえ、メリッサ。いつか、外を一緒に歩きましょうね』
『メリッサ、あなたは私の可愛い可愛い妹よ。かならず、ここから出してあげるからね』
そう言って、オリヴィアは私のかさついた頬を撫でてくれた。
温かくて柔らかな手。
彼女は私にとって世界そのもので、唯一の光だった。
彼女が王座に就くその日、この理不尽な幽閉から解放されるかもしれないと淡い夢を見たこともある。
彼女は幸せになるべきだった。
彼女こそ、幸せになるはずだった。
だからこそ、二年前のあの夜。
私は、この世界のすべてを呪った。
クーデターの混乱と業火の中、彼女は王族専用の隠し通路を使い、一人で安全な場所へ逃げ延びることも十分にできた。
城の誰もが己の命を惜しみ、『忌み子』の存在などすっかり忘れて逃げ惑う中――オリヴィアだけは、そうしなかった。
彼女は、塔の地下に閉じ込められている私を助けるために、たったそれだけのために、自らの危険も顧みずに塔へと飛び込んだ。
きれいだった金髪をひどく乱れさせて、ドレスを真っ黒に汚して、素足のままで駆け込んできた姿を見たとき、神様だと思った。
番人すら逃げ出して誰もいなくなった地下で、私の名前を呼んでくれたのはオリヴィアだけ。
落ちていた鍵の束からたったひとつの鍵を見つけてくれた彼女が、私を抱きしめてくれたときの温もりを、今でも鮮明に覚えている。
でも、運命は残酷だった。
ふたりで地下を抜け出したのに地上階は既に火の海。
唯一の出入り口だった扉には鍵がかけられていた。
別の場所から外へ逃れようにも、塔は業火に包まれていく。
焼け落ちてきた柱が倒れ込んだとき、オリヴィアは私を突き飛ばした。
『――逃げて、メリッサ。どうか生きて、生きるのよ……!』
それが最期の言葉。
振り返ったとき、私たちを隔てた柱の向こうは激しい炎に包まれ、瓦礫が降り注いでいた。
私は全身が熱に包まれていく中で身動きひとつ取れないまま、見ていることしかできなかった。
忌み子なんかに関わったから。私なんかを助けようとしなければ、オリヴィアは生き延びたかもしれないのに――。
「――ふふ、実に滑稽なものですねぇ」
私の――わたくしの意識を現実に引き戻したのは、脳内に直接響いた声。
チェロの響きにも似た低くも甘いそれは、隣に立つ悪魔――ヘリオドールの声だ。
悪魔の声が聞こえるのも、その姿が見えるのも、今はわたくしだけ。
ちらりと視線を向けると、悪魔はわたくしの隣で近衛騎士団長バルディアを眺めていた。
あの日。
火に包まれながら、絶望の中で泣き叫ぶことしかできなかった私の前に、この悪魔は現れた。
『おやおや、これはこれは。お可哀想に。ほうら、お嬢さん。お手を。僕を求めてください。そうすれば、願いを叶えて差し上げましょう』
美しく微笑う悪魔に、わたくしは一切の躊躇なく、自らの魂を差し出して契約した。
――オリヴィアの死の要因を作り出したすべての者に、極上の地獄を与えるために。
わたくしは玉座の上でひとつ瞬きをして、かつての光景を頭から追い出した。
そして静かに玉座から立ち上がり、白百合が描かれたドレスの裾を揺らして壇上へ進み出た。
右手を軽く上げるだけで、広場を埋め尽くしていた喧騒が静まり返る。
こんなにも多くの民や兵がいて、どうしてあの悲劇を防げなかったのか。
そう思いながらも、わたくしは努めて冷静に、柔らかい声を出した。
「我が愛する民たち、そして忠義なる臣下たちよ」
透き通るような声色も、優雅な仕草も、なめらかな肌も、すべてはオリヴィアのもの。
本来なら、オリヴィアが在るべきだった。
本当なら、オリヴィアが助かるべきだった。
「二年前のあの夜。国賊が放った業火の中、わたくしは塔に取り残されました。命の危険を顧みず、この命を救い出してくれたのが……ここにいる彼、バルディア騎士団長です」
バルディアは感極まったような顔を作り、胸に手を当てて深々と頭を垂れた。
忠義を尽くした結果なのだと、その態度が、姿勢が、告げている。
「殿下の命をお守りできたこと、大変誉れに存じます。あの日を忘れたことは、ひとときとてございません。この命ある限り、王家への忠誠を誓いましょう」
バルディアの声が響き渡った瞬間、広場中から割れんばかりの拍手が巻き起こった。
よく通る声で紡がれる、完璧な大嘘。なんて白々しいのかと、踏みにじりたくなる。
この二年のうちに、わたくしは悪魔を使いながら調べ上げた。
あの日、この男はオリヴィアの動きに勘付いて塔までやって来たのだ。
そして火が回っていることを知りながら、唯一の出入り口を施錠した。
自ら手を下すこともなく王族を葬ろうとし、挙句に生きていると分かれば助けに来たのだと演じ切った。
もしオリヴィア王女が生きて帰還すれば、この男は反逆罪で処刑されていたはずだ。
わたくしがオリヴィアを演じるために、記憶が曖昧なのだと告げたとき、この男はひどく安堵した様子だった。
自らの手を汚すこともせず、素知らぬ振りをしてオリヴィアを焼き殺した卑怯者。
この二年も含め、これまでどれほどの甘い汁を吸い続けてきたか。それがどれほど、オリヴィアを侮辱する行為かも知らずに。
「ええ、本当に。その忠義に報いるため、あなたには特別な『褒美』を」
わたくしは傍らに控えた侍従へ目配せをした。
侍従が恭しく差し出したベルベットのクッション。
そこに乗っているのは、侯爵位の証明書でも莫大な領地の権利書でもない。
黒く焼け焦げて熱で歪んだ、古い鉄の錠。
それを見た瞬間――バルディアの顔から血の気が引いた。
つい先ほどまでの自信に満ちた表情は崩れ去り、呼吸が浅くなっていく。
それと同時に、取り繕うための笑みが、引き攣った顔にへばりついた。ひどく歪んだ、醜い顔だ。
「殿下。こ、こちらは……?」
わたくしは答えない。
代わりに、クッションから古い鉄の錠をつまみ上げて、バルディアの目の前でゆっくりと揺らした。
その錠は、施錠された状態で焼けている。つまり、火が回ったとき、この錠は閉じられていたのだ。
もし、焼ける前に扉をこじ開けたのなら、錠は壊れているはず。
もし、鍵がかかっていない状態だったら、この錠は開いたままで焼けたはず。
オリヴィアが塔に飛び込んだときには開いていた扉に、誰がわざわざ鍵をかけたのか。
「見覚えがあるはずでしょう?」
空いた左の掌を上に向けると、悪魔が恭しい仕草で私の手に鍵を置いた。
錠と比較するまでもない。焼けても焦げてもいない鍵。
それを見せた瞬間、バルディアはとうとう笑みの仮面すら取りこぼした。
この男は覚えているのだ。あの日のことを。
なら、訂正しよう。忘れたことなどなかったのだろう。
あの日、塔の扉を閉ざしたこの鍵を、自らの書斎に隠し続けたことを。
わたくしは一歩だけ近づき、バルディアにだけ聞こえるように囁いた。
「あなたが火の中からわたくしを救ったとき――塔の扉には鍵が掛かっていましたわね?」
「――……ッ!!」
バルディアの目が大きく見開かれた。
「不思議ですわ。あの塔には普段から番人が常駐していて、出入り口の扉が施錠されることなんてなかったのに。わざわざ外から鍵をかけたのは、誰かしら? ……ねえ、救国の英雄殿?」
わたくしが姿勢を正した直後、バルディアは後ずさろうとした拍子に足を絡ませて無様に尻もちをついた。
せっかくの礼服が台無しだ。
周囲がざわついたものの、当の本人である騎士団長には周囲を気にする余裕などなさそうだった。
「ちが、違う! 違いますっ、殿下! 私は、私はただ……ッ!」
あの日、塔の扉に鍵がかかっていたのなら、錠が閉じられたままで扉が焼け落ちたのなら、この男が証言する救出劇など物理的に不可能だ。
そもそも、こんなものをずっと隠していたことが何よりの証拠だった。
「不思議ですわね、どうして鍵だけがこんなにも綺麗に保管されていたのでしょう?」
わたくしの放り投げた鍵が壇上で跳ねた。小さな金属音がして、バルディアの眼球がその動きを追う。
小さな小さな金属の塊。それがあの日、オリヴィアの業火に閉じ込めた。
そのとき、わたくしの傍らに控えていた悪魔が進み出た。
「――さあ、極上の地獄をごらんに入れましょう」
見えない悪魔の冷酷な宣告が甘い響きと共に落ち、悪魔の力が密かに発動した。
周囲の民衆や貴族たちには何の異変もない。
彼らにはただ、突然様子がおかしくなった騎士団長が何かに怯えているようにしか見えない。
だが、バルディア当人だけは違った。
周囲の空気が一瞬にして、あの日の鼓膜を焼く熱風に変わり、男の肌をジリジリと焦がし、肺の中が煙で満たされるような息苦しさと煤けた臭いが鼻をつく。
今のバルディアには、自分の肉体が一瞬にして燃え上がったように感じられて、そして――眼前で微笑んでいる悪魔が見えている。
すっかり悪魔の領域に誘い込まれたバルディアは、その場で激しくのたうち回った。
「ひ、ひぃぃッ! やめろ、やめろォッ! 許してくれ!」
バルディアは自らの髪が、着衣が、肌が、焼け焦げていく臭いと熱に襲われながら、自らの喉を掻きむしった。
金糸の刺繍が施された豪奢な礼服を纏った初老の男が、泣き叫びながら髪を振り乱している。
全身を焼き続ける火を消そうと、衆人環視の広場で無様に転げ回るその姿は全く滑稽だ。
「ああああッ、許してくれ! 私はただ、鍵をかけただけだ! 何もしてない! 何も、何もしてないんだッ!!」
「どこに鍵をかけたのかしら?」
「ひぃいい熱い熱いッ! 頼むッ、たすけてくれッ!」
錯乱しているバルディアは、既にわたくしの問いに答える理性なんてなかった。
だが、この男は既に悪魔の領域に捕らわれている。
発狂してすべてを忘れることも、焼け落ちて死ぬこともできやしない。
わたくしは、悪魔に目配せをした。
「ふふ、お任せを。愛しの君」
にっこりと笑みを浮かべて頷いた悪魔は、バルディアの傍らに屈み込んで問いかけた。
いっそ優しく感じられるほどの甘ったるい声で。
「さあ、あなたが鍵をかけた『本当の理由』は? ほら、これ以上は熱いでしょう? 答えたら消してあげましょうね」
「あああ゛あ゛あ゛あ゛オリヴィア様がっ、死ねば――」
死ねば。
王権が。
ひっくり返る。
そうなれば。
自分も。
更に甘い蜜を。
吸えるのだ。
火に焼かれる断末魔の合間に、聞き取りにくいながらに言葉が放たれた。
それは、もはや完璧な自白だった。
歓声に包まれていた広場は、一瞬の凍りついたような静寂の後、凄まじい悲鳴と怒号の渦に包まれた。
「なんということだ!」
「殿下を見殺しにしようとしただと!」
「騙していたのか!?」
「この逆賊め!」
我に返った近衛兵たちが剣を抜き、壇上からバルディア騎士団長を引きずり下ろした。
そして、暴れ狂っているその身体を数人がかりで乱暴に組み伏せる。
激しく狂乱して存在しない炎に怯えて許しを乞いながら引きずられていく、かつての英雄。
バルディアが手にするはずだった栄華も、築き上げた名声も、自ら崩壊させた。
わたくしはただ静かに、その惨めな背中を見送っていた。
近衛兵にも侍従にも、そして民衆の目にも映らない悪魔の視線が、すぐ傍らからこちらに向けられている。
哀れな末路を辿る男のことなど、悪魔は既に興味を失っていた。
悪魔の視線はただひとつ。最初の断罪を終えたわたくしに注がれている。
「ふふ、とてもお美しい。さあ、我が主。あなた様の舞台は整いましたとも。いかがしましょうか」
頭の中に響く、ひどく満足げな悪魔の囁き。
(まだよ)
わたくしは唇の動きだけで悪魔を制した。
「ええ、ええ、もちろんですとも。あなた様のお心のままに」
悪魔がいつも通りに微笑んだ。
わたくしは、ゆっくりと視線を動かした。
悪魔を見るため――ではない。貴賓席の最前列で、騎士団長の狂乱と自白を見聞きして顔を土気色にしている宰相。
宰相は視線に気付くなり、ハッとして引き攣った笑みを浮かべた。それは反射的な保身。
もう、この場でどのような表情がふさわしいのかも分かっていないのだ。
この二年。
あの日の記憶が曖昧だと告げていたわたくしのことを、きっと甘く見ていたのだろう。
反乱に関わった者達を調べ上げ、裏を取り続けていたことなど知りもしない。
自らの欲を満たすためだけに多くの血を流させた、おぞましい欲望の申し子たち。
わたくしを、いえ、メリッサを不吉な忌み子として塔に閉じ込めて、次期女王だったオリヴィアを殺した者たち。
(……あなたの番は、もう少し先。せいぜい怯えて待っていればいい)
わたくしは宰相と視線を合わせ、唇にそっと人差し指を当てて微笑んだ。
この顔はオリヴィアのもの。
深紅じゃない瞳はオリヴィアの、慈愛に満ちた青い瞳。
わたくしが――私が、大好きだったオリヴィアの優しい瞳。
これで終わらせはしない。私の、大切なオリヴィアを奪ったのだから。
ひっそりと静かに終わらせるなんてとんでもない。民衆に見せつけてやる。
何年かかろうとも、必ず成し遂げる。悪魔に魂を引き渡すその日まで。
最後までお読みいただき本当にありがとうございます。
ずっと頭の中でぐるぐるしていた物語をやっと文字にした作品でした。
「宰相もきっちり追い詰めてほしい!」「悪魔との関係が気になる!」という方や
少しでも楽しんでいただけましたら、ぜひページ下部の【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】にして、応援していただけると大変励みになります。
ブクマも嬉しいです! ありがとうございます!
【追記】
短編総合でランクインしていました。ありがとうございます。
感想も大変嬉しいです。宰相編を短編とするか連載にするか悩みつつ、色々と捏ねています。
何にしても黒幕にもきちんと復讐したいところです。




