2 私が決めたことだから
「ロディアさん!」
「いっ!」
ロディアがズサッと、サルガスの胸元に崩れる。
うわっ!となるが、さすが鍛えているサルガス。きちんとロディアを受け止めた。でも、どこに力を入れていいのか分からないロディアがさらに姿勢を傾かせ、サルガスはゆっくり後ろに下がってロディアを抱いたまま後ろのソファーに座った。
周囲で見ている面々もハラハラ見ていたが、二人がソファーに腰を下ろすとほっとした。
そう。ロディアが義足で歩いたのだ。
もう何度か練習しているが、サルガスの前でこんなに歩くのは初めてだった。
「…っ。大丈夫ですか?!」
「…ロディアさんこそ大丈夫?」
「…すみません!緊張してしまって…
はっ!」
サルガスに乗り上げたまま慌てていたが、今の自分の状況に気が付く。
親戚たちが見ているのに、ソファーで半分抱き合っている形だ。
「………。」
伯母さんだけでなく自分より若い従妹たちにも見られている。
「わあああ!」
と慌てるので、サルガスはロディアを半回転させ、ズサッと横に座らせた。
「~っ」
完全に動揺している。
「ロディアさん、すごいじゃん。」
サルガスが手を絡めてきて嬉しそうに言うので、ロディアはかなり恥ずかしい。
ここは東アジアと西アジアの境中ほど。響お兄様の妻の実家サイファーがあり、そのさらに少し南にタイトゥアという、ロディア父の実家がある大都市。
現在ロディアはニューロスの義足のために、父方の親族の家に滞在していた。
「ロディアさん。グッだよグっ!」
そう言ってグッドサインを送るのはファクト。ラムダも隣で拍手をしている。
「……本当はもっと普通に歩けたんですけど…。」
「霊性と連動してるから、いろんな状況に慣れた方がいいね。」
ここに来ていたSR社の博士ファクト父のポラリスが優しく言った。ファクトとラムダは父の出張ついでに、サルガスに付いて来たのだ。
「どう?軽すぎる?」
「…え?分かりません…。」
「私の義体はよく軽すぎるって言われるんだよね。ミザルは少し重くするんだけど。」
ポラリスが考えている。
霊性連動型だと慣れはいるが、あまり神経などいじらなくてもいい。一度流れがきちんと定まると、後は自動で経路を作っていくため精神的トラブルだからと動作に影響するわけではない。
「私きっと、足があっても運動神経はなさそうです…。」
「最初はみんなそんな風だよ。生まれ付き目が視えなくて視覚が治った人だと、世界が180度変わってそれこそ歩けなくなったり、生活できなくなったりする人もいるからね。」
この時代は視覚や視覚の波長異常、聴覚などかなり直せる時代になっている。生まれつき目が見えない人が見えるようになると、自分が風景を迎え入れるのではなく、風景に向かって行くのだと分かって動けなくなってしまう人などもいるのだ。
ロディアは数か月前に手術をして、最初に義体をはめた時にもサルガスに来てもらった。
それまで足で歩いたことのないロディアは支え無しでは一歩も歩けず。それでも歩行器に捉まって数歩歩いた。
サルガスのいない間に仕事もこなし、たくさん練習もし、今は近所に買い物にも行けるようになったらしい。
「調整するから少し個室で練習しようか。みんながいると緊張するだろ。」
ポラリスが笑った。
「サルガス君と伯母さんだけいらしてください。」
「あ、はい。分かりました。」
そう言って、ロディアの個室に移っていく4人を皆で眺めて見送った。
「姉さんいいな~。」
ロディアの従妹らしき女性が、ロディアを支えて去っていくサルガス二人の姿を眺める。
「結婚大成功じゃん!」
「……。」
羨ましそうに眺めているので、ファクトもラムダもサルガスのモテ期はまだ終わっていないのか、と思うが単に仲のいい夫婦だからだろう。
男でもサルガスと結婚ならいいと思ってしまう。何せ掃除も料理もしてくれ、結婚を決めていた彼女に逃げられても弟妹分の面倒まで見て、安月給でも真面目に働くし浮気もしない。一見爽やかだが実は強面なので防犯にもいい。サルガスのヒモになりたい……と誰かも言っていた。
だが、今はきれいめな感じであろうが何と言ってもサルガスは大房人。二人に憧れる従妹たちも、カーティン家の人間なら素直にヴェネレ人と結婚した方が安泰であろう。義実家が大房とは行ってから後悔しそうである。
「いいな~。私もベガスに行こっかな~。」
この従妹はロン家ではなく、母方ヴェネレ人側の従妹らしい。
「筋トレさせられるからやめた方がいいですよ。」
ファクトは一応アドバイスしておく。
実はここまでの道のりが長かった。
サルガスと結婚後、ロディアは最終的に両足を切って整えることに決めた。
形が歪んでいるだけで、正常ではないが病気になっているわけでもない健康な足だ。その決断には、ロディア母がいなくなった十数年を埋めるたくさんの経験や気持ちの整理が必要だったのだ。
初めはSR社の本社もあり、知り合いも多いアンタレスで施術し経過もみることになっていたが、そこで問題を起こしたのはロディア母方のヴェネレ人の伯母だった。
手術の間ロディアの面倒を見ると、かつてロディア母の死後、ロディアを育ててきたヴェネレの伯母が自分たちの子供のバカンスも含めアンタレスまで来たのだ。
ロディアも始めは伯母との和解の意味も含めて、手術後の生活を少し見てもらうつもりだった。何せ現在、サルガスもベガスも多忙だ。
しかし、伯母は言ってしまった。
『やっと決めたのね。もっと早くそうしていれば、30過ぎるまで車椅子で生活することもなかったのに。』
と。
『だから私がそう言ってたじゃない。』
とも。
それはロディアにとって受け入れがたい一言だった。
親族の前で初めて食って掛かったロディア。
「私は……私は、あの頃の自分じゃダメなことがたくさんあった!
伯母様に言われて決意したことじゃない!!」
「何を言っているの?20年近く無駄にして…。もう気にしていないから、早くスケジュールを教えてちょうだい。」
「無駄じゃない!無駄だったこともあるかもしれない、違う人生もあったかもしれない……。でも………」
泣きそうになる目をカっと伯母に向ける。
ロディアが最も敏感な時期と環境の時に亡くした母。
いじめられ、差別され、弱いもの扱いをされ……。父もアジアから不幸を呼んだと、まだ事業も芽が出ずヴェネレの親族に貶されていた時期だ。
それに、あの頃義体にしていたら、その年の手術だけでは終わらない。成長に備え長期の付け替えもいるのだ。ほとんど自動で義体が作れると言っても、この伯母とそれができるほど小さな少女の心は強くなかった。
「何今になって子供みたいなことを言っているの?」
「今は…、今は近くに友人もいて、サルガスさんもいて…だから私も……
今だから私も頑張れるから!」
「分かった、分かった。こっちも1年ほど賃貸を借りるから、早く話し合いましょ。」
「…っ!」
声が詰まるロディアを助けたのは………思わぬ人物だった。
「…それはなくない?」
「?」
「ママ、それはひどすぎない?」
そう言ったのは、今回付いて来たその伯母の末娘シーリルだった。
「シーリル?」
「………今まで姉さんについては散々、話を聞かない、心も弱くて扱いに困るって話しか知らなかったけどさ…。ママ、それはないよ……。」
「………」
周りで聞いていた他の娘や、嫁で入って来たもう一人の伯母も困った顔で見ている。
「足切るんだよ?」
「……。」
「怪我や病気じゃないんだよ?必要な手術じゃなくて、プラスアルファの手術だよ?」
「……シーリル、あのね、でもこんなことで20年もあーだこーだ言って、結局義足にするって話なのよ?切らなくても使える義体ではうまく歩けなくて。そうしたらあんなベガスで逃げるように教師なんてしていなくてもよかったのに……」
「だって、それ。姉さんがお母さんを亡くした時期なんでしょ?」
「亡くなって1年後よ。」
小さな子供が親を亡くして1年。たった1年。
子供にとっては何も変わらなくても、長い長い永遠にも思えた日々。
下手をすると、直後より数年後の方が母がいなくなった変化を実感する時期でもある。
「……私だっていやだよ。」
「…シーリル?」
「あの頃の私には自分に起こらないことの感覚なんて分かんなかったけどさ……さすがに今は分かることもあるよ。」
「……何?私が間違っていたって言いたいの?」
「そうじゃないけどさ………」
「少し間違ってたからって、そんな風に詰められたら子供だったら受け入れられないよ。親がいない時に足を切るんだよ?今の私でも無理。」
「父親や私がいたでしょ!あなたたち何が言いたいわけ?」
「合理性ですることじゃないよ。」
年長の娘や別の従妹もあれこれ言ってしまう。
「は?なんなの?」
娘たちや他の従妹たちも、大人になって初めて伯母と姪ロディアの関係を理解する。
それは自分たちが子供の頃見ていた風景とは違った。
「そもそも私もさ。ママも苦労したから言いたくないんだけど、なんでも決めつけてるの本当に嫌だったんだよね…。」
「……は?」
「私、最初から東アジアの学校に行きたいって言ってたのに……。」
「行かせてあげたじゃない!?」
シーリルは3年目から東アジアの首都機能都市フォーマルハウトの大学に編入した。軽い感じの子に見えるが、地勢や政治などの勉強をしていた。
「……まあ最終的に好きにできたし、生活費も払ってもらったから言わなかったけどさ…。」
「…何が言いたいの?」
「もうちょっと人の話を聞いてほしいよ……。」
「…?!」
ここで、カーティン家の衝突が始まった。今までにない言い合いになり、ロディアは伯母さんの付き添いは要らないと泣き出すし、妻の死後、娘を任せてしまった伯母にロディア父も何も言えない。
最後にこの状況をまとめたのが、カーティン家に嫁いできた方の伯母だった。ロディア母の兄の妻だ。
彼女が外部からカーティン系に来た人間として、多少はロディアの気持ちを理解していた。けれど、嫁に来た当時は強い義姉に逆らえなかったのだ。家の関係性や状況が分からなくて様子を見ていたというのもある。カーティン家は、ヴェネレ人の外叔母でも苦労する気難しい家門だった。
そしてロン家は、ヴェネレの中心地にいる元貴族の本宅に、次期当主として初めて入ったアジアの血でもあった。しかも東アジアより当時一世代遅れていた西アジアが、いつも世界の最先端として世界に分布していたヴェネレ人の中に入ったのだ。
「お義姉さん。ロディアは一旦私が預かります。」
「なら私たちは何しに来たの?!」
「ママ、いいよ。どっちにしてもアンタレスは一度来たかったし、しばらくここで観光で楽しもうよ。」
「勝手なこと言わないで!!」
そう言って、どうにか義姉と姪を引き離したその伯母は、西アジアのロン家は非常に面倒見がいいと知り、カーティン家からロン家に託したのだった。SR社で手術後、少々病人を甘やかしすぎな地域だったが、伯母もしばらく滞在しロディアがロン家に慣れるまで待った。
あまりに忙しくて、ロディアを任せるしかなかったサルガスは伯母やロン家に何度も頭を下げていた。