32 全ては無数の粒子
前の日から既にアンタレスとベガスの警備は厳重体勢に入っていた。
経済人の説明会や集いと共に、次の日は関係各国家首脳代表人、大手機関の会合や視察になる。
こちらは警備上事前の公表無し。学校やほとんどの施設も通常運転になる。
「これを越えたら、しばらくアンタレスの行事はあるまい……」
もうこれ以上イベントをしたくないチコはサダルの横でぼやく。
「……。」
サダルはそれに何の反応もしない。
部族長やユラス議会などとの細かい会合はあるが、こんな東アジア規模の行事はもう出たくないとゲッソリする。来週のビックイベントは一般向けであるため、アーツでは顧問であるしチコは議長夫人として参加することもない。
青年活動として大学生はセイガ大陸全域で動くが、東アジアの反感を買わないためにも中心はアンタレス陣が主導する。
午前にはエリスベガス総長がアンタレス市長、ユラス議長、東アジア首脳陣を迎え準備。さらにアジア各市長、西アジアやメンカル他、各国家の来賓を迎え少し早い事前オープニングを迎えた。
この場は、VEGAやアーツも一部代表者以外参加しない。撮影も許可を取ったプロのカメラマン以外禁止で、一国家で入れるカメラマンも制限がある。
式典にはサダルとチコは重厚なナオス北方の衣装をまとう。着物のテイストもあり西方アジア群に近い羽織、男女で使えるスカートのような腰巻きを着けている。ユラスは広いため、議長夫妻は場に応じて様々な地域の再正装を身に付ける。チコの髪型はこの前ファイが指示したようなものになった。
「チコさん、がんば!これが終わったら遠征の切符だよ!」
ファイが励ます横で、ガイシャスも約束をさせる。
「お美しい!ユラスでも議長ときちんとお過ごし下さいね。」
「そうですよ、チコさん。そっちもファイト!」
「……。」
いやなことを言われるが、ファイはユラスに行った日のお礼に、謝礼以外にもたくさんのユラスの織物や大小のストール、髪飾りやアクセサリーを貰ったため、ガイシャスやカーフ母カイファーの言いなりである。扱いやすい化繊から本物の絹まで様々貰い、帰って来た日はライとウハウハ大騒ぎであった。
気になるのは、今回チコに何度も手を出している東アジア外相アルゲニブがいることだ。
彼は南メンカル首相と共に挨拶に来ていた。ニコニコの顔でベガスの繁栄を語っていたが、彼の裏を知っている者は気分がよくなかった。けれど今は、まだ動きを見ることしかできない。
そして、会合後は行政関係者を迎え、昼食会を済ませこの式典を無事に越えて行った。
全て終了後に、ベガスがアンタレス市に正式な区として加わったことがニュースで大きく報道される。反対派がベガス外でデモを行っていたが、これまで一部しか言うことを聞かなかった河漢自体も、自分たちの変化を感じて河漢内の反対派の動きを牽制する形になっていた。
現在ベガスは軍などの監視があるものの、自由主義の中で半社会主義を確立した世界で最も均衡、統制が取れた地域になっている。
既にそのモデルは、義務教育、大学機能と共にまっさらな第三国に移行され始めていた。ベガスでの収益はその資金にも使われている。
ベガスが、河漢が変わっていく。
それは、アンタレス自体が変わっていくことを示していた。
***
「社長は参加しなくていいんですか?」
「…?」
ファクトは近くにいるシャプレーに尋ねかけた。
「ベガス、今、首脳クラスの会合ですよ。」
「…大丈夫だ。代表に立つ者は他にもいるからな。そもそも私は役人ではない。」
「…そうなんですね…。」
首脳もほとんどが代理だ。ガーナイトのタイイーはまだ身の危険があるため来ないが、オリガン大陸やサウスリューシアからは現首相が参加する。
おそらくここはユラス大陸の東方だとは思うが、周囲に砂や岩しかない荒野のラボで、ファクトはため息をついた。
カストル総師長はどうしているのだろうか。
ベガス立ち上げを提案した大元は実はカストルだ。
非常に信仰的で柔軟、そして強かったユラス民族オミクロン族の青年たちが、ただ『自由の壁』になって散っていく姿に耐えられなくなったカストルは、この時代の最も経済大国となった東アジアから何か返せないかと思ったのだ。優秀な彼らを敵陣に獲られたら、世界はさらに混迷するだろう。
どの道、今の人類に行き先はないし、時代的にもう寄り道はできない。
ゲームでいつまでも最初のマップに街を建設し続けられないように、地球はもう既に飽和している。これ以上地球だけで人類が足掻いても環境と共倒れするだけだ。
そこで、先人たちの準備した現在の『ベガス構築』、当時の俗称で『廃墟再建』。その壮大な計画と繋げたのだ。
様々な人々の思惑や対立が重なり大規模な移民受け入れを遂行できず、発展が失敗した巨大な廃墟。生きている都市まで死滅させないように、新都市として準備した地域をメンテができる状況のみ残して閉鎖。
ユラス側で最終的に大きな舵取りをしたのはサダルであったが、オミクロンを中心にベガスが動いた。
東アジアとユラスを繋ぐ導入は既にある。
ユラス軍が高度なニューロス被験に協力していたこと。
そして少年兵、元兵士の社会復帰団体VEGAの存在。既にこの時、VEGAは急成長して世界規模の国際機関となっていた。VEGAの立ち上げ自体はサダルだが、その前進はあった。
もうずっと、先進地域は先進地域で、途上国は途上国で、戦地は戦地で迷走している。
人類は戦争のない世界を手に入れても、科学が発達しても、物質に恵まれても、それはそれで精神性を混乱させ、ちょっとした痛みにも耐えられなくなり、どこにも平和は見当たらなかった。
そして誰もがボタンを掛け違い会話ができない。
その全てを繋いだのがカストルだった。
東アジアからもユラスからも大バッシングを受け、それでも天の意図を知る者たちはどんな批判からもカストルを守り、国伝いでその仕事を受け継いだ。なぜなら世界を憂うことのできるのは、天の意思を知る者と、今その人生に嘆く者だけだからだ。
東アジアは生ぬるいお湯につかるように、精神的にも肉体的にも、開拓精神と若さを失い、もう身動きができなくなっていた。
ベガス構築が成功すれば宇宙開拓にも繋がる。物の取り合いで潰し合い滅んでいく人類は、いずれにしても宇宙にも次の時代にも行けない。共に滅ぶか、さらに精査されていくから。
国や国境ではなく、精神と物理の国境を越え、天敬の意思を受け継ぐ者がいつか国を作っていくのだ。
「はあ…。」
ファクトは広大な荒野のラボのソファーにもたれ掛け、ただ外を見る。
カストルは今度はオリガン大陸の南方方面にいるらしい。会いたい。
また見切り発車をしてしまったのか。
ベッドで眠っていたのは知らない人だった。
彼女は少しクセのあるストレートのブラウンヘアをしていたが、宇宙の人と重なって出てくる茶色い髪の人とは違った。どんなに精神を鋭敏にしても、DP(深層心理)層でも見えているはずなのに見えなかった茶色い髪の女性の顔。ファクトにはその顔が東方アジア人のように感じた。
でも、ベッドに眠る人は西洋系の顔をしていた。しかもかなりの混血だという。まだ若いと聞いたが、こけた顔は人生の労苦を感じさせ、若いファクトには年齢が分からなかった。一晩ここに泊まり、自分なりに瞑想してみたが何も見いだせない。どうしていいのか分からなくて、この女性がどんな人なのか聞くこともできなかった。
「…すみません。なんか、プライベートに顔だけツッコむ様な形になってしまって…」
「…いや、いいんだ。いずれにせよここはパブリックな場所だ。」
「………」
土足で人の人生に足を踏み入れて、ただ帰っていくようで申し訳ない。きっと、ただ公の事情ではないだろう。もしそうだったら、こんな思い付きのように重要な場所にファクトを連れては来なかった。なにせシャプレー・カノープスだ。
落ち込んでいたけれど、半地下になっているガラス張りの一面から、岩場に作ってある人工のオアシスをじっと見る。
アンタレス郊外の苔の一鋭一鋭が伸びる、深い緑の師匠のお寺とは違う、ベージュの荒野の砂粒一つ一つ。
色も形も状況も違うけれど、全てが粒の集合体で、全てが途方もない数で構成されている。それはどの世界も同じだ。あの喧騒のアンタレスの鉄筋やコンクリートさえ、無数の粒が寄り集まってできているのだ。どんなに果てしない無限の世界に思えても、宇宙では小さな地球のたった一部でしかない。
…『通帳手形』
「!?」
ファクトはガバっと姿勢を正した。
違う。何かが動き出してはいる。
だからチコも知らないこのラボへの扉が開いたのだ。おそらくSR社の一般社員も知らないだろうこのラボの。物質的なものか、環境的なものか、精神的なものか。自分なのか、相手なのかか。何が鍵になったのかは分からない。
けれども、この扉は開いたのだ。
特別な被験体の数人、少なくともチコとシェダルはギュグニーから来ている。
家族も出生も不明、かつ何かしら優秀な身体能力や頭脳、適正を持っている。被験体にしやすかったのだろうか。
「あの、社長。」
シャプレーは何も言わずに振り向く。
「彼女……」
名前を聞いてもいいのか迷う…。
「彼女はギュグニーから来た人ですか?」
●緑の庭と通帳手形
『ZEROミッシングリンクⅥ』107 通称手形
https://ncode.syosetu.com/n2119hx/108




