05 サイン
「……あれ、随分と反応ニブいね」
「いやいやいや、こんな重たいのブチ込まれたら、みんなグッタリしますって!」
言葉とは裏腹に薄笑いの鹿野に、アイダが派手なアクションでツッコむ。
クロと葛西は、疲れのたっぷり混ざった苦笑を浮かべている。
「じゃあ次は、気分転換に軽いヤツを。これは現象のテイストが独特すぎて、年末に出る予定の本に入れようかどうしようか、ちょっと迷ってるんだけど――」
鹿野が続けて新作怪談を語る流れになり、弛緩していた空気が再び引き締まる。
厚化粧の女が気になるユリカだったが、先程のアイダからの忠告を思い出し、客席をなるべく見ないよう体と意識を鹿野の方へと向けた。
その後、鹿野が十分前後のネタを三つ、ユリカが参加していた舞台で起きた音響の異常に関する話、アイダがTV番組のロケで遭遇した怪現象の実体験ネタ、そしてクロが三十分くらいある長編の怪異譚を語り、イベント終了の流れになった。
鹿野の語りは総じてこなれていて、話の構成やネタのチョイスも上手かった。
怪談に慣れてスレきった客にも、禁忌や差別といった諸々が絡んでいて下手に表に出せない、みたいな売り文句は効くらしい。
アイダの話は、怪談としてはパンチが弱い気もしたが、臨場感があってコンパクトにまとまっていたので、「こういうのもアリかな」と思わせるものだった。
一方でクロの語りには粗が目立ち、展開のメリハリにも難があると言わざるを得ない。
人前で長い話をする経験値が足りていない、というのがユリカの印象だ。
ユリカと似た心情だったのか、クロの話を聞いている鹿野も機嫌が悪そうだった。
鹿野がアイダとクロの語った話に解説を加えていると、店のスタッフから終了時間が近付いているとの報せが入った。
「えー、残念ながらね、終了の時刻が近付いてきたんで、最後にゲストの錫石ユリカさんに感想をもらって、それでまとめましょうか」
唐突な無茶振りだったが、ユリカは感想を訊かれたらこう答えよう、と思っていた内容を若干アレンジして返す。
「そんな責任重大な。えぇと、気の利いたことは言えないんで、素直な感想を言わせてもらうと……正直、つらかったですね」
「ほう、つらい?」
妙に高いトーンで、鹿野は訊き返してくる。
「はい……自分にも不思議な体験がありますし、ホラー映画に出演するくらいですから、恐怖への心構えみたいなのは、それなりにあるつもりだったんですよ。でも、ここで聞いた話とか見せてもらった映像は、何というか、その……私の知っている『怖い』と鋭さが違っているというか、身構えたのを無視して本能に刺さってくる感じで、かなりつらかったです」
「なるほどなるほど、そういうことね」
一旦落とすフリをして持ち上げるユリカの論法に、鹿野は相好を崩した。
そしてスイッと立ち上がると、パンッと一つ拍手を打つ。
「はい、ではそんなつらかった第十九回『鬼蛇怪会』も、これにて終了です!」
鹿野の宣言と同時に拍手が沸き起こり、場内が明るさを増していく。
ユリカは反射的に厚化粧の女を探すが、その姿はいつの間にか消えていた。
「最後は恒例のね、これだけは絶対守って欲しいルールの説明。その一、ここで見聞きした内容はネットに書かない。後々商品化されるネタもあるし、表に出せないワケありなネタもある。まぁ、ここだけの話を外に持ち出すな、ってのは常識だね」
ライヴでしか聞けない形でレア感を高めているのは、常套手段だが上手い。
「その二、自宅に戻る前にお寺か神社に立ち寄る。お参りはしてもしなくても、どっちでもかまいません。大切なのは、聖域として整えられた場所に足を踏み入れること。もし、ここで何かに憑かれていても、それで離れて行くから大丈夫」
ユリカには初耳の理屈だったが、観客たちは神妙な面持ちで傾聴していた。
「最後に、その三。これも自宅に戻るまでに、どこかで水を口に含んで、飲み込まずに吐き出す。お茶やジュースや酒じゃなくて、絶対に水。万が一、良くないものが体に入ってしまっても、これをやっとけば吐き出せるんでね、忘れずにお願いします」
これも知らない作法で、ユリカはちょっと首を傾げたくなるが、やはり真剣な表情の客達を見て気付かされる。
これはきっと、本当に必要な御祓い的な行為ではない。
普通じゃない儀式が必要になる、特殊な場に参加したと客に思わせるサービスだ。
そもそも、恐怖を味わいたい心情自体が、非日常を求めた結果だろう。
だから、ちょっとだけ現実離れした世界を覗かせて、安全に日常に送り返すこのイベントは、アトラクションとしてかなり優秀だ。
そんな分析をしつつ、もうエンターテイメント全般を素直に楽しめない自分に、ユリカは一抹の寂しさを感じなくもなかった。
「ではまた、第二十回でお会いしましょう!」
鹿野の締めの言葉に、観客たちは再び拍手で応えた。
他のメンバーが捌けていくのに続いて、ユリカもステージを後にする。
肉体的にも精神的にも疲れ、重い足取りで楽屋に向かっていると、若い男女の二人組に通路を塞がれた。
用があるならまずは声を掛けてくれないかな、と思いつつもユリカは営業スマイルを作り、相手が用件を切り出してくるのを待つ。
「あの、すいませんが、これに……」
「サインをですね、もらえないかなと!」
メガネ男子のテンションはやけに低く、青髪女子の方は無駄に高い。
二人が差し出してきたのは『あなたにサヨナラ言いたくて』のパンフレットだ。
元々はなかったのに、拡大上映を受けて急遽作られたのもあって、内容の粗さが目立つので関係者の評判は概ね良くない。
とはいえ、ユリカにとっては初主演作の唯一の関連商品であるから、思い入れはかなりのものだ。
「ありがとうございます! 映画、観てくださったんですね」
「はい! ホントもう、感動しました! 怪現象が起こるタイミングとかも凄いんですけど、それに対するユリカさんの演技が、何というか……」
「全体的に、ガチ感ある」
青髪娘が言葉に詰まると、男の方がポツリと呟く。
言われた女は「そそそそそ」と連発しながら男をバンバン叩く。
友達だか彼氏だかわからないが、随分と仲がいいようだ。
「それ! カノさんも言ってたけど、ガチで見えてる人の反応じゃないですか!」
「そんな風に思ってもらえたなら、私の演技も中々ってことですね」
「中々なんてモンじゃないですって! ウチらの知り合いに、結構『視えちゃう』子がいるんですけど、その子のリアクションとソックリなんですよ! ね?」
「ああ。大体一緒で」
「なるほど……」
二人のパンフにサインを入れながら、ユリカは曖昧な反応に終始する。
霊感をウリにするのは役者としてどうかと思うし、そもそも今となってはそんな感覚も失われて久しい。
なので明言はせずに、サッサとこの会話を終わらせることにした。
「お名前は?」
「あ、ナナミです! 七つの海で」
ササッと書いてから顔を上げ、メガネ男の方を見る。
質問を繰り返さなくても、流れで答えてくれるだろう、と考えたのだが。
「も――で」
「え?」
「もうこないで」
「ぷぇっ⁉」
早口で放たれた予想外の言葉に、変な声が出てしまう。
バッと顔を上げれば、男が怪訝な顔でユリカを見ている。
「だから、サカタ。酒に田んぼの」
「あっ、うん、酒田君ね……うん」
字のバランスが、少し変になってしまった。
それでも二人は礼を言いながら、出口の方へと歩いていく。
ちゃんとファンサービス出来てたかな、と思いつつユリカは改めて楽屋に向かう。
不意に聞こえた言葉が、七海とは異なる女性の声だったのを気にしながら。