40 揺れる世界
※残虐な描写、不快になる言葉が多く含まれています。苦手な方はお気を付けください。
レグルスの産んだ子セシアは、非常に珍しく美しい目をしていた。
レグルスたちは知っている。
あの人の目だ。
ターコイズの中に揺れる、鮮やかな紫。
調子のいい、飄々としたあの男。
セシアは成長すると、クリームより鮮やかなイエローブロンドになっていく。
レグルスは思う。まるでユラスの『バイラ』のようだ。
いくらボーティスが亜麻色掛かった金髪でも自分は違う。どこからこんな子が来たのか。
看護師でもあるので赤ん坊はたくさん抱いている。なのに、これが自分の子なんて不思議だ。なんだか実感がないけれど、自分とあの人の子なのだ。
授乳の時も女性が監視しているので、その額に、頬に、キスすることさえできなかった。
なので最後は少し強めに、ギュッと抱きしめる。
***
その頃から一部の男たちは、トレミーに目をやるようになっていた。
今はジュリと言われるトレミーは見習い教師でもあったが、元々が商売女だと知ったからだ。しかも布から覗く顔が美しい。地味な装いなのに、被り物からあふれる艶を失わないシルバーブロンド。しなやかで長い指。大きな布に隠れているだろう胸や腰を想像してしまう。
長に気に入られているバーシや、厳格な雰囲気で全く姿勢を崩さない他の女より懐柔しやすそうだ。彼女たちは夫が死んでも離婚はしないと言っているが、ジュリの結婚はうまくいったわけではないらしい。
ジュリは勘はいいが、勉学ができるという意味で頭がいいわけではない。レグルスの親友になり、オキオルから来た女と集落の女の合間を保って来た。二人三脚で集落をまとめていたような親友と話せなくなってから、彼女はとても落ち込んでいた。商売をまとめていた頃の攻撃性をなくし、男性兵にも食って掛かるほどだった強さも失ってしまった今、隙だらけのように見えた。
「ジュリ。」
1人の若い兵が、通路の角でジュリを誘う。
「……行こう。ここから出してやる。したくない仕事にも戻さない。」
国に縛られないないここの兵士たちは、心身共に圧迫され物資不十分な国家正規兵より逞しく強く見える。実際そうだった。
「……行けない。みんなを置いていけない…。」
「大丈夫だ、彼女たちは彼女たちでどうにかなる。行こう。俺は最近の作戦の結構な功労者だから、褒賞をやると言われている。」
「私は……姉さんたちに従う…。」
ここでは言葉にできないが…自分は天に帰依した身だということだ。
「そんなこと夢物語だ。人生を浪費するだけだぞ?あっちはあっちでよろしくやっている。バーシの部屋にちょくちょく出入りしているのを知っているだろ?」
長の男のことだ。
「…バーシの意思じゃない!やめて!!」
「分かった、悪い。悪かった!怒るな……。」
そこに、授業を終えてたまたま通り掛かったバーシがやって来きた。
「バーシ!」
「ジュリ!ジュリに手を出さないで!」
バーシは珍しく声を上げ、ジュリと男の間に入った。
バーシの見張りの男たちは止めることもなく女たちのやり取りを見ている。こんな無限で………暇で無機質な世界。
変わったことが起これば面白い。
しかも普段声をあげないバーシが乗り出している。
「ジュリは誰とも一緒になりません!」
そこでまた他の声がする。
「は?なんなの?何の貞操を守る気?ここで何のキレイごと?」
男たちでなく、別の女が横から入ってきた。
「バカバカしい。こんな世界で清く正しくって、すっごい能天気なんだね。ジュリ、あんたこんないい男いないよ。一緒になっちゃいなよ。」
誰かがそう言うと男がジュリに手を掛けようとしたが、ジュリ本人がそれを弾いた。
バーシが強い瞳でジュリを止めていたからだ。
――トレミー、絶対にだめ。
ここで男と縁を結んだら、ここに霊が縛られてしまう――
それは甘美で、優しくて、何よりも逞しく見えるから。
レグルスは訴える。今は言えないそんな言葉を。
現在レグルスはシーキス牧師から、女性に対する霊性のまとめ役も任されている。教会でいう、神の仲介になる女牧師だ。その男はきっと悪い男ではないだろう。でも、ダメだ。今はその時じゃない。
「………。」
ジュリは本当は男の手を握ってしまいたかった。
幾人かの男が、バーシが長のお気に入りでなければ手を出したがっているのを知っていた。奴らの目を見れば分かる。強く当たられても男たちの目は笑っていた。そんなことに気が付いていないバーシにも頭にくるし、いつまでもバカらしい。
けっこういい客も取って来たので、世の中クソばかりでないことは知っている。今までだって身請けの機会はいくらでもあったのだ。けれど、集落や子供たちへの責任を感じていたし、レグルスたちの言う外の世界を見て見たかった。
自分は子供ができない代わりに、今はここの子たちを守ろうと思ったのだ。
今までだってそうしてきた。あまりひどい客を入れない。暴力や不清潔なことをさせない。子供に手は出させない。何かあった場合はそれなりの報復をする。男も女もきれいな世界ではなかったが、味方も多かったし、宿でも女や子供を自分なりに守ってきた。
でも、レグルスたちはそれ以上のことができる。
もっと広い世界を持っている。
自分が知らない広大なフィールドを。
彼女たちはジュリから見たら、この世界を大転換させる天が遣わした使徒たちだった。
別の日も諍いは終わらない。
「あんたは行ってもいい!でも子供は置いてきな!」
ジュリはまたぶつかっていた。
「私の子だよ!」
「18を越すまでは、養子以外どこにも連れて行けない約束だ!」
一人の女が、まだ幼い娘を連れて出て行くという。その女が男たちに身を売って取り付けた約束だ。子供と教師、オキオルの女たちにさえ手を出さなければ、ある程度のことは黙認されている。
「ジュリ!あんたこそ目を覚ましな。」
「こんなとこで勉強なんてして何になる?まだ傭兵でもしていた方がいい。」
他の女も加勢する。
「だいたい、あいつらが来なかったらバイシーアのところだって狙われなかった!」
「何言ってるの?」
バイシーアは、ジークアたちのいた集落の長だ。あいつらとは、レグルスやカラたちのこと。ただ、だから狙われたわけではないだろう。どこもしらみ潰しに襲撃されている。
女たちは外国で起こったオキオルの事件を知らないし、その国の名前も知らない。人によっては外交という言葉もよく分かっていないので、レグルスたちの正体を知らない。聞いても言葉の意味も分からない者が殆どだ。ただ、初めからカラたちが特別扱いで、ここでも特別扱いということは分かっている。
「あいつら何なんだ!」
「あいつらって、そんないい方しないでよ!」
二つに分かれてケンカが始まった。
「やめなさい!」
今はバナスキーと呼ばれる娘の母、ロワースが横の部屋から来て間に入る。今の名はショーイだ。
問題があった時は許可を得て他の部屋に入ってもいい。
「ショーイ!あんただって、バーシ姉妹の特別扱いをどうも思わないの?」
カラとレグルスは外交官家系カーマイン家の子供。オキオルから来た中でもさらに特別扱いをされていた。それに実際カラたちは有能であった。ギュグニーに来て一見簡単に敵国の懐に入った様に思えるが、普通の人間だったら愛人や捨て駒、労働力くらいにしかなれなかっただろう。
それがコミュニティーのあり方さえ変えたのだ。こんな世界で。支配しか知らなかった男たちの間で。
それはほとんど奇跡に近かった。
カーマイン家は、故国ジライフで地味ながら多く貢献しその世界では有名な一族だ。勢力を作りたい者たちが特別視する理由は分かる。
「ショーイ。言っとくけどね、あんたの娘だって駒にされるよ?バーシって、いい人みたいな振りして自分たちは犠牲になるって言って、勝手にあんたの娘も巻き込むさ。」
「しかも無自覚で!一番嫌なタイプじゃん?」
「まだ計算高かった、姉の方が人としてマシだったよっ。」
「………。」
ロワースの顔が曇るので女がうれしそうだ。
「だいたいさ、あんたたち外交官とかなんでしょ?なんなの?スパイ?
…っぃあ!」
喚いている女の一人がそこまで言うと、傍観していた兵士がいきなりその女の後ろ首を掴み引きずった。
「口が過ぎたな。」
「ひいっ!」
「っ?!」
その女が床に叩きつけられ、また引きずられてどこかに連れていかれる。
周りにいた女たちが怯える。正体や過去を話すのはご法度だ。女は床でどこかの男にでも聞いたのか。甘く見ていた兵士もここで一線を引いた。
この場には、以前の集落の襲撃内容を知らない者もいるし、この地域の子供たちも教室に入ってきていた。外に話が漏れたら困る。
大人たちの諍いを部屋の端に集まって見ていた子供たちは、怯えながらも人形のように動かないようにしていた。
連れていかれた女がどうなったのかは分からない。
ただ、二度と会うことはなかった。
***
バーシことレグルスは、いつしか仲間や人と会うのは少しのミーティングと教師としての時間だけになっていた。
ミーティングの時間に彼女たちは、ささやかな礼拝を捧げることを黙認されている。
天の名は出さないが。
今はその場だけが………
みんなが顔を合わすことのできる少ない時間だ。
時々シーキス牧師が、外部から手に入れたお菓子も持って来てくれた。
皆の顔がほころぶ。
時々顔を合わす短い時間。
日に日に顔色の悪くなっていくバーシ。
バーシは誰とも会えない時間が増えた。
女たちの実質的なリーダーのジーワイたちは、せめて産後1年は心が不安定になることはしない方がいいと幹部たちを説得したが、「2、3週間で仕事をする者もいるから病人扱いはしない」と突っぱねられた。産後直ぐ動くと後で働けなくなるので休ませてもらえるが、逆に授業以外部屋から出してもらえなくなる。
人に会わせないのは良くない。こんな場所での妊娠出産だ。元気に見えても実際は分からない。
長の男は出産をあんなに喜んでいたのに、セシアの目が父親似だと聞くと興味を失ってしまったようだった。髪はいいのに目が似ているのはだめなのか。きっと長の男も何もかもが複雑で自分の中で整理できていないのだろう。
ただ、よく育ててあげるようにと、しばらくしてからジーワイたちに全て任せた。外交官一家は移動が禁止されていて、セシアも外に出さないようにと厳命されている。
おかしな話が出始めたのは、ある日のことだった。
ミーティングの時に女たちのリーダー、ジーワイが切り出した。
「バナスキーかシャオを長に出すように言われた…。」
「っ!?」
「は?」
女たちは騒めく。オキオルから来た未成年の二人だ。
二人は今、それぞれ別の授業の講師をしている。
「なぜ?」
ここで教育に関わる者は、それ以外の事をしなくてもいいという話のはずだ。次の処遇が決まるにしても、こんな扱いはないはず。
「他は全員既婚者だろって…。もう少しすれば成人になるって。」
「…。」
「牧師は?」
「説得はしてる…。」
「…」
母親ショーイの手が小刻みに震える。
夫も、
息子リオも失った。
あの荒野に。
皆、いつかこんな日が来るだろうとは思っていた。
出て行かないにしても、兵士や役職のある者と密通している者がいるのは知っている。他の子供たちもどんどん成長していたので男女共に、目を付けられる前に使える人材として早く実績をあげたいとは思っていた。
分かっているのは、ここは国の機関ではない。明確に国とは距離を置いている。それならギュグニーに留めるより、金になる外の国に人を出すであろう。彼らは外貨がほしいし、通貨の価値も違い過ぎる。
ギュグニー内のどこかの国に目を付けられたら、無条件差し出さなくてはならない状況も起こりうる。それは、レグルスたちにも長の男たちにも利にはならない。
そのためにも、彼らはこの教室を外界から隔離しているのだ。女子供を隠し、国家勢力に目を付けられず、人を自分たちのコマにできるように。
誰もの間で緊張が途絶えなかった。




