86 ムギは今日も裏切り者
「はーい。では皆さん、復習をしましょう!」
ニッカの明るい声と共に、子供たちがそれぞれ声を上げたり手を上げたり。机で固まっている者もいる。年齢はバラバラだ。
ファクトが公開授業に参加するという事で、心星家子息がいると見に来た人や、蟹目の同級生や先輩後輩たちも来てしまい、けっこうな立ち見客で廊下まで解放していた。
「『あ』は…、どれでしょう?」
『あいうえお』と並んでいて、みんな自分の机に投影されている文字をペンで触る。当たっている子には『正解です!』の表示が出て、その後はなぞりながら書き方の練習をし、他の子ができるまでノートに鉛筆で『あ』の練習を続ける。
「先生!」
「はい、カーベル君。」
「ハイ、先生!ウンチが好きですか?うんこが好きですか!」
「うんこ的なウンチが好きですか?ウンチ的なうんこが好きですかー?」
立ち見客がいるので大人しくしているかと思ったら、うるさい子はうるさい。
他の子も手を上げて、当ててもいないのに発言する。
「先生!ニッカちゃんと呼んでもいいですか!ニカっちがいいですか?!」
と河漢の子供がさらにしょうもないことを言う。いつものことだが、ユラス系や西アジアの教師を聖職として敬愛している子供たちがあんぐりしていた。もちろん、視察に来た見物客も固まっている。
いかにもまともそうで普通女子なニッカが窮地に立たされて、大人たちこそ動揺してしまう。
調子のいい子供たちが、
「ニカっち、ニカっち!!」
「ニカりーん!」
「ニッキーーー!!!!」
など授業そっちのけで騒ぎ出した。児童の席でサポートしていたファクトは止めようか迷うが…
その必要はなかった。
「皆さん静かに。落ち着いて。」
という言葉に関わらず席の上で立ちあがる様子を見て…笑いながらに耳を塞ぐジェスチャーをする。
見物客も含め気が付いた者は耳を閉じ、ファクトや他の先生は繊細な子の耳を覆った。
そしてニッカはスピーカーからギイイィィぃン!!という大きなノイズ音を3秒ほど出した。
「うわあ!!!!」
「わああああ!!!」
と子供はオーバーリアクションで耳を閉じ静まった。
「はい、みんなお静かに!」
と、サラサ、ガイシャス並みに仕切る。
「今から名前を呼ぶ者は全員前に出なさい!」
と言って次々名前を呼ぶも、
「えーオレだけー?」
「先生こいつもー!」
「ぼくも立ちまーす!」
とうるさい。河漢の子供が多過ぎて、どの教室にも50人はいる。そのうち前に出た子供18人に直立で両手を上げさせ、いいと言いうまでその姿勢で黙っているように言いつけた。外に出しても騒ぐだけである。仲のいい子同士は離して立たせた。
「先生!女子はなんで当てないんですかー!」
と言ったところで、怒るニッカ。
「黙りなさいっ。」
しーんとする。実は女の子も数人立たされている。
「芯の強そうなメンバーを立たせているので代表で耐えるように。これ以上言うと、あなたたちを将来先生の実家に連れて行きます。」
「先生の実家?」
「毎朝遅くとも5時に起き、馬と牛、羊とヤギの世話をしてもらいます。エサもあげてあなたたちの好きなウンチの片づけをして、人間のトイレの処理もしてもらいます。お昼ご飯まではずっと掃除とエサやりです。自分のお菓子タイムはありません。」
「えーやだー!!」
「うんちー!!」
「あー!ミナリの奴、手を下げたー!!」
「行きたいー!!!」
「先生ウンチ派ーー!!」
「静かにしなさいっ。ウンチかウンコかは気分と流れ決めます!」
「っひ!」
ニッカは静かそうに見えるがけっこう怖い。何せ剣も弓も、そして実は銃器も使えるし、馬に乗れるのはもちろん、荒野で生きていくために必要な作業車も一通り乗りこなせる。アリオトに聞いたが、バイクは小学生、中学の頃からアナログジープで草原も走っていたそうだ。昔は遊牧民だが現在は一族で土地を買い取り定住しているので敷地内。無免許OKなのである。
しばらく立たせて、席についている生徒がほぼ全員『あ』を終えると、今度は立たせている子に『あいうえお』から全部言うか、最近習った詩をストップするまで言うかさせて、一人ずつ席に戻していった。泣き出した子は先生の言葉を反復して終了。席に戻ってもうるさい子は、また前に立たされ最後までそのままと言われ笑われていた。
今度はファクトが映し出された画像を読ませていく。
「では、みんな。この漢字は何かな?」
「か・わ!」
「もう1回、川!」
「かわ!」
「そうです。成り立ちは流れる川でしたね。」
すると、川の漢字が動き出し、昔の象形文字になり流れる川となってまた漢字の『川』になる。数マス書いて次の文字に。
「はい!今度は当てます。武君!」
「や・ま!」
「ではみんなで、山!」
「やま!」
という感じで進める。
このクラスには、春からいる子供たちもいるので進行がだいぶ遅い。今回はフォーミングアップ代わりの復習もあるが、まだ一学期の授業内容だ。その代わり、この時期に来た新しい生徒たちも混ざっている。
「ファクト先生!山って見たことがないです!」
山に反応して1人が手を上げた。
「え?マジ?今度遠足行きたいよね?」
タメ語になってしまうファクト。ほとんどの子がここに来るまで自分の故郷を出たことがなかった。河漢の子も他の地域まで出る子は少なく、教室がざわつく。遠足を知らない子が大半であった。
「山は知っています!」
突如、大人しかった移民の子が手を上げた。
「山で育ちました!」
「お!どこから来たの?」
「西アジアのシンファスです!」
「ほんと?アジアラインの裾だよね。前に行ったサンスウスの近くだ!先生知ってるよ。」
ティーチ、西アジアのシンファス分かる?山、出してくれる?」
ティーチは教室のAIである。
そう言うと教室の地球儀が光って、教室にシンファスの自然が広がり、教室中から歓声が上がった。広葉樹もあるが針葉樹の森が深く続く。カメラワークが立体を描いてどんどん進んでいくと、水のきれいな渓谷も出てきた。
「…!」
みんな盛り上がるがファクトは胸に痛みを覚える。
この風景は見たことがある。
地理的には山脈の逆側だろうが、ムギが走ったあの森。
あの森に似ている。
深層のあの森。
本当にあんな森があって、誰かの命が失われたのかと、一瞬胸の奥が鳴った。
「他の先生たちと行ってサンスウスでも授業をしたんだ。それも見ようか。」
今度はまた小さくなった地球義がシンファスからサンスウスを示し拡大され、町の映像が流れる。
シンファスとサンスウスは近いかと思ったが、実際の緯度はかなり違った。
近隣都市狗賓から始まり、どんどん田舎になる。山や寺院、小さな役場や学校などが現れた。あの時の教育実習の風景だ。
ベガスの教室の子供たちは目をパチクリしている。こんな世界を初めて見た子もいれば、どこかしら懐かしい子もいるに違いない。みんな映画のように流れる映像をジーと見ていた。
サンスウスの生徒たちとケーキを作ったり、満点の星空で子供たちと星座を見ていた時が映し出された。一般教科はみんな静かに真面目に授業を受けている。生徒数は驚くほど少ないが、村といった方がいいあの町に、これだけ子供がいることの方が驚かれていた。学校は存続しているのか。思えばもう卒業した子もいるだろう。
見知った顔が出てくるので教室が盛り上がる。
「あー!ファクト先生だ!」
「ソラ先生とリゲル先生もいるー!!」
「ニカりんー!!」
ラムダも映っているが、もちろん『リン』の名で動いていたムギの姿はカットされていた。
「予算や、安全確保ができたらみんなもいつか、遠足や合宿に行けたらいいな…」
ファクトがつぶやく。アンタレス市郊外の師匠の寺付近や時長でもいいだろう。
「ファクト先生!それで恋人は桃花先生ですか?ニッキーですか?!」
「?!」
「それともアリアっちですかー!ソラソラ?!」
どこまでも余計なことを言う、河漢の子供たち。ニッカと他の先生、見学者たちは笑うしかないし、ファクト大好き蟹目高校卒の顔ぶれたちも騒ぎ出した。
「おー!遂に心星家入籍女子爆誕か!!」
「早すぎんだろ!!」
「…」
ファクトの幼馴染のユリが固まっているのを、ヒノはただ見てあげることしかできない。
脳内万年小2なのに大学生で、十四光&見る分には爽やかな青年。でもわんぱくぶりでモテ始め、いまやすっかり女子にも囲まれてしまった幼馴染。本当は今まで通り男友達の方が多いし、女子の話を聞かず動き回ってだんだん女性は離れていくという蟹目からのパターンは変わっていないという事を、新都市ベガスに浮かれている蟹目一同は気が付いていない。
ファクトはウソが下手なのできちんと説明する。
「…先生はなんだかんだ言って親の名前だけでモテるけれど、お友達になってもいつも3日後に女性が逃げていくので、恋人はできません。」
「えーー!!先生ダサい!!」
「わあ~!!」
「かっこ悪すぎて、先生好きすぎるー!!」
事実を言ったのに、教室は盛り上がっていた。
このクラスはいつも半分しか授業が進まない。ただ、6年生までに指定のテキストが読めるようになれば良しとされている。
一見何も成立していないような授業だが、この子たちが全員時間最後まで教室にいて、めちゃくちゃなようでもきちんと周りに合わせているという事に、かなり大きな意味があるのである。
***
同じ日、ムギも自分が受けるべき授業があるのに、なぜか藤湾で常若の臨設カフェを手伝っていた。
「ムギちゃーん。カフェマシン、もう任せても大丈夫だね!」
元々は器用なムギ。ドリンクを武器や工具にイメトレで置き換えたら、あっという間に習得してしまった。売り場ではアレンジはだめと命令しているので、軍令だと思い指令には従う。
「はい!」
午前中はまだ学生たちが授業なので客は少ない。そのうちに一通り覚えたのだ。
「チコも銃に置き換えたらすぐに覚えられるかも。」
と、心につぶやく。
するとそこに、どこかのおじさんな声がした。
「裏切り者ムギ!」
「はい?」
思わずムギは振り向いた。




