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筋肉をつければ物理的にオトせる?なるほど、わたくし、やりますわ!

作者: 八箇チヨ子

「グローヴェン伯爵令嬢、貴殿との婚約を今この場にいる皆を証人として破棄させていただく!」

言ってやったぞ!というのが見てとれる。我が弟ながらなんと愚かなことかとため息を吐いていると、隣からぼそぼそと呪術の詠唱のような囁きが聞こえてきた。

「マジかマジかよ何でこんな公の場で婚約破棄とか宣言するわけ意味わかんねえよ何でだよそもそも婚約解消すら揃えなきゃいけない書類が山ほどあるっていうのにこんなことされたらその上にこの場にいる全員から聴取した証言をまとめた書類がいるし破棄された側に落ち度がないかどうかの関係者への聴取まで必要だしもし落ち度がなかったら裁判所に提出する財産分与と懲罰に関する書類も用意しなきゃいけないじゃないかやるにしたってこんな年末の繁忙期にやるか普通こっちは税金対策で年末に慌てて駆け込み婚姻する奴等の書類を揃えなきゃならないのにこんな年の瀬を祝う会にない時間絞って参加してるっていうのにふざけるなこの馬鹿王子お前の功績は全部今婚約破棄したグローヴェン伯爵令嬢が主導したものが殆どだろうがそもそも……──」

髪をぐしゃぐしゃをかき混ぜながら唸り続けている。目の下のクマも相まって途轍もなく人相が悪い。悪態なのにやはり呪詛にしか聞こえない。まあ、この年の瀬。文官はどの部署も帰宅できないほど忙しくなるのでこの騒動の処理に走らなければならない者たちは悪態じゃなくて呪術をかけたい気持ちでいっぱいだろうけれども。

文官から目を逸らして愚弟に視線を戻すと、愚弟の腕が腰に回されている女がほくそ笑んでいた。それが様になるくらい美しい外見をしている。なるほど、聖女と言われたら信じてしまうだろう。まあ、けれども、あの女の正体と本物の聖女を知っているとその限りではないが。

「あれえ、なんか騒ぎでも起きてるんですか?」

「咀嚼中に喋るなど、はしたないですよ」

「ああ、すみません第二王子殿下」

皿に食事を山盛りにして、もぐもぐと咀嚼しながらキョトンとしている、この筋肉ゴリ……騎士顔負けの引き締まった体型の醜女こそ、我が国の聖女である。召喚された時なんてどうやってそんなに蓄えられるのだと思えるほどブヨ……ふくよかだったのだが「これでは聖女の役割を果たす前に魔物に殺されかねません!」と焦った前騎士団長直々の指導という名のしごきの結果がこれだ。確かに戦える聖女が完成したが、これを聖女として表に出すと士気に関わるとして、兄上は表用の聖女役を起用した。

……そう、その聖女役が先程から愚弟に腰を支えられている渦中の女である。あのほくそ笑んだ顔は本気で面白くて仕方ないのだろう。なにせあの女は兄上至上主義で、彼女にとっては他の王子王女、その他の人間は、そこらに落ちている埃程度の存在でしかないのだから。

「あれ?あそこにいるのは第四王子殿下とユーリア様じゃないですか?どうしてユーリア様が大人しく王太子以外の人に触れられているんですか?」

「色々事情があるんだよ。兄上、キヨラが失礼しました」

「構わないよ。別に不快ではないからね」

慌てて駆け寄って来て、無遠慮な聖女の代わりに深々と腰を折って頭を下げる姿を見て、同じ弟なのになぜこうも違うのだろうかとついため息が出てしまう。渦中にある第四王子は、自分達と同母の兄弟である。あの弟が生まれた時に母は命を落とし、王妃の座が空席では他国に示しがつかないからと、その後釜として、この第五王子の母である現王妃が召し上げられた。

この弟は優秀だが、少し変わり者だ。召喚した聖女を国に縛り付けるために、聖女は第二以下の王子と婚約することになるのだが、誰もがその姿に二の足を踏んでいる中で、唯一名乗りを上げたのである。その負い目もあって、もうひとりの弟である第三王子はこの弟に甘かったりする。

そんな優秀で礼儀正しい弟の婚約者で聖女のキヨラは、先程から手を止めることなく山盛りの皿から次々に口へと放り込んで咀嚼している。

「……ケルライオス、お前も婚約破棄するなら今のうちだよ」

「嫌です。私からキヨラを奪うならたとえグリュールフ兄上でも決闘を申し込みますよ」

「そこまでするほどこの聖女に価値があるのか?」

まさかこんな醜女がお前の好みとか言わないだろうなとギョッとしていると、ケルライオスはゆっくりと首を横に振った。

「兄上、人は見かけではなく中身なのですよ」

「いや、中身もなかなか酷いと思うが」

会場中が愚弟の愚行に気を取られているというのに、筋肉の塊聖女は皿が空になったからと食事をとりに、シェフや給仕が並ぶ後方へと行ってしまった。彼らも騒ぎに夢中なので、聖女への対応がおざなりになっている。それをいいことに、またもや皿を山盛りにしているところを見て、教育係を変えるべきだなと決めた。

「キヨラはあれでいいのです。私は何があっても王位を継ぐ予定も公爵家を興す気もありませんから。オーウェルグ兄上が正式に父上の後を継いだ日に、私は彼女と世界を巡る約束をしていますので、あれだけ逞しい方がよいのです」

「……お前がそれでいいのなら構わないが……」

「そうしてください」

そう言ってもう一度頭を下げて、ケルライオスは筋肉の塊に駆け寄っていった。ケルライオスは見目が良いと言われる我が兄弟の中でも、一際目を引く整った容姿をしている。背丈だって兄弟の中で一番高いし、幼い頃から引く手数多で他の兄弟の婚約者候補すら食ってしまう勢いだったというのに。あんなずんぐりむっくりの何が良いのだか。人の好みはわからないものである。

今もにこにことあの筋肉に微笑みながら二人にしかわらない暗号のような言語で会話している。まあ、真面目一辺倒の堅物なケルライオスには、あれだけ破天荒な方が似合いなのかもしれないが。

それよりも問題なのはあの騒ぎの中心である。ようやく騎士団を統制している、もう一人の弟──第三王子のオルカイエンが動き始めた。触れるな無礼ものと暴れ回る愚弟を、屈強な騎士が五人がかりで抑え込みながら、ようやく会場から引き摺り出していく。

その様を白けた目で見ていた、この会の主催である兄上が手を掲げたことでざわめきもおさまった。

「此度は愚弟がすまなかった。私はこれで退席するが、皆はもう少しこの場を楽しんでくれると嬉しい。……それでは失礼する」

一瞬視線が交差する。お前もこいと言われているのは明らかで、兄上に追いつくために足早に会場をあとにする。

近侍たちと歩き出している兄上の後ろに急いで従うと、此方には目もくれず前を見据えながら憎々しげにつぶやかれた。

「まったく、愚かなことをしてくれたものだ。同腹の末弟と甘やかしすぎたかな」

「ない、とは言い切れませんね。ケルライオスと競うどころか見下しておりましたし」

「継母上は我々の母上と親しく身分を顧みず同格でありながら母上の侍女として入ってくれた人格者だというのに」

「身分至上主義のようなところがありますから……」

「困ったものだ。これまで尻拭いして来たが、あれだけの大衆の面前でされてしまったら揉み消すこともできん。……ユーリアも楽しんでいただろう」

「……否定しかねます」

「それだけ、目に余っていたということだな。私の落ち度だ。許せよ」

「謝る必要はありませんよ。子の責任は親にあると申しますし」

「はっは!不敬がすぎるぞグリュールフ!まったく、我が兄弟にはまともな奴はおらんのか!」

「その最たるものの兄上が仰いますか?」

この兄が母上の侍女を慕っていたことも、その侍女が母上の後釜として召し上げられたことも、それをきっかけに父上を引き摺り落とすことを目標としていることも、ずっとそばで見てきた者は知っている。

そしてきっと、この騒動の責任は現国王の父上に降りかかるはずだ。なにせ、グローウェン伯爵令嬢の父君は、第一位の王位継承権があったにもかかわらず、愛を貫いてその席を譲った、父上の兄なのだから。

「全てが落ち着いたら、ケルライオスにはしっかりお声がけしてくださいね」

「……そんなに態度に出ていたか」

「継母上と姉上達が心を痛めるくらいには」

「マルガレットまでもか……そうか。わかった」

あの真面目な弟のことだから、きっと思うことがありこそすれ、それを胸の内に秘めてこれまで生きて来たはずなのだから。

これから発生する処理事に辟易しつつ、動いていた私たちは知らなかった。

まさかあの筋肉聖女が伯爵令嬢に「復讐したいなら手を貸します!筋肉こそパワーです!」と声をかけ、さらにあの堅物の末弟が「人の不幸は蜜の味って言うものねえ」と煽っていたことなんて。そう、過去と未来に思いを馳せていた私たちは知る由もなかったのである。

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