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弓取りよ天下へ駆けろ  作者: 富士原烏
16/79

番外編 2 市にて

GWも最後の一日となりましたね。布団に入る前、もしお暇があれば是非一読を…………


それでは、本編へどうぞ

 1536年 8月 某日

 

 前日の雨のせいで日本らしい蒸し暑さが残る8月のある日、僕と承芳さんは城下町にある市をぶらぶらと歩いていた。傾いた太陽の光が家々の屋根に差し、道路には無数の影を作っていた。息を吸うだけで汗が噴き出るような昼間の暑さと違って、影の中は涼しいと言わないまでも幾分かましな気温だった。

 先日川遊びがばれ、雪斎さんからきついお仕置きを受けた。暫くがんがんと頭の中に地震のような痛みが響き、僕は枕を涙で濡らしたまま顔を上げられないでいた。最近分かってきたが、どうやら雪斎さんは僕にも手加減が無くなってきたようだ。

 その時、承芳さんとある約束を交わしていた。いつか市に行ったとき、何でも好きな物を買ってくれるという約束だ。そして今日、やっとその日が来たのだ。雪斎さんは僕が目一杯泣き落としをしたところ渋々ながら承諾してくれた。その代わり美味しい小豆餅を買ってくるよう頼まれた。お坊さんが甘い物っていいのだろうかと思ったけど、断られると嫌なので気にしないこととした。

 

 市には大勢の人々が行き交い、さざめく波のように賑わう声が一瞬も止むことなく響いていた。連なる家々の前には、鮮やかな色の布や髪飾り、そして鼻孔をくすぐる香りが立ち込めていた。僕は目を輝かせながら首をおもちゃのように左右に動かした。

 子供のころからお祭りが好きで、特に出店の出る縁日の日は、まるで遊園地のようにはしゃぎまわったのを覚えている。しかし、中学生に上がると剣道の稽古が忙しいのと、お祭りを楽しむことを少し恥ずかしいと思うようになったのとで、段々と足が遠のいていた。ただやっぱり心の奥底では思い切り楽しみたいと思っているようで、市の賑わいで浮き立つ気持ちを抑えられなかった。

 

 「見てくださいよ、あの串焼き絶対美味しいです! うわぁ、あの風鈴も可愛いです!」


 「お、おい関介走るなって。あぁもう、私から離れるなって言ったろ!」


 「もうっ、そんな子ども扱いしないでください!」

 

 承芳さんが僕の腕を掴んできたけど、僕はそれを振り払って前方へ駆けだした。ぬかるんで不安定な足場を転ばないように進む。跳ね返った泥でくるぶしを汚したけど気にしない。背後で慌てて追いかける承芳さんだけど、ぬかるみに足を取られて上手く走れないようだ。へんっ、大幹を鍛えていた僕に追いつけるわけないでしょ。

 くるっと振り返ると、肩で息をして膝に手をつく承芳さんの姿が映った。ふふふっ、僕を子ども扱いした罰だ。下瞼のふくらみに軽く人差し指を当てて、ぺろりと舌を出しておどけてみせた。


 「ほらほら承芳さん、早くこっち来てくださいよ! 追いつけるものなら、っきゃあっ!」


 再度体を反転させ駆け出したとき、右肩に硬くて重い物がぶつかった。まるでコンクリートの壁にボールをぶつけたように、進む向きと反対方向にはじき返された。唐突に訪れた衝撃に耐え切れず、僕はその場に尻もちをついてしまった。泥の感触がお尻に広がって気持ち悪い。

 見上げるとそこには、がたいの良いおじさんが僕を見下ろしていた。じろりと険しい目つきで僕を舐めまわすように見てきた。心臓が激しく鼓動し、冷たい汗が背中を伝う。大男を前にして足がすくんで立ち上がる事が出来ないでいると、太いごつごつした腕が僕の胸倉を掴んで無理やり引き起こさせた。男自身の目線の高さまで持ち上げられ、つま先が微かに宙へ浮いた。


 「おいてめぇ、何処に目つけてんだ!」


 「ひぃっ……す、すみません」


 男の迫力に圧倒され、情けない声が口の隙間から漏れた。苦しい、怖い。華奢な僕の身体なんか簡単にへし折ってしまいそうだ。

 涙を溜めて真っ青の僕の顔を見つめる男の顔が、不意にニヤリと卑猥に歪んだ。


 「なんだお前、よくみたらいい女じゃねぇか。ぐへへっ、なに悪い事はしねぇよ。ただ今晩俺の相手をしてもらうだけだ。ひひっ、俺にぶつかった事は気にするな、お前の身体で払えば済む話だからな」


 「いやぁ、やめてぇ……むぐっ」


 男の汚らしい手が僕の口を塞いだ。生ごみと汗を混ぜたような強烈な悪臭がした。僕、このまま侵されるのかな。承芳さん……助けて。


 「待ってくれ、そいつは私の連れだ。手を放してくれないか」


 背後から声が聞こえた。今一番聞きたかった声だ。心の中がぽっと暖かくなるような声だった。震えるほどの恐怖心もいつの間にか和らいでいた。

 

 「何だぁお前? こいつの男か?」


 「ちがっ、そ、そうだ。妻は昔から目が悪くてな。此度はこちらが全て悪い、これでどうにか許してはくれないか?」


 承芳さんの手のひらには、金貨が3枚乗せられていた。そんな、僕の為にこんな大金を。


 「ほう!? 金貨3枚か! こんな別品な女とやれるのもいいと思ったが、金貨3枚は悪くねぇな。ふんっ、命拾いしたな。自分の冴えない男に感謝するんだな」


 男は承芳さんの手から金貨を奪い去ると、上機嫌に去っていった。手から降ろされた僕は、その場に膝から崩れ落ちた。嵐が過ぎ去って急に激しい恐怖心に襲われた。承芳さんがいなければ連れ去られ、あの男の汚い肉棒が僕の…………。想像するだけで悪寒が走り、股の間がキュッと痛んだ。


 「大丈夫か関介? ああいった者もいる、今後は私の傍を離れるなよ」


 「ううぅ、承芳さぁん、怖かったぁ……」


 「ふふっ、そんな泣くなって、ほら自分で立てるか?」


 承芳さんの手を掴み、なんとか立ち上がる事が出来た。目を擦ろうとしたけど、指が泥だらけでできなかった。


 「承芳さん、さっき金貨を渡していましたよね? 分かんないですけど大丈夫なんですか?」


 「ああ、あれは粗悪な偽金貨だ。あんな男に本物の金貨を渡すわけないだろう? それに、関介の身体がたった金貨3枚なわけないだろ? 私だったら金貨100枚は出すかな」


 僕の目を見て、いたずらっぽく笑った。そんな歯の浮くような恥ずかしい台詞を。というか僕は男だし、身体とか……。頬が上気して真っ赤に染まっていくのを感じ、すかさず視線を逸らした。


 「…………馬鹿っ」


 俯きがちにそう呟いた。嘘を付くためだとは分かっている。だけどさっき承芳ははっきりと、僕の事を妻と言った。妻という言葉が何度も頭の中で反芻されて、さらに顔が赤くなりもう承芳さんの顔を見る事が出来なかった。


 立ち並ぶお店の一角、今は布を取り扱うお店を覗いていた。家の中には無数の生地が飾られており、桜の模様があしらわれた淡いピンク色や、紅葉柄の紫色など部屋中を色鮮やかに彩っていた。余りの鮮やかさに、自然と口が半開きになりそこからありきたりな感嘆詞が零れた。

 すると店の奥から店主と思われる、結構年のいった男がニコニコしながら現れた。人のよさそうな柔らかい笑顔で、僕の方を見て言った。

 

 「気に入った物があれば言ってくださいね。体の大きさを測って直ぐに仕立てますので」


 「どうだ関介、何か欲しい物でも見つけたか?」


 「いえ、今回は汚れた袴を買いに来たんですから。それにこんな綺麗な着物、絶対僕には似合いませんよ」


 此処に飾られている生地を見ると、確かに可愛いし綺麗だと思うけど、忘れて欲しくない。僕は男だ。ここ重要。

 ただ昔の出来事を思い返してみると、高校の文化祭でクラスの出し物が喫茶店になった時、メイド姿で接客させられたっけ。僕は格好いいタキシードが良かったのに。


 「関介なら似合うと思うけどな。金の事は気にしなくても良いのだぞ? あっ、あれなんか男物だろ」


 承芳さんが指さした先にあったのは、淡い水色の生地だった。涼しげな流水と清々しい朝を思い起こすような朝顔の柄が目を引いた。悔しいけど、すごい可愛いし綺麗だ。だけど、う~ん。男物と言われれば、そう見えなくもない、のか?


 「ええ、お客様に大変似合っていますよ。今すぐ仕立てましょうか?」


 「ああ、頼んだ」


 僕が考える隙を与えず、承芳さんは直ぐに承諾した。その後はあれよあれよと事が進んでしまった。サイズを測られたついでにお尻やら胸やらを触られ、その度に店主は怪訝な表情を浮かべた。その顔はこっちがしたいよ。

 店主が店の奥に姿を消し一時間くらいたったころ、ようやく姿を現した。手招きを受け店の奥を覗くと、そこには仕立て終えた着物が掛けられていた。うん、やっぱり可愛いけど女物な気がする。この店主だって分かっているはずだろうに。


 「それでは着付けをしますね、どうぞこちらへ」


 結局着る事になってしまった。着付けも三十分くらい掛かって、ここまで大変なのかとそろそろ疲れてきた。昔の人は、こんな大変な着物を毎日着ているとかすごすぎる。そして改めて、現代の洋服の有難みを知った。あぁ、ユニクロが恋しい。

 僕はおずおずと店の奥から出てきて、承芳さんの前に姿を見せた。彼はあんぐりと口を開けたまま、じっと僕の方を見つめたまま固まっている。恥ずかしいからそんなにじろじろ見ないで欲しい。

 僕が伏し目がちに視線を外すと、気が付いた承芳さんも慌てて視線を他に移した。彼の耳が赤くなっていたのは、多分気のせいだろう。


 「ど、どうです? その、似合ってます?」


 「かわ、い、いや、大変似合ってるぞ」


 何か隠しているような気がするのは僕だけだろうか。しどろもどろ答える承芳さんを睨みつける。

 

 「いやまさかな、そんな似合うとは思わなくて。驚きのあまり、上手い言葉が出てこないのだ」


 「そうですよお客様、目を見張る美しさです。まるで一国の姫様のようです」


 そんな似合っているのか。……んっ? 今お姫様とか言わなかったか? まさかこの店主、僕の事を女だと。

 そこで僕は思い出した。この店に入ってから一度も僕は自分の事を男だと言っていない。この店主、僕の事を女だと間違えて着付けさせていたのか。あの時の怪訝そうな目線は、僕が女にしては身体に凹凸が少ないからだったのだろう。

 面倒な事になるのを避けるため、適当な返事で誤魔化して直ぐに店を出た。外を歩いていると、明らかに着替える前より視線を感じる。それもなんだかねちっこくて気持ちの悪い視線だ。僕は承芳さんの手を引いて、人気のない路地を見つけて隠れるように入った。


 「どうした関介。こんな薄暗いところには店など無いぞ?」


 「承芳さん、貴方あの店主が僕を女だと勘違いしていると知ってて、着物に着替えさせましたよね?」


 「な、何の事か分からんな~」


 図星か。というより隠す気も無さそうだ。つまり確信犯だったという訳か。


 「もう、やっぱりこれ女物じゃないですか! 僕は普通の袴が良かったのに! はぁ、これじゃあ外に出歩けないじゃないですか」


 「姿を隠すのには丁度よいじゃないか」


 なんだ姿を隠すって。別に僕はスパイでもないし、忍者とかでもない。この人本気で言っているのか?


 「嘘つかないでください。どうせ僕を揶揄うつもりだったんですよね」

 

 承芳さんは一瞬躊躇うように視線をあちらこちらへ向け、意を決したのか僕を見据えて慎重に喋り始めた。

 

 「確かに最初は揶揄うつもりだった。だが実はな、お前が着物を着た姿を見て私…………」


 最後の言葉を躊躇うように飲み込んだ。なんだか煮え切らない態度だ。言いたいことがあるなら、さっさと言ってほしい。そして一発でいいから殴らせてほしい。

 ようやく覚悟を決めて、何処か緊張したように口を開いた。

 

 「私は…………お前の事が好きになってしまったんだ!」


 「はっ? …………って、えええぇぇぇぇ!」


 この人は何を!? 承芳さんがの僕の事を? その時もう一度思い出した。男から庇ってくれた時に聞いた妻という言葉を。承芳さん、もしかして本当に僕の事を?


 「いやいやいや、ちょっと待ってくださいよ! 僕ら男同士だし! でもそういう恋愛もあっていいというか、でも僕は承芳さんの事を、ええとその」


 「くくくっ、あっはっはっはっ! 嘘に決まっているじゃないか。 あはははっ! なんだその慌てぶりは。いかん、お腹痛くなってきた」


 嘘? 承芳さんが僕の事を好きと言ったのも全部。という事は、やっぱり着物を着させたのも、謎に変な態度を取っていたのも、全ては今こうして僕を揶揄うための演出だったのか。

 目の前で爆笑する承芳さんを見て、腹の底から怒りが湧いてきた。だけどだめだ、このまま感情任せに怒っても、いつもみたくいなされるだけだ。彼がそんな演技するなら僕だって。


 「そんな……僕は承芳さんの事…………もう、いいです」


 僕は顔を両手で隠して身を翻した。背中の笑い声がすっと消えて、次に困惑した声が聞こえてきた。


 「えっ、関介? 冗談だよな、なっ? お、おいちょっと、何とか言ってくれ!」


 悶々と頭を抱える承芳さんを背中に、僕はぺろりと舌を出すのだった。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

読んで頂いただけで嬉しいです。

感想や、評価していただけるともっと嬉しいです。

続きを読んで頂ければ号泣します。

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