七夕の願い事
1545年 7月
今日は七夕だ。例年通り七夕の夜になると、今川館の庭園は豪華絢爛に飾り付けられる。ただ今年の装飾は去年までとは一味違い、装飾に大量の金が使われていた。机の上にも金、笹の飾りつけにも金。さっきから目がチカチカしてしょうがない。悪趣味というか、見栄っ張りな成金のそれだ。家臣たちの多くは顔を引きつらせ、若干引き気味だった。まぁ、すごく楽しそうに飾り付けの手伝いをしていた承芳さんの手前、強くは言えないみたいだけど。ただ黄金の輝きを始めて見る庶民の人たちは、目をキラキラさせ興奮した様子で飾り付けを眺めていた。薄暗い空間の中で、行燈の淡い光に照らされてぼんやりと浮かぶ黄金の光沢は、確かに荘厳で美しかった。
駿府の国を支えているのは武士だけじゃない。農民や町民の方々の支えがあって、初めて強い国になる。時に庶民の人たちは、弱い大名を見限り、強い隣国に逃げてしまう事があるらしい。厳しい乱世を生き抜くためだ、仕方ないだろう。この黄金の七夕飾りは、そういった庶民の方々に、駿府の国がすごく栄えているんだと思わせるにとても良い機会になっただろう。
「うんうん、次は館全体を金箔で囲んでしまおう。いつかは、あの足利義満が建てた金閣をも超える、壮大で洗練された建物を造りたいものだ」
まあ、この人がそんな高尚な事を考えているとは思っていなかったけど。
「そんな阿呆な事したら、貴重な金が直ぐに枯渇しちゃいますよ。それに、毎日金に囲まれた生活なんて嫌ですよ」
興奮した表情で豪語する承芳さんを、僕は冷めた声で諫める。頬を真っ赤に染めた承芳さんは、趣が無いなあとへらへらと笑い、アルコールの混じった息を吐いた。そんな金ぴかな建物のどこに趣があると言うのだろうか。僕はいつか見た金閣の光景を思い浮かべる。広い池の中にポツンと浮かぶ金閣。簡素で無色な空間に囲まれているから、金色の美しさが際立つんだ。
「というか、承芳さん酒臭いです。そんな顔近づけないで下さいよ」
「よいではないか、よいではないかぁ。金に囲まれた宴会が楽しくて、つい飲み過ぎてしまうんだ。ほらほら関介、酒が進んどらんぞ!」
そう言って僕の肩に手を回し、もう一杯酒を煽った。ったく、これだから酔っ払いは。まあ承芳さんからそう言われたら、一杯くらいは付き合わなければ失礼だろう。机の上には、毎日食べているご飯とは比べられないほどの豪華な御馳走が並べられている。それにきっと今日のお酒はとびきり美味しいだろう。付き合うくらいの量ならいいかな。心の中で言い訳しつつ、お酒を飲もうと器に口を付けようとしたところで、冷たく鋭い眼光を感じ取った。恐る恐る気配のする方へ顔を向けると、ニコニコと笑顔を浮かべた稲穂さんが僕の顔をジッと見つめていた。
「関介さま、以前酔い潰れて、みなさんの前で盛大に粗相をしでかしたのを覚えてますか? 覚えてませんよね、関介様は気持ちよさそうに酔ってましたから。あの時私が、どれだけ恥ずかしい思いをしたか、これっぽっちも覚えていませんよね?」
ふつふつと湧き上がる怒りがマグマとなって、僕の足元にドロドロと流れてきた。今は静かな活火山だけど、いつ大噴火を起こしてもおかしくはない。稲穂さんと結婚して数年経って、一度だけ彼女の逆鱗に触れたことがある。一度噴火すると、マグマを放出しきるまで止まらないんだ。
「承芳さん、僕は結構です。このお酒は承芳さんが飲んでください」
「いやあ、私ももういいかな。何か、すまんな関介」
お互い引きつった顔を見合わせ、同時にお酒を机に戻した。酔いが一気に吹き飛んでしまった。傍から見ていた喜介くんが、あははと気まずそうな乾いた笑い声を上げた。そっと稲穂さんの顔を確認すると、頬を膨らませたまま、ふんと顔を背けてしまった。後でフォローしなければ。
「おうお前たち、酒は飲んどるか? 今日は無礼講だ、飲め飲めぇ!」
突然現れた雪斎さんが、片手に持ったお酒をぐびぐびと飲み干し、豪快に笑いながら言った。顔を真っ赤にして、足元もふらふらだ。
「そうですぞ皆さま。七夕の夜くらい、羽を伸ばさねば疲れてしまいまするぞ」
雪斎さんと同じように顔を真っ赤にした親綱さんもまた、お酒を一気に飲み干した。この仲良し酔っ払い二人組め。空気が読めないというか、タイミングが悪い。稲穂さんが余計な事をと言いたげな表情で雪斎さんの顔を睨んでいるが、酔っぱらっている当人は気が付いていない。
結局二人は目の前の料理を少しつつくだけして、上機嫌のまま去っていった。なんだったんだあの二人は。
「雪斎さん、お祝い事になるとすごく浮かれるんだから」
「関介様は人の事を言えないと思いますよ」
グサッと刺されてしまった。これには言い返す言葉がない。稲穂さんに改めて謝ると、加減して飲んでくださいよと、お酒が注がれた器を手渡された。稲穂さんの表情には、いつの間にか優しい笑みが戻っていた。こちんっと、乾いた二つの音が小さく響いた。白く濁った日本酒の上に、細かな金箔が浮かんでいた。
「和尚が笑っているところ、久方ぶりに見たやもしれないなあ。ここの所、自室で根詰めて何やら書状をしたためていたし。それが理由なのか、顔を合わせる度に何かとつけて小言を言われ」
うんざりしたように吐き捨てると、雪斎さんの去っていった方向に向かってため息を吐いた。そういう仕事は、当主である承芳さんの仕事ではないのかとツッコミたいところだったが、そもそも当主としての自覚の薄いこの人に言っても無駄になるだけだろう。
雪斎さんが書状を送る相手。先の戦で一緒に織田家と戦った松平さんだろうか。それとも同盟国の武田さんだろうか。
「誰宛ての書状なんですかね。承芳さんは聞いてないんですか?」
「ははっ。和尚が一人で根詰めるような重要な仕事の内容を、この私に話すと思うか?」
遠い目で言う承芳さん。そんなに信用されていないのか。少しだけ気の毒に思えてきた。僕らが憐れみの目を向けると、そんな目で見るなと手を振った。
満足するまでご馳走を味わった僕らは、色とりどりの短冊が飾られた笹の前にやってきた。飾り付けの中には、やっぱり金色の光を放つものがいくつもあった。金箔を和紙に貼りつけ、それを短冊状にして飾ってる。なんて手間のかかる事を。そういう事を、普段の仕事で発揮すればよいのに。
お互いの短冊をそれぞれ探し、僕の短冊だけは直ぐに見つかった。初めてにょろにょろ文字に挑戦し、一人だけ明らかにへたっぴだったからだ。稲穂さんは味があって素敵と言ってくれたけど、承芳さんと喜介くんは、お互い指を差して笑い合っていた。言い返したいところだけど、教養だけは無駄に高い承芳さんの字は、書道家の作品と言われれば納得してしまいそうなほど達筆だった。そして何故か、農村出身のはずの喜介くんまでもとても上手な字を書くのだ。僕に漢字の読み書きを教えてくれた冷泉為和さんは、これほど書の才を持った農民は初めてだと大層驚いていた。せっかく剣の師範として良い所を見せようとしたのに、逆に喜介くんから、字の書き方を教わる羽目になってしまった。師匠の面目丸つぶれだ。
「駿府が平和でありますように、か。何というか、捻りがなくてつまらない願いだな」
承芳さんがボソッと言った。
「しっ、失礼な! そんな事言うなら承芳さんはどうなんですか!」
承芳さんの短冊を探すと、これもまた直ぐに見つかった。ぴかぴか光る金色の和紙に、達筆な文字で書かれていた。
「駿府の国に住む全ての民を幸せにする、って僕と変わんないじゃないですか! ったく、何がつまらないですかぁ」
「やはり私たち、息が合うな」
承芳さんは僕の顔を正面から見つめ、にかっと笑った。それにつられて、稲穂さんと喜介くんも笑った。承芳さんも僕と同じ願い事だったか。ここ数年で、駿府には色々ありすぎた。この先数年、いや何十年でも、平和な時が流れてくれたらいいなと思う。だけど、そうとも言っていられない事くらい、僕も承芳さんも理解している。
笹の一番上の目立つとこに、雪斎さんの短冊が飾られている。そこには打倒北条と、承芳さんと同じくらい達筆な文字で書かれていた。西ばかりに集中していたけど、僕らにはまだ最大の脅威が残っていた。それこそが、かつて河東の地を奪っていった北条家だった。
七夕の次の日。雪斎さんに呼ばれ、僕は大広間へと急いだ。まだまだ熱を帯びた風が、アルコールでガンガンと痛む僕の頭を容赦なく吹き付けた。昨夜、濃密な夜を共にした稲穂さんに行きたくないと愚痴を溢したところ、頬を軽くつねられてしまった。文句を言わず行けと。ぐらぐらする頭の中、適当に上衣を羽織り崩れた格好のまま向かうのだった。
部屋に到着すると、沢山の視線が一気に僕に集まった。僕以外の人はみんな集まっているらしい。ペコペコ頭を下げながら、自分の定位置である部屋の端っこへ小走りで向かった。そこにはいつも通り、親永さんと元信くんがいた。
「遅いですぞ、関介殿。それに胸がはだけてしまってますよ」
そう言いいながら、親永さんは僕の上衣の襟をキュッと伸ばして整えてくれた。これでよしっと満足そうに頷いた。いつも優しいし、困っている時に助けてくれる。一つ年上の親永さんは、何だか本当のお兄さんみたいだ。親永さんが優しい長男さんだったら、やんちゃ坊主の承芳さんは、意地悪な次男だ。三男の僕をいつも揶揄うんだ。
「だらしがないぞ関介。親永様の手を煩わせて、お前なんてこうだ!」
「うわあん、元信くんやめてよう」
元信くんは、親永さんが整えてくれた襟をぐちゃぐちゃにしてきた。元信くんは、近所の悪ガキだ。初めて会った時よりは大人っぽくなったけど、まだまだガキだ。
「お前たち五月蠅い!」
雪斎さんに怒鳴られてしまった。周りの人たちの呆れたような視線が刺さる。元信くんの方を睨むと、バツが悪そうに目を逸らした。親永さんが気まずそうに笑った。
「さてお前たち、昨日の七夕祭りで十分に羽は休められただろう。かく私は、今後訪れるであろう戦に向け頭を巡らせておったわ」
嘘を付くな。親綱さんと一緒にべろべろに酔ってたじゃないか。
「まあ私ほどの聡明な人間は、次に動くであろう潮流など手に取るように見えるものよ。お前たちこれを見よ」
雪斎さんが懐から取り出したのは無数の書状だった。部屋の中の温度が僅かに上がった。それを満足そうに眺めた雪斎さんは、書状の内容を順番に説明し始めた。
「これは山内上杉、これが扇谷上杉、そしてこれが古賀公方足利からの書状だ。どれも同盟を結ぶ旨の返書だ。私はこの一年の間、北条と敵対する勢力共と交渉を重ねて来た。全ては北条を陥れるためだ。して今、その全ての支度が整った。戦は来月だ。先祖代々守り抜いてきた土地を奪った憎き北条に、一泡吹かせたやろうぞ!」
雪斎さんが高らかに宣言した瞬間、部屋の中の温度が一気に最高潮に達した。周りの家臣さんたちは、怒号に近い声を次々と上げている。みんな北条への恨みが溜まっていたんだな。僕は耳を塞いで、部屋の隅で小さくなった。
これから僕の大嫌いな戦が始まるのか。だが嫌だ嫌だと言っている場合ではない。これはいわば弔い合戦だ。数年前、河東を巡って争った時に死んだ人たちのためにも、僕らは戦わなければいけないんだ。
雪斎さんが短冊に書いた願い事。打倒北条。織姫と彦星は、なんて物騒な願い事を叶えてくれたんだろう。
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