番外編 災い転じて
お久しぶりです。就活で忙しくて……まぁ言い訳ですけど。
折角のGWという事で、いくつか番外編を投稿しようと思ってるのでお楽しみに。
それでは、本編へどうぞ
1536年 8月 某日
暑い。それ以外の感情が浮かんでこない。身体中の穴という穴から汗が噴き出てくる。誰も見てなかったら全裸で外に飛び出したいくらいだ……勿論嘘だけど。
「関介もう十分だろ、早く団扇を返してくれ」
「えぇ~、まだ全然使ってないじゃないですかぁ」
冷房どころか氷を作る事すらままならないこの時代において、暑さを紛らすためには風を自力で生み出す外ないのだ。それが現代では扇風機にその地位を譲った懐かしの団扇という訳だ。自動に風を生み出すハイテクな機械はまだまだ先の話で、今はこうして腕を上下左右に必死に動かして涼をとっているのだ。
そんな団扇ですらこの部屋に一つしかなく、僕らはこの砂漠のオアシスのような団扇を奪い合うようにして使っていた。
「ちょっと! 暑いから近づかないでくださいよ!」
「そしたら関介がずっと使うではないか! いいから渡せ、その団扇は元々私の物だぞ!」
強引に団扇を取ろうと無理やり身体を寄せてきた。それを受け止めきれず、承芳さんの下敷きになるように倒れた。承芳さんの手が団扇を持つ腕を掴んできて、振り払おうと腕を思い切り振った。一進一退の攻防は続き団扇の取り合いが激しくなる中、何かが折れるような乾いた音が部屋に響いた。その瞬間僕らの動きが同時に止まり、おもむろに顔を見合わせた。
そして二人して恐る恐る手元の団扇を覗くと、持ち手の部分が根元から真っ二つに折れていた。これでは仰ぐことが出来ない。僕らの神器はあっという間にガラクタになってしまった。
「何てことしてくれるんだ! 団扇はこれ一つしかないのだぞ!」
「う、うるさいっ! 承芳さんが無理やり取ろうとしたのがいけないんでしょ!」
残された無残に壊れた団扇を投げつけた。床にぶつかって団扇の骨が折れる虚しい音が響いた。
それを見た承芳さんは、真っ赤な顔で詰め寄ってきた。鼻が触れそうな距離まで近づいて鼻息荒くすごんできた。
「そうやって物を大切にしないのが悪いんだろ! 関介は幼すぎるのだ!」
お、幼い!? 無理やり奪おうとしたのはどっちだ! しかもこっちはちゃんと時間も守ってたじゃないか!
流石に僕も腹が立ってきた。ふつふつと頭の血が沸騰して、目の前が真っ赤に染まる。僕は目の前に立つ承芳さんを突き飛ばして、胸に溜まった苛立ちを吐き出した。
「餓鬼はどっちですか、あぁんっ? こっちは暑さでイライラしてるんですよ。これ以上ごねるならたとえ承芳さんでも手出しますよ」
「私に手を出すとか、今川を敵にするようなものだからな!」
「はぁ? 何言ってるんですか。僕はもう承芳さんを特別扱いしませんからね。だから今そんな話を持ち出しても僕には効きませんよ」
「むぅ~」
そんな顔を膨らませて目を潤ませてもだめだ。ったくこの人は。権力をかざしたり、感情的に怒ったり子供なのはどっちだ。いやまぁ、僕もあまり人の事を言えないかもしれないけど。
暫く睨み合いが続いて、室内はお互いの熱でむわっと熱されていった。どうしてこんな暑い日に、喧嘩なんてしなければいけないんだ。
先に音を上げたのは僕だった。強張った肩の力を抜いて、手を前で振って降参の合図を取る。
「はいはい、もう終わりにしましょ。どうせ喧嘩しても団扇は帰って来ないんですから。無駄な体力を使わないに越したことはないですよ」
「それもそうだな。ここは関介が悪いという事で」
まだ言うか? 僕が刺すような視線を向けると、顔を引きつらせて視線を逸らした。どうやら僕の殺気に気が付いたようだ。余計な事は言うもんじゃない。
「ああそうだ、どうだ関介。折角なら川に行かないか?」
逃げるように話題を変えた。それは意外な提案だと思った。ただこれは現代だから言える事で、戦国時代で涼むために川へ行くことはそんなおかしな事でもないのかもしれない。
僕は二つ返事で承諾した。承芳さんは餌を前にした小型犬みたいな無邪気な笑顔で飛び跳ねた。
「それで、いつ行くんですか? もう少し日が落ちてからとかですか?」
「ん? 今すぐだが?」
「へっ? こういうのって許可とかいらないんですか?」
腕を組んで一瞬考えるようなポーズを取ってすぐに視線を上げる。にんまりといやらしい笑みだ。なんだか嫌な予感しかしない。
「見つからなければ問題はない」
唇の前で人差し指を立て、得意げに言った。見つからなければ…………ね?
「それ関介、気持ちいぞ! お前もこっちへ来い!」
「そんなはしゃいじゃって。びしょびしょのまま帰ったらばれますよ?」
この人、お忍びで来てること忘れてないか?
あの後、誰にもばれずに館から脱出することには成功した。笠を目深く被り、町人を装って抜け出すことが出来たのだ。ただ館の外の町民、農民の人の目をかいくぐる事は不可能で、何かあったらしらを切るよう頼んでおいた。
川の水は汚れを知らない透明に澄み切って、なにより冷たくて気持ちよかった。人の手に触れない大いなる自然の育んだ水が、こんなにも美しいのかと感動すると共に現代の汚れた川を思い出して少し胸が痛んだ。
「ここ安部川はな、長年今川の地を豊かにしてきたんだ。雨の時期になると途端に暴れだすが、我らはこの自然と上手く付き合い利用してきたんだ。まさに、命の水だな」
「命の……水ですか。確かに、冷たくておいしいです。この水で育った野菜はそれは美味しくなりますね」
手で掬って透明な水を喉に通した。柔らかく撫でるように食道を伝い、胃の中に届いた冷水は身体全体を冷やしてくれた。まさに命がみなぎるような感覚を覚える。
「気持ちいです、わぷっ!」
「はははっ! これで関介も私と同じ水浸しだな」
僕をずぶ濡れにさせた張本人は、指をさして笑っている。やろう、やってくれたな。どうせこのまま帰ったら二人仲良く怒られるだけだ。だったら、もう気にすることは何もない。
「承芳さん、それは宣戦布告と見てもいいですよね?」
「やっとやる気になったみたいだな」
僕は濡れる事を全く気にせず、水の中に飛び込んだ。水をかき分け承芳さんの腕を掴むと、水の中に引きずり込んだ。互いの攻防戦は日が傾くまで続いた。ようやく川遊びが終わった頃には、二人そろってびしょ濡れだった。お互いの有様を顔を見合わせて噴き出した。
いつの間にか夏の暑さも和らぎ、肌に張り付いた布で少し肌寒さを覚えていた。
「いやぁ、久しぶりに川に入った。楽しかったな、関介」
「団扇が壊れた時はどうなるかと思いましたけど、まさに災い転じて何とやらってやつですね」
帰路に就く頃には、ふたりして上機嫌な足取りで歩いていた。僕らが館を出た経緯などすっかり忘れて、これから確実に訪れる出来事など微塵も気が付いていなかった。災い転じてやって来るのは福とは限らない、場合によってはさらなる災いを呼ぶこともあるらしい。僕らはその事を身をもって知る事になる。
館の入り口の門が現れた辺りで、その傍に人影のようなものが見えた。最初はお迎えかなとか思ったが、直ぐに自分の勘違いだと気が付いた。
「ほう、二人して随分と愉快ななりではないか。館を抜け出して何をしていたかなど聞く必要もなさそうだな」
そこに立っていたのは、張り付けたような笑みを浮かべる雪斎さんだった。ただし笑っているようで、禍々しい黒いオーラを纏っている。今に背後から夜叉が現れて、僕らの喉元を掻き切ってしまいそうだ。
承芳さんと無言で目配せすると、僕が一歩前に出て雪斎さんの目を見つめる。
「勝手に出たのはごめんなさい。でも今日に限っては余りに暑くて」
「暑かったら勝手に館を抜け出していいんですか?」
「ひぃっ! す、すいません……」
静かだけど有無を言わせない威厳がある。怖い。眼球を貫かれるような視線に、言葉の端が涙声で濁った。
「和尚、関介は私が無理やり誘ったんだ。だから此度の責任はすべて私にある」
「であったら、お前のせいで関介殿も説教を受ける事になるのだ、反省しろ」
取り付く島も無いとはこのことだ。これは覚悟を決めたほうがよさそうだ。雪斎さんがゆっくりと歩み寄ってくる。僕はキュッと目を瞑り前身に力が入る。
「ただ、確かに今日の猛暑は情状の余地があるやもしれぬな」
という事は……もしかして僕ら許されたのか?
「今日は拳骨五十回で許してやるとしよう」
勿論許されるわけも無かった。嘘だろ、あの拳骨を……五十回も。
「あのぅ、許してくれるんじゃ?」
「んっ? ですから五十回で許すと言っているのですよ?」
「あははは~、ですよね」
その日城門前で、二人合わせて百回の悲鳴と鈍い音が響いた。
部屋に戻ると、早速布団の中に顔を埋めた。まだ頭がひりひりする。
「ぐすっ、ひぐっ、承芳さんが川に行きたいって言ったんですからね!」
「謝るから、そんなに泣くなって。今度市で何でも買ってやるから」
「絶対ですよ!」
今日は散々な一日だった。災い転じても災いとなるだ。
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