18 理解不能はダメなんだ
鹿野の電話は中々終わらなかった。
というか、話している内容がさっきとガラッと変わっているので、二件目になっている可能性も否めない。
そして車内には、だいぶ重たい空気が換気されずに居座っている。
「えぇと……チョコとか食う?」
「いえ、いいです……」
「チョコあ~んぱんは?」
「もっといいです……」
止めなかったのを詫びる意味もあるのか、アイダがよくわからない気遣いを見せてきたが、ユリカのテンションはどうにもならなかった。
澱んだ空気を作った主犯である葛西は、悪びれるでもなくユリカに対してダメ出しを重ねる。
「まーまー、大人なんだからさぁ、ユリちゃんも。そんくらいで拗ねなーい。ね?」
「あの、拗ねるとかじゃなくて……どう言ったらいいのかな」
ユリカが丁度いい表現を探していると、横からアイダが混ざってくる。
「サンタの正体が親だってのは知ってても、実際にプレゼントが隠してあるのをクリスマス前に発見しちゃうとモヤる、みたいな?」
「あぁ――うん? それはどうかな……」
近いような近くないようなズレた喩えだったので、ユリカは回答を保留する。
項垂れてチョコを齧るアイダにカメラを向けながら、葛西はあくまでも軽い調子で言う。
「心霊現象だの怪奇現象だのはさ、真面目にやっちゃっても、どうしても据わりが悪い結末になりがちなんだよ。意味がわかんない現象を調べてみたけど、最終的に何だかわからないことがわかりました、とかそんなオチになるドキュメンタリー、見たい?」
「UFOとかUMA関連だと、結構そんな感じで終わるような……」
ユリカが反論してみると、やれやれ感たっぷりに葛西は苦笑する。
葛西が続けて何かを言おうとしたが、その前に助手席の鹿野が声を上げた。
「宇宙人だの怪獣だのはいいの、それで。ああいうのは、正体不明がアイデンティティみたいなモンだから、真実がわかった方が困る。だけど、私達がやるのはそうじゃない。霊的な現象ってのは元が人間だったり、人間の情念だったりする。だから、そこに理解不能な要素が混ざるのはダメなんだ」
「ダメ、ですか」
ユリカが鸚鵡返し気味に問うと、葛西がそれに対して答える。
「ダメだねぇ。あのさ、リトルグレイとかチュパカブラとか、ユリちゃん怖い?」
「どうだろ……ちょっと、ピンとこないです」
考えた末に否定的な返答をしたユリカに、今度は鹿野が応じる。
「だろうね。こっちの常識と懸け離れた相手っていうのは、怖くない。何故かと言えば、理解が及ばないから怖がりようがないんだ。食べたことのない料理の味が想像できない、てのと一緒。だけど霊や怪異は、怨恨やら呪詛やら憤怒やら悲嘆やらが存在のベースだ。負の感情は、誰にでもあってわかりやすい。だからこそ、恐怖につながる」
「はい」
「そして、現象はあるのに原因がわからない場合、推測や想像を加えながら、理解できるオチをこちらで用意する。それはさっき監督が言ってたように状況のアレンジ、もしくは翻訳だね」
「……なるほど」
理詰めで説明してくる鹿野の背中に、ユリカは頷きながら返す。
丸ごと全て納得できないまでも、粗くて荒い葛西の物言いよりは受け容れやすい。
特に翻訳という概念を持ち出すのは、ユリカにもわかりやすかった。
常識の埒外に飛び出した現象の、首根っこを捕まえて現実に引き戻す感がある。
「まぁね、わかりやすいってのは大事よ、やっぱり。『じゃすか』の一作目に出てきた、鹿野さんの本でも有名な『首吊りホテル』あるじゃん」
「えぇと……一年ちょっとの間に、何の関係もない五人が次々に自殺して、死に方が全員首吊りだったっていう、あの」
アイダに言われ、ユリカは先日観たビデオの内容を思い出しながら答える。
五人中三人の死体が見つかった部屋で、アイダが『ローハイド』を歌いながら首吊り用ロープを振り回していたシーンについては、今は触れない方がよさそうだ。
「実はアレ、実際は首吊ったのは一人で、自殺だと判明してるのは三人で、五人が死ぬまでに十年のスパンがあるんだよ。けどそれじゃあ、物語がない。幽霊が出るって噂も、沢山死んでるから出てもおかしくない、くらいの根拠だったらしい」
「だなー。それをアレンジして、全員首吊り、連続して五人、短期間に集中、って枠組みを作ったら、ちょちょいのちょいで激コワ心霊スポットの出来上がりってね」
アイダと葛西の話を聞きながら、ユリカは形容し難い気分になっていく。
商売としてなら、それも正しいスタンスなのだろうが――
「おいおい、あんまり闇の深い部分をクローズアップしてくれるな」
わざとらしく顔を顰めた鹿野が、助手席から振り返って言う。
「ノンフィクション小説だって、『小説』って形にするには演出なり脚色が必要になる。それと一緒のことだね」
鹿野の端的な説明に、車内は何となくオチがついたような空気になる。
余計なことを考えすぎて頭が重くなり、アイダにチョコを貰おうかどうしようかユリカが考えていると、葛西がパンパンと手を叩いて言う。
「とにかく、ここらで工場についての語り、入れとこう。ドラさん、次にコンビニでも見つけたら車停めて」
「了解です」
同じ空間にいるのに久々に声を聞いたな、とユリカはドラの頭をチラッと見る。
さっきまで繰り広げられていた話についての、ドラの意見が知りたかった。
数分後、やけに駐車場が広いレンタルビデオ屋を発見し、席の移動が行われる。
そして後部座席に回った鹿野による、工場にまつわる因縁と現在報告されている怪現象の解説が、ユリカを相手に始まった。
「問題の工場、ね。所有していた会社の創業が昭和三十年代前半で、廃業が昭和の終わり頃というのは判明してるんだけど、元々の所有者や建築年代についてはわからない」
「わからない……登記簿とかを調べても?」
「そうなんだ。元は国有地になってて、それ以上は記録を追えない。地元に昔から住んでる人の話では、終戦の数年後にはもう工場の建物があって、しょっちゅう外国人が出入りしてたって証言もあったけど、古すぎてそこで情報はストップだ」
「何だか、もう普通じゃない感じですね」
簡単な台本をベースに、ユリカは聞き役をこなしていく。
「ただ、昭和や大正どころじゃない、もっと古い時代の情報には辿り着いた」
「縄文時代ですか」
「そうそう……じゃないよ、江戸時代!」
「ぶふっ――」
ユリカがアドリブをぶっこんでみると、ドラが軽く吹いた声が聞こえた。
「地元の図書館で発見した、持ち出し禁止の古い郷土史料にはこうあった。江戸の中期から後期にかけて、工場のあった土地を含む一帯には、深い森が広がっていた。その奥には村があったが出入りは藩によって制限され、森に続く道には関まで作られていた」
ユリカは少し悩んだ演技をしてから、用意されたセリフを口にする。
「謎の村……結局、どんな秘密があったんです?」
「正確なところは、わからない。だけど、ヒントになることは別の本の記述に見つけた。奇怪な風土病の流行と、その患者が隔離されたという話が、土地の言い伝えとして残っている。明治の中頃、研究者が周辺地域の老人から聞き取って、論文に引用しているそうだ」
「じゃあ、その隔離施設の跡地に建てられた工場だった、ってことですか」
「とにかく、明らかになっていない歴史の闇が潜んでいる可能性が、極めて高い。あの工場では不可解な事故が続いて多数の死者が出てるんだけど、大元になる『奇妙な事故が起きる理由』が見当たらない。だからこそ、隠された――隠さねばならなかった物事が、重要になってくる」
「ふはぁ……ちょっとあの、とんでもない話になってきましたね……」
重々しく大胆な仮説を断言しているようで、よくよく分析してみると何を言っているのかイマイチわからない、人を煙に巻く鹿野の論法にユリカは演技ではなく感心する。
信憑性はさて措き、客の興味を惹くであろうネタを多数盛り込んでの設定語りは、単純に話芸として上手いと思えた。
それから鹿野の話は、工場で目撃された『髪の長い女』と『黒い女』の簡単な説明へとシフトする。
このネタは別のシーンで詳しくやるらしいので、ユリカは特に突っ込んだ質問をせずに、頷き役をこなすだけだった。