53 世界は覚えている、全ての時を
ムギがお香を取りに外に出ようとするが、ガイシャスが止めて部下に連絡をし、一番近い寺社にお願いし取りに行かせようとする。
なぜお香?ムギは思う。ファクトの心理層からの帰還のためかもしれない。
だったらリーブラかファイに確認した方がいいのか。ファクトは東方文化圏が濃い場所で育った。この近所には中央アジアのお寺しかない。なら、コンビニの家庭で使う香でいいのかもしれない。
ファクトが慣れ親しんだ香り。
中央アジア寄りの自分たちよりも大房民に確認した方がいい。ただ今いる場所を知らせることはできないので、ムギはガイシャスにも頼み自分も近くのコンビニに向かうべくバイクに向かった。
「鳩?!」
「ファクト、響さん!!」
「チコ総監!これはどういう……」
みんなが二人に呼びかけ、東アジアの人間もチコに状況を確認する。
「多分…大丈夫です……。」
チコが答え、カウスもそうだと頷く。チコにとってこういう状況は初めてだ。響とファクト、サイコスに詳しい2人が飛んでしまった。脈はあるし温かいが二人とも意識はない。今、ベガスに他の専門のサイコロジーサイコスターはいない。地球の逆側にいるガジェに連絡し放置していいのか状況を聞きながら、誰かを呼ぶか迷う。
「アセン……」
「チコ様、確認します。」
ここで、この状況に直接関われるのは………後はシャプレーかシェダルだ。
***
バチバチバチバチバチ………と全てが流れ、全てが弾ける。
走馬灯というにはあまりにも多くの何かが自分を通り過ぎていく。
女の声がする。どこか遠くで。
でも近くで。
許せない――
『許せない…。』
『…許せない。あの女ばかりなんで……』
夫と子供。
地位と安全。
レグルスは全てを手にした。
生まれつきの純潔さと清純さ。
そこから醸し出す高潔さと余裕。
それを与えてくれた……優しく優秀な………自分を愛してくれた故郷の家族。
どこかで噂を聞いたが、秀才ばかりの名門家系らしい。
そんな血統。
もう、根が違う。
何度か襲撃にあい……それでも長らえた命。
生かされたのだ。
愛されて。
天と人に愛されて。
羨むほど女に尽くしてくれる男を手に入れたのに、長の男にも愛され……。大して美人でもないのに、どこでも男の注目を浴びる。
けれど思う。自分の方が目立つ綺麗さだ。でも、自分が男だったらこんな女よりやっぱりレグルスを選ぶだろう。だって、レグルスは美しい。美しさの質も大きさも違った。
育ちも違う。男を男呼ばわりすらしない。
『人』そのものを敬っている。そんな心は自分の中にはなかった。
誰もがルバの隙間からレグルスの柔らかい顔を見ると、あれば誰だと聞いた。
一番最後にいい男に出会えたと思ったのに………それすらレグルスに取られた。レグルスが望んだのではないかもしれない。
でも結果、自分には同じことだ。
ジュリと呼ばれるトレミーは全てを振り返る。
あの外交官たちだってそうだ。結局自分の家族や命が惜しい。馬小屋みたいな生活はしたくないのだ。もともと先進地域で育ち、どこでもVIP扱いだった女たち。一度知ってしまった楽さを、平安を捨てるなんてできない。この檻の中の生活に疲弊しているのだろう。
同じ毎日。同じ日々。
繰り返される日常。
目新しさもない世界。いつも似たような穀物。
なのに、レグルスの部屋に運ばれる豪華な果物。
『あんたさ、いい加減、目ぇ覚ましなよ。』
『なんか素晴らしい理由はあるのかもしれないよ?でもさ、結局バーシはそういうことじゃん。』
『ジュリがここに来て必死に子守と教師してんのにさ。』
分かっている。
分かっていた。みんながそう言う気持ちも、そう言われてもバーシの……レグルスのせいではないことも。
でも、どんなにがんばっても自分は二番手以下で……主人公はレグルスだ………。特別な男や一番の男たちに愛されて………二番手の男だってレグルスが好きで、
全てを手に入れる。
逆転なんてしない。
彼女はそんな十分に愛される運命を持っていたのに――
自分が生真面目に教室を守っている間に――
自分のたった一人の男まで持って行ってしまった。
みんな言っている。
バーシの子はジュリを誘っていたシシナイの子だと。バーシを孕ませて怒りを買って殺されたのさ、と。
シシナイが死んだのはしょうがない。こんな世界だ。でも、その理由が許せない。
レグルス…………
愛おしくて…………そして誰よりも恨めしく…憎い――
―――
『そっちに行ってはだめだ!』
ファクトが叫ぶが、くすんだブロンドの女はそれを聞かない。
そこは、怨みを溜め込んだ人たちが集っている。
分かっている。彼女は過去の人。
自分には干渉できない…………。
でも…………
ブロンドの女性を止めようと追いかけるが、青い麒麟がその前を阻んだ。
あなたまで行ってはいけないと。
ファクトは焦った。あの時代の彼女を止めれば、何か未来が変わるはずだ。
彼女が何をしたのかは知らないが。
なぜ人は、この連鎖を止めることができないのだ。
自ら我と怨みの塔を積み上げていくのに。まだここはいい方だ。まだ方向転換ができる地点だ。これ以上争えば戦争になる。
ユラスのように。
小さなことに見えて………それは自分だけでなく誰かも滅ぼすかもしれない火種なのだ。自分には何もないように思えても、既にこの女性はギュグニー一勢力の頭目の一人に繋がっている。
あの教室の後ろの女性は彼女だったのだ。
ファクトはやっと確信した。ファクトの知る『ジュリ』は、先おじさんが言っていた名前。
『トレミー』だ。
まだ赤ちゃんのシェダルを抱いてずっとずっと……呟いていた人。
赤ん坊のシェダルに聞かせないでほしい。呪文のように、刷り込むように。
『許せない』
『憎い』と…………
もう顔も見せない女は言う。ファクトに言い残すように。
『お前に人生の何が分かるのか』と。
『お前もレグルスと同じだ。全てを持って、全てを受けている』
その位置から何を知るというのだ。
『侮蔑も屈辱も憎しみも殺意も、諦めも、諦めの先の忍耐も虚無も知らないくせに』と。




