15 シャプレーの荒野
「……あのさ。今、東アジアでDPサイコスに関して何か進めてることある?啓発とかしてる?」
「………」
なんでこいつ、急にこんな話をしているんだ?という顔をしているが、きちんと答えてくれる。
「普通に質問はされるけれど、答えてもあいつら分からないし。」
どんな状況だとファクトは考えてみるが、空で出来ることはきちんと説明できなかった以前の自分を思い出した。
例えば、見ただけでダンスができてしまうので、「こうして、こう」みたいに披露し、できない子ができるように説明する能力が以前のファクトにはなかったのだ。シェダルもそういうことか。自分に分かっていることを、相手に説明する力がシェダルにはまだないのだ。
ただ、東アジアもバカではないので、分からなくとも放置せず些細な説明も何かに繋がると全て記録に取ってはいるだろう。
「シャプレーとかにもDPサイコスに関して何かしたとかある?一緒に心理層に入ったことは?」
「……シャプレー?あの社長か?」
おそらく、連合国側のニューロス研究やその政治的、環境的立ち位置について内外全てを知る人物。
「………。」
考える太郎君。
「……あいつはよく分からん。多分前に重なったことはあるけれど、どの世界も平坦としてる。麒麟やお前みたいに抑揚がない。」
「………抑揚…。」
太郎君に抑揚という表現が分かるのかと感動するが、そこではない。平坦?シャプレーが?平坦とは?凹凸がなく読めないということだろうか。
でも、シャプレーの世界にもあった荒野。
あれはギュグニーの荒野なのか。それともユラスの荒野なのか。
「シェダルはさ、宇宙の人知ってる?」
「宇宙の人?」
「心理層でさ、こういうルバって被ってるの。」
ユラス人の伝統衣装を着けた写真を見せる。
「…あいつじゃね?チコ。」
「………。」
確かにチコもよく公式の式典で被っているがそうではない。
「じゃあ、ストレッチャーに寝たきりのユラス人みたいな女性は?」
「………?」
「…チコの心理層に入ったことがあるんだろ?他に強化ニューロスとか、強いつながりのある人間って分かる?」
「……。」
太郎君は少し上を向いて考え、テーブルの上にあったファクトの手の上に自分の手を乗せる。
「?」
なんだ?と思ったとたん、シェダルのサイコスが弾ける。
バジバチバチバチバチバチバチバチッ…
「?!」
という感覚と共に、一気に視野に切り抜きのような、走馬灯のように様々な風景が流れ、バンっ!と何もない空間に飛ばされた。
「いいっ?!!」
こんなお店で?!
しかし、ファクトの視野にもうシェダル自身はいない。
『俺は普通にこっちにいるから大丈夫だ。お前も半浮遊みたいな感じだから、目は閉じてるけど体は保ってる。』
「はあ??」
いつの間にこんなことができるようになったのか。現実と心理層で会話をしている。これはどういう概念の上で成り立っているのか。心理層に入るとはそもそも何なのか。改めて思う。
シェダルの義体に内蔵されたシステムの監視機能がどうなのか分からないが、ここには今護衛もいない。東アジアには繋がっていないだろう。
その瞬間。
現実の同時間。
さらにパチンと弾ける、誰にも聴こえない衝撃。
ある音楽レセプションのホールでシリウスは目を弾かせる。
人懐っこい愛らしい、シリウスの少し茶色の黒い瞳に、一瞬だけ無機質で底のない瞳が見開いた。
誰も気が付かない、瞳の奥に…………
一方、シェダルは鹿肉を食べながら無言でファクトに教える。
『今いる場所はまだ心理深層じゃない。上辺だ。だからそれぞれの場所にいながら普通に会話ができる。深層に入ってその中のチコに飛ぶか?』
「え?待って。それはダメ。何の許可もなく人の中に入るのは……。」
『ばっかじゃねーの。何に気を使うんだよ。無意識層の深層まで行けばそこは共有世界だ。誰かの所有とかじゃない。その延長だろ?』
「…でも……」
そうは言っても、人として気が引ける。しかも以前のようにチコの意識を引き上げるためという最重要な名目もない。なのに人の心の底を覗いてしまうのだ。ただ、シェダルの言うように無意識層まで行けば共有層でもある。
人は共有層の中に、各々個を確立して意識を保っている。つまり心の、精神の深層は皆繋がっているのだ。
個だけで存在しているものは、本来何もない。
『いいぞ。そいつの精神、思ったよりきれいだし。』
「………チコはお姉さんだよ?あいつとかそいつじゃなくてせめてチコって……」
ファクトは、シェダルが精神面において、何かを「きれい」と認識していることも意外だった。もっと全ての世界が混沌として混沌とさせたい男だと思っていた。
『チコな。そいつ、クソみたいな雑念がほとんどないし、そういうものをコントロールできてる。こんな情報社会の中核にいてもな。
普通、真面目過ぎると、大人でも思春期みたいにみんなクソみたいになりたがるんだよな。こいつ…チコにはそういうのがない。
逆にアンタレスの奴とかは最悪だな。くだらない思考やどうしようもないビジュアルであふれてる。普通に人を殺すより最悪な事ばかりで埋まってる奴もいる。まあ、そういうのは深入りしないけど。クソで気分が悪い。』
「………。」
もうなんと返したらいいのか分からない。でも、大房のオバちゃんになってもチコの心は高潔ということは分かった。返しは分からないが、なんとなく言いたいことは分かる。
そして、最悪とは何だろうか。どうしようもないポルノを見過ぎているアンタレス男子の事だろうか。
「………。」
ファクトは少し考えて、でもこんなチャンスはないかもしれないと少しだけ意識の範囲を変えた。
どこに感覚を合わせるべきか。
直接シャプレーに合わせるのは危険だ。勘付かれそうである。そもそも怖い。
チコ?
宇宙の人?
小さなシェダルを抱いて怒っていた人?
ストレッチャーの人?
………ストレッチャーの人は……そう。シャプレーに似ていた。
彼女なら何か知っているのかもしれない。全身不随か、それとも起きれない状態だった時を切り取った誰かの意識なのか。
そう思って、いつの間にか差し込む窓から漏れたような夕方の光の方に手を差し出した。
その光はスーと手を照らし、永遠に続く明かりのように、手で遮った以外の部分を全て照らす。
…ストレッチャーの人?
ふと見ると、美しい背の高いユラス人の女性がそこにいた。
ナオス族に多い、薄褐色の肌。一般的に言う美人というよりは、骨格がしっかりして強い印象で、けれど三白眼な薄いとも言える顔。
でも、ものすごく美しく見える。
これが精神性を表すというのか。
その女性が椅子に座って小さな子供を抱いていた。
まったりと、楽しそうな………
いや、ただ静かな?
ファクトは朝日なのか夕日なのかも分からない光を遮る手越しに………
感情の分からない目の前の景色に目を奪われた。
ユラスの血を持った美しい女性。
ファクトは確信する。
シャプレーの母か、伯母か、姉であろう。
それが直接見えている映像なのか、現実なのか、写真なのか分からなくなる。
ただ子供の顔が分からない。
もう少しよく見たくて、前に進もうとした時だった。
『……。』
無言でニッコリ笑った女性と目が合った。
「あっ…」
自分に気が付いて?それともたまたま?
その裾にいる子供はこちらに気が付いていないのか。
自分とその間は、映像を見ているように全く違う風景のようだ。
今の世界が何なのか分からないけれど、言ってみる。自分の思うことを。
「………お姉さん………。」
子供はいれどおばさんと言うには申し訳ない若々しさだ。
『………』
やはり気が付いているのか、女性は呼びかけに笑顔を深めた。
「あの、お姉さん……。」
その女性は立ち上がろうとする動きと共に、善き母のような姿からどんどん若くなり、簡素な花嫁衣裳を通り過ぎ、それから身軽で、少し若い少女のように変わる。格好も夫人というより、お嬢さんと言った感じになった。
女性が変化している?時間が戻っている?けれど、最初に見た内面から表れる美しさはそのままだ。
深く温かい、落ち着いた優しい瞳をしている。
そしてなぜか、照れるようにファクトを眺めた。
いつの間にか子供もいない。
ダメだ、全てが流れて行ってしまう前に聞かないと、と話しかける。
「あの……先の子は……シャプレーですか?」
『っ?!』
驚いたように女性は少しだけたじろいた。
「あなたはシャプレーの母ですか?」
そう言うと、女性は困ったようにはにかむ。
『…。』
『…母でもいたいし…、女でもあり若くもありたいな。』
「?!」
●シャプレーの中にもあった荒野
『ZEROミッシングリンクⅡ』32 シャプレー・カノープス
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