番外編3 義元の一日
初めての義元視点です。義元から見た関介くんの描写とか、書いていて結構楽しかったのでまたやるかもしれません。
それでは、本編へどうぞ。
1537年 1月 某日
眠たい目を擦りながら布団から身体を起こした。これだけ毎日同じ時に起きていると、自然と身体が慣れてしまうのだと今更ながら実感する。思い切り身体を伸ばすと、思わず吐息が漏れ直ぐに口をつぐんだ。もしや起こしてしまっただろうか。
そっと隣を見やると、一見すると女子と見間違えるほど可憐な青年が、可愛らしい吐息を立てて眠っていた。はだけた寝間着から露わになる透き通るような白い肌、触ると折れてしまいそうな華奢な鎖骨は、初めて見る男であれば間違いなく色情を掻き立てられるような官能さを醸していた。
ただ私は既にこやつが男であると知っている。そんな私に淫らな情が浮かぶわけもなく、このような早い時間に目覚めた私の横で気持ちよさそうな寝息を立てる関介に、若干の苛立ちすら覚えていた。ここは一つ悪戯でもしてやろうかと顔を近づけた時、布団の中が蒸れたのか寝苦しそうに悶え、熟れたいちじくのような唇から妖艶な吐息を漏らした。
「んっ……んふっ……んんっ」
寝ぼけた頭が一気に冴え、顔に血が集まってくるのを感じ、反射的に関介の顔から身を引いた。危うく彼の妖艶さに自我を失いかける所だった。一年間共にした私ですら、こやつが実は女子ではないかと思ってしまう時がある。夜に一人で厠に行けなかったり、やたら裸になるの恥ずかしがったり。そして時折見せる女子にしか見えない仕草が私の脳を麻痺させるのだ。
これ以上この場に居ては変な気を起こしかねないと思い、熟睡している関介を置いて布団から飛び出すのだった。
当主の朝は早い。最初は文句を垂れていたが、一度和尚に大目玉を喰らってからやめた。何でも当主はその家の品格を表すらしい。私に品位の欠片も無いことを知っているだろうに。私の仕事場は畳敷きの部屋に長机が二つと、中々に殺風景な風景だ。寂しさを埋めるように京の知り合いから貰った濃淡鮮やかに彩られた掛け軸を一枚飾っている。それを見る度、去年起こった大乱に胸を痛めるのだ。幸い知り合いは被害を免れたのだが、未だ京には戻れていないという。戦では決して分かり会えぬというのに。人は何故互いを傷つけあう道を選んでしまったのだろうか。私が京に上りさえすれば。ふっと、自嘲気味に笑った。
今日の仕事を確認した瞬間、肩の力が一気に抜けていくのを感じた。それは訴訟のための嘆願書だった。内容としては、冬の間貯蔵しているはずの野菜が日に日に減っていくのを不審に思った商家の主人が、一日中張り込みで監視したところ、農家の娘が盗んでいたという。訴訟人はその商家の主人で、盗みを行った娘に死罪を求めているという。内容だけ見れば娘に酌量の余地は無いのだが、死罪は流石に厳しすぎると思わざるを得ない。それにまだ主人側の意見しか聞いていない。娘の言い分を聞いた上で処遇を決めなければ不公平だろう。
両人の意見を聴き最後に決定するのが私の仕事なのだが、力が抜けた理由はまさにそれだ。私は兎にも角にも、物事を決定するのが大の苦手なのだ。
そろそろか。私は道場の外で、うずうずとしながら待っていた。訴訟人との面会は陽が一番高い位置に来た時と決めたのだが、その前に会いたい人物がいたのだ。私が気を許せて信頼を寄せている人物だ。ふと道場から出て来た彼は、僕を見つけるやいなやころっと顔を綻ばせて近づいてきた。
「奇遇ですね承芳さん、こんな所でお仕事ですか、ってどうしたんです?」
「関介ぇ、助けてくれ~!」
狼狽える関介に事の詳細を伝えたところ、二つ返事で同行してくれることになった。私が困っている時に嫌な顔せず助けてくれる関介には本当に頭が上がらない。
部屋の中には、訴訟人である商家の主人と付き添いであろう妻の二人が東側に、顔を青ざめて小さくなっている少女と日焼けして顔中しわくちゃな老人が西側に向き合うよう座っていた。私の隣には関介の外、訴訟を担当する家臣たちが並んでいる。
主人はどっぷりと肥えた体躯で脂ぎった顔に汚らしい笑みを張り付け、趣味の悪い金色の扇子を見せびらかしていた。隣に立つ妻も主人お似合いの姿で、どれだけ豪勢な生活をしているかが容易に想像できた。一方の少女は、顔は垢だらけで所々穴が開き衣服ともいえないようなぼろ布を纏っていた。失礼だが少し匂う。少女の方を見やる主人は、巨大蛙が獲物を捕らえるように舌なめずりすると、濁っただみ声で言った。
「私共の為に足をお運び頂き有難う御座います。要件は拝聴していると思いますが、是非とも目の前の極悪人には厳格な処罰をお願い致します」
媚びるように喋る主人だが、その姿に傲慢さがにじみ出ていた。気が付いたのか関介も不快そうに顔をしかめていた。だからと言って訴訟に私情を挟む訳にはいかない。私は事実を受け入れ、主人の言う通り厳格な判断を下さなければいけないのだ。
「ご主人の言い分は分かっておる、では今度は其方の言い分を聞こうか」
「義元様騙されてはいけません! あいつは私たち農民の野菜を奪い、高額で売りさばき利を得る極悪人なのです!」
少女は食い入るように叫ぶと、瞼から大粒の涙を溢し悲痛な嗚咽を溢し、隣の老人が心配そうに慰めていた。少女の言い分を聞くと、話がかなり変わってくる。あくまで少女の話を信じるならの話だが。
「黙れ小娘が! 貴様ら罪人の分際で何を言い出すと思えば、盗人猛々しいとはよく言ったものだ」
「両者とも落ち着くのだ。ご主人、もし彼女の主張が正しければ、処罰を受けるのがどちらか分かっているな?」
余裕そうに笑っていた主人の表情に、一瞬焦りのような色が見えたが直ぐに体裁を整えた。この男何か隠しているに違いない。私の直感を後押しするように、関介と目が合うと力強く頷いた。
「机上の言い争いでは解決しそうにはないな。では今から現場へ向かい、両者の言い分どちらが正しいかはっきりとさせようか」
少女の表情がぱっと明るくなるのと対照的に、主人は苦虫を潰したように顔を歪めた。やはり何かがある。もしかしたら、この訴訟だけに終わらない巨大な事件が裏に潜んでいるかもしれない。現場へ向かう前に、家臣の一人にとある役を命じた。上手くいけばよいのだが。
当主になって日が浅いため把握していなかったのだが、現場となった主人の家は町人の中でも有名な豪商らしかった。周りの商家とは明らかに浮いた存在で、確かにこれは何か裏があると言われてもおかしくはなさそうだ。事件のあった倉に通されると、錠は破壊され荒らされたような痕跡が見られた。主人の言う通り、盗みは実際に起きたのだろう。少女は現場を見るや真っ先に中へ入り、一つの野菜を手にした。
「これは私の畑で作った野菜です。これも、これも! 信じてください義元様。盗みこそしましたが、それはこの野菜を奪い返す為の事なのです」
「では、それを証明するための証拠はあるか?」
「そっ、それは……無い、です」
勢いの失った少女は、悔しそうに唇を噛んだ。肩を落とし落胆する姿に、胸が張り裂けそうな痛みが生じた。だが肩入れはだめだ、そう自分に言い聞かせる。公平性を失えば私のやっている事は権力の乱用だ。
「ほうら! その小娘の言う事には証拠がないだろう! この現場が示しているのは、その小娘が私の蔵から野菜を盗んだ極悪人という証拠だけだ!」
ぎりっと歯切りし、主人を睨みつける少女。確かに主人の言う通り、この現場を見る限りでは少女が盗んだという事実しか分からない。
「承芳さん、僕には少女が嘘を付いているようには見えないんですけど。なのに少女が犯人にされちゃうなんて、あまりに可愛そうですよ」
関介は耳元で周りに聞こえないようにそう耳打ちした。泣きそうな、心から心配そうな表情で訴えかけてくる。
「心配するな関介、私に任せておけ」
私の言葉に安堵したのか、関介は控えめに笑いかけた。
「ご主人、その野菜は本当に其方の野菜なのだな?」
「はははっ、そう言ってるでは無いですか義元様。まさか義元様、私を疑っていますか?」
「いや、別に疑っているわけではない。だが一つ約束して欲しい、もし仮に少女の言い分が正しければ其方の財産は全て没収させてもらう。其れでもよいか?」
面食らったように動揺を見せる主人は、苦々しく頷いた。釘を刺しておいた、これでもしもの時の言い逃れは出来ないだろう。家臣はまだだろうか、時間を潰すのもそろそろ限界なんだが。
「もう良いですか義元様! これ以上此処にいても何も出てきやしませんよ!」
「義元様! 言われた通り持ってきましたよ、彼の雇った盗賊が白状した書状」
主人の咆哮を遮るように、家臣が声を上げながら走ってきた。ようやく来たか。盗賊という言葉を聞いて、明らかに焦り始めた主人だがもう遅い。この証拠さえ掴めば、後は判断を下すだけだ。
私は主人の態度や言動を見て最初から怪しいと踏んでいた。また男と妻だけで農村から野菜を盗むことが可能だろうか考えたところ、恐らく金か何かで雇った賊がいるだろうと推測した。そこで家臣に頼んだのは、その盗賊を連れ出し依頼されたと吐かせる事だった。野菜を盗んだ者は白状さえすれば無罪放免という御触れを出させたところ、直ぐに何人かの賊が集まった。そこから一人ずつ尋問させたところ、数人の盗賊が手を挙げたという訳である。
「ご主人、この書面には其方が雇った盗賊の字で、事件を認める旨の内容が書かれているがこれでも証拠が無いと言い張るか?」
目が飛び出しそうなほど睨みつけた後、肩を落としてその場にへたり込んだ。妻が駆け寄り肩を揺するが、死んだ蛙のようにピクリともしなかった。完全に放心状態で、大罪人ながら憐れみすら覚えた。
危く処罰されそうになった少女は、感涙の涙を浮かべ私の元へ駆け寄ってきた。
「義元様、本当に有難う御座いました。これで私の死んだ両親も浮かばれます」
大粒の涙を溢しながら、少女は自身の生い立ちから両親の話まで何度も言葉を詰まらせながら話してくれた。どうやら少女の両親は彼女が十歳の時、川の氾濫に巻き込まれ亡くなったらしい。それからは、生き残った自分と親戚の老人と共に、何とか荒れた田畑を復活させ細々と暮らしていた。だがある時、日に日に畑の野菜が減っていくことに気が付いた。何日か監視をする内に盗賊が盗んでいる事、そして主人がそれを指示していることを突き止めた。そこで主人の屋敷から自身の野菜を奪い返しに行ったところ、捕まってしまい危く罰せられるところだったとの事だ。
関介は少女の話を聞くうちにぼろぼろと涙を溢し、聞き終えると直ぐに少女を優しく抱擁した。繰り返すように安心させる言葉をかけ頭をそっと撫でる。暖かな胸の中で、少女は溜まっていた鬱憤を晴らすように泣きじゃくった。
「其方が立派に成長する事が両親への一番の孝行だ。これから大変な事が何度も起きるかもしれないが、あの田畑を守ってやってくれ。それでもどうも立ち行かなくなった時は私を頼りなさい」
「有難う……御座います」
少女を自宅まで送り館に戻ってきた頃には、すっかり日が落ちきっていた。床に腰掛けるとどっと疲労感が襲い、つい睡魔に屈服してしまいそうになる。だが最後に報告書の作成と仕事が残っているのだ、まだ眠る訳にはいかなかった。
「ふわぁ~、承芳さん、まだ仕事残ってるんですね。折角なんで僕も残ってますよ」
「ふふっ、それは嬉しいな。では私が眠らないための話し相手にでもなってもらおうか」
私は日々のどうでもよい事や、和尚への愚痴をまとまりなく関介に投げかけた。それを嫌な顔一つせず、時折相槌を打ちながら聞いてくれた。そのおかげで、残っている仕事は見る見るうちに減っていった。
最初の内は雑談ばかりだったが、どうしても話題は今日の少女の事に移っていった。
「それにしても、あの少女が報われてよかったですね」
「そうだな。それにあの主人、今後の調査で余罪が山のように出てくるだろうから、また忙しくなるな」
主人の調査は家臣に任せた。残りの罪が全て明るみなった時、男に罪状を言い渡すのだが、今からその事を考えるだけで心が重たくなってくる。
「あの人、どうしてそんな悪い事したんでしょう。もしかしたら彼にも何か事情があったのかも」
「関介、どんな事情があっても罪は罪だ。お前が優しいのは良い事だが、相手の事まで考えづぎては辛くなってしまうぞ」
「分かってますよ別に。説教されるのは雪斎さんだけで十分ですっ」
ふいと顔を背け、畳の上で横になってしまった。関介の小さな背中を見つめ愛おしい気持ちが湧く。彼はこうしてよく拗ねる。幼子のように頬を膨らませてそれがどうも可笑しくて、可愛らしいのだ。
関介を宥めようと背中に声を掛けたが返事が無い。優しく揺すってみたが、やはり反応が無いのだ。回り込んで彼の顔を覗き込むと、愛くるしい寝息を立てて眠っていた。恐らく疲れが溜まっていたのだろう。横になって間もなくで、どれだけ疲れていたのか簡単に理解できた。眠いなら言ってくれればよいものを。押し入れから毛布を取り出し関介の上に掛けた。彼は無意識にか毛布を掴み顔を綻ばせた。それがまた可愛らしくて胸を強く打った。
暫く机に向かっていると、後ろで物音がすると思い振り向くと関介が寝返りを打っていたようだ。
「良かった、良かったです」
瞳からつっと一筋の雫が部屋の暗い明かりに反射して落ちた。私はその雫を優しく掬い舌に触れた。温かく甘い涙だった。
「お疲れ様だ、ゆっくり休んでくれ」
その時関介の首が反応し、まるで頷いたように見えた。彼の横顔にかかる髪を指でなぞる。流れる川のように綺麗で、艶やかな髪にそっと口づけして、私は残った仕事に向かうのだった。
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