82 チコたちの願い
駐屯でベガスの状況把握とこの期間の各自持ち場のために再度点検をしていると、軍事会議に長い髪の男が入ってきた。東洋系の黒い長髪。背も伸びユラス議長にも似ているので、自然と一瞬注目が集まった。男はドア周りにも立ち見がいるので、周りに礼をして空いている場所に入れてもらう。
それを見て、会議を聴いているだけだったチコが、キリのいいところで話を止めて声を掛けた。
「カーフ。お前は来なくていいぞ。」
入ってきた男はカーフであった。
「………」
カーフは不服そうな顔をし、チコの言葉を無視した。
「お前は藤湾に仕事があるだろ。」
軍人じゃないだろと言いたいが、職業軍人でなくとも兵役はしているし、ここにもそういう者は大勢いた。オリガン派遣員やVEGAの相談役や隊員にも退役軍人が多い。今言うべき言葉ではない。兵役経験がある者は何かの時に徴兵されることもあるのだ。それにカーフはナオス族のトップクラスの家門の子息。この場で率直に言い過ぎるもの酷なのでチコは言葉を濁して言った。
「ここには来なくてもいい。学生の方を見てやれ。」
「VEGAや学生組織にも関わることですし、学生の総監として直接しっかりと把握しておきたいのですが。」
「内容を送っているし、今はこれだけ人がいる。必要ない。」
「今だけの問題ではありませんし、今も何があるか分かりません。」
カーフはチコに対して怒っているらしく、二人の間に不穏な空気が漂う。
カーフ世代を軍人にさせたくないチコと、危険地域も含め可能な限りできることをしたいカーフとでずっと衝突をしている。カーフは北メンカルにも関わって、既にチコから大きなお咎めを食らっていた。軍人という以上に、カーフに人を傷付けさせるようなことをさせたくないのだ。ギュグニーやその入り口にもなっているメンカルに関わるのは危険すぎる。
チコは知っていた。
戦争の世代に生まれ、実際その手で人を殺めてきたチコたちは、本当の意味での平和の覇権は取れない。
最終的な天意を継ぐのは次世代か、さらにその次世代だ。
聖典で、他民族を続々と打ち取った選民の王自身はメシアになれなかったように、その懐から平和の世代が訪れる。
彼らにそれを託し、自分たちは戦い合った痛みの場所をできる限り慰め、復興し、均し、少しでも禍根を減らしていく仕事がある。
「チコ様、大勢のいる場です。カーフの面子を潰すようなことはしない方がいいです。後で話しましょう。」
ガイシャスが小声で言うとチコは仕方なくその場は収める。カーフの家門は現ユラス軍で元カプルコルニー軍の総裁である。ただし、カーフもチコと個々で話すことを今は禁止されているので、この件は別の人間がまとめないといけない。
二人の雰囲気を知らなかった面々が戸惑っているが、その後はミーティングに入り、ベガス滞在時の持ち回りを一気に確認していった。
今期間のベガスは、軍人以外は迷彩服の着用は禁止されている。ポリスや警察、軍部やアーミー、スタッフなどのロゴも許可された者以外着けることはできない。アーツに関しては警備やスタッフ、撮影などのロゴが許されている。
***
午後、河漢の警邏をしてファクトはベガスに帰って来た。
河漢はベガスよりは人の出入りが少ないが、仮設地域やスラム再開発地域には視察者がたくさん訪れていた。キファやローも河漢の見回りだが、夕方からは公安や軍以外警備に入れないので、5時以降は休むかカフェ店員に扮する者もいた。
ファクトは河漢の仕事が終わり、キファと藤湾に向かう。
「何で藤湾?疲れてるんだから南海にしてもらえばいいのに。」
キファは力が有り余っているので『カフェを手伝え、忙しすぎる』と藤湾カフェ組に呼ばれたのだ。
なお、なぜか大房組と常若組でカフェの売り上げを争っているらしい。
この数日、常若が少しリードしているので、元トレーサーでストリート界隈で有名だったキファが看板に呼ばれたのだ。しかし、爽やか店員の方が多い常若の方が圧倒的に女性客は多かった。あいつら短ランボンタン、ツッパリでヤバい系オールバックとかだったくせにと、親世代の話なのに大房民は何かが許せない。
ついでに常若青年と仲良くなってしまったムギは、常若チームでカフェを手伝って裏切り者呼ばわりされていたらしい。
それにもう一つ、キファには目的がある。いや、こちらこそ目的である。
「あほか。偶然にも響先生に会える確率は、藤湾が一番高いだろ?」
「…。」
反応に困る発言をしないでほしいと、ファクトは黙る。
ほとんど病院でインターンだが、響は藤湾学生でもある。学生数が万越えしている上に、今は外部学生や来客も多い。いる場所を知って待っているか、待ち合わせでもしなければ会えないであろう。それに、太郎君の行き来する可能性のある四支誠にもおそらく響は行くまい。
「……響さん困るよ。やめなよ。藤湾にも多分いないよ。」
「だからお前はあほなのか?見るだけだろ?」
見るだけとか、もうキファも妄想チームである。グッズを買わないだけまだ深みに入っていないが、キファの本質はもっと危ない。なにせナンパの聖地、大房の有名人である。
「俺がカウスさんを裏切ると思うのか?俺は響先生が幸せなだけで嬉しい。ただ幸せを願っている。」
今度は父親にでもなったのか。
「キファ……。成長したんだんね…。」
「怒った顔や泣きそうな顔も萌え心をくすぐるが。
あの笑顔が俺のものにならないなら、いっそうのこと………ウルっと泣かせたい…。かわいい。怒らせたい………」
「……」
そんなことはなかった。イオニアの方が紳士である。ただ、キファに泣かされる響ではないであろう。むしろ泣かされる側である。
「第一、俺は元研究室の皆さんに呼ばれている!」
「え?そうなの?」
元研修室とはまさに響の研究室。解散後市外の産業、農業大学連時長校に行ったアーツメンバーもいた。
そして久々の研究生との再会。
キファが行くべき場所はカフェなのに、響に会える可能性は低いので研究室一択である。響に会えなくとも、響の大事な元生徒たちがいるのだ。大房の野郎どもなど、勝手に働いていればいいのである。
「キファさーん!ファクトくーん!!」
響の元研究室メンバーが温かく迎えてくれた。
「元気してた?」
「二人とも全然変わってないですね!」
「え?そう?成長してない?」
「しましたしました!」
彼らの一部が時長校に移ったため、アーツ時長メンバーたちのキロンやノヴァも一緒に帰って来ていた。妄想チーム大好きな、スチームパンクキロンである。時長から初めてベガスに来た生徒たちもいて、お互い挨拶をする。時長で一緒にバーベキューをした面子もいて懐かしい。
感動のファクト。
「キロン~!!?なんで俺に連絡ないの?!!」
「なんでって、ファクトとはしょっちゅう会ってるし。」
「会ってないし~!!レーウは?」
初期は月1で帰って来ていたが、最近は面倒なのか向こうに馴染んだのか、数か月に1回である。
「他のメンバーは、時長の方もサテライトみたいにいろいろしてるからお客さん迎えてて。向こうは大学祭みたいな感じだけど、トゥルスも頑張ってる。」
トゥルスはムギの弟で、時長旅行以来向こうに行ってしまった。
響の研究室は現在実習の場になっていて、漢方や香木などもまだ定温室に置いてあり、ロックされている部屋以外は許可書のある学生なら自由に使用ができる。今日はここでお茶をしてもいいため、香を焚いてお客さんに学生が漢方茶などを出していた。
「このお茶。全部時長で栽培加工したものなんですよ。蜂蜜も!」
「へー、そうなんだ。」
温かいお茶など飲みたくなさそうなファクトとキファにはアイス系を出してくれる。普段甘いものは飲まないが、まだ暑い時期の仕事の後なので、甘酸っぱいクコの実ジュースが上手い。
アホなファクトは何の情緒もなく三口で飲み干す。ついでに氷もガリガリ食べておく。
「ファクトはアーツの警備だけ?」
「明日、午前中は特殊第一Aクラスの1年生の授業する。学生だし。」
特殊第一Aは、視覚及び認識障害、知的障害のない一般授業に追いつけない子供たちのクラスだ。アンタレス普通家庭の子もいるが、河漢や移民の子が多い。今回はそのクラスで、共通語の読み書きの授業を公開する。アンタレスではただの母国語だが、共通語をよく知らない子には第2母国語となり、言語教育は年齢関係なくアンタレスに定住したり仕事をする者の義務項目である。
教育に来ることで、既存市民との交流の場を設けていく意図もある。
何より共通語が読めるだけで、その子の人生だけでなく民族関係自体が大きく変わっていくのだ。
「ファクト教えられるの…?」
キロンが不安そうに聞いてくる。
「この前数学の時にさ、第一Aじゃないけどみんなに、初めてファクト先生の説明が分かったー!って褒められた!図形ね。今まで図形教えるの下手だって言われてて。」
「…そうなんだ。」
高校転校の時から教育科に通ってとどういうことだ、とみんな突っ込みたいがやめておく。成長はしたのであろう。
「なんか子供たちがさ、先生、こうした方が分かりやすいって教えてくれる。」
どうやら、子供が先生になってくれているらしい。
アーツで愛想のないとは思えないほど、キファは男女の学生たちと楽しく話していた。無論『早くカフェ来い』『アホ』『後でこ◯す』のメッセージは無視である。
そこで和んでいると、ファクトのデバイスが鳴る。
カーフだった。




