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弓取りよ天下へ駆けろ  作者: 富士原烏
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黄金の国駿府

  1544年 7月


 織田との合戦から二年が経った。三河、尾張の情勢は、あれから緊張と緩和を繰り返し、いつからか長い膠着状態が続いていた。ただ相手は狡猾な織田信秀だ。西への警戒心を解くことはできない。そんな中で、今川家の周りの情勢は、目まぐるしく変わっていた。

 そんな折、一通の書状が届けられた。差出人は甲斐の晴信くんだ。内容としては武田家が、僕らと敵対する北条さんとの和睦が決まったというものだった。まさに青天の霹靂とはこのことだ。何処から噂を聞きつけたのか、甲斐に乗り込んで説教すると激怒する多恵さんを抑え込むのは骨が折れた。武田と北条が手を組んで攻めてきたら、今川の力だけで跳ね返せるわけがない。それなのに、雪斎さんはいたって冷静だった。

 どうやら雪斎さんは、晴信くんを仲介として、どうにか北条さんと和睦が出来ないかと策を巡らせていたのだ。それもできるだけ今川に好条件で。氏綱さんが亡くなり国政に苦慮している氏康さんを揺すり、奪われた河東の地を取り返す。河東の一件で出来た大きな遺恨を取り払い、この和睦で一気に仲直り、というのが雪斎さんの考えだった。流石は狡猾腹黒坊主だ。その和睦で得するのは今川だけだというのに。

 結果は翌月に届いた。雪斎さんが書状を確認し、僕と承芳さん、他の家臣さんたちが固唾をのんで見守っていた。結論から北条さんの返答はノーだった。流石に今川に有利過ぎる和睦は、今の北条さんの状況でも受け入れがたかったようだ。雪斎さん破れたり。雪斎さんは書状を読み上げたその場でビリビリに破り、床に叩きつけぐしゃぐしゃに踏みつけた。その時の怒りたるや。近くの机を蹴り上げ、乱暴に舌を鳴らした。暴れ回る雪斎に近寄ると、僕の顔を見るやキッと睨みつけ、悪態をついて部屋を出ていった。まるで嵐のようだ。そして、あれほどまでに取り乱す雪斎さんを見たことがなかった。ポカンとする僕らは互いに顔を見合わせ、苦笑いを浮かべた。

 その日から雪斎さんは自室に籠り、何やら書状をしたため始めた。承芳さんも、他の家臣さんも、雪斎さんが誰に当てて書状を書いているのか知らないらしい。かなり気が立っているのか、部屋の前の廊下を通っただけで怒鳴られた。イライラしているのは分かったから、僕らに当たらないで欲しいものだ。承芳さんと話し合い、暫く放っておこうという事になった。

 

 今川の地にはひと時の平和が訪れていた。それどころか、前年から金山開発に本格的に着手し始め、未だかつてないほどの好景気に沸いていた。建前としては、米の生産が不向きな駿府の領地経営を助けるためというのが理由であったが、本音は承芳さんが金の輝きに一目惚れし、もっと今川館を豪華にしたいというしょうもない野望からだった。金山開発への知見が浅いため、晴信くんに色々教えてくれないかと頼み込んだ。甲斐もまた米作りに不向きな土地柄で、昔から金山開発が盛んだった。僕から直々にお願いしたところ、二つ返事で了承してくれた。一緒に豊かな国にしていきましょうなんて、頼もしい事を言ってくれた。どっかの誰かさんとは大違いだ。

 昨日承芳さんから、稽古が終わったら直ぐに部屋に来るように言いつけられた。その時とてもテンションが高く、嫌な気がして仕方が無いが、行かなければ拗ねてしまうので仕方なしに向かう事にした。

 承芳さんの部屋の前まで辿り着き、障子を開けようとした瞬間、中から女性の低い声が聞こえた。相手の心をゆっくりとへし折るような、丁寧で落ち着いた容赦のない言葉が次々と耳に入って来る。あーあ、すごく部屋に入りたく無くなって来た。


 「民は明日を生活する為に、毎日畑で身体を汚している聞くけど、どこぞの当主様は、見栄の為に低俗な衣装に身を包んでふんぞり返っているそうね。私が百姓だったらそんな当主、桑で思い切り頭を殴ると思うの」


 「ううぅ……分かったから、もうそれ以上は」


 「はぁ、貴方のご先祖様がその姿を見たらどう思うのでしょうね」


 障子を開くと、眩い光に思わず目を瞑った。目を擦りながら中を見ると、正座で向かい合う二人の姿が。怒りというか、呆れている多恵さんの正面に座る男の姿を見て、唖然として言葉が出てこなかった。

 戦中でもないのに何故か甲冑に身を包む承芳さん。それだけなら別にそこまで驚かないだろう。原因はその甲冑にある。承芳さんが身に着けている甲冑一式が全て黄金に光り輝いていたのだ。光が反射して非常に眩しい。


 「承芳さん……あた阿呆な事を」


 「関介来てたのか、って関介までそんな冷たい目で見るな!」


 泣きそうな声で縋ってくる承芳さんの手を払い除け、僕は大きなため息をついた。そりゃ多恵さんも怒りますよ。

 多恵さんはまだまだ言いたい事があるらしい。ただこの場でそれを全て吐き出そうとしたら、日が沈んでしまう。僕も聞きたい事が山ほどあるのだが、とりあえずは承芳さんの言い分を聞いてみることにした。


 「で、どうして承芳さんは、そんな悪趣味な甲冑を着ているんですか?」


 「悪趣味って……金は財力、つまりは国の豊かさの象徴だ。それを戦場で着用すれば、敵は慄き士気を失うと思って」


 なるほど、承芳さんなりに今川の事を想っていたんだな。どこまでが本音かは分からないけど。ただ、それにしても浅知恵過ぎやしないか。


 「そんな甲冑を戦中で着てたら、目立って仕方ないですよ。それに」


 承芳さんに立ち上がるよう促す。カチカチっと、鉄製の甲冑では聞けないような音が聞こえる。体を捻り右手で床を押して、よいしょとお尻を持ち上げた。すごく立ち上がりにくそうだ。まあそれが僕の言いたい事の全てなんだけどね。

 これでいいかと、息の上がった承芳さんの両肩を思い切り押した。後ろ歩きで何とか体勢を整えようとするもそれは叶わず、わわわっと、情けない声を上げ頭から倒れ込んだ。甲冑だから、多分頭は大丈夫なはずだ。近くまで駆け寄り、足元の承芳さんに声を掛ける。


 「重たくないですか?」


 「それが言いたいなら、もっと穏便なやり方があったろ!」


 顔を真っ赤にして怒る承芳さんに、思わずぷっと噴き出してしまった。後ろで様子を見ていた多恵さんも、珍しく小さく笑う声が聞こえた。頬を大きく膨らませ、むぅと睨む承芳さん。これは揶揄いすぎたかな。仰向けのまま動けなくなっている承芳さんに手を伸ばすと、怒りながらも素直にその手を掴んだ。ぐっと腕に力を込め、承芳さんを持ち上げようとすると、逆に甲冑の重さに引っ張られ、そのまま倒れて承芳さんの上に覆いかぶさってしまった。目の前に承芳さんの顔がある。僕らは顔を見合わせると、二人同時に噴き出した。


 「はぁ、どっちも阿呆。もう付き合い切れない」


 そう言う多恵さんの表情はすっかり穏やかで、口元に小さく笑みを浮かべていた。部屋の中にポカポカと温かい空気が流れた。

 ふと廊下から足音が聞こえる。トボトボいった感じで、足音だけで元気のない様子なのが分かる。足音は部屋の前で止まった。


 「お父上、と関介。二人で一体何をしてるんです?」


 足音の主は龍王丸だった。五つまでは、みんな龍坊と呼んでいたが、六つの誕生日を迎えた時、急にその呼び方を止めて欲しいと本人から注意があった。今年で六歳になる。龍坊も随分大きく、立派に成長した。多恵さんも、龍坊の成長を嬉しそうに、どこか寂しそうに見つめていた。実は龍坊はやめて欲しいと言われて、一番ショックを受けていたのは多恵さんだったりする。

 龍坊の元気のない声から、どうやら今日も冷泉為和さんにみっちり指導を受けてきたっぽいな。後でいっぱいよしよししてやろう。指導の賜物なのか、たどたどしかった喋り方も随分と流暢になった。うん、どうして僕は呼び捨てなんだろう。


 「見ての通り、暇な阿呆二人が戯れているだけ。龍王丸は一緒になっちゃ駄目だからね」


 「お父上! その黄金の甲冑は何ですか!? 龍にも触らせてください!」


 多恵さんの面倒くさそうなため息が聞こえた。元気が無いように見えた龍坊も、金ぴかな甲冑を見つけ、まん丸な瞳を輝かせて走って来た。承芳さんのお腹の上に飛び乗ると、ペタペタと甲冑を触っては、嬉しそうに笑った。

 龍坊もすくすくと成長し、振る舞いも当主の嫡男らしく見えてきたが、中身はまだまだ子供だった。端正な顔立ちや綺麗な肌は多恵さんに似たが、悪戯っぽくわんぱくな性格は、しっかりと承芳さんから引き継いだようだ。

 

 「おっ、重い。二人とも取り合えずそこから退いてくれ。息が苦しい」


 「もっ、申し訳ありませんお父上!」


 ハッと慌てた様子で承芳さんの上から降りる龍坊。龍坊が承芳さんの事をすごく尊敬している事が、言動の端々から見て取れる。また多恵さんへの深い尊敬もだ。本当にいい子に育ったし、きっとそれだけ二人が良い教育をしているからだろう。龍坊が大きくなって、承芳さんの後を継げば、今川家もきっと安泰だ。

 結局甲冑は直ぐに脱いで、壁にひっかけておくことにした。汗びっしょりの承芳さんは、暑い暑いと団扇を仰いでいる。龍坊も一緒になって、団扇を振り回している。

 承芳さんの汗も引いてきた頃、不意に龍坊が、黄金の甲冑の事を尋ねた。なんでこんな物が。戦場で使えるのか。どれくらいの量の金を使ったのか等々。承芳さんが答えている最中、多恵さんのジトっとした視線がずっと突き刺さってとても喋りにくそうだ。反対に、龍坊はうんうんと興味津々で、お父上凄いなどと尊敬のまなざしを向けている。その度に、多恵さんの表情が渋くなっていった。三者三様の表情のコントラストを楽しみつつ、僕もぽけーっと外を眺めながら承芳さんの話を聞いた。

 承芳さんは、ここ数年で今川館の造営を進めてきた。思えば、今川館の内装は何処か武士と貴族の混ざったような雰囲気を感じていた。承芳さんは子供の頃ずっと京都で過ごしていたから、きっと貴族文化に触れる機会が多かったんだろう。またお母さんの寿桂尼さんも、元々は貴族出身らしい。今川という家は、貴族文化にゆかりの深いお家柄なんだろう。承芳さんが黄金の光を気に入ったのも、そういった血筋からくるのだろうか。先代から引き継ぐだけじゃない、承芳さんらしい色がどんどん顔を出し始めた。僕はそれが楽しみで仕方が無かった。


 「関介、龍の話聞いてる?」


 「えっ、えっ? ごめん、全く聞いてなかった」


 龍坊は僕の顔を覗き込んで、もうとほっぺを膨らませた。どうやら、いつの間にか話題は、承芳さんから龍坊に移っていたらしい。


 「お父上、関介が龍の話を無視する!」


 「よしよし、私が後でこやつの尻を引っ叩いておくからな」


 親子の面倒くさいやり取りを目の前で見せられてしまった。何だか最近、成長した龍坊に舐められている気がする。いずれ剣の稽古をする日が来たら、その身に分からせてやるとしよう。


 「それで、龍王丸は何の話をしていたの?」


 「それは……ちょっと待ってて!」


 そう言うと、裸足のまま庭に出て何処かへ駆けていった。あっと多恵さんが声を上げた時には、龍坊の姿は無かった。みるみる内に顔が赤くなる多恵さんを宥めようと、承芳さんがまあまあと手を伸ばすと、五月蠅いとはたかれてしまった。これは楽しい折檻が待ってるぞ。

 中々戻ってこない龍坊にしびれを切らし、承芳さんが探しに行こうと腰を浮かせたその時、遠くの方からおーいと呼ぶ龍坊の声が聞こえた。やっと姿が見えたかと思えば、龍坊の脇には小玉スイカくらいの大きさのボールが抱えられていた。サッカーでもするのかな?


 「僕ね、為和様に蹴鞠が上手って褒められたんだ。お父上とお母上に見せたくって」


 名前だけは聞いたことがある蹴鞠。だけど実物を見るのは初めてだ。色鮮やかな糸で編み込まれ、僕の頭の中に烏帽子をかぶった男性たちが、先の尖った靴で優雅に遊んでいる光景が浮かんだ。


 「お父上、見ていてください! それっ!」


 龍坊は、軽くボールを上に投げるとポンポンと上手にリフティングを繰り返した。なるほど、これは言うだけある。数を数えながら足の甲で器用にリフティングを続け、二十と言った後ボールを高く蹴り上げ、それを見事にキャッチして見せた。僕ら三人は、思わずおおと歓声と共に拍手をした。龍坊は照れくさそうに、頭の後ろを掻いた。


 「龍王丸すごいじゃない」


 多恵さんに褒められた龍坊は、えっへんと胸を張った。ただ間髪入れず多恵さんは続けて言った。


 「その前に草履を履きなさい!」


 ほうら怒られた。肩をびくつかせ、泣きそうな顔で慌てて草履を履いた。

 龍坊の誘いで、結局僕と承芳さんの三人で蹴鞠で遊ぶことになった。多恵さんは最近体調が優れないという事で、縁側で足をぶらつかせ、僕らの様子を眺めていた。


 「そっちいったよお父上!」


 「意外と難しいな。それっ、次は関介だぞ」


 ボールが僕の方へ飛んできた。実は僕、球技がてんで駄目だった。足元に落ちて来たボールを足の甲で蹴り返そうと振り上げると、見事に空振りし、降ろした足の下に丁度ボールが滑り込んできた。空が青いなと思った直後、僕はその場に腰から着地した。腰の骨がジンジンと痛む。


 「あはははっ! 関介のろま」


 龍坊は僕の方を指さし大笑いしている。承芳さんもそれを止めることなく、むしろ一緒になって笑っている。僕の背後で、クスクスと多恵さんの笑い声も聞こえる。くそ、みんなで僕を笑いものにしやがって。


 「うるさい、うるさあい! 僕だって自分でやれば、えいっ!」


 軽く上に投げ、足の甲でボールを蹴り上げる。勢いのついたボールは、龍坊の頭上を遥かに超え、庭に広がる大きな池の向かい側まで飛んで行ってしまった。ここまで球技が出来ないなんて、自分でも驚いている。


 「関介、下手すぎ。鞠は関介が取りに行ってよ」


 ガクンと首を垂れ、龍坊に言われた通りボールを取りに走った。

 随分遠くまで蹴ってしまった。幸いな事に、ボールは池の直ぐそばに転がっていた。危く三人の前でびしょ濡れになりながら、ボールを探す羽目になるところだった。ボールを拾い上げ、龍坊のもとへ戻ろうと顔を上げると、何故か承芳さんがそこにいた。少しだけ顔が引きつっているように見えた。


 「どうしたんです承芳さん?」


 「いや、まあその。龍坊の前では言い出しにくくてだな。これの事なんだが」


 ごにょごにょと言いながら懐から出して見せたのは、金色の櫛だった。手のひらに乗せると、金属特有の冷たさが広がった。光り方と重厚感から、恐らく純金で造られたのだろう。


 「すごい綺麗ですね。どうせ多恵さんに渡すんですよね? 早く渡してくればいいじゃないですか」


 「それが出来ないから、お前に頼んでいるのだ。なっ? 後で好きなだけ金をやるから。それか、稲穂殿に特注の髪飾りを」


 「うるさいなあ。なにを今更恥ずかしがっているんですか? 貴方たち、出会ってもう何年経つと思ってるんですか。龍坊は僕が気を引いときますから。はいもう行った行った」


 僕は承芳さんの制止を振り解き、暇そうに待っている龍坊のもとへ急いだ。後ろで文句を言ってる承芳さんの言葉は全て受け流した。


 「龍王丸! 蹴鞠の練習をしようよ」


 「関介下手だから、龍が教えてあげるね」


 嬉しそうに駆け寄ってくる龍坊。その後ろで櫛を握ったままいじいじする承芳さんに、僕はキッと鋭い視線を向けた。早く多恵さんに渡してこい、そう目線で伝えた。観念したように、承芳さんはしどろもどろになりながらも、多恵さんに話しかけた。


 「関介変だよ。怖い顔になったり、笑ったりして」


 「ふふっ、別に変じゃないよ。それより、蹴鞠が上手になる秘訣を教えてよ」


 「ふうん、まあいっか。関介が蹴鞠をやる気になって嬉しい。えっとね、足をこうやってピンとしてね」


 龍坊に教えを乞いながら、二人の様子を眺める。金色の櫛を貰った多恵さんは、気が利くじゃないと一言。でも彼女の表情から満更でもなさそうだ。なんだかそっくりな二人に、ほっこりと胸が温かくなった。

 承芳さんは本当の事言わないけど、どうせ金にこだわっているのも多恵さんの為なんだろうな。櫛を挟んで見つめ合う二人の笑顔は、黄金よりも輝いて見えた。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

読んで頂いただけで嬉しいです。

感想や、評価していただけるともっと嬉しいです。

続きを読んで頂ければ号泣します。

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