27 ヴンダーカンマー
「どうしました、クロさ――」
『ユリカさんですかユリカさんですよねですね僕です僕ですから聞いて下さい聞いてますかいいですか夢を夢を見るんです夢を見てしまうんですあの日から僕は夢を夢をです僕は夢を』
息継ぎはどうした、と訊きたくなるマシンガントークが、クロから放たれた。
そんなツッコミも通じなそうだと諦めているユリカは、穏当なダメ出しを入れる。
「あの、クロさん? ちょっと言ってる意味が――」
『夢で泣いてるんですね泣いてるんですよ女の子が女の子が泣いてるんですずっとずっとずっと泣いてるんですその泣き声がもう夢の外でも聞こえるくらいで頭の中にはずっとずっと』
「えと、変な夢のせいで寝不足、とかそういう――」
『だからだから僕は何をすればいいのか何をして欲しいのか夢でも今でも訊くんですけど泣いてるんですずっと泣いて泣いて泣いてそんな夢であいつも何をする気なのか女の子は泣いてるのにあいつはあいつは僕を夢で夢なのに女の子をあいつは』
「落ち着いて! 深呼吸して、クロさん!」
大きめの声で制止しようとするが、クロはまったく止まらない。
一方的に喋るというか唱えるというか、とにかく意味不明な言葉を垂れ流す。
時々咳き込みながら早口で語り続けるクロは、控えめに言って少しおかしい。
正直に言ってしまえば、完全におかしくなっている。
言っている内容は、単語は理解できるのだけど、つながりがわからない。
強迫観念に駆られ、頭に浮かんだことをそのまま吐き出しているような、そんな不気味さがあるばかりだった。
山手線を二本逃すくらい独演が続いた後、話は挨拶もなく唐突に終わる。
「これは私には無理だよ、クロさん」
通話終了の画面に小声で呟いたユリカは、その場で鹿野への連絡を決意する。
あの夜、クロと一緒に工場の地下に消えた鹿野は、発見時こそ異様な雰囲気を纏っていたが、その後は特におかしくなることもなく、いつも通りの日々を送っている様子だ。
SNSから「今電話しても大丈夫ですか」と声をかけると、即座に着信があった。
『はいはい。どうしましたか、ユリカさん』
「あ、お忙しいところをすみません。その……クロさんのこと、なんですけど」
そこまで言ったところで、鹿野の長い溜息が聞こえた。
『ユリカさんにも、来ましたか。彼からの電話』
「はい、二回ほど……あの状況は、さすがに放って置けなくないですか」
『んー……この仕事をやってると、よくあることなんだけどね』
「よくありますか、あんなのが」
『困ったことにね、あるんです』
あまり困ってなさそうな、笑いを含んだ声で鹿野は応じてくる。
「話だけでも、聞いてあげるべきなんですかね?」
『うーん……じゃ、ちょっとそこらの相談、しときますか。今日は、夜の八時までは空いてるから。わたしは池袋の仕事場なんですが、ユリカさんは』
「今は、新宿駅に」
『近いですね……なら、仕事場の方に来て下さい。地図、送っときますから』
それだけ言うと、鹿野は通話を切ってしまった。
女関係で悪名高い鹿野と、相手のテリトリーで二人になる――大丈夫だろうか。
今からでもドラを呼んで、一緒に来てもらうべきなのかも。
悩んでいると、地図の添付されたメッセージが鹿野から届く。
その画像を眺めていると、池袋方面へと向かう電車がやってきた。
まだ迷いはあったが、ユリカは意を決して鹿野の所に赴くことにした。
鹿野の仕事場は、池袋駅から十分ほど歩いた場所にある、古くも新しくもないビルの一室だった。
鈍いエレベーターで五階まで上がり、教えられた部屋のインターホンを押す。
しばらく待っていると鍵の外れる音がして、作務衣姿の鹿野が現れた。
「いらっしゃい、ユリカさん。すぐわかった? 似たようなビル多いから、この辺」
「ええまぁ、何とか」
意味のない問いに意味のない返事をし、ユリカは室内へと上がり込む。
玄関に入って早々、大小のダンボールと各種サイズの封筒の山が出迎えてくる。
その先には書籍の長城が築かれ、廊下の幅を半分くらいに狭めていた。
ある程度の乱雑ぶりは予想していたが、こちらの心構えを軽々と超えた状況だ。
「おぉう、これは……」
「ああ、そこらは大体ネットで買って、最近届いた資料用の本だね。どっちかといえば、古本が多いかな。他には自分の見本誌や、知り合いからの献本なんかも」
「怪談にも、こんなに資料が必要なんですか」
ユリカが訊くと、鹿野は微かに眉を顰めて答える。
「わたしは妖怪や都市伝説の研究もしてるから。その手の話になると、どうしても文献に頼らざるを得ないんでね」
「はぁ……確かに、妖怪に遭ったって話は、あんまり聞きません」
「説明のつかない怪異に形を与えるため、妖怪が発明されたとの見解もある――そこらをもっと知りたければ、初心者向けの『イエティでもわかる怪異なんでも入門』って本があるから、それ読んで」
鹿野はそう言いながら、廊下の突き当たりにあるドアを開ける。
そこも中々の雑然ぶりで判断が難しいが、L字のソファとテーブルが存在しているので、おそらくはリビングとして運用されているのだろう。
壁際のスチール棚には、モチーフ不明の木彫りの何かや、濁った液体で満ちたガラス瓶に入った何か、透明ケースに収められたミイラ状の何か、といった怪しげな何かが並んでいる。
「うわ、これって……凄いですね」
「そこらのは、見た目のインパクトは申し分ないんだがね。実は、鑑定の結果フェイクと言われたものだらけ。入手に金を使ったから、回収のためネタにはしたけど」
「ニセモノ、ですか」
「贋物だったり、作り物だったり。研究対象としては、言っちゃ何だがゴミだね」
笑い話っぽくまとめられても、ユリカとしてはインチキと知りながらネタに流用する、鹿野のスタンスに疑問を抱かざるを得ない。
「そっちはキッチンとかトイレとか。こっちが仕事場なんだけど、見てみる?」
「はい、是非」
それほど興味はなかったが、空気を読んで隣の部屋へと移動する。
鹿野に続いてユリカが足を踏み入れると、古本屋のニオイと倉庫の埃っぽさと中年男の体臭が混ざり合った、強めの居心地悪さがある空気に出迎えられた。
縦に長いその部屋は、一番奥に設置された机を挟むように本棚が並び、机の上や床にも本やファイルが山積みになっている。
机の前に設置されたコルクボードにはビッシリとメモが貼り付けられ、二つ並んだPCのディスプレイにも、カラフルな付箋が彩りを添えていた。
予想以上に仕事している光景に、ユリカは鹿野が単なるオカルトゴロではなく、プロデューサーであり作家なのだということを思い出す。
ドアの傍にあるパーテーションのような金属製ネットには、アミュレットの類や数珠、それに宝石をあしらった十字架などが大量にブラ下げられている。
机の脇にある飾り棚には、指輪や腕輪が無造作に転がっていて、それらに混ざって装飾過多なナイフ――であろう複雑な形状の刃物なども置かれていた。
鹿野は各アイテムに説明を入れてくるが、ユリカには二割もわからない難解さだ。
「いやぁ……とにかく圧倒されますね」
「この隣と、もう一つ隣の部屋は物置になってるから、もっと凄いよ。見る?」
「いえ、その……これよりレベル高いと、ちょっと私にはついていけなそうなんで」
「あ、そう? じゃあ……そろそろ本題に入ろうか」
ユリカは鹿野の言葉に頷き、隣のリビングらしい部屋へと戻ることにした。




