【第二局面③】
混乱していた人たちが徐々に正気に戻りつつあり、みんなの怪我もそれなりに治ってきている。
それでもまだ逃げてくる仲間がいるのでスチュワードもマグダもトゥイーニーも、たった三人でディーヴィ軍を押し返していた。
そこでふと僕は、傷だらけになりながら逃げてきた女の子に目が向いた。
三角の耳が生えた獣族の女の子は、血でわかりづらくなっているけど目尻に赤く太い線が引かれていて、ディーヴィになっていたあの魔獣族の男性と雰囲気がよく似ている。
「あの、ルルゥさん」
「はい。どうかしましたか」
「僕の勘違いかもしれませんが女の子が……」
僕が言い終わる前に結界内に入ってきた女の子は、戦えそうにない細い手足で馬車を素早くよじ登り、僕とルルゥさんの目の前に立った。
「ぼくらはボギー。ヴァンブラッドの女、ぼくで死んで?」
その瞬間女の子が黒焦げになった死体に変わり、馬車周りの風景が赤く黒く焦げ臭く変化した。
「あ……あ……」
あの、光景だ。僕が死んだあの歪んだ赤と黒の世界。人の形に黒くなったものが燃え上がる赤い地面のあちこちに横たわり、僕の体もボロボロと崩れる炭みたいになっている。
隣にも頭を抱え込む黒いなにかがあって、僕の腕はそれに掴まれていた。
「あ……っ!あっちへいけ!僕に触るな!」
振りほどきたくても力が強くて逃げられず、黒いなにかの頭がギギギとゆっくりこっちを向く。
目は無い。元々鼻や口があったところには崩れかけの小さな穴しかない。そんなものに見つめられて僕はお腹の底からありったけの叫び声を上げた。
なにかの手を振り払うために暴れて、喉が潰れてしまえと思うくらい泣いて叫ぶ。
「おーい、落ち着け。大丈夫だって」
耳元で青年の声がした。
「それは幻覚だから、ちょっと目を閉じてゆっくり呼吸しようか」
「離せ!離して!」
「大丈夫、大丈夫。もう怖くない、つよーいボクが助けにきたよ。ボクがわかる?」
目を無理矢理覆われて世界が真っ暗になり、柔らかいなにかが頬を撫でている。ネーロ、さん?
「それは確かに怖いものだけど今はみんながいてボクがいる。こっち戻っておいで」
荒かった呼吸が段々元に戻ってきて、破裂しそうなくらい脈打っていた心臓も落ち着きを取り戻す。ネーロさん、ネーロさんか。
「いい子だね。手を離すよ?」
目を塞いでいたのはネーロさんの手だったみたいで、覆いが無くなると少し眩しい結界の光と心配そうなルルゥさんが見えた。
椅子に座っていたときよりも視界が低くて、尻餅をついたのかと立ち上がろうとして背中にある温かなぬくもりと、僕に巻きついている二本の腕に気づいた。
「ほんとにカルは弱いんだね」
鼓膜に声が響き、それでようやく僕は後ろからネーロさんに抱き締められているのだと知った。頬の辺りにゆらゆら揺れる黒い尻尾が見える。
「暴れるから仕方なく、だよ?」
「カル様……大丈夫ですか、わかりますか」
「大丈夫、もう大丈夫です。まさか、自分が体験するなんて……思わなかったです」
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