16 触れてはいけない場所と…見付けてほしい場所
『…母でもいたいし…、女でもあり若くもありたいな。』
「…!」
すごく崇高そうな女性から、子供もいるけれどシングルになったから恋愛もしたいみたいな言葉が飛び出て若干引く……のはファクトの心が汚れているからか。子供の存在はどこに?と思ってしまう。
なにも、女でありたい相手が「夫でない」とは言っていない。ただ、先の煌めくような母子像から思いもよらぬ雰囲気転換をしてしまい、心の行き場がない。
『死ぬ前に愛を知りたいの』
果てしない天の天から砂のように落ちてくる光を両手ですくいながら、その女性は微笑む。
美しいのに戸惑ってしまう。
その愛は何系の愛ですか………
と追究していいのか悪いのか。もう、『傾国防止マニュアル』が骨の髄まで染み付いてしまった悲しきアーツ。チビッ子シャプレー……あなたのお子様、いなくなっちゃったんですけど恋愛してていいんですか?と言いたい。
降ってくる光がなくなると、日当たりのいい木陰に涼むその女性。ファクトはいつの間にか自身の形を得て、少し離れた所に座った。
そして、自分の中のいくつかを繋げてみる。
「………あなたの名前は………」
その女性は同じ空間にいるのかいないのか。話してはいるが、ファクトを認識しているのかいないのかも分からない。
ただ、ただ………
シリウスの中には幾人かの被験体がいる可能性がある。
アンドロイドにはないはずの霊性。かつてのファクトには気持ち悪かった感覚。
SR社の中核にいただろう人物。
連合国側のシステムを先行させるために、身を削って研究に命を捧げた被験体と……研究員たち。
シリウスの前身は『北斗』。
ファクトはほぼ確信している。この人がシャプレーの母なら………
「…あなたの名前は………『北斗』ですか?」
『!!』
ファクトがそう言ったとたん、
またその女性は驚き、無機質な、底を追えないほど深い深い瞳を中心に全てがバン!と弾けた。
「いいっ!?」
授業中に突然起きた人のように、ビクッと目覚めるファクト。
「?!」
驚いて辺りを見渡すと、先のレストランのテーブル席だ。
無表情で眺めている太郎君と昼のクローズに入ろうとしているお店、ほとんど食べ終わって半分下げられたお皿などが目の前にある。
「俺………」
ボーとしていると、外から護衛のファイナーがやってきた。
「そろそろ戻る時間です。」
「……時間とかめんどくせーな。」
太郎君はそう言って立ち上がり、ファクトもデバイスで清算をして外に出た。
***
「………テミン…。泣くなよ…。」
文化会館のワンフロアでラムダはまだ泣き止まないテミンを慰めていた。
「……ううぅ。」
そんな事を言うので、またぐずりが激しくなる。
「…太郎君が……太郎君が………っ」
「テミン…。食べな。」
舞台関係の仕事で四支誠に来ていたファイが、テミンにスナック菓子の袋を押しつける。ウヌクも河漢。今日はまだ先生たちもいないのでラムダがファイに電話してみたのだ。
「太郎君、太郎君って…。友達たちもいるんだし、お姉ちゃんお兄ちゃんたちもいっぱいいるんだから他の人でいいのに。ほら、ここにラムダがいるじゃん。」
自分とは言わない。知り合いの子たちなら愛着はあるが、ファイはそこまで子供が好きではない。
「だって………」
「何がだってなの?だってとか言わない!」
「……太郎君がいい…。」
「……なんで?」
「太郎君が好きだから………。」
「…。」
あんなキチガイを………?とテミンが心配になってくる大人二人。
「……だって、だって…」
「あのね……、むしろ彼はダメ!」
「…!」
言い切るファイにまたショックを受けるので、ラムダがフォローに入る。
「テミン……あのね。何がそんなに太郎君がいいの?」
「………」
少し戸惑ってテミンはそっと言った。
「…だって、太郎くんはチコ様の家族の人でしょ?お兄ちゃん?弟?」
「?!」
「え?」
言葉にならないファイとラムダ。
「違うの?」
「………。」
どう答えていいのか分からず、ひとまず口止めだけしておく二人であった。
***
「珍しい!」
ファクトのお誘いに喜んでいるのは、SR社タニア研究所のポラリスたちの助手、リート博士。一見柔らかくも話してみると研究肌丸出しなお姉さんである。ファクトのことは幼いことから知っている。
ここはSR社の倉鍵研究所の近所のカフェ。
現在ミザルはほぼ休職状態。ただ、家では仕事をしている。ポラリスはアンタレスではない東アジアのラボにいる。
「今日こっちにシャプレー社長がいるって聞いて。」
「社長?私、タニア以外では個人で会ったことないし、SR社って言っても、いっぱい事業があるからラボにいるかは分かんないな。」
一般メカニック、ニューロスなどと同じくらいの規模で、化粧品や生活消耗品の事業を展開して、なおかつホテルなどもある。各々別経営になっていて、シャプレーがCEOであるのはチップとニューロス事業だけだ。ただ、SRのつく全グループ法人理事会のさらに総責任者になっている。
「…………」
リートに聞いていいのか考える。
リートはいかにも理系女子だが、ミザルの息子という恐ろしい位置を持った子供に、「ファクトが大きくなったら、お嫁さんになってあげる~」と言えるくらい物おじしないお姉さんである。年齢は非公開だが、ミザルの助手のチュラと同世代ということはみんな知っていた。
現在リートは本社でのすり合わせや、部下の教育をしながら何事もなく過ごしているが、先鋭しかいなかったタニアで機密部分にも関わっていた研究者。
こういう時だけは口が軽くあってほしい。
「リート先生!」
「…何?あらためて…。」
リートが何か言うといつも冷めた顔をするファクトなのに、なぜか熱く呼ばれ怪しむ。
「最近ベガスに強化ニューロスの人がいっぱい入ってるんだけどさ……」
「……。」
リートが、「え?」という顔をする。ユラス軍にニューロス化した人間は多いが、一般が知っている話ではない。政治や軍、一部業界関係者、もしくはマニアくらいで、詳細はさらに込み入った人間しか知らない。
「その中でS級クラスの強化義体者って誰?どんな感じ?そういう人いる?」
「……」
普段あっけらかんとしているのに、完全に疑心の目で見ている。
正確には人間に等級はないが一般義体、メカニック義体、ニューロスメカニック義体に分けられ、強化義体は一般人の知れるところではない。
「………」
「夏の自由研究にいろいろ知っておきたくて。」
「……自由研究?夏?」
「あ、今、秋ね。晩夏か秋の自由研究?」
「………。」
大学生なのに何を言っているのか。論文でも作っているのか。ファクトは大学1、2年生から論文に取り掛かるような勤勉な子でないことは、リートもよく知っている。なにせ、タニアでも簡易ロボットキットを放置して川遊びに没頭していた男子である。
「ほら、俺も成長するし!最近いろいろ興味が湧いて。」
ポラリスからそんな話も聞いていない。むしろ、「ファクトが、シリウスは気持ち悪いって言ってた」と聞いている。
「成長?……背は高くなったよね。背は。」
「筋肉も付いたことない?」
「はいはい、そうだね。」
「リートさ~ん。」
もうここは被験に興味があると言うべきか。
いや、……それはドツボ過ぎる……。
「ファクト!」
「はい?」
リートが縮こまって小声で追及してきた。
「何が言いたいの?」
「………」
「はっきり言いなさい!」
「え……。母さんに言わないでくれる?」
弱気になる。
「…約束します。」
「父さんにも………」
「それは内容次第かな。」
「………。」
「リートさん。SR社の強化ニューロスは誰?ユラス軍みたいな人たちじゃなくてさ。補助義体じゃない完成体っていうの?」
「え?」
「シャプレー。チコ。
他に誰?あと2人?3人?」
「………。」
細かい人数まで出てきて驚いている。
「………『北斗』?」
「………」
リートは固まっていた。
「『北斗』はチップの名前だから………。チコたちみたいなニューロス化とはまた違うの?」
「………。」
「リートさ~ん?」
呆気に取られて動かないので手を振って正気に戻そうとすると、その腕をガシっと握られた。
「……どこで聴いたの?チコから?」
シリウス本人と言えないし、シリウスもSR社に直接言えない、もしくは言いたくない事情があったからファクトを通したのだろう。
「………サイコスで……」
半分は本当の話だ。サイコスの中で知った。
「サイコス?霊性とかじゃなくて?」
「……その辺は曖昧で、正確にはよく分からないけどDPサイコス………かな?」
「DP(深層心理)?!」
「こ~、なんていうの?今訓練してるから。」
よく分からないジェスチャーで表現すると、目を丸くして見ている。
直接言い過ぎてしまったか。




