66 亡命の土台
前回分、数話、文章が少し追加してあります。
「おじさん………」
思わずファクトは反応してしまう。
『シェダル』
おそらく、奪略の落とし子。
母親はレグルス。テニアの妻だ。
東アジア側も黙ってしまうし、チコたちも顔を上げた。この話はなかなかテニアが捕まらないので、両者とも直接テニアとは話していない。存在も曖昧な妻が受けた不貞の子の話より、国家規模な案件がたくさんあったからだ。まさかテニアが名前まで知っているとは思わなかっただろう。
テニアは淡々と話し出す。
「聞いた話では、『ジルザード』の総監ジルモ・オビナーは北方国家シーニースの元海兵隊中将。現地出身だが複雑な混血。30代半ばで仲間を率いて国家軍を離反しています。183センチほどの太めの筋肉質。スキンヘッドで頭から首、背中腕などに流れる双竜の刺青が入っている…。」
「…多分そうかな……。一致します。」
ここで考えながら答えたのは響だった。響の一致はおそらく心理層で見たもの。東アジアも自分たちが把握している人物詳細と照らし合わしていく。
「30代半ばでシーニースの小将から中将……優秀だな………」
中堅国家だ。
「確定ではありませんが……彼が一番可能性が高いです。」
テニアは当時収拾した情報を語っていく。あの地域の他のボスには接触していたが、要塞の彼には会えなかった。
あの時のレグルスの言葉をそのまま信じるなら、総督が外からの女に惚れこんだという噂と照らし合わせるならば、ジルモの子の可能性が高い。
レグルスはテニアにはっきり言ったのだ。
『私はここで再婚しました。』
『ここで夫を持ち、子供も持ちました』と。
レグルスは本当に再婚したのだ。連合国の法がどうあれ。
でなければあんなことは言わなかったであろう。
重なる事情があっての決意や諦めだったのかもしれない。自分と離縁するための方便だったのかもしれない。でも一番ストレートに考えれば再婚はさせられたのだろう。レグルスの言葉では相手の特定はできなかったが、自分が先見た残像、鳩たちが心理層で見ていたのはその集落の頭目だ。
彼らが、世界の裏事情が注目している外交官家族と知って女性たちを拉致したなら、寄せ集めでもある程度対外性があり規律は整っている組織のはず。女性たちは高官の妻や対戦諸国や取引先への手駒にされるはずだった可能性が高い。トップの人間たちの囲う女性に周りは手を付けたりしないだろう。
「一番最後にレグルス・カーマインと話した時、彼女は『彼は約束を守った』と言っていました。『だからここに残る』と。彼とはジルモの事だと思います。」
テニアは妻であるはずの人を他人のように呼ぶ。今は仕事と割り切っているのだろうがファクトは切ない。
「約束?」
「私も内容は分かりません。」
東アジアの一人が言った。
「なるほど…ジルモか……。………シェダルから霊線を辿ると、北方の重荷を持ち過ぎて前が見えないんだ。佐藤長官もそうらしい。北方の血を引いているならあり得るな………。ジルモ・オビナーはシーニースの歴代総理補佐家系の傍系だ。」
「…………」
北方国家群はかつて世界で最も大規模な虐殺や死亡があった場所の一つだ。帝国主義に甘んじた王族皇族が多く死に、そこに対立した民間率いる革命軍がさらに共和国という帝国的な国家群を築き、結果史上まれにみるの死亡者を出した。50年でその数は数十億を優に超えていると言われる。『民間』といっても、多くの国民は気が付いていないが、なんだかんだ革命の中核は元貴族層、特権層が多い。
人の運命は基本、積み上げられたものの中でその芽を見せる。
良いものも、そうでないものも。
人を搾取すれば本人が死んだところでその痕跡は消えない。
紙に赤い絵の具を塗ったら、上に青を塗り重ねたところで消えてはいないのだ。その赤は。絵の具の種類によって滲んだり、上塗りで色が混ざったり、うまく厚塗りできただけだ。
青や赤が消えることもなく、そこに突然黄色が生まれたりはしない。
刺激からの化学反応でもない限り。
今の時代にいる者は全て、それ以前の時代の積み重ねの頂点に出た芽であり葉なのだ。
水や日、肥料のやり方次第で植物もそのように実り、そのように枯れる。
高い絵の具を使えば、狙った甲賀が出し易く退色も防げる。
熱量を食べれば太るし、食べなければ痩せる。
運動すれば筋肉が付くし、動かなければ肉は落ちる。
全て、したように結果が出る。
それ以前の人間が蒔いた種や肥料の通りに。
したことが大きいと、その分の重荷を今生きている誰かがどこかで担う。
家一棟建てて撤去するなら、家一棟分の労力がいるのだ。
よいことも、一見悪いことも見えない場所に全て積み重ねられる。様々な働きであらゆるものが加減され変化しているが、霊世界も見える世界と原理は同じだ。
霊視はそんな、背負ったその全てを見せてしまう場合もある。
「…まあ、そう思えば背負うものはあってもシェダルは軽いな。あの何と言うか……。もっとひどい性格や思想持ちをたくさん見ているからな……。」
確かにシェダルは軽い。性格が。
困った感じで言っている東アジアの発言に、ファクトも響も頷いてしまう。
出会ったばかりで人を半殺しにして壁にも叩きつけるので、嗜虐性があるかと思えばとくにない。ねっちこいタイプかと見てみてもそうでもない。かといって、人生をあきらめているのともまた違う。東アジアに来た理由も皮膚炎が痒いから直してほしいだ。白旗を上げたわけでもなく、自分や過去の業績や地位を誇っている訳でも演技でもなく、素直に言うことは聞いている。裏はあるかもしれないが、素の部分も多いだろうとファクトは感じる。
「……?」
そこでチコは既視感を覚え眉間にしわを寄せた。
どこだろう。どこかで聴いた。
あんなにひどい世界を背負っていても、あんな親でも――
人が殺し合った現場で拾ってきた子とは思えないほど穏やかで怒らない子で……あっけらかんとした誰か。
考え込んでいるチコを心配してガイシャスが尋ねた。
「チコ様?」
「あっ…大丈夫だ。」
「ところでニッカさん。ここ『ジルザード』での記憶は?」
新旧内部写真を手に入れている東アジア側が要塞の映像を映し出した。
「……全く記憶にないです。私がいた場所はもっと田舎です。山裾や……寂れた小屋が広がる……。記憶のある中で行ったことがある大きな都市は、行事の出席のために行った首都の祖条だけです。後は仕事で工場にいくつか。でもここではないと思います。」
祖条はある一国の首都で、外交官が巡った場所とは違う。
ファクトが発言する。
「…なら……もしかして………。
ニッカ、その石をニッカがギュグニーから持って来たんだよね。」
「……そう…だと思います。」
ギュッと当時感じた人肌を思い、ニッカは自身の手を握った。
人肌だと思ったのは石の欠片。
石だと思ったのは人の骨。
ファクトが遂に確信めいた答えに行き着く。
「ニッカがトレミーさんを象徴的に国境越えさせたんだよ。」
「象徴的?」
「国旗とかが国の象徴になるだろ。国旗を掲げるだけでその場での受け入れを表すし、ぞんざいに扱えば国への侮辱になる。現物そのものでなくてもそこに意味が宿るんだ。
出先で無念に死んだ人であれ、遺体や遺骨だけでも家族に返すためにみんな必死に捜索したり交渉したりするだろ。そして、大事な人の元に帰って来たら、帰宅や帰還とみなす。」
この時代の先進教育を受けている者なら分かる。媒介になる物が代わりとなって、本人がいなくても霊性や運気、可視できないエネルギーの経路ができるのだ。
本も同じ。聖典が広がりそれを読む、もしくはそれに基づいた教会や社会ができることで教理を直接学ばなくとも、その一端を人生に取り込むことができる。もちろんその土台を作るためにたくさんの努力や犠牲があった上で経路はできあがる。
教会や寺、昔の神殿も天と地を繋ぐものであり、広くは地上に点在させることによって自由主義の結界も張れる。
点を作り、線を繋ぐことは非常に重要なのだ。
見えないエネルギーや事象が現実世界と同じように働いている。
祈りもある意味その一つ。ただここは物質の世界なので、実物体自体にエネルギーが加わる必要がある。
見えない土台の次に実体の工事も必要になるのだ。
企画書によって複数の人の心に同じ青写真が描かれる。それも象徴の定着の一種である。
アプリによって本人がその場にいなくても、点と点を繋ぐ中継地点があれば遠方の人間とも話せる事も似ている。会っていないのに会ったと同じように、自分たちと直結する媒体に働きかけることができるのだ。
トレミーの場合、彼女の骨が彼女の国境越えの代理体になった。
おそらくもう体はないだろう。だから霊性だけでも渡れる経路をつくったのだ。
それが、望まれたことなのか偶然だったのかはまでは分からないが。
そしてその時、同時期にか定かではないが、少なくともバナスキーと……幼いチコも自由圏に脱出した。
その事実は………数年塞がれていた連合国ジライフの外交官解放の象徴に繋がる。
目に見えない解放の土台として。
次の段階に繋げられるかは、後は今の今いる人間次第だ。
少なくとも彼女たちの渡り歩いたギュグニーの組織は、彼女たちを数名でも無事国際社会に帰したことになる。前後事情はどうあれ、外交官一家は岐路に着いたのだ。
世の中も知らないうちに、象徴として。それが『約束を守った』という事だろうか?とファクトは予想を付ける。
「ニッカ、その時の記憶は?覚えているだけでも。」
「そう、私もその時……もう死んでしまったみんなの代わりに………亡命に失敗しただろう誰かの代わりに、本人の象徴になるような物を持って行こうと思った…かな………。
外界を憧憬しただろうこの人も、あのフェンスを越えたかった全ての人も連れて行きたいと思ったから。」
あの日に――確かにあった、誰かの肉感。
誰かの手を握りしめたはずなのに、自分が触れたのは砕けた石。
その思いが、より強い経路を作ったのかもしれない。
そして思う。
自分たちは亡命の前進であろうこの屍を踏み越えて、この身を外の世界に繋げられるのだ。
だからこそ、踏み越えるだけでなく、共に行きたい。
みんなの無念が伝わる。
行きたい、一緒に――
「そう、……そう…。私、あの時確かに見た。長く波打った、グレーのようなブロンドのような髪をなびかせるドレスの女の人を。
その人の指し示す道に…獣道は繋がっていたから――」
●人の石
『ZEROミッシングリンクⅡ』プロローグ 亡霊の獣道
https://ncode.syosetu.com/n8525hg/2/




