36 交渉
※ 残酷な描写が多々出てきます。苦手な人はお避け下さい。
誰もが忘れてしまった、ギュグニーのあの荒野。
オキオル共和国外交官一家の末娘、
レグルス・カーマインは自分の生きている今を、俯瞰で眺めるように心の中で分析する。
壊れたコンピューターのように。
時はあの襲撃から数時間――
集落は煙を上げていた。
姉亡き後、レグルスは車から見える自分たちの古巣を眺める。
オキオルから拉致され、そしてまた襲撃を受けどこかに連れて行かれる自分たち。殺されるのか生かされるのかも分からない。
清潔とはいえず不便な生活でも、そこは姉カラとジライフの女たち、そして元々そこにいた女たちが作り上げた立派な生活の場だった。
そんな町が……たった数時間で制圧されてしまった。
窓の外を見せてくれるのは、この町に諦めを付けさせるためか。
初めてここに来た時はあんなに恐ろしかったのに、離れていく風景に何とも言えない思いになる。
ホッとしたような、悲しいような。
愛しているような、もう忘れたいような。
ただ胸が痛い。
元の集落の男たちは、皆死んでしまったのか。
ラージオやフィルナーの夫たちはどうなったのか。
生き残った外交官やその家族は7人。
レグルス・カーマイン、
ラージオ、
フィルナー。
それから母親のロワースと、その娘ロワイラル。
同じく既婚者のジーワイ。
そしてもう一人の未成年者、タイラ。
タイラはオキオル共和国の襲撃で両親を失っている。
ロワイラルとタイラはここに来て一気に成長し、ふくよかさももう大人と変わりがなかった。ただ、普通に生活をしていればまだ高校生。話してみれば瑞々しい若さが溢れていた。
元娼婦たちのリーダー、トレミーは小さな子を慰める。同じ車にレグルスたちがいなかったため不安でしょうがなかったが、子供たちのためにぐっと我慢する。自分も安心とぬくもりがほしかった。
また男を取る生活に戻るのか。新しい世界を知ってしまった今、もう以前のような生き方はしたくなかった。金も貰えず使い捨てのように殺されたり軟禁監禁される場所もあると聞いている。貰えても一食程度の果たした金だったり。一食のために毎度体を売って以前のコミュニティーに流れついたかつての友人は、若くして死んでしまった。
そして、老牧師も連れてこられていた。一時期ここを離れていたが、女性たちが拘束されたと知り交渉がしたいと慌てて駆けつけてきたのだ。正道教の老牧師シーキスも殺されずにすんだ。彼もどこかにいるはずだ。
集落の男たちは無事なのか。レグルスは遠ざかる風景に願う。
ねえ、みんな生きていて……。
何て滑稽で、何て笑ってしまう出来事なのか。会話からして、誰かが生きている確率は低い。けれど今、家族を殺した『オキオル共和国虐殺事件の襲撃犯たち』の無事を願うなんて。
だって、彼らは外交官仲間の夫になり、私たちみんなを受け入れた。
受け入れたというのは、自分の人生に私たちの『意思』も受け入れたということだ。
もちろん時には彼らを欺き知恵も巡らせたが、こちらが厳命を強いられるだけでなく、彼らも変わっていった。生きている場所が違ったなら、全く違う選択を、生き方をした人たちだろう。
彼らが変わっていく現実がうれしかった。彼らは賢かったから自分たちの集落の変化を受け入れたのだ。
そうでなければ、人は閉鎖と強制を好む。先進地域ですら、既存のシステムや習慣を変えるのは骨が折れたり一代、二代では無理だったりする。何かが臨界点に達し、はち切れるまで何十年、何百年と変われなかったりするのだ。
でも、彼らは変わった。
環境が変わるからでなく、自ら変わることができる者たちは先駆者だ。
たとえ有刺鉄線の中でも、そこには小さな自由があったのだ。
音もなく、突然車窓に暗闇が訪れる。
野戦を見下ろし、様々に思いを巡らすレグルスの視界を遮るように、不意にタンクリーの窓は不透明に変えられた。
もう、自由な世界は閉ざされたのだ。
***
タンクリーでどれほど移動したのか分からない。
何度かトイレ休憩に止まった。トイレといってもその辺の岩や草で隠れ、土の上でする。驚いたのは女性型アンドロイドがその時の護衛に入ったことだ。「私たちは逃げない」と言ってあったが、違う勢力に襲われることもあるらしい。
こういう配慮があるだけでまだマシな方らしい。移動中にすら女性が手を出され、上層に知られないために殺される場合もある。トイレのために停車などしない場合もある。
彼らは食事をくれるだけまだいいのか。移動中に野戦食も配られ、水は飲み回しでもありがたかった。
虫歯のない子たちに先に飲ませると、なぜ飲む順番があるのか聞かれる。その説明をすると、こんな生活でも虫歯のない子がいるのはそのせいかと驚いていた。
自分たちがまた拉致された現実に、レグルスたち大人は身を引き締めた。
カラに何かあった時のことは話し合っている。レグルスをリーダーに、もう2人を副リーダーに。他の女性も妊娠している者以外は、元娼婦や洗濯女だった者たちを各自まとめる。ここで話し合うことはできないが、既に全員段取りが取ってあった。レグルスにもしものことがあった時も誰が動くか序列を決めている。
移動しながら、やはりカーマイン家の生き残りのレグルスが指揮系統の人間に呼ばれた。
そして、男たちはさらに驚く。
このコミュニティーは誰もが字が読めるのだ。簡単なものなら計算もできる。高いスキルのある者は高校大学レベルの知能を持っていた。そして、きちんと帳簿も付けていたのだ。こんな塞がった小さなコミュニティーの、こんな閉ざされていた田舎の女たちの集まりなのに。
幼い子は虫歯がないだけではない。先進地域の一通りのマナーができているという。
これが「先進地域の教育がある」ということか、と皆驚く。
レグルスたちがホッとしたことは、カラを殺した男のように初めから女に手を付けるような男たちではなかったことだ。おそらく理性のある者に統率がされているということだ。少なくとも今ここにいる中の幹部クラスは。そして生活や報酬に満足しているから何も起こらないのだろう。不満の多い場所では、人は荒っぽくなりやすい。かなり大きな組織なのか。
けれど、行き着いた場所は………
ほとんど廃墟の大型の建物の中。
小用と、あの窓が黒く切り替わったその前までが、レグルスが外の風景を見た最後だった。
***
静まり返った廃墟には思った以上に人がいる。
なのに静かで、みな泣き声さえ嗄らしていた。
ここは廃墟と思いきや、人が住めるギリギリのインフラが残っており、付かない場所の電気は持ち込みで、ガスなども場所によっては持ち込みである。一気に人が増えたため、最終的に兵が大型のガスを入れたが、それが他の街で奪われてきたものであるとは誰も知らない。
きれいかは分からないし、どこから来る水なのかも分からないが、水道からはこの大勢が体を清められるぐらいの水が出た。排水もどこに流れていくのか誰も知らない。
ポチャン、ポチャン………
と、水が滴っている。
命の、世界の循環する音なのか。
それとも死の音なのか。
その通路も越えて、外は見えないけれど窓がある大きな部屋。反射した木漏れ日のような日の光も幾分か入っている。
そこに聴こえる生命の足跡。でも、誰も顔をあげない。
言葉を理解するようになった子なら誰もが本能で分かる。ここでは目立ってはいけないと。
初めてこの地に来た時、男がここにいるようにと最初に行かされた部屋を開けると、てきとうに積み上げられた白骨体があったのだ。
「あ、間違えた。」
それだけ言って男はまた部屋を閉める。
「匂いが凄かったからしばらく近寄らなかったからな。」
「他と違って湿度があるからな、この辺は。ミイラにもならんかったな。」
「まあよかった。何年前だっけ?あっちはまだやばいかな。」
「俺はそん時いねーよ。」
「お前いつからこんなとこいるんだ?そっちの方がヤバいだろ。」
「ここ、官位が上がると給料いいんだよ。」
「前のとこの情報売ったんだろ?」
男たちは共通語でそんなことを話していた。
うわさは広がれど、建前上情報の売り買いはあまりしない。役に立たないと知った時点で情報を売った者は殺される場合も多い。同じことをされたら困るからだ。
それからどれほど経ったのか分からない。
レグルスとシーキス牧師、そして副リーダーになったラージオやジーワイたちは必死に交渉をした。
まず、この建物を有する彼らは女商売で大きな仕事をしていた。前の集落と違うのは完全に各々隔離され、外の人に会うことはほとんどなかった。
レグルスたちは方便も交えて、一人の人的資産がどれほど大きなお金になるか説得した。きちんとした教育を施すこと、貞操を保つこと。規律を守るだけでなく模範を作り出せること。多くが正道教であることを話し、純潔を守らせてほしいと。
この組織が旨みに思うことがまだ分からないので、過去とくにいい交渉ができた数人の子供たちの例を盛って話した。子供や女性たちにきちんと教育を与えた方が、生産性の高いコミュニティーになること。
女や子供たちに知恵や自我が育つのは困るが、前の組織で崩壊どころか町ができていたことは事実だ。男たちはそれを考える。
最終的に彼女たちは、自分たちの子供だけでなく、このコミュニティーで生まれた子供たち、連れてこられた子供たちの教育を任されることになった。
●襲撃と男たちの死
『ZEROミッシングリンクⅤ』83 二度目の襲撃と拉致
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