欺瞞のピエロ VIII
好きな作曲家はリムスキー・コルサコフ
かわいがってください。
犠牲者を出さないためにはまず、己を犠牲にする覚悟が必要である。
彼女には、そのような立派な覚悟はない。けれどもそれは別段悪いことであるとは思わない。他人を助けることさえできるなら、自分はどうなってもいいという考えを起こす事は、とても正気の沙汰ではないと、僕は思う。自分を殺しても構わない人間が、他人を生かすことなんて到底できやしないのだ。そもそも、犠牲者を出さないと言って人を助けたが、代わりに自分が犠牲者になってしまったとか、結果的に犠牲者が出てしまったではないかと言いたくなる。
諦めもまた、肝心なのだ。
どうしても人を助けたいと言うならば、自分を窮地に立たせてはならない。
しかるがゆえに、僕は、怯えて人を救おうとしない彼女を責立てる気にはならなかった。むしろ矜恤してあげたくなる気になった。
「......ごめん」
と、僕は彼女に対して詫び言を零した。
慮らずに、感情的になって彼女を咎めた僕が悪い。
「謝罪なんて不要だわ。謝罪するくらいなら、そこをどいて。力が暴発する前に瀬戸ケ谷和也を仕留めなければ、あとが面倒になる」
「ちょっと待って」
「なによ」
「僕、君と協力したい」
「どういう風の吹き回しかしらね。さっきは私を止めていたのに、今度は協調を示してくるだなんて、おかしいわ。なにか企んでいるとしか思えないのだけれど」
「協力して瀬戸ケ谷くんを殺そうとは一言も言っていない」
「じゃああんたと私が協力して、一体なにを為そうというの?」
「瀬戸ケ谷くんを助けることさ」
「暗愚ね」
彼女は、あたかも呆れ返ったかのように首を傾げて、僕を見つめた。
「それだったら協力せずとも、私一人でもう充分に為せることよ。あんたが協力すると却って足手まといよ。それから、却って悪い結果を招くことになるかもしれないわ」
「悪い結果?」
「聞くまでもないでしょう?あんたみたいな平々凡々な人間がなにができるというの?瞬殺されてお終いよ、無駄死によ犬死によ」
「......」
そこまで言うか。
「はよ死ねよ」
「ねえ、今最後にとんでもなく悪辣な命令形が聞こえたんだけど」
ひどいを通り越してあくどいぞ。
君の親は僕にでも殺されたのか
「そして、瀬戸ケ谷和也の実存している心像の無力化に失敗した私が死んだら、死者が二人になるわ。まあ、もっとも、人間たちは私の死には気づかないでしょうけど」
「大丈夫、死ぬつもりはない」
「ノープランなんでしょ、どうせ。そう自信満々に『僕は死にましぇん!!』と言われても、響くものはない」
「僕は武田鉄矢かよ」
何回目のプロポーズだ、それは。
「......僕は、本当に何もできないのか?」
「......できないことはないわ。実際過去に前例があったらしいし」
「前例ってなに」
是非詳しく教えてもらいたいものですな。
「昔、不運にも誘拐された二人の子供がいてね。そのうち一人の子供が、監禁されていた時、実存している心像の力を発現させたの」
「......それで、どうなったんだ」
「誘拐犯はその力に巻き込まれて即死。力を察知して駆けつけたとある人間心理観測者は、もう一人の子供と連携して、暴走している子を止めた。そういう話が本当にあったらしいわ」
「ふうん。でも連携ってどういう連携なんだ。どうやってその子供を無力化したんだ?」
メソッドがいまいち掴めないな。
「その説明はまた今度よ」
「え?」
「二人でやるとなると、術式の準備に時間がかかるわ。今説明して、後日忘れられたら堪まったものじゃない」
「そうか......でも、君はなんで急に僕と協力する気になったんだ?」
結構ダメ元で協力を願い出てみたのだが、まさか斯くも容易に承諾してくれるとは思わなかった。
「あんたが邪魔してくるからでしょう?本当だったら、邪魔なあんたをぶっ殺したあとに瀬戸ケ谷和也をぶっ殺したいわ。だけれど、いかんせん、抹消対象外の人間は殺しちゃいけないからねー。だから、あんたが邪魔してくる限り、私は迂闊に瀬戸ケ谷和也に手を出せないの。それに......」
彼女は僕を恨めしい目つきで睨みつけた。
「私があんたの意見に馬耳東風になり、強引に瀬戸ケ谷和也を斬りに行くわけにもいかなさそうだしね。あんたが瀬戸ケ谷和也を庇って私に殺されるかもしれないから」
「買いかぶり過ぎだろう。僕はそんな主人公っぽいことはしない」
護る対象が瀬戸ケ谷和也ならば、なおさらしないだろう。
「人間心理観測者を舐めないで。人の心を読むことなんて私にとっては造作もないことなのよ。わかるのよ、すけすけなのよ、あんたの心。あんた、絶対にあいつを庇うわよ」
さすが、人間心理観測者という呼称は伊達ではないということか。
「......」
「あんた、ツンデレなのね」
「なっ」
虚を衝かれたように、僕の表情は固まった。
「男のツンデレなんてノーサンキューだわ」
「なんだと!ていうか僕はツンデレなんかじゃない!」
「そう言う時は、『ツンデレなんかじゃないんだからね......!』でしょ?」
「ちょっと待って!僕がツンデレキャラであるという前提で話を進めるな!やたらと僕をツンデレキャラとして定着させようとするな!」
しかも、『ツンデレなんかじゃないんだからね......!』って。
どう見てもツンデレです。本当にありがとうございました。
「まあ、ともかく」
彼女はいつの間にか脱線していた話を、元の軌道に修正した。
いや!まだ修正するには早すぎる!
その前に僕はまず否定すべきことがある!
彼女とあれこれ侃侃諤諤と論争しても時間の無駄だろうから、地の文で言っておくけど、僕は断じてツンデレキャラではない!
以上である!
「二日後に瀬戸ケ谷和也の実存している心像無力化の術式を始めるから、今日は解散。じゃあね」
「あ、ああ......じゃあね......いや、待て!」
「なによ、きっぱり別れようとせずネチネチくっついてくる男は、これからの恋愛うまくいかないわよ。女に嫌われる暗い一生を送る羽目になるわよ」
「君と恋愛関係になった憶えはない!あと、余計なお世話だ!」
間違っても恋愛関係にはならない。
「どこに帰るの?君は」
「帰る場所なんてないわ。野宿よ」
「......野宿って。どこで野宿する気なの?」
「そうね......あそこの豪邸の庭の芝生とか、結構寝心地が良さそうね」
「それは野宿じゃなくて不法侵入だ!」
「建物内に入ってないだけいいじゃない!」
「いいわけないだろう!」
ていうか寝心地が良さそうって......なんか泣けてくるんだけど。
「僕の家に泊めてあげるから、来て」
「未成年者誘拐罪が成立する危険性があるけど、いいの?」
「人間に通用する法律だ、それは。君は人間じゃないんだろう?」
「なるほどね」
「第一、誰も君を視認できないんだ。僕が君を泊めていることが露呈することはない」
「ふん、思ったよりも頭がいいみたいね」
「僕はどれだけ頭が悪いと思われてたんだ......?」
「月極駐車場のことを、月極駐車場と読んでそう」
「馬鹿にし過ぎだろう......全く」
へえ......あれ、月極じゃなくて月極と読むのかあ。
勉強になるなあ......
その後、僕は彼女を自宅へと連れて行った。