5 向かう場所は
前回、非常に長くなってしまったので加筆修正をして、二回に分けました。前半部分が重なります。前回読んだ方はすみません。
夜、ロディアの寝室にもう一つ簡易ベッドが置いてあり、やっとそこで休める二人。
ロディアがシャワーをしている間、サルガスはディスクでベガスの仕事を片付けていた。
「サルガスさん、一緒に帰れなくてごめんなさい……。」
部屋にあるシャワーから出て来たロディアが申し訳なさそうに言った。もう少し義体が安定するまでロディアはここにいる。人によっては数回の調整でその日の内に歩ける人もいるらしいので、運動神経の塊のようなアーツの中心にいるサルガスに申し訳なく思う。
「いや。こっちこそごめんね…。9月まではとにかく忙しいから……。」
迷惑が掛かりそうなので近くにいない方がいいとロディアは思ってしまう。
実は初期はお風呂場でパニックになってしまったのだ。シャワーでも混乱。なのに病院からの指導でプールか湯船に入るように言われ、まだ足の感覚というものが分からないロディアは、義体に水が入る!浮く!と大騒ぎになってしまった。
膝下でこれなので、膝上まで義体の人はすごいなと思ってしまう。霊性が完全に巡回を始めると、自分の手足という感覚になってくるらしいが、そもそもロディアは泳いだこともないし、母が亡くなってからは湯船に浸かったこともなかった。
その話を先、従妹たちにされたので、サルガスが心配そうにシャワーを見に来たのが恥ずかしい。
サルガスが女性の裸を見ても全く冷静なのも恥ずかしかった。他人の前で肌を出すのも恥ずかしいのに、あの女性でも見惚れるお肌ツルツルのパイやユンシーリたちと比べられたら……と未だに辛い。どう見てもモモやヒップは上がっていないのだ。
「…その資料見ていいもの?」
9月の式典の全スタッフ用全体スケジュールだ。この時に、ベガスは特別自治区域ではなく、正式にアンタレスの一区域ベガス区になる。研究都市であり特別区域であることに変わりはないが、地図の表記や扱いなどが変わる。
「こっちの冊子の方は全部いいよ。むしろ見て精査してほしい。AIが組んでからまだサラサさんとゼオナスさんしか目視してないから…。」
濡れた髪を大雑把に拭いたロディアが冊子を貰って目を通す。
自分の足で歩いてベッド脇に座るのをサルガスが見つめていた。
「……なんかうれしいね。」
「…あ、はい。」
資料内容は、全体の予定は決まっているので、アーツの動きをどう振り分けるかの調整だ。基本的にアーツは警備や誘導係になる。AIが予定を組んでいても、人間もその流れを把握しないといけない。とくに責任者は地理も含めて河漢まで知っている必要がある。
3日間びっしりスケジュールがあり、スタッフはその前からもっとたくさんの準備やリハーサルがあるのだ。文化事業は週末から週末まで10週間祭典が続き、大学や教育関係も公開される。河漢は事業関係者のみ安全地域の見学ができる。
一般公開の資料に各分野、必要形態の教育目録などあり、ロディアはそれには既に仕事で目を通していた。幼稚園から一般成人、老年、擁護、特殊クラスまで様々項目がある。
もうすぐ8月も終わる。既にベガスは準備一色らしい。
「………無理しないでね…。」
「…大丈夫。ロディアさんこそ今日は気が張ってて疲れたよね。先に寝なよ。」
「………。」
もう歯磨きも済ませたし、ベッドに入りしばらく祈って一人布団に丸まった。
「…………。」
でも、あまりに真剣に何か見ているサルガスが気になりその風景をじっと見る。薄暗い部屋に灯るテーブルライト。
「……部屋の電気つけてもいいよ。明るくても寝られるから。」
「……大丈夫。」
そう言って笑いかけまた資料に目を戻したサルガスの横顔。
不思議だ。
ずっと一緒にいなかったので、また自分の空間に親以外の男性がいるのが不思議でしょうがない。それに父と全然つくりの違う顔。
ベガスに来るまでは、こんな黒髪黒目のアジア顔の知り合いはいなかったのでそれも不思議だ。しかもそれが自分の夫とは。自分も半分アジア人なのだが、感覚はヴェネレ人だったのだと思う。
「…………」
そんな事を考えていると、サルガスと目が合った。
「あ、あの…。仕事してください…。すみません……。」
「え?何?ごめん。なんか…。」
「…あ、いえ。こちらこそ邪魔してごめんなさい…。」
「…ロディアさん、敬語じゃなくていいよ。俺の方が歳下なのに。」
「…あ、あ……はい。」
サルガスはそのまま上を向いて何か考えている。
「あ!夫婦なのにごめんね。」
と言って、布団に入って来る。
「え?」
「少し一緒にこうしてよう。」
と、ロディアを抱きしめ、その顔を眺めた。
「…??」
「こういう時間も必要だよ。」
と笑う。
腰を引き寄せられ、浅く、それから深くキスをする。
「…っ。」
ロディアは頭が呆然とする。
硬直して固まっていると、しばらくして寝息が聞こえた。
「…………」
寝ていたのはロディアではなく、サルガス。
「……。」
ロディアは自分の下にある重い腕を外すと、仰向けにさせて布団をもう一度かけ、
そして一緒に眠った。
***
「はい?」
正道教の事務所の横の応接室。
間抜けな顔でエリスの話を聞いているのはムギだ。横にはデネブも控えている。
「周りの話を聞くに…言っておいた方がいいと思ってね。」
「はい…。」
ハイとは言ったものの何のことだ。
「料理はとくにがんばらなくてもいい。」
「え?!」
ショック過ぎるムギ。
「え?料理を学んだらいけないんですか?!」
「いや、いけなくはないがほどほどでいいよ。最近毎日何か作っているそうじゃないか。」
「はい!おかげで少しは食えると言われるようになりました!」
「………。」
「総師長に許可を貰ってね。結婚話が来ているという相手を少し紹介しようと思って。」
「……。」
ムギは変な顔をしている。
「誰か分かるか?」
「メンカルの人ですか?」
「………。よく分かったね…。」
「この前の式典の後でしたから。」
エリスは空間にメンカルの地図を広げた。
「この話はね、『朱』に来ているだろ。」
「………」
そう、ムギ自身ではないのだ。
「本人は『朱』を噂でしか知らない。」
「政治的な意味合いですよね。」
「…そうだ。」
奥さんが、家事ができてもできなくてもいいほどの資産家や家門なのであろうか。
「……それっていいんですか?」
公称20代後半なのにまだ未成年の子供が現れたら、向こうは天変地異であろう。
「……あの…。チーム『朱』ということで、やっぱり美しいお姉様たちではダメなのでしょうか?」
「ここまで深くメンカルに関わっている未婚約、未婚の正道教女性はムギしかいないんだよ。」
「…これから関わる前向きなお姉様たちがたくさんいると思うのですが…。」
「ムギはアジアラインと霊性の軌道が合うんだ。」
「………。」
「アジアラインを知りつくしているのはムギしかいない。」
「……北メンカルですか?どっちにしてもメンカルなら、アジアラインでも山脈地域にはあまり該当しないので、私の範囲ではありません。」
ムギの国アクィラェは少数民族の部類に入り、ほとんど山脈や渓谷で街も発展していない。一方、北メンカルは熱帯にかかり、南に比べて発展が停滞しているとはいえ都市もあるし総人口、民族性の激しさも違う。ムギはなんだかんだ言っても政治や都市機能には無知だ。
「だから今、東アジアにいる。」
「!?」
ここで学んでいるだろ、と言うことか。
「……正直、ウチの陽烏よりずっと幼いムギにこんな話をするのは心苦しい。陽烏たちにも出来ないよ。こんなことは。娘だからとかではなく、あくまで例えだが…泥を被って生きてもじっと耐えられるような人材が必要なんだ……。
ただ政治ができる人間を望んでいる訳じゃない。」
常識的な世界で、常識がまかり通る場所で自分の権利を主張することを許され、毎日規則的に生きてきた者には越えられないだろう。少なくとも今の北メンカルは。
「………」
「この中央アジア全開放に生涯を捧げられる人間を待っている。」
それは都市や発展の煌びやかさに心惹かれた者には無理だ。理知と知性と、そして忍耐がある青年が東アジアからは失われてしまった。かといって、メンカルの自国を抜けきれない人間でも国は動かせない。
北メンカルはまだ暴行に満ちた場所だ。
「…………」
デネブは何も言わずにムギを見る。
「もしこれに答えられるなら…我々は最大限のバックアップはする。
………ただ、北メンカルはまだ東アジアの手の届かない場所もある。」
そう言うエリスをムギは澄んだ目で見つめる。
ファクトは何と言うだろうか?
ムギはなぜかファクトが思い浮かんだ。自分でもその理由が分からない。
頭の中は子供なのに、お兄さんみたいに広い背中。まさに小2なのに教師などできるのか。
それでも時々垣間見る強い意思。
ミザルとチコが守り抜いた男の子だった。
正直ファクトのことは気に入らない。馬鹿だと言ってやってもまだ言い足りないことはあるが、会ったばかりの頃よりはマシになったと思う。
「…………。」
なぜ?今は関係ないのになぜ間抜けな男子が思い浮かぶのだ。
それでもムギは自分の姿勢を正す。
「あの………。教えてください。」
そしてキリっと話す。
「相手は誰ですか?もしかしてガーナイトか………他の政権の人間ですか?」
ガーナイトでなければ、父親長男や次男の独裁政権やゲリラ組織側だ。そんな政権渦中に嫁ぐことはさすがに正道教でもさせない。ということは、そこから連合側に内通している者か。
いずれにせよ、普通の生活は望めない可能性がある。
それでもムギは真っ直ぐにエリスの言葉のその先を見つめた。
「タイイー議長だよ。」
エリスはそう答えて真剣に、祈るかのようにムギを見た。