6 緑の分水嶺
そう言われた矢先に、授業をサボって屋上でベガスを眺めるのはムギ。
「…………」
タイイー議長。
若くは見えるがムギから見たらかなり大人だ。
前回の式典で、自分に笑顔で挨拶をしてくれたのを思い出す。
ただ緊張していて、気は良さ気なお兄さんだったなとしか覚えていない。タイイーの位置はよく知っていたが会うのはあの式典が初めてだった。
なぜ『朱』?
正道教にお願いすれば、政治や国際情勢、環境造成様々なことを知り、世界を回って国際感覚を持った家系の人やそんな女性がいくらでもいるはず。正道教は世界規模では前時代の高等宗教の総括者が集まっているのだ。治世から科学や医学など世界の頭脳を持っているとも言える。
ベガスもただ発展した訳ではない。自身の地位も犠牲にして身を粉にして実践した者は少なかったが、少数でもそういう歴史の積み重ねや人材、機関が集中していたからここまで来れたのだ。
「…………。」
そして、アーツの間抜けな大房ズを思い出す。サルガスやタチアナ、タラゼド。バカのイオニアにアホのウヌク。その他いろいろ。あの辺と歳は近い。そう考えてみたらそこまで大人でもないのかもしれない。いや、性格がアレなだけで彼らは大人ではある。
なぜ、『朱』などという幻と結婚したがったのか。ファンなのか。ラムダなのか。
……が、タイイーは非常に落ち着いていた。
と、同時にユラスのカーフやマイラ、新規で来たオミクロンやナオスも思い出す。彼らは若いが非常に大人だ。育った環境でこうも違うのかと驚くしかない。…と、レサトはアホだが。
そこに現る緑の疾風。
「チビッ子。学校に行かなくてもいいの?」
「?!」
「緑頭?!」
現れたのは、緑野花子さんことシリウスであった。
「チビッ子ムギ。こんにちは!」
「……自分の方がチビッ子のくせに…。こんな昼間に仕事はないのか?」
緑の花子さんより10センチは背が高くなったはずだ。
「…ないです。少しお休み中です。体の方を調整しているの。」
「何しに来たんだ?ファクトの所に遊びに行けばいいのに。」
花子さんは手摺の上に立って爽快な顔で笑っている。
「………今授業中らしいの。ムギこそ学校は?」
「今、数学だからどうせ分からない……。」
「まあ、おバカさんなのね…。私が教えましょうか?」
突然、世界の不幸でも見るような顔をする花子さん。
「…もう前々前回より前から全然分からないから、教えてもらったところで分からない……。」
「かわいそうに……」
緑野花子さんをムギは睨む。なぜ、こんなどうでもいいことで憐れまれるのだ。
「いいもん。AIと仲良くなったから、難しいことはAIに計算してもらえばいいし。」
「あら!アナログ人間だったのにもうアンドロイドに魅了されたの?そうやって人間はバカになっていくのですね…。」
「……。」
頭にくることに本当に憂いた顔をしている。出来ないことを補ってもらうだけだと言いたいが、緑の花子さんは頭が少しどうかしているので相手にしないことに決めた。
「ふふ。チビッ子ムギ。
そうかといって、私がファクトの所に行ったら怒るんでしょ?」
「はあ?」
「私がファクトにぞっこんだから妬いてるくせに!」
「…。」
開いた口が塞がらない。
「壊れロボット。お前こそショートでもしたのか??」
「ふふふ。真っ赤になってかわいい。」
「はあ??」
戸惑ってはいるが、全然真っ赤になってはいない。
「麦星は、赤星アンタレスに現れて、さらに炎を巻き上げるの。」
手摺に立って楽しそうに花子さんは踊っている。
「ファクトのこと好きじゃないんだ?」
「はあ?だから何なんだ?!」
さすがに赤くなる。
「きゃ。かわいい!」
「~っ。」
それでも抑えるムギ。どう考えても煽られている。ここで反応したら負けだ。
「好きじゃないんだね?」
「…………。」
「じゃあ、私がもらっちゃおうかな!」
「?!」
ザン!と、ムギが緑の花子さんに分銅鎖を振りかざすと、花子さんはみどりの風をなびかせきれいに避ける。
「お前が分水嶺のくせに!」
シリウスの意図を悟って、ムギは頭が明確になった。
人間とアンドロイドの分水嶺。
シリウスはその象徴のために作られたのだ。
科学歴史200年のその象徴の結実ために。
「はは!本気にするんだ?」
「………。」
「フフ。嫉妬、嫉妬!」
「……」
頭が明瞭になったムギは、花子さんに強い視線を向けた。
そんなムギをからかうように花子さんは言う。
「…だって。私は人間が欲しいんだもの。
人間が全てを持っている。
だから『あの年を経た蛇』も全てを欲っしたでしょ?
人間はもう少し我慢すれば全てを得られたのに、今の寂しさしか見えなくなってさみしくて………蛇に巻かれてしまって、核を、全部を蛇にあげてしまった。それで知恵も失って全て世界の淵に忘れてしまったけれど。」
「で?説教か?」
「蛇は女が欲しかったの。
彼女は世界の全部の美しさと知恵と理知を持っていたから。
そして女のそばにいた男は、本来なら『愛』を持っていたはずだから。」
「本来ならだろ?」
人類はそれを全て見失ったのだ。最初の園で。
「それを取り戻していく世代が生まれてきたからその実がほしいの。昔の時代の終わりに実ったのに、全然芽が出なかったでしょ?でも、ここまで来てまたやっと増え始めたから。」
「だったら、モーゼスライトに転んだ人間たちを持って行けばいい。」
「あら?過激なことを言うのね。でも、…もう堕ちてしまった者たちは要らないわ。たくさんも要らないし。愛をくれずに追求する人ばかりなんて面倒なだけじゃない?私はたった一人でいいもの。何度も言っているのに、まだ分からないの?
本来人間はたった一人の人と『対』になっているのだから、私はその他大勢なんていらない。
『対』だけでいいの。」
「知るか。」
「…かわいいチビッ子ムギもそんな世慣れしたようなこと言うのね!やめてちょうだい。誰がムギにこんなことを教えたの?
キレイなままのムギでいてちょうだい。」
「……」
「それに世界のいい男をもらったとしても、モーゼスの手付きなんて……。ベージン社に汚れた人間はイヤだわ。」
花子さんは本当にイヤそうに言う。
「200年経っても、自分たちがソドムとゴモラでもバビロンでもないと思った愚かな先進地域の者どもは、滅んでいくでしょうね。
肉欲に飢え、命と欲の重さが分からない………
骨髄に天秤を持たない者たち。」
「………お前が天秤を忘れてどうする。」
「…ムギちゃんは数学も分からないのに賢いのね。」
「モーゼスなんかよりずっと危険だな。端しか持っていけないモーゼスより………。」
「だから私は、天秤を持った者がほしいの。
彼は親の七光り。二乗をすれば四十九光。
両親だけでもそうなのに……彼らは困ったことにまともな牧師家系で教師家系で科学者家系が何代も続いたから………
もう、二乗に二乗を重ねたら宇宙の端まで越えてしまうでしょ?それどころか、次元も宇宙も何度も超えてしまう。」
「……」
「ふふふ…。
私は孤独だから…
人間は誰も私を見付けられないから………
私はそんな彼がほしいの。」
「ファクトはそんなに賢くないぞ?」
「知っているくせに。『賢さを具えた』ことの意味を…。」
「………。」
本当の賢さは力そのものには左右されない。
「協力して………ムギ。愛しいムギ………」
緑の風は美しい天使のように寄り添って囁く。
「もし協力してくれたら、私の半分をあげる………。」
「…。」