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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

与えのスイカ割り 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 みんなは「見かけ上の力」というと、何を指すかはわかるかな?

 お、よく知っていた。「遠心力」のことだね。

 わかりやすい例のひとつに、カーブを曲がる自動車がある。みんなが車に乗っているとき、車が左へ曲がっていくと、乗っているみんなの体は反対の右側へ引っ張られるだろう。

 ざっくばらんにいえば、このときの右側へ引っ張られる力が「遠心力」といわれる。外から見る人には観測が困難で、力を受ける当人のみが実感しやすいもののため「見かけ上の力」と称されているわけだ。


 当人の感覚によってしか、判断のできない事象。こいつが科学の発展する前の時代に、納得してもらうのは困難だったろう。

 ごく平凡な人が体感し、ややもすれば時の流れに埋もれていってしまったケースも多いと思う。

 今回はそこから、幸いにもタネが推測できたために、掘り起こされた一件をみんなに聞いてもらおうかな。



 むかしむかし。先生の地元にスイカ割りの風習が、生まれて間もないころだったという。

 スイカ割りの起源は中国にあり、一説によると、もともとは戦の前に罪人を頭だけ出して生き埋めにし、そこを殴打するという儀式だったとか。

 そのむごさを相手に見せつけ、士気の低下を狙うという目的があったようだが、それは残虐だろうと、かの諸葛亮孔明がスイカにさせたとのこと。まんじゅうの件といい、事実だったらいろいろな影響を生み出しているんだな、この人は。


 そうして伝わってきたスイカ割り。

 競技の参加者が目隠しをし、ぐるぐるとその場で回った後、周囲の人からの声を頼りに、目標とするスイカへ向かっていく……という流れは、おおむね共通しているだろう。

 この目隠しして、ぐるぐる回されても足元が落ち着いている者は、船に乗っても酔いにくいのだという。その平衡感覚の養いは、海沿いで何かと船に乗る機会も多かったと伝わる、先生の地元でもありがたかったのは、想像にかたくない。

 

 場所は村民たちが釣りに臨むこともある、岩場の近くだ。

 自然の気まぐれによって生まれた凹凸ある壁面は、手足をかけてのよじ登りを可能とし、一番の高所で3丈(およそ10メートル)あまりの高さを持つ岩のてっぺんは、「し」の字に曲がりながらも長く連なっている。

 あの壁にしても、ところによってはてっぺんの1丈あまりを残して大きくくりぬかれ、橋のような姿となった箇所もあった。

 その真下の影となる部分が、直射日光を避ける遊び場として、子供たちにありがたがられていたんだ。

 しかし、ある時からこのスイカ割りの際に、不可解な証言が聞かれるようになる

 

 きっかけは、とある参加者の少年の一打。

 彼はこれまで、好んで何回もスイカ割りに参加していたが、その平衡感覚の悪さは、まずいと歩くどころか、その場でぶっ倒れて動けなくなってしまうほど。

 おおよそ競技に向くとは思えないが、彼は毎回のように参加しては、一番槍を志願したという。はた目には体調を崩しかねないほど相性が悪そうかつ、実際の結果もお世辞に良いとはいえないほど。

 なのに当人は何度やっても、おじけづく気配を見せず。「下手の横好きというやつか?」と周囲の者はひそひそと話をしていたそうな。

 

 その取り組みが、今回は違った。

 またも自ら志願した一番手。目隠しをして、そばに立つ者が体を回すに、たっぷり15度。

 手を離しても、今回の彼は倒れなかった。スイカは彼の右側、およそ直角に曲がった先にある。

 ひとまず、そちらへ向かせねばとみなが声を出しかけるより前に。

 彼は動いた。ずいっと右へ90度、体の向きを変える。ちょうど正面にスイカを見据えるかっこうになり、みなも「おや?」と思った。

 いかに慣れた者でも、誰にいわれるでもなくスイカへまっすぐ向き直るなど、これまで一度もなかったはずだ。

 よしんば、同じ方向へ向けたとしても、その足先はまっすぐ進めば、スイカから外れるものばかり。だが今回の少年の合わせは、あまりにぴったりだった。


 周りが戸惑う間に、目隠しした彼は手の棒を大上段に振りかぶる。そのまま、だっと前へ走り出してしまった。

 これもまた、誰の指示を受けるよりも前にだ。たとえ指示があったとしても、スイカの踏み越えるのを恐れて、誰もがその歩みはゆっくりなものになる。それが彼は、迷いのない全力疾走を見せたんだ。

 よもや、と思う間に予想は現実へ早変わり。彼はただの一刀でもって、スイカをたたき割って見せた。

 方向、間合い、力の入れ方。すべてが完璧。

 真正面からいい一撃をもらったスイカは、その丸い体でもって受け流すこともできなかった。皮を割られ、果肉を飛び散らせて、敗北した証である自らの内部を、衆目へさらすことになる。

 どよめきが、みなの間から起こった。

 割った当人はというと、目隠しを外してスイカの状態を確かめたのち、にっこりとわずかだけ笑って、すぐ素の表情へ。

 賞賛したり、タネを探ろうとしたりするみなの言葉を適当に受けつつ、応援する側に回ったとか。



 まさか一撃でこうもきれいに割られるとは思わず、その日のスイカ割りはこれで終了と相成る。

 しかし翌日以降、彼以外にもはかったように一太刀で、スイカを打ち割る者たちが頻発しはじめ、スイカが複数個用意されることに。

 成功者の談によると、この手本のような割り方ができるとき、目隠しして回る段階で見当がついてしまうという。

 回転の際、外へ引っ張られる力を、いつもより強く感じるのだとか。倒れるほどではないが、はっきりと体感できるほどだという。

 そうすると、意識がすっきりする。同時に平衡感覚なども研ぎ澄まされ、真っ暗な視界の中で、火のついた炭のごとき熱を、顔の皮膚が感じ取るのだとか。

 熱を感じるほうこそ、スイカのある方向。そちらを向ききると、今度は強い光を見た後に浮かぶ、残像のような景色が脳裏を走り、目隠しする前の地形やスイカの姿が現れるんだ。

 こちらが動けば、景色も動く。あとはそれに従い、棒を打ち下ろせばいいのだと。


 話を聞くだけではまゆつばもの。しかし体感したなら、それが嘘でないことははっきりわかる。

 この恵みは、日によって無作為に与えられるらしい。経験者であろうとも、まいど恩恵にあずかれるとは限らない。そのぶん、誰にでも起こる可能性があり、未経験者はぜひその恵みを味わおうと、積極的に割り役を望むようになったらしい。

 そうして大半の子供たちが、一度はこの不思議な感覚を体験したころ。

 子供たちがスイカ割りをする頭上、岩のてっぺんでもって、ひとりの釣り人が岩の端から糸を垂らしていた。

 岩は一番高いところこそ3丈だが、全体で見れば傾斜があり低いところはさほど苦労せずに登り切れる。海にせり出す端の方なら特に高さも低くなっており、度胸はいるが人の飛び込みに使えるほどだったとか。

「し」の字の曲がり具合も手伝って、釣り人の位置からスイカ割りに興じる子供たちの様子も見られる。

 竿一式にはなかなか魚の反応がなく、待ちついでに釣り人は、ぼんやり子供たちの方を眺めていたのだとか。


 ちょうど、子供のひとりが目隠しをされ、回り始める段になる。

 くるくるとその場で回転を始めるも、同時に釣り人の耳へ、波の音にくわえ甲高い音が飛び込んできた。

 つい耳をふさぎたくなる不快さは、刃物で硬いものを削りかかるときの、刃の叫びに似ていた。それも、出どころが自分の腰かける場所にほど近い。

 釣り人が周囲を見回してみると、あぐらをかいている右ひざをかすかにかすめ、飛んでいく小石たちの姿が。

 向くと、腰を下ろした自分とほぼ同じ大きさの岩の根元が、しきりに細かい石を吐いているんだ。あの刃物で切るような甲高い音を響かせながら。

 そうっと釣り人が、小石の吐かれるところをのぞいても、そこに生き物や道具の姿はない。

 ただ岩そのものが、音を立てて自分の身を削り、石を飛ばしているんだ。


 ふいに石吐きがやみ、釣り人が振り返ってみると、目隠しされた子供はもうスイカめがけて走り出していた。

 振るう棒はあやまたずスイカをとらえ、ここからでも分かるくらい、はっきりとした果肉を浜へ散らした。

 ひとしきり喜んだ彼らは、やがて新たなスイカを設置し、新たな挑戦者が目隠しをしていく。

 その間、釣り人は岩へ手をやって、思わず体勢を崩しかけた。

 岩はいまにも転がり落ちそうなくらい、不安定だったんだ。よくよく見ると、岩の根元へ沿うように、細くも深い深い溝ができていたんだ。針先を使ってこさえたような、ややもすれば見落としてしまうほど目立たないものだ。

 先ほどの石も、その先から飛び出してきた。すでに岩の根元は、分離寸前といったところまで溝を刻まれていたのさ。


 ほどなく、再びの石吐き。振り返ると、また目隠しされた子が、くるくると回っていた。

 その一回りのたび、岩がおのずと削れて石を吐く。より溝を伸ばしていくその行いに、釣り人はつい、うなりながら腕を組んでしまう。

 彼も子供たちのスイカ割りどきに降りる、天恵のことは聞いている。だが、それは天からではなく、この岩からではないだろうか。

 子供たちの話す、回ると生じるという、外へ引っ張られる力。それは天ではなく、この岩に吸われていたのではないかと。その見返りに、岩がここより見える景色の知識をもって、彼らに教えていたのだとすれば……。


 それから、目隠しした子がスイカをとらえるのと、ほぼ同時に。

 いよいよ支えを失った岩は、釣り人の前でぼろりと転げて、そのまま海へ落ち込んでしまった。溝に隠されていた根元部分には、まるで血のように赤黒い液体がべったりくっついていたらしい。

 そのときから、スイカ割りの面々に天恵が降りることは、ぴたりとなくなったんだ。そして数十年後、子供たちが世を去った際に、荼毘に付された体からは骨に交じって、焼け残った岩の破片が散見されたとか。

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