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第002話 再会の日

「ただいま」

 そう言って玄関の明かりを点けるが、誰もいない。俺はいま都内で一人暮らしをしている。大学進学時に兵庫県神戸市から上京し、そのまま就職。都立中学で国語教師をしている。部活動は中学から吹奏楽をしていることもあり、吹奏楽部の顧問を務めている。

 あ、そうだ。名前を言ってなかった。俺の名前は周防 翔平です。

 朝、出かける前に作ったブリの照り焼きと小松菜の煮びたしをレンジで温める。一人暮らしももう長いので自炊は当たり前だ。今年(2028年)26歳だし、これくらいはできないと。

 テレビを点ける。特に話し相手もいないので寂しさを紛らわせるためにいつもこうしている。スマホをテーブルに置いて食べようとしたところでバイブ音がした。

 甲斐だ。

「甲斐とももう5年の付き合いか……」

 今でもはっきりと甲斐との出会いを思い出せる。


5年前の2023年4月。俺と甲斐の出会いはこの時だった。

「なぁ、頼むよ~! 周防~!」

「だから行かないって……」

「一生のお願い! な!」

 甲斐 大輔。同じ教育学部で社会人も在籍している吹奏楽団でトランペットを吹いている。学部は同じだったがあまり関わり合いがなく(正直、苦手なタイプだし)、偶然今年の前期で取った科目で席が隣同士になったことから喋るようになった。

 そんな時に俺が家で偶然見つけた楽譜を懐かしさに負けて鞄に入れて持ち運んでいたところを甲斐に見られて、吹奏楽経験者だと話したことから始まった。

 なんでも甲斐いわく、2020年から続いたいわゆるコロナ禍で休団、退団する団員が結構いたらしく俺が吹いていたユーフォニアムに至っては団員がゼロになってしまったそうだ。

「お願い! 見学だけてもいいから……このとおり!」

「……しつこいって」

「お願い、お願いします! 周防様、翔平様、このとおり!」

「……1回だけだから」

「マジ!? やった、嬉しい! ありがとう!」

 そして4月16日日曜日。休みの日だというのに俺は朝の9時半前から練習場所だという、家から徒歩、バス、電車で合計30分くらい離れた練習場所にやって来た。

 恐る恐る館内に入り、エレベータで甲斐から聞いていた4階で降りる。

「あ」

 降りるなりクラリネットを準備している男性と目が合った。

「おはようございます。あの……」

「もしかして甲斐くんの友人の?」

「あ、はい。周防と申します」

「聞いてました! ようこそ。俺は副団長とコンマスをやっています、クラリネットの山城と申します! 今日はよろしくお願いします!」

 山城さん。目鼻立ちが凄くはっきりしている。有名人で例えると高橋文哉っぽい。

「よろしくお願いします……」

「そんなに緊張しないでください。リラックスして楽しんでいってくださいね」

「はい……」

 そうは言われても初めてのところで緊張するなというほうが無理だ。とはいえ立っているだけも変なので楽器を準備する。

 しばらくすると団員さんがどんどんやってくる。それにしても甲斐の姿がない。するとスマホが震えたので見てみると甲斐からのLINEだった。

『ごめん! 楽器のピストン調子悪くて楽器屋寄ってから行くから遅れる!』

「えぇ……」

 マジかよ甲斐。普段から調整しとけって……。

「あの~」

「はっ、はい!」

 声を掛けられて振り返るとアルトサックスを持った女性がいた。綺麗な人だ。なんなんだこの楽団。綺麗な人、イケメンな人揃いなのか?

「初めまして。私、団長をしています信濃と申します。今日はありがとうございます、よろしくお願いします」

「あ、周防翔平と申します。よろしくお願いします……」

 信濃さんはニコッと微笑み俺を練習室内に連れて行ってくれた。

「今日はこちらでお願いします」

「ありがとうございます」

「これは今日練習予定の楽譜です。結構経験者は多いんですけど、どうかな?」

 もちろん経験のある曲――The seventh night of July~TANABATA。酒井格さん作曲の七夕をイメージした楽曲だ。

 ってちょっと待ってくれ。

「え、でもこれ確かユーフォのソロが」

「そうなんです! だから今日来てくださってすごく助かります。じゃあ、お渡ししておきますね」

 待ってくれ、いきなり来てソロって……しかも俺、1年近くブランクあるのに。とはいえここまで来た以上はしょうがない。吹ける範囲で吹くか……。

 団員さんが揃って音出しも終わったあたりでさっきの山城さんが前に立つ。どうやら基礎練習が始まるようだ。

 楽器を吹くのは1年ぶりだったが、音は悪くなっていない。懐かしいな、この感覚。基礎練習が終わったと同時に誰かが入ってきた。

「ギリギリになってごめん。基礎はもうしてくれた?」

「うん、終わってるよ」

 山城さんが相手に答える。遮音カーテンの向こうでよく姿が見えないが、指揮者さんだろうか。男性だな。

「ありがとう。じゃ、おはようございます、よろしくお願いします」

 その時――。一切の音が消えた気がした。だが、すぐに信濃さんの声が聞こえてくる。そして彼の名前を呼んだ時、俺は確信した。

「隠岐くん、その前にちょっといい?」

「ん?」

「今日見学者さんが来てて紹介したいの」

「へぇ! パートは」

「ユーフォニアム」

「それはありがたいね! じゃあお願い」

 信濃さんが俺の方を見る。

「皆さんにも紹介します。ユーフォニアムで見学に来られました、周防さんです」

「……周防?」

 俺の心臓が爆発しそうなほど鳴っている。うるさい、うるさい。

 何かを思い出したかのように隠岐さんが俺を見る。

「周防さん、今日終わりましたら一言感想をお願いしたいので、よろしくお願いします」

「……。」

「周防さん?」

「は、はい! よろしくお願いします」

「じゃあ隠岐くん。今日は何から始める?」

「……。」

「隠岐くん?」

「あ、あぁ、ごめん。えーっと……じゃあアルセナールからで」

 俺は隠岐さんから目を逸らすように座って取り繕うように楽譜を開いた。やはりあの人は――。


 ひととおり曲の練習をしていったん休憩になった。俺は楽器を置いて気づかれないように隠岐さんの方を見た。すると隠岐さんがそれに気づいたのかこちらへ近づいてくる。思わず目を逸らした。

「あの」

「は、はい!」

「周防……翔平くんだよね?」

 俺はゴクリと唾を飲み込んで小さく上下に顔を動かした。隠岐さんの顔がパッと明るくなる。

「やっぱり! 覚えてる? 隠岐 奏太。懐かしいなぁ……全国以来だよね?」

「は、はい……」

 周りにいた団員さんが目を丸くする。

「全国?」

 隠岐さんが説明を始めた。

「そう。周防くんと俺、ソロコンテストの全国大会に出たことあるんだ」

「えぇ!?」

 にわかに周りが騒がしくなる。恥ずかしい。

「俺が高2の冬の時だから、周防くん小5だったっけ?」

「はい……」

「小学生で出たってこと? 凄すぎじゃん!」

 恥ずかしい。マジで顔が赤くなる。

「でもソロコンで小学生って出れたっけ?」

 信濃さんが不思議そうに隠岐さんに聞いた。

「周防くんは技量がずば抜けてたからゲスト枠って感じで異例の出演したんだよ」

「えぇ……」

「でも高校生だった隠岐さんとなんで翔平が知り合い?」

 大輔が不思議そうに尋ねる。

「あぁ。本番直前にこの子のピストンが動かないってなってさ。俺、中学の時はユーフォニアム吹いてたからすぐにメンテナンスしてあげて。その時かな」

「へぇ~……でもお互い、そんな一瞬のこと覚えてたんだ?」

「まぁ俺は覚えてるよ。あんな凄い小学生、いなかったし当時。逆に周防くんが俺を覚えてくれてたのにはびっくりだけどさ」

 クシャッと笑う顔、変わってないな……。

「何の縁かわからないけど、もし入団するとなったらよろしくね」

 隠岐さんの大きな手が差し伸べられる。俺は思わず握り返した。大きな温かい手。そしてその言葉どおり、俺はこの日のうちに入団を決意した。我ながら動機は不純だと思ったけれど。

「びっくりだわ。あんなに嫌がって渋々来た感じだったのに、入団即決って」

 大輔が笑いながら言った。

「俺もびっくりしてるけど……まぁ、知り合いいたし……」

「隠岐さんだろ? 俺もびっくりしたわ。まさか翔平と隠岐さんが知り合いなんてさ! でもサンキューな翔平。マジで助かる」

「ううん。俺こそありがとう」

「そう? 礼言われるとは思わなかった」

 ううん、本当に。大輔が誘ってくれなければ、隠岐さんと再会することはなかった。

「じゃあ、俺はこっちだから。また明日な、翔平」

「うん。お疲れ。ばいばい」

「ばいばい」

 大輔が反対側のホームへ続くエスカレータを昇っていく。俺もその姿を見送りながら帰る路線のホームに続くエスカレータに乗った。

 胸が痛い。

 この気持ち、抑えながらこの団で活動できるだろうか。抱えきれなくなった時、どうなるんだろうか。

「はぁ……」

 俺は思わずため息を漏らした。2023年春。俺はまだこの再会が強烈な1年の始まりに過ぎなかったことをまだ、知らない。

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