第三章:Mirror & Spirit - 鏡と精神
1. 独りでは見えない景色
聖華市の夜は、物理的な静寂を切り裂くように、不可視のネットワークを流れる匿名の正義という名の怒号が、街の神経系を侵食していた。
『パトロール』の手によって、アカリは「裏切り者の元捜査官」として指名手配され、ネット上の狂信的な自警団たちが彼女の行方を血眼になって追っている。
「アカリの端末の信号が途絶えた。最後に検知されたのは、旧市街の廃墟区だ」
カイは焦燥感を押し殺し、モニターの波形を追う。だが、相手は街のインフラを握る警察組織だ。どれだけ論理を積み上げても、先回りされているような感覚が彼を支配していた。
「アンタの目は、まだ『正しい答え』を探そうとしてるな、解析屋」
背後でシンが、ドラムスティックを模した金属棒を弄りながら吐き捨てた。
「独りで立って、独りで考えて、正義の檻の中で足掻いてる。それじゃ、奴らの描いたシナリオ(バイナリ)の上を走らされてるだけだぜ」
「……なら、お前ならどうする」
カイが振り返ると、シンは不敵な笑みを浮かべ、カセットテープのデッキを叩いた。
「自分じゃ気づかない『心のブラインド』を外してやる 。俺を見ろ。俺を鏡だと思え。あんたの知らない、この街の『裏のリズム』を教えてやるよ」
2. アップデートされる魂
シンは、カイをレンゆかりの廃墟のクラブへと連れ出した。そこはかつて、二人が「悪の華」のシステムに抗うための歌を作った場所だ。
シンは巨大なスピーカーを起動し、レンの遺した未発表ビートに、カイのこれまでの解析データをリアルタイムで流し込んだ。
「聴け、カイ。瀬戸への攻撃も、アカリの指名手配も、全部この『正義のリズム』に同期してる。……だが、ここに一つだけ、リズムに乗れない『空白』がある」
シンが指し示したのは、激しく脈打つ波形のただ中にぽっかりと空いた、デジタルな「死角」だった。それは論理的なエラーではなく、完璧な調和を装うシステムが、不都合な真実を塗りつぶした「消去の痕跡」だった。
「……そこか。アカリが監禁されている場所は、データが存在しない場所ではなく、データが『消されている』場所なんだな」
カイはシンの言葉によって、自分の思考がアップデートされていくのを感じた。
論理だけでは辿り着けなかった「わからない場所」。友という鏡を通して初めて、カイの眠っていた目が開いた。
「わかったふりして裁く前に、わからない場所で問い直す精神……か。レン、お前はこれを伝えたかったんだな」
3. 氷を溶かす連鎖
カイとシンは、空白の座標――かつての聖マリア施設跡地へと向かう。そこは一年前、アカリの母親が囚われていた、悲劇の象徴とも言える場所だ。
施設の周囲には、『パトロール』の息がかかった自警団たちが、正義という名の正装(武装)をしてパトロールを行っていた。
「奴らの正義は、ターゲットを失うと立てない土俵だ。だったら、ターゲットを『悪』から『友』に書き換えてやる」
カイは喉に手を当てた。もう合成音声はいらない。
彼はシンが用意した心臓を叩くような重低音に、自らの焼けた喉の振動を重ねた。スピーカーを通じて増幅されたのは、プログラムされた言葉ではなく、カイという人間の剥き出しの熱量だった。
「生かされ、育てられ、繋がる連鎖……! 全員聴け! お前たちが指を指している相手は、お前たちを救おうとした一人の女だ!」
カイの叫びが、シンの刻む鋭いハイハットと重なり、施設の壁を震わせる。
盲目的な熱狂に浮かされていた自警団たちの動きが、不協和音を聴かされたように硬直した。カイの放つ「魂のバイブス」が、彼らの網膜を覆っていたAR(拡張現実)の断罪フラグを、ただの虚しい光の塵へと分解していく。
「孤独な正義より、温かいこの声。……行くぜ、カイ。氷を溶かす時間だ」
シンが鉄パイプを鳴らし、二人は正義の檻の最深部へと突入した。
そこには、冷たい拘束具に自由を奪われながらも、システムの走査光を真っ向から睨みつける、アカリの気高い意志が揺るぎなく存在していた。




