番外編4 関介の一日
お久しぶりです。意欲が無くなったわけじゃないのでご安心を。
実は今作、下書きの時はもっと酷い下ネタになる予定だったのですが、読み返したところ流石に酷すぎるとなって、今回に至ります。そのネタはまた今度にしようと思います。
それでは、本編へどうぞ。
1537年 1月 某日
憎々しい坊主頭のあの男の一言から、僕の憂鬱な一日は始まった。
「関介って、やはり女だよな」
承芳さんはそう唐突に言い出した。あまりに突然の一言に、口に含んでいたお茶を思わず吹き出してしまった。汚いと言いたげな表情を向けられたけど、どう考えても承芳さんが悪いだろう。
畳と袴を綺麗にふき取りながら、僕は思い切り不機嫌そうな表情を彼に向ける。こんな朝っぱらから人が不快に思うような事を言わないで欲しい。いや朝に限らず言わないで欲しいのだが。
「何ですか急に。一体僕のどの辺が女だというんですか?」
頬を膨らませてジトっと湿った視線に乗せて文句を言った。こういう事を言う時は、決まって僕の反応を見て楽しむんだ。その手には乗りまいと、僕は自身のできる限りの険しい表情を作って強く迫った。
すると承芳さんは、僕の抗議の視線を受けて何を今更と軽く嘲笑した。ふんと鼻を鳴らすと、何個もあるぞと前置きして指を折って数え始めた。
「例えば夜に一人で厠に行けないところだろ。あと裸を見た時過剰に恥ずかしがるところだろ。それに、直ぐに泣くところだろ。もっと挙げるとすれば……」
「もういいです! 分かりましたから、これ以上辱しめないでください!」
とうとう両手の指を折って羅列し始めた所で、僕は慌てて制止した。これ以上自分の恥ずかしいところを聞くのなんて堪えられない。上気した頬がどんどん熱を帯びて行くの感じ、思わず顔を手で覆った。
というか両手で数えるくらい女の子みたいな所が僕にあったのかと愕然とした。自分では十分男らしく生きていたつもりだったのに。
「なんだよ、関介が聞いたから答えたんじゃないか」
「そ、そうですけどぉ。いざ目の前で話されると、すごく恥ずかしいんですよ!」
真っ赤な顔で両手を縦に振ると、大口を開けて笑い始めた。こいつ、やっぱり僕の反応を見て楽しんでいやがるな。改めて承芳さんの挙げた僕の女っぽいとこを考えてみると、確かに自分が悪いところもあるかもと思い始める。それと同時に、それさえ直せば自分は一人前の男に見られるのではという、なんとも天才的な発想に至った。
「じゃあその女らしいところを直せば、承芳さんは僕が立派な男だって認めてくれるんですね?」
「ああ、それなら認めるよ。それに今後一切、関介の事を女のようだと言わない事を誓おう。なんなら、もし関介が女らしさを直せた暁には、今までの事を土下座して謝罪する事を約束しよう。まぁ直せたらの話だけどな」
ニヤニヤと僕を嘲るような笑みを浮かべながら言った。どうせ心の中では、僕に男らしくなんて無理だと思ってるのだろう。そう考えると、怒りの感情がふつふつと込み上げてきた。僕だって何年も鍛錬を重ね、精神的に強くなってきたんだ。
僕は勢いよく一歩前に出ると、胸を張って堂々と言った。
「言いましたね、約束ですからね! その代わり今日一日中一度でも女らしいとこを見せたら、今後女装でも何でもやってやりますよ!」
勢いに任せて調子の良い事を言ってしまったと、口から言葉が出た瞬間に深く後悔した。なんで僕はこんなにも乗せられやすい性格をしているんだ。
承芳さんも一瞬面食らったように静止したが、直ぐに含みのある笑みで僕を見つめてきた。絶対何か企んでいる顔だし、この後良からぬことが起きるだろうと確信した。
あの後直ぐに道場で稽古を始めたため、承芳さんと会う機会が無かった。そもそも彼も自分の仕事があるようで、愚痴をこぼしながら仕事場に向かっていったのを見送った。昼を簡単に済ませると今日は一日中道場に籠っており、竹刀を振っている間は約束の事も頭から完全に抜け落ちていた。午後からは、最近始めた剣の指導の手伝いをしていた。僕の剣の腕前がどこで広まったのか、いつの間にか一目置かれる存在になっており、指導の手伝いをお願いされたのが始まりだった。最初こそ強面の方々への指導は怖かったけど、今川ひいては承芳さんの力になっていると考えれば指導にも力が入った。
稽古の指導が終わった時には既に、外は幕が下りたように真っ暗だった。脳内時計では七時を回っている頃だろうか。季節がら陽が落ちるのも早くなっているのだと感心していると、自室の中から仄かに揺れる光が縁側に差し込んでいるのを見つけた。まだ起きていたのか。仕事はいつも職場の方で片づけて来るから、少しだけ不審に思ったけどどうせ春画でも見あさっているのだろう。
稽古の指導が終わって完全に油断していた。だから自室に戻った時、何やら書物を広げてくつろぐ承芳さんに迂闊にも話しかけてしまった。
「何読んでるんですか? どうせまた如何わしい本でも読んいるんでしょうけど」
「何だ? 関介も興味があるのか?」
揶揄い気味に言ったつもりだったのに、承芳さんはやけに嬉しそうに僕の方を見て笑った。体を起こすと、手招きして隣に来いと急かすように合図をした。そんな嬉しそうにして、さぞエッチな内容なんだろうと少し期待しながら彼の隣に腰掛けた。彼の頬へ触れるようにして手元の本を覗き込むと、そこにはニョロニョロの文字がぎっしりと詰められていた。今でいう小説だろうか。思っていた内容と違い首をかしげる僕に、からっと楽しそうに笑った。
「残念、今日は春画じゃないんだ。だけどきっと関介も気に入ると思うぞ」
承芳さんが進める本だから、そこまで期待しないでおこう。僕が素直に頷くと、寝る前に読み聞かせをしてもらう子供のようなころっとした笑顔を向けてきた。まぁ読み聞かせをしてもらうのは僕なんだけどね。こっちの漢字が読めない僕の為に、承芳さんはかなりゆったりとしたテンポで、一つ一つの節を噛みしめるように読み進めていった。
「とある寂れた集落に、一人の男がおりました。名を弥助と申しますが、この弥助というやつは、集落で名を知らねえ者のいないほどのならず者でもありました…………」
背後では冬の夜の冷たい風がびゅうびゅうと吹き荒れ、襖の隙間から侵入しうなじを這うように通り抜けた。まるで死人の手に撫でられたような気味の悪さを覚えて、承芳さんの肩にぎゅっと寄り添った。
「…………こうして弥助の家の中に残されていたのは、大量の血だまりと、獣の硬い体毛だけだったという。おしまい。どうだ、面白かったろ?」
「面白い訳ないでしょ! もうっ、おもいっきり怪談話じゃ無いですか!」
悪戯っぽく笑う承芳さんの耳元で、僕はたぎる感情をぶつけるように叫んだ。彼が話した五分ほどの物語は、なんと怪談話だった。聞いたことの無かった分聞き入ってしまい、最後の悲惨な情景が頭の中で何度も鮮明に繰り返された。
話の内容としては、ならず者の弥助という人物が人気のないところで女性を殺害し金品を奪ったが、死んだ女の魂が獣に乗り移り、最後は弥助を食いちぎって殺してしまったという話であった。ありきたりかもしれないが、女を殺したときの残忍な手口や弥助を食いちぎる獣の描写が丁寧に描かれており、まるで目の前で繰り広げられていると錯覚するほどだった。
「関介、もしかして怖いのか?」
ニヤリと小意地の悪い笑みを浮かべ、挑発するように肩を揺すってきた。そこで朝の承芳さんとの約束を思い出した。女らしさを見せない。描写がリアルとはいえ所詮は怪談話だ。こんなので怖がっていたら絶対馬鹿にされるし、なにより僕の負けとなってしまう。
「こっ、怖い訳ないじゃないですか。あんなの子供だましですよ。男の僕が」
「うわぁ! 後ろに女の幽霊が!」
「きゃぁぁぁぁ! 何処、何処ですっ!? ってあれっ? 何も……ない?」
おもむろに振り替えると、承芳さんがお腹を抱えて肩を小刻みに震わせていた。耐えられなくなったのか、ついに思い切り噴き出すと、大笑いしながら転げまわり始めた。こいつ、僕を嵌めやがった。
「ふざけないでくださいよ! 幽霊に怖がったんじゃないんですから、大きな声に驚いただけですからね!」
「はいはい分かったよ。関介は男の子だもんな。あ~面白かったし、もう寝ようか」
それだけ言うと、早々に布団を引いて灯りを消してしまった。真っ暗闇の中では何もできないし、今日のところは大人しく就寝することにしよう。本当に怖かったわけじゃないし、承芳さんとの勝負にも負けたわけじゃない。
「おい関介、何故私の布団に入って来るんだ。狭いじゃないか」
「何ですか、別に怖い訳じゃないですからね? 僕の布団が破れて風が入って来るから、仕方なく承芳さんの布団入ってるのであって」
「分かったから、もう少し離れてくれよ。狭くて寝にくいんだって」
承芳さんはまるで邪魔者扱いするように、僕を布団の隅の方へ追いやろうとした。そうすると布団から足が出てしまうじゃないか。そしたら僕の足を幽霊が……いやそんな事はあり得ないんだけどね。足に冷たい風が吹きつけて寒いじゃないか。
「嫌ですよこわ……じゃなくて、これ以上右にいくと体がはみ出ちゃうんですよ」
「だったら嘘言ってないで、自分の布団で寝ればいいじゃないか」
ぐぬぬ。布団は毎日承芳さんが押し入れから出してくれるため、破れていたなんて見え透いた嘘は直ぐに見破られてしまった。というかこの人、実は僕が怖くて一人で眠れないことくらい気が付いているだろうな。だがそんな事、自分からは口が裂けても言えなかった。何故ならそれを言ってしまえば、負けを認めたことになるし、なによりめちゃくちゃ恥ずかしい。仕方なく自分の布団の中に潜り込むと、出来るだけ布団から身体の一部をはみ出さないよう亀のように包まった。
「承芳さん、起きてます? ねぇ起きてるんでしょ? 起きてるなら返事して」
「早く寝ろ」
ピシャリと言われてしまい、それ以上何も言えなかった。というのも、こんな時に限って全く眠たくならないのだ。怪談を聞いて以降神経が過敏に反応してしまい、風が襖に当たる音や布団の擦れる音が聞こえる度、心臓が飛び出てしまいそうな恐怖に陥るのだ。
暗い天井を見上げるだけの時間がどれくらい経っただろうか。ふと自身の下腹部に嫌な違和感を覚えた。まさに僕が一番恐れていた事態だ。生きている人間である以上避けられない生理現象。そう尿意だ。違和感の覚え始めこそ考えないようにしていたが、今では股間にきゅっと力を込めなければ漏らしてしまいそうなほどの尿意が迫っていた。
いつもだったら、承芳さんを起こして付いて来てもらえば済む話だった。だがそれをすればトイレには行ける代わりに、またあの着物を着なければいけなくなる。その罰ゲームも勿論嫌だけど、それ以上に馬鹿にされるのはもっと嫌なのだ。
すると段々と眠気が襲ってきた。もう眠ってもいいか。なんだか尿意も引いてきた気がするし、何なら身体全体の力が抜けてきた。目の前が徐々にぼやけて行き、最後には暗くフェードアウトしていった。それと同時に、僕の意識はぐるぐると渦を巻きながら遠くへ消えていった。
「起きろって、おい関介っ」
う……んんっ……なんだもう朝か。身体を起こし軽く伸びをする。襖は開け放たれており、外から冷たくて気持ちの良い風が吹き込んできた。それが寝ぼけた頭に丁度良い刺激となり、僕は何度か目を瞬かせた。あれだけ怖がってた夜だけど、結局よく眠れたな。承芳さんの怪談話を聞かされ、布団に包まって天井をずっと見つめていた。その後尿意に襲われ、そのまま眠りに落ちた……あれっ? 昨日の夜、確かに僕は尿意を覚えた気が。そこで僕は気が付いてしまった。考え得る最悪の事態に。
「もういい加減に起きろって! 布団剥がすからな!」
「やめて下さい! 起きますから、その布団だけは」
布団に必死にしがみついて抵抗したが、力で勝る承芳さんには敵わず、遂に布団を剥がされてしまった。承芳さんだけには見られたくない光景が露わになってしまった。
「ったく、無駄な抵抗しおって。何故そんなに布団を……ってそれは……」
承芳さんが見たもの、それは。黄色く湿った股間の部分を両手で必死に隠そうとする、僕のあられもない姿だった。寝間着の股間部分から背中の中央まで満遍なく湿っていた。漏らした時は暖かかったはずの小便も今は冷たく、股間と背中に張り付く衣服の気持ちの悪い感触に襲われた。承芳さんはあまりの出来事に口を半開きにして呆然と見つめていた。それもそうだ、目の前の今年で十八になる人間がおねしょをしたのだから。
承芳さんに見られた恥ずかしさと、この年になって粗相をしてしまう自分の情けなさに、自然と涙が込み上げ瞼から溢れてきた。
「ううぅ、ひぐっ……承芳さんが、承芳さんが付いて来てくれなかったからっ!」
その後僕は、声を上げて子供のように泣きじゃくった。勿論、承芳さんとの勝負は言うまでも無いだろう。
その日の昼下がり、立派な地図が広がった布団を外で乾かしていると、不運にも雪斎さんに見つかってしまい、散々揶揄われてしまった。まだまだ子供ですなと大口を開けて笑う雪斎さんに、返す言葉も無かった。
今日は承芳さんに連れられ、市へ向かう事になった。勿論、夏に買った水色の着物を着て。
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