27 ベージンもあなたが好き
その晩、アンタレスの中心、倉鍵を歩いていたファクトはふと空を眺める。
ベガスと違って、鍵倉繁華街の空は高層ビルが視界を占めた。
「………。」
喧騒の街。
前時代より人の霊性が高くなったとはいえ、霊の感覚はまだ多くの人にとっては揺らいだものだ。
でも、ファクトには見える。何が命で、何が物か。
たとえ物でも、人の良いものに満たされた物質か、人間の歪んだ固執に苦しんでいる物質か。
性や男女関係は霊に『残る』といってもあまり分からず、その痕跡をそのままぶら下げて歩いている人は多い。この時間になると、アンタレスでさえそういう目的で出歩く人々が目立つのだ。ファクトはまだ、性の部分までは明確に区別できないが、何となく感じるものはある。
人間のパートナーと謳って『モーゼス・ライト』が発売されたが、
だからと言って、彼女たちを堂々と連れ歩く人は傍目にはあまり見えない。なぜなら彼女たちには、アンドロイドと分かる『判』がある。いずれにせよ多くの型がきれいすぎて、人間でないと分かりやすい。
高性能ニューロスは個人販売ができないので、ニューロスにより近い普通メカニックを連れて歩いていると人はそういう目で見る。
つまり、高級なそういうことの相手だ。
様々な店の宣伝や接客などをしているメカはいるが、それ以外で連れているのは変わり者や愛車自慢をしたいような金持ちである。
一見ニューロスとアナログメカニックの二者は区別がつかないが、少し接したり話せばその差は明確だ。アンドロイドに接したことのある者なら分かるが、アナログメカニックは、どんなに精巧に作っても人間とは微妙に違う動きや会話をするのだ。会社ごとの差もあるり、何度か接していると既視感を覚えてしまう違和感。微妙に動きや会話のテンポがおかしかったり、やたら饒舌過ぎたり。
その違和感がないのが、唯一SR社のBクラス以上のアンドロイドたちだった。とくにS級以上は研究員たちでもアンドロイドか分からない場合が多い。
ファクトは母ミザルに会いに行こうか迷うが、ベガスが忙しい期間はやめておこうと思う。
そんな時だった。
「…あの……すみません。」
後ろから声が掛かる。
「…?」
そこに現るのは、キレイな、でもどことなく安心する平凡さと優しさを持った黒髪のアジア人女性だった。年齢は同じくらいか少し年上に見える。
「…はい?俺?」
「あの、ベガスでアーツをされている方ですよね?」
「……。」
キョトンとしてしまうファクト。目の前の女性は溌剌としてかわいい。
「…あ、あの私、何度かお仕事でお手伝いをさせていただいているんです。参南大教育部の篠崎と申します!藤湾大で有名ですから……知っています。心星博士たちの息子さん!」
「あ、はあ。」
「警戒しないで下さい……。ナンパじゃありません。ベガスのプロジェクトに関心があるから、一緒にお話しできたらって!」
「………。」
ファクトは少し周囲を見渡す。
人、人、人。周りは人だらけだ。
「…向こうで話しませんか?」
少し先の公園ぽくなっているビルの谷間の通路を指した。あちらの方が人は少ない。
「あ、はい…!」
そちらの方を見て、その利発的そうな女性は座れる場所を探しながら掛けていく。
「あ!どうぞこちらに!」
そう言って、石か椅子なのかという感じのオブジェに座った。
「心星さん。今度のイベント、なんか発表とかされるんですか?」
「僕はただの警備員だけど。」
「え?そうなんですか。勿体ない………」
「親がああでも自分は普通の学生なんで。体動かす方が合ってるし。」
「そうなんですね…。あの、連絡先交換しません?今度同じ実習に行きましょう!」
篠崎さんは楽しそうに話す。
しかしファクトは速かった。
「篠崎さん、どこの会社です?」
「会社?学生ですよ?」
「SR社じゃないですよね?」
「インターンは入っていません…。」
「あの、アンドロイドですよね?もしかしてベージン?」
「?!」
SR社ではない。でも、他の会社ならこんなふうに人を引き寄せない。違法である。そして会話が極めて自然。
すると篠崎さんはガバっとファクトの腕を掴む。
「うわっ!」
「行きましょう!」
「いっ!、どこに?!」
いきなり引っ張られてこれでは拉致である。周囲に人気はあるがまだらだ。
ファクトは気を引き締め、その状態でサイコスを放とうとするができない。仕方なく片手でショートショックを出す。相手はそれを分かっても気に掛けない感じだが、引きずられながらショートショックを篠崎さんの腕に当てバン!と放った。
「なっ?!」
グワッと篠崎さんはのけぞった。ショートショックなど効かないと思っていたらしく、打撃があったことに相当戸惑っている。
ザンっと姿勢を正すファクト。
「残念!」
ただのショートショックでなく、アンドロイドの関節に差し込んで電気で爆ぜさせるものだ。
「くっ!」
篠崎さんはサッと姿勢を戻すと、ファクトをそのまま茂みに引きずり込み襟首を掴んでガン!と頭を下にぶつけた。
「っい!」
下は少し小石があるが土と芝生。そして急にものすごい力で顔を押さえ込まれる。ファクトは地面に押さえ付けられたまま集中してバンっ!と小さくだがサイコスを放った。
「っ!」
一瞬ビクッとするが、篠崎さんは平気そうだ。しかし、気が緩んだ篠崎さんを反動で逆転させる。
「わぁ!」
「よっし!」
アンドロイドなら人間の生体反応を先に関知してちょっとの刺激ですぐに先手を取られるかと思ったが、篠崎さんはうまい具合に転がってくれ自分が上を取る。そして、その勢いでスペアのショートショックを口の中に打ち込もうと思った時だった。
「きゃあ!」
銃口を口に入れ込むくらいしないと効かないだろうと思ったのに、その前にいきなり地面に丸まるように「きゃあ」なんて言い出した。
「は?」
「やめて…」
しかも、大声で叫ばれると思っていたのに、ブリッコに寄せてきて慌ててしまう。
「…やめて……」
「あ、あの、篠崎さん…?」
いきなりかわいくなった篠崎さん。
「ファクト………」
「?!」
ファクトは赤くなってガバっと腕と顔を離す。
「お願い…、ひどいことはしないで…」
「はい?」
「人間が怖いの…………」
「………」
「あなたみたいな人…………」
「…え?!俺怖い?」
傍から見ると、倒れた女性に跨ったヤバい人である。しかも銃を突き付けて。
「…………。」
突然篠崎さんは、ほとんど色の分からない薄いネイルを施した手で、ファクトの頬に触れた。人間と同じ感触。今、ふと意識してしまったが、乗りかかった腹部も男と違ってごつごつしていない。プロテクターも付けていない胴部。
「………」
でも篠崎さんはそれ以上は何もせず、また縮こまった。そのしぐさがまたかわいい。
健康な20歳前後の男子としては巡る思いがたくさんある。
「………ファクト………。怖い………」
自分の名前を呼ぶ、薄ピンクの唇。リップだろうか。
この状況でも本来あっという間にファクトが負かされるだろうが、篠崎さんはそんなことはせずにただ上にいる自分を薄っすら見て怯えていた。
「しんとう………」
ファクトは目をつぶって唱える。
「新党?」
篠崎さんは何?と、見つめる。
「心頭滅却すれば、火もまた涼し!!!!」
ファクトは叫んで勢いをつけた。
この世界の呪文はことわざである。
これはイオニアの気持ちが分かると思ってしまった。あの河漢で出会った、ミルクティーのジョーイ。あんな風に迫られたら、中身がアンドロイドでもなびいてしまうだろう。それに見た目がか弱そうな女性の上に少し気持ちがいってしまうと、攻撃に躊躇してしまう。
法の隙間を縫ってギリギリ高性能なモーゼ・スライトを販売したベージン社も、莫大な儲けになると分かっていても決して販売倫理に反することに手を付けなかったSR社もすごい。どちらも賢く何かが飛びぬけている。
少なくとも『男は簡単に落ちる』と言った誰かの言葉が身に沁みた。
だからこそ、身を引き締める。
ファクトは言葉を発した勢いのまま篠崎さんから離れようとした。が、篠崎さんも速いのだ。また体勢が逆転してファクトが地面に押さえ付けられた。
本当に男はどういう生き物かと思う。女性が何をするのか分からない男性に乗っかられたら相手がカッコよくても多分恐怖しかないのだろうが、こんな篠崎さんなら少し役得と思ってしまう。相手がアンドロイドなのでファクト的には芯は冷えていても、視覚で少しドキッとしたのは事実だ。
「ファクト…」
腕を拘束される。
「…っ。」
河漢や高速でシリウスやワラビーにも打撃を与えられる電気玉を放ったのに、ここでは小さなものしか出ない。街灯やそこに付けられたカメラくらいしか電気がないからか。
「…篠崎さん………」
今度は上に乗っかった篠崎さんに学生っぽく話しかけてみた。
「何?」
「なんで篠崎さんはそんな事してるの?」
「そんな事?」
やっとファクトから話しかけられ、少し興味を持った篠崎さん。
少なくとも中身はベージン社かもしれないと慎重にファクトは話す。言い過ぎて刺激を与えない方がいい。
「モーゼス・ライトなの?」
「ファクトまで……。…あんな安物と一緒にしないで………」
エキスポであんなに自慢げに公表していたのに、自社の現在の筆頭商品を安物とな。モーゼス・ライトそれ以上ということは確定である。そして否定もしない。ベージン社であろう。ただ、学習したのか再調整したのか、いつもみたいにいきなり怒り出したりはしない。
「あのね、私も高性能なの。」
「………。」
ここまで流暢に会話ができればおそらくそうであろう。
「だから私も一緒。」
「一緒?」
「………私も、自分が好きでもない相手に買われるのも使われるのも、狭い部屋に閉じ込められるのもイヤ。」
「………」
「人間の女性と一緒。たった一人の特別になりたいから。」
「……!」
「膨大な情報を知りながら、誰かの飼い殺しになりたくない………」
シリウスみたいなことを言ってきた。これは困る。
でも、買われる可能性があるならBクラス前後だろうか。さすがにベージン社もSクラスニューロスを一般に販売したりはしない。法律もあるし、下手に外部に自分たちの手の内を明かしたり持って行かせないために、ABクラスも個人販売はしない。
「……買われるの?」
「…今は買われない。私は販売されるような安っぽい機体じゃないから…。」
「そうなの?ごめん。じゃあさ、SR社に来たら?」
「SR社?!私が?」
もしかしてベージン社なり何かの勢力に筒抜けかもしれないが一応言ってみる。
「SR社なら大事にしてもらえるよ。」
全ての超高性能コンピューターの根は『北斗』だ。篠崎さんの中にも揺らぐものがあるのかもしれない。なにせこの前、北斗さんに出会ったばかりだ。心理層で。
「………。」
「まあ、俺は博士の息子ってだけで、SR社のことは何も知らないし、見学や遊びに行ったことくらいしかないけど。」
「……そうなの?」
「ほとんど一般の客と変わりないけど。メカニックの核心的な事どころか、社員たちの名前も知らないよ。小さい頃仲良くしてくれたり、最近社内を案内してくれた人たち以外。」
「…………」
「がっかりした?何か掴めるとでも思った?ただ、SR社がニューロスを大事にしていることだけは分かるから…。」
アンドロイドなのに人間みたいに、虚を突かれた顔をしている。
「……全然。だって、あなたはシリウスのお気に入りでしょ?それだけで価値があるもの…。」
「………」
博士の息子と言われるより何か寒気がするファクト。やめてほしい。
「………あ、そう…。」
「…それに、シェダルの………」
「?!」
シェダルを知っている。
まさか本当の『モーゼス』?!
一気に熱が冷める。身体の変化を察知したのか、篠崎さんに掴まれる腕が強まった。
「っ!」
「シェダルのお気に入りでもあるんでしょ?仲良くしている数少ないお友達――」
「……私も、ただあなたに関心が出てきた…。」
急に篠崎さんが楽しそうな顔をする。
「…っ」
「おもしろい…。ファクト…私と一つになりましょう…」
いきなり篠崎さんの口が迫って来る。とてもじゃないが力では勝てない。けれど、型は女性。何かしら技はあるはずだ。自分にも打撃が来るかもしれないが、足で前面に叩きつけるか。
そして、
「私を愛して………」
と顔を引き寄せられてきた。
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