42 女の残り香
幾つかの名前など修正しています。
改名を全員に付けていないため、旧新が混ざっていてすみません。
そして、以前のコミュニティーにいた時の外交官の名前が本名でおかしいのですが、これ以上変えるとただでさえ登場人物が多いのに、大混乱なためそのままにしてあります。
存在自体が、集落自体に隠されていた…ということで今のところお願いします。(ごめんなさいー!)
最終的に大幅修正するかもしれないし、しないかもしれません。
このお話はもうすぐ現代に戻るのでしばしお待ちください…。
バーシが聖典を持ち込んだ。
誰かが告発した。
聖典関連は、拉致された時に既にオキオルの地で燃やされていた。
パイプ役になる代わりに旧教新教や正道教牧師には持ち込みが許されていたが、『王の詩』という詩編の一部と一般的生活規範だけであった。
告発は、教科書の中に聖典を持ち込んだということだった。
まともに教育環境どころか印刷施設も築けなかったギュグニーの今いる国は、他国から持ち込んだ紙の教科書を使用していた。けれど、外からの教科書はたいてい聖典文化の基盤の中にある。
社会制度もそうだし、文学の背景だけでなく文法自体もそうだ。一般的な名前も聖人から来ている場合も多い。なので多くが黒く塗りつぶされたり、特殊なシールを張られ単語が変えてあるものも多かった。
以前の集落でも検品を受けたが、もっと黒くなっている。
けれど、ここは国を通していない。
検品の人間たちは聖典を読んだことはなかったのだろう。
神の民族の最初の統一王国二代目の王。文法の部分に、まだ少年で王になる前の彼が、自分より大きな敵ゴリアテを勇ましく倒す物語が載っていたのだ。神の名は消され王の名もこの国の創始者に変えられていたが、そのまま通ってしまった話をみな神のおこぼれだとそのままにしておいたのだ。いつか、その言葉が天の道に続くようにと。
それを誰かが告発したのだ。
前の集落は今ほど厳しくなく、神の名は出さないが、黒塗りされた聖典の物語を良く聞かせていた。だから、一緒に来た女たちは知っていたのだ。どこかの神の、聖典というものの話だと。それはバーシの落ち度となる。
同時に外では女たちの知らぬ問題も起こっていた。
新教を持ち込んだ集団によって、首都で暴動が起こっていた。しかも、そこに現統治者の右腕が関わっていたのだ。この事件は、この一国の中で大きな変化を起こす。右腕の男は何も平和のためにそうしたのではない。家族を盾にされたのに我慢ならず、トップをすり替えようとしたのだ。復讐のために。
ただ、その集団と利害が一致しただけだ。トップを変えるという。
そして、革命をしようとしたメンバーの子がバーシの教室に入っていた。
「裏切ったのか!!」
激高した長にバーシは腕を引きずられる。
「違います。」
「裏でお前が先導をしたと聞いたっ!」
「何もしていません。」
「おやめください!」
ショーイが止めに入るが、長の男は初めてバーシの頬を叩いた。
「バーシはその子がどこの子かも知りませんでした!」
「黙れ!」
女たちはお互いここに来る女や子供たちの本当の素性を知っているわけではない。外部から子供を連れてきたラージオたちでなく、バーシに怒りが向く。
「男の中にグレーブロンドの奴がいた!!それに、お前が神を捨てていないことは知っている!捨てた顔をしながら、したいことはしていたとはな!」
「落ち着いてください!バーシはどこにも行けません!」
ラージオが止める。めちゃくちゃな話だ。グレーヘアなら白髪が増えればそんな人間はいくらでもいる。バーシはもう2年近くこの建物から出ていないし、この階層に入っていい人間は限られている。ただ、内部の人間は分からないし、業者やヘッドアーマーを被った兵士は出入りしていた。本当に時々だが。
「……」
バーシが何も言わずに立ち上がると、もう一発頬が打たれる。
また壁に崩れた。
「……。」
無表情のままもう一度立ち上がる。今度は口の中から血が滴っていた。
口の中で歯が揺らいでいる。
けれど、バーシは何も怖くなかった。
長の男が、何もないものに怯えているのが分かっていたからだ。
この人は怯えている。長自身の影に。
「ううぅ…」
長は顔を覆う。
だって、この人は怯える必要はないのだ。この国に完全に属しているわけではない。ギュグニーのもう一国へのパイプもあるし、ここは経済と発展のバランス故に存在を許されている特殊な都市だ。うまくやれば首都ほど影響はない。そういうことができる男だったはずだ。
だからここに砦を築けたのだ。
自分に有利に持って行く道はいくらでもあるはずだ。
なのに怯えている。
「地下へ!」
「……。」
周りが何のことかと思う。
「バーシを独房に!」
「………」
もうバーシは瞬きもしない。
それが余計に癇に障った。
「早く連れて行け!」
「待って!出血がひどい!」
今はショーイと呼ばれるロワースが堪らず叫ぶ。
「ショーイ。ついて行って治療をしろ。」
いつもいる兵の一人が項垂れている長の代わりに、テキパキ指示を出した。
「ショーイ。しばらくの食事はお前が面倒を見ろ。」
「分かりました。」
「行け!」
そう言われて早く出て行く。
けれど、この時はまだ誰も思っていなかった。長すらそうだったのかもしれない。
これが一時的な独房ではなく、永遠であることを。
***
それからバーシは、一部の授業以外ずっと地下になった。
長い階段と、長い長い廊下を渡り………
兵士たちしか知らない場所にあるそこ。デバイスを持たない者は、もしかしたら一人では元の場所に戻れないかもしれない場所だった。
「ここはずっと使ってなかったよな?」
「俺が来てからG階段には来たことないぞ。初めてだ。」
他に唯一その場所を知れるのは、レグルスの世話を任された一部の女たちだけだ。
トイレは目隠しの壁がある場所にあったらしいが下水が使えず壊されていた。その代わり、土がありそこでしていたらしい。けれど、前の住人はいついたのか、砂のような土と埃の匂いしかしなかった。
そして、どことなくカビ臭い。
「…」
バーシは何も言わない。
「レグルス……」
簡単なマットと上掛け、着替えを持って来たロワースが思わず懐かしい名を言ってしまう。
「…大丈夫…。」
レグルスは、今日初めてにっこりと笑った。
いつもと違う名を口にしたことを兵士たちは無視した。
***
ジュリことトレミーの中でたくさんの疑問が飛ぶ。
バーシの子は誰の子?
グレーブロンド。ブロンドの黒系に白っぽい髪が混ざった珍しい色だ。
また変わるかもしれないが、遺伝にも見える。長は髪を剃っているが、昔から知る者によると普通の黒髪らしい。
女たちが必死にこの生活を回す中で、バーシは部屋と教室の往復しかしない。
「だから言ったじゃん。他にもいろいろ男を引っかけてきてるかもよ?あんたに自粛させてさ。」
仲間が横から呟く。
「やめなって。バーシの性格を知ってるでしょ。」
一人の仲間が止めるが、何人かは「こんなところに来て絶望して、自暴自棄になっちゃったんじゃない?」「元お嬢様が耐えられる場所じゃないよ。バーシはいいとこ出でしょ?」とか言っている。
「だって、言ってたもん。シシナイがさ、他の兵にバーシの事いろいろ聞いてたって。」
「?」
さすがにジュリの顔が曇る。シシナイはジュリを愛していると何度も言ってくれた男だ。
彼はどこに消えたのか。
「まあ分かる。女の立場で見るとちょっとムカつくけどさ、バーシが自分を守ってくれてると思うと頼りに思うし、逆に自分が男だったらあんな真っ直ぐな目で見られて自分を制するようなことされたらさ、ちょっとドキッとしちゃうよね。」
「カラは隙が無くて怖かったけど、バーシは守ってあげたくなるとこもあるじゃん?そんな女が歯向かって来たらなんかくすぐるものがあるよね。」
「分かる!抱き寄せたくなる!」
「むしろ抱きたい!」
「何言ってるの…。うちらが必死に生きてるのに、バーシは特別扱いだよ?許せないんだけど。」
「ホント、笑えない…。」
「………。」
ジュリは、小さな声で話す女たちの会話をもう黙って聞くしかない。聞きたくないとベッドにうずくまる。
「で、シシナイは結局どうなったの?契約切れ?出張?」
「総監の怒りを買って、殺されたらしいよ。」
「っ?」
何のこと?殺された?
「バーシの取り合いをして、バーシを解放しろって言って殺されたって。」
「私、数人の兵が男の遺体を運んでるの見てるから。」
「………」
「みんな、寝て。見回りが来るよ。」
子供たちの確認をしたリーダーのジーワイが会話を打ち切った。
ジュリはいろんなことが分からなくなる。
『トレミー!おめでとう!』
最初の結婚を祝ってくれたレグルス。
『…大丈夫。またいつか、いい人に出会えるよ。』
夫の暴力と浮気が重なって、人を信じられなくなりそうだった時、寄り添ってくれたレグルス。
けれど、人生を献身的に捧げる男はいつもレグルスの方に行ってしまう。
分かっていたのに。世界はこんなものだって。
私の方が顔はいいと思う。体だって自信があった。なのに全部レグルスに流れていく。
私の唯一を奪って。
ジュリは薄い布団にくるまって、その端をギュッと握りしめた。
***
その頃バーシはちっとも笑わなくなっていた。
この教室に来てから不要な笑顔は禁止されていたが、いつも警備兵を連れてどこかからやって来るバーシは芯がなくなったように表情が見えない。
それでも授業はきっちりこなした。
その間にも、外交官事件で拉致された時は独身、以前の集落で結婚をしたフィルナーの赤ん坊が死んでしまう。
フィルナーの落ち込みようは、いつも愚痴を言っている商売女たちでさえも見ていられないほどだった。
外交官で、ギュグニーで生まれた子供を残せたのはバーシだけだ。しかも二人も。
そして、夫が生きているのも。
崩れかけた崖は遂に崩落したようにみえた。




