第一話 下駄箱の毒物
本作は全ジャンル踏破「文芸_推理」の作品です。
詳しくはエッセイ「なろう全ジャンルを“傑作”で踏破してみる」をご覧ください。
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――未来を予測することなんて誰にも出来ない。
たとえばバレンタインの日、可愛らしくラッピングされたお菓子の箱が下駄箱に入っていたとしよう。それで高校から帰って包み紙を丁寧に開けたら、中には僕の好物であるマドレーヌが入っていたとする。しかも手作り。そりゃ舞い上がるのも当然ではないだろうか。
だから、こんな未来など誰が予測できよう。
激しい腹痛と下痢で、トイレの住人になるなんて。
「……変な匂いのするマドレーヌだとは思ったが」
匂いだけでなく味もかなりヤバかったんだけれど、なにせ女子の手作りだ。せっかく僕に向けてくれた熱烈な気持ちを無碍にしてはいけないと思って、頑張って食べたんだけど……それが完全に仇となった形だ。変なものを食べて腹を壊した僕は、家族に生暖かい視線を向けられながらトイレ生活を送る羽目になっている。
額に浮かぶ脂汗を拭い、悶絶しながら思考する。
――あのマドレーヌは……いやあの毒物は、誰がどんな意図で仕掛けたのだろうか。
考えられるのは、大きく二通り。
まずは、僕のことを好きな女の子が純粋な気持ちで作ってくれたというパターン。お菓子作りの腕前が壊滅的であることを除けば、今回は不幸な事故だったと思う。このパターンだった場合は、その子をそこまで恨もうとは思わない。
もう一つは……僕のことを嫌っている誰かが、危害を加える目的で毒物を仕掛けたパターン。こっちだったら絶対に許さん。絶対に探し出して、焼けた鉄板の上で土下座させてやる。
「……うぅ。腹が痛ぇ」
そうして便器に座りうんうん唸っていると、ふとトイレの床に転がるお菓子箱が目に入った。マドレーヌに気を取られて気が付かなかったが、箱の底には分厚い封筒が……僕の勘違いでなければ、ラブレターらしきものが入っているように見える。
広井大地様、書かれた封筒を手に取った。
「これを読めば犯人の正体が分かるかも知れない」
拝啓
神に背きし闇の騎士様
ねぇ、だいじょーぶ? 体調だいじょーぶ? 闇の騎士様なら闇の魔闘気があるから大丈夫かなーって思うけどね、マジウケるw
ウチゎ氷の眠り姫、アイプリって呼んでね☆ ぶっちゃけ魔界の手紙だっけ? そーゆーのチョット下手っぴなんですけどぉ、なんか直接ゆってもちゃんと伝わんなそーだしぃ、アイプリ的にはこっちのがいいかなって思うから、ゆいたいことだけガチでゆわしてもらうけどぉw
ウチゎ超ひねくれてるしぃ、っていうか私ってそもそもアイプリだしぃ? 闇魂の盟友だっけ? そーゆーのイミフだからマジウケるんですけどぉ、闇の騎士様ってば大地の魂持ってんじゃん? だからアイプリも氷魂の盟友がいるんだっけ? そーゆーのマジウケるwww
そーそー、バレンタインおめでと♡ 闇の騎士様にウチの暗黒物質送りたくてマジめっちゃ考えたしぃ? マドレーヌ、ガチでしゅきしゅきなんでしょwww ウチのしゅきしゅきも一杯入れといたからwww
ねーねー期待しちゃった? 期待しちゃった? そんなワケないじゃんねwww つまりね、アイプリ的にはききたいわけw 闇の騎士様はウチの彼ピになりたいのぉ?
1年B組 氷の眠り姫より
敬具
――クソ、やられた。
僕は思わず舌打ちをしながら頭を抱える。
冒頭の「神に背きし闇の騎士」は僕が高校に入学してからWebで連載しはじめた大人気小説だ。投稿する度に必ずPVが2はつくので、少なくとも二人ほどの読者は追いかけてくれている。うん。大人気は言いすぎたと思う。ごめんなさい。
手紙を読む限り、僕の作品を小馬鹿にされてはいるものの、実はけっこう内容を読み込んでくれているのが分かる。この事実を、僕はどんな気持ちで受け止めれば良いのか……。
うーん、犯人が1年B組の同級生だとして。
今パッと頭に浮かぶ容疑者は二人だな。
まずは火野朝日。少々馬鹿だが気持ちの良い性格をしている男で、日々筋肉の鍛錬に余念がない。高校入学時に隣の席だったため仲良くなったのだが、僕は奴にだけは自作小説のことを打ち明けている。そこが疑わしい点だ。
しかし火野が犯人だとして、わざわざ「お前の小説を知ってるぞ」なんて手紙で匂わせたりするだろうか。それに火野は気に食わない奴には正面から文句を言うタイプの男だ。
「……火野はこんなネチネチした嫌がらせはしないか」
次に氷室月子。実はメインヒロインである氷の眠り姫のモデルとなったクラスメイトで、クールでミステリアスな女子である。あ、うん。僕は彼女に絶賛片思い中のため、下駄箱にお菓子が入っていた時は、真っ先に彼女の顔を思い浮かべて期待してしまったのだ。
しかし月子が犯人だというのは無理がある。なにせ彼女は夏休みの読書感想文(現国の課題、自分で好きな本を読んで感想を書くやつ)のテーマに夏目漱石の『こころ』というド名作を選び、その感想を「すごかった」の五文字で終わらせた伝説の女である。常に淡々としているから、こんな風に人を煽り散らかすほどの文章作成能力があるとは思えない。
「長文を書く月子なんて全く想像できないもんな」
そもそも火野とも月子とも普通に仲良くしてるから、毒を盛られるほどの恨みを買った心当たりはないのだ。さすがに毎日笑い合っている友達が僕に害意を持ってたらガチで凹む。
逆に動機の方から考えていくと……僕を恨んでいそうなのが一人だけいるな。
金田風音。保育園時代からの腐れ縁で、いわゆる幼馴染というやつだ。こいつなら僕がマドレーヌを好きだということも当然知っている。
アニメなんかだと幼馴染というのはサブヒロインとしてよく使われる肩書だが、あいつとはガチでそんな関係ではない。僕も風音もお互いに、そんな気は全くない。これは絶対だ。
なにせ小学生の頃、あいつは寝ている僕の顔にオナラをぶちかまして人生最悪の寝覚めを経験させてくれた。なんとも苦い思い出である。長い時間の中でお互いのことは割と理解しているし、別に仲が悪いというほどでもないのだが、犬のウンコを素手で投げつけてくる女を恋愛対象として見るのは難しい。結局のところ、あいつとの間には汚いエピソードが多すぎるのである。
「風音のイタズラか……可能性としては捨てきれないが。でもあいつ、食べ物では遊ばない主義なんだよなぁ」
僕は便器に座って腹を擦りながら、別の方向からも容疑者を考えてみる。
毒物を作りそうなのは朽木六花だろう。あいつは黒魔術同好会という怪しげな組織の会長をやっており、調理実習で異臭騒ぎを出して今年の家庭科を全部座学授業に塗り替えた前科を持つヤバい女である。
それと人を煽る文章を書けそうなのは小泉美鳥だろうか。眼鏡におさげといういかにも典型的な文学少女で、口調もいいとこのお嬢様といった感じなのだが、文芸部ではなかなか毒のある小説を書いているらしい。なんかの文学賞までもう一歩だった、などという噂も耳にした。
しかし朽木六花も小泉美鳥も、僕とはさほど関係が深くない。良くも悪くもクラスメイトとして必要な会話を交わす程度の関係であり、おそらく好かれても嫌われてもいないと思う。毒物や怪文書を仕込む能力はあっても、動機がないと思うのだ。
「朽木と小泉は……うーん、探るだけ探るか」
火野朝日、氷室月子、金田風音、朽木六花、小泉美鳥。
ひとまずこの五人を容疑者と仮定しようか。
僕はそんなことを考えながら、母親の買ってきたスポーツドリンクで水分補給をしつつ、腹痛の波状攻撃とひたすら戦い続けて……そのまま三日間、高校を休んだ。
◆
げっそりと痩せこけた顔で登校すると、クラスメイトたちが寄ってたかって心配そうに声をかけてくれた。一応笑顔で応対しているが……この中に犯人がいるかもしれないと思うと、ちょっと人間不信になりかけるな。
そんな中、黒魔術同好会の朽木六花が妙なことを口走る。
「我が黒魔術の効果……観察しがいがあるのう」
僕がバッと顔を上げて朽木を見ると、彼女は視線を窓の外に向けてニヤニヤしていた。今のは僕に向かって言ったわけではないのか? 分からん。どうだろう。
黒魔術の効果と言っていたが……まさか黒魔術同好会の活動として、僕を実験台に毒を食わせて観察しているとか? いや、そんな荒唐無稽な話があるのか……でも朽木だしなぁ。思えば彼女はいつもこんな感じの言動をしているので、怪しいのは怪しいが、いつも通りといえばいつも通りなのである。
そうやって僕が思考を深めていると、隣の席に一人の女の子が座った。
「……おは、大地」
氷室月子は今日も無表情で、その首にはいつもの無線ヘッドフォンがかかっている。登下校中は、何やら音楽を聴いて過ごしているみたいなのだが。
「おはよう、月子」
「ん。腹痛は?」
「うん。火野も交えて後で相談したいんだけど、実は……僕の下駄箱に毒物が仕込まれてて。バレンタインのお菓子に見せかけて、なんかヤバいものを食わされちゃったんだよね」
「だいじょうぶ?」
「とりあえず下痢は治まった」
「そう」
月子の表情や反応を観察していたが、彼女はもともと感情を表に出さないタイプの無口少女だ。しれっとポーカーフェイスをしていたら、僕の節穴のような観察眼では判別できない。
彼女の様子はいつも通りに感じる。というか僕は彼女に片思い中なので、できれば犯人ではないと信じたいが……やはり疑いは拭いきれない。げっそりとする僕を間近で観察し、心の中で笑っている可能性も否定できないのだから。
そうして内心鬱々としていると、今度は文芸部の小泉美鳥が口元に微笑みを浮かべながら近づいてくる。
「広井さん、おはようございます」
「おはよう小泉」
「つかぬことをお聞きしますが、その。広井さんはもしかして……どなたからか素敵な恋文を渡されませんでしたか?」
素敵な恋文、だと?
皮肉にしても毒が強い。こいつ。
「貰ったと言えば、貰ったかもしれない」
「まぁ。いかがでしたか? ご感想は」
「最高の気分だね。誰の仕業か知らないが……犯人を突き止めたら、そいつの性格がどこまで捻じ曲がっているのかじっくり研究してみるのもいいだろう。絶対許さない」
僕が牽制するようにそう返答すると、小泉は「あら?」と不思議そうな表情をして首を傾げた。ん? この反応はどっちだ……てっきり犯人か、その協力者かと思ったが。
「あの。わたくしは恋文の話をしているのですが」
「うん。僕もラブレターの話をしているが」
「あの……あれはラブレターではなく恋文かと」
「そこはどっちでもいいけど」
なにそのこだわり。その二つは何か違うのか。
僕としては恋文でもラブレターでもなく怪文書だと思うけど、いずれにしろ最悪な手紙を貰ったことにかわりはない。だがこの感じだと、小泉とは何か情報が食い違っている気がするんだが……いや、実は彼女の性格が超最悪であり、すっとぼけたフリをしながらこちらの反応を観察しているという線も捨てきれないか。どっちだ。
次に現れたのは、火野朝日。筋肉男である。
「おう、広井。腹壊したんだって?」
「あぁ、最悪だよ」
「なんかあったのか?」
「詳しくは後でな。月子も交えて相談したい」
火野はあっけらかんとしているから、どうも疑う気になれないんだよな。個人的には、月子と火野にはこのことを相談しても良いと思っている。もちろん、二人に対する警戒を完全に解くわけではないが。
そんなことを考えていると、後ろから肩をペシッと叩かれる。振り返れば、そこにいたのは幼馴染の金田風音であった。何やらニヤニヤと楽しそうに笑っているが。
「おはよー大地。腹壊したんだって?」
「そうなんだよ。マジ最悪でさ」
「ふうん――」
風音は何か探るような目で僕を見る。
「――それで、マドレーヌは食べたの?」
その言葉に、僕の心臓がドクンと脈動した。
だって、僕は今日に至るまで、あえて「そのワード」を誰にも言っていなかったのだ。犯人探しの手がかりにするため、家族にすら内緒にしていた。そう。下駄箱に入っていたお菓子が――あの箱に入っていた毒物が、マドレーヌだということを。