二度目のタイムスリップは平安時代〜がんばってみんなを料理で幸せにします!〜⑦
前回の続きです。
夕方、瑞貴が帰宅し、なんとなく凛桜がいるであろう厨に足を向けると、その惨状ともいえる光景に目を丸くした。
竈門の上には大量の果物や食材植物の葉、いくつもの大ぶりのお椀の中にはなにか一つずつ色違いの液体が入っている。
それらを前に、凛桜が顎に手を添えなにやら考え込んでいた。
「お、おい…今度はなにをやってるんだ?」
瑞貴が帰宅したことに気付いていなかったようで、凛桜はびくっと肩を揺らした。
「お、おかえりなさい。ちょっと試作してて」
「試作…なんのだ?」
それに、彼女は一つのお椀を残して他のものを片しながら口を開く。
「美月さんから、すこし変わった椿餅を食べてみたいと言われたので、なにかいい組み合わせはないかなって思って。いろいろ試してみた結果、これが一番美味しいかったです」
すっと差し出されたその中身を見ると、中には水の中に浮かんだしわの寄った桜が入っていた。
「桜…?」
「の、塩漬けです」
にっこりと満足げに笑う凛桜に、彼は目を瞬かせる。
「ふむ…」
「それでですね、桜の塩漬けを水に溶かしておいて、その水をすこし甘葛煎を作る時に混ぜ込んでおくんです。そうすると、すこし桜の香りが移るんですよ。それで、お餅を作るときにも生地に塩漬けを細かく刻んだものを練り込むと、桜特有の香りと爽やかさによって新しい…」
じっと、無言で見つめてくるので、さすがに不思議に思って言葉を切る。具合でも悪いのだろうか。
「あの、どうかしました?」
(そんなに見られると、居心地悪いんだけど…)
眉を寄せ首をかしげる凛桜に、逆に瑞貴が首を傾げた。
「その唇、美月がやったのか?」
「唇…?」
指摘されて、そっと自分の唇に指を添える。と、何かが付着したので、あ、と声を上げた。
「そういえば、さっき美月さんがつけてくれたんでした。忘れてた…」
ずっと試作を作り続けていたので、唇の違和感などすぐに消えてしまっていた。
すこし指に付着したそれを手拭いで拭って、それを袂に仕舞う。
「着物も似合っている。俺は女性に着物を見繕ったことなどなかったから、気に入らなかったらどうしようかと思っていたのだが…」
「ああ、いえ。とても気に入りました。きれいですね、これもあとの三着も。ありがとうございます。大切に使いますね」
そう言って笑う凛桜に、彼は満足げに笑った。
「それで、椿餅の試作は成功したのか?」
「はい。食べてみますか?」
それにうなずいて、皿にのった薄桃色をした椿の葉に包まれたそれを手で掴み、口に運ぶ。
「…うまい。いいな、これ。桜の香りがいい刺激になっている」
「でしょう?私も結構うまくいったなって思ってたんです。今日の夕餉はすこし軽めにして、最後にこれをお出ししますね」
満足げに笑う凛桜にうなずいて、瑞貴は椿餅を飲み込んだ。
「お前に頼みがあるんだが」
全ての使った道具を片して、手拭いで手を拭きながらその言葉に振り向く。
「その、出仕している時間どうしても小腹が空いてしまうので、何か軽食を作って持たせてくれはしないだろうか?」
彼の言葉に、彼女は目を瞬かせる。なるほど、たしかにこの時代には昼食という文化がないようなので、朝早くに出仕してこの時間に帰ってくるとなれば、腹が減るだろう。
「いいですよ。なにかリクエスト…って言っても分からないか。うーん、希望があれば聞きますけど」
「そうだな…とにかく腹持ちがいいものがいい。こう、がっ!という感じで…」
言いながら、彼は徐々に頬を赤く染めていく。
「す、すまない…」
(面白いなぁ)
心の中でそのような感想を述べてから、彼女はにっこりと笑う。
「大丈夫ですよ。じゃあ、そのようなものを用意しますね」
「ああ、頼む。では、俺は部屋にあるから何かあれば呼んでくれ」
すこし気恥ずかしさがあるのか、そそくさと厨を出て行く瑞貴を、凛桜はおかしそうに笑って見送った。
夕餉とともに出された椿餅を見て、美月はとても嬉しそうに瞳を輝かせる。
「嬉しい。ありがとうございます、凛桜さん」
興奮気味にお礼を言う美月に、彼女は苦笑した。
「お礼は食べてからおっしゃってください」
彼女の前に椿餅を差し出す。美月はうなずいて、小さな口を開けてそれを食べた。
徐々に美月の口角が上がって行く。
(ああ、この表情、好きだなぁ)
しみじみとそう実感していると、美月が食べ終えたようでほぅと息をついていた。
「ご馳走様でした。とても美味しかったです。桜の香りが口の中に広がって、今まで食べたことのない味でした」
恍惚とした表情で語るので、凛桜は嬉しそうに笑った。
「それならよかったです。また作りますね」
「はい。ありがとうございます」
満面の笑みで礼を言う美月に、彼女もまた笑みを返した。
翌朝。瑞貴の弁当を作るために、凛桜は早朝から厨に立っていた。
使うのは塩漬けにしておいた熊肉と炊いておいた白米、特製の柚子胡椒だ。昨日寝る前に、柚子胡椒を作っておいたのだ。使える調味料は種類が多い方が良い。
柚子胡椒の作り方は至って簡単だ。昨日市で購入した唐辛子を粗微塵にし、それと柚子の皮、塩を入れて磨り潰す。そして、熟成させるのだ。本当ならもう少し長い期間熟成させたいところだが、一晩だけでも十分美味しい。せっかくなので使うことにしたのだ。
気分良く塩漬けにした熊肉を細かく切り、それを火にかけた鍋の中へ投入する。次に白米を入れる。それからすこししてそれらに焦げ目がついてきたら、その中に柚子胡椒をすこし多めに入れて味付けをする。
全体に柚子胡椒が行き渡ったのを確認して、最後に白ゴマを振りかけて完成だ。
できたそれを空気が入るように大きめの皿に移し、薄く伸ばしておく。
その間に、竹の葉を何枚かを用意しておく。竹の葉を三角形に形成し、中に詰め物が入るようにする。
炒めたものがすこし冷めたのを確認し、まだ暖かいそれを形成した竹の葉に詰めて行く。
全て詰め終えて、最後に入り口を閉じたら熊肉のちまきの完成だ。
「よし、できた」
満足げに笑って、前掛けを外してちまきを腕に抱える。
そろそろ瑞貴が起きているはずだ。
そう考えて、彼女は厨を後にした。
瑞貴の部屋の前について、声をかけようとしたところでちょうどよく襖が開いた。
「ん?おはよう。何か用か?」
「おはようございます。昨日頼まれたものを作ったので、渡しに来ました」
その言葉に、彼は目を瞬かせて彼女の腕に抱えられたちまきを見る。
「ああ、ありがとう。楽しみにしている」
嬉しそうに笑って受け取るので、よほど仕事中お腹が空くんだな、と凛桜は思った。
「今日は早く出仕しなければならないのでもう出ようとしていたのだ。助かる」
すこし面倒そうに肩を竦める瑞貴に、凛桜は目を丸くした。
「そうなんですか。頑張ってくださいね」
「ああ、行ってくる」
言い残して、彼はちまきを肩にかけておいた風呂敷の中に仕舞い、廊下を歩いて行く。
その背を、凛桜は清々しい気分で見送った。たまには早起きをするといいものだな、と彼女は実感したのだった。