山を降りる
時代・場所共に架空ですが、概ね中世の中華世界を念頭にしております。
作品内の時間も現実の投稿も、ゆっくりとしたペースで行くつもりです。
初代王戴冠より1200年、智謀王ショーレイ統治20年にして待望の男子が誕生した。その性王に似て聡明、その姿母である愛妾に似て美麗と伝わる。子を成さなかった王妃は自ら北宮に引き書を読み神に仕える日々を過ごした。王はそれを憂い愛妾に王妃の冠を被すこと無く妃とのみ称すことを許した。男子は長じて軍務政務に通じ良く王を支え父王崩御の後戴冠し新王となった。齢二十五の時である。親政は四十有余年続き国土は広まり民は潤い巷は栄えた。史家はこの時を善王時代と呼称する。善王コーシは不眠王とも呼ばれた。朝に民の声を聴き、昼に官の書を読み、夜に全てに応えを出したからである。昼夜を問わず諮問や指示を出す王に対応するため官は四交代で対応し王を支えたと伝わる。齢七十を前にして崩御、民のみならず草木虫獣に至るまで悲しみのあまり声も絶え喪に服したと伝わる。遂には天も陰り星は流れ王の死を嘆いたとも。
春まだあさき頃一人の男が死んだ。怪我や病の果てではなく睡眠中に心の臓が突然止まったのである。苦しみにもがくこともなかったため同じ部屋で寝ていた同居人である若者も、朝になり明るくなって始めて異変に気づいた。昼間であれば、倒れた直後であれば、何か手立てもとれたものをとしばらくは悔やんではみるものの、既に身体は冷えており出来ることといえば衣服を整え、弔うことしかなかった。
男は若者にとって全てを教わってきた師であったが、弔いについては未だ作法を習ってはいなかった。したがって礼にかなうように若者なりの考えで弔いを行った。
天と地に礼を行い師匠である男を還すことにした。すなわち、火をもって身体を天に還し、残った灰を地に戻すことにしたのだ。
若者は三日三晩精進潔斎し五穀を絶ち薪を集め師の身体を火に包んだ。経や呪文などは教わっていなかったので古来より伝わる五書を順に火の横で読み続けた。骨も遂には灰となり砕けたところでその五書を最後に火に焚べて天と地への礼とし弔いを終えた。写しとはいえ師からもらった書であったが、内容は全て諳んじることが出来ていたので書物の形では残す必要がなかったのである。自らの代わりに死者に殉じたつもりだった。
弔いを終えたとは言え次に何をすべきか、若者には分からなかった。つい数日前までは、全ては師匠の教えのままに過ごすばかりの生活であったのだ。仕方がないので師の持ち物を整理することにした。そして師から若者へ宛てた書を発見した。書は五通あった。それぞれに書かれた日付があり、年の初めに一通づつ書き溜められたものと分かった。内容は若者への評価であった。その前の年に若者へ教えたこと、それらをどれだけ身につけたか、何が足らないか、そしてどうすればよいかが書かれてあった。師は常に自らの死を予想し対策として若者への指針を更新し続けていたのである。
そこで初めて若者は自らの評価を知ることとなった。
そして次に何をするべきかを。
我亡き時は旅に出よ。南にある都に行き師僧ダイバに会い教えに従え。
若者は小屋を焼き山を降りた。山麓には集落があり山側のはずれに小さな小屋が有った。月に一度山の小屋に物資を提供していた者の住むところである。師とともに何度か訪ねたことがあったため、一言告げて山を去ろうと考えたのだ。声をかけるが返事がない。中の様子をうかがうが人の気配がなかった。そのまま行こうとしてふと目に留まる物があった。扉の横に花が咲いている。簡易ではあるが囲いがあるので野花をわざわざここに植えたものとわかる。そういえば娘がいた。事情を文にして小刀を重しとして扉の前に置いた。気配を感じ振り向くとまさにここの娘が少し離れてこちらを見ていた。
娘に事情を話すと驚き小屋の中に若者を案内した。早春とはいえ火の気ひとつない中に布団が敷かれ男が横たわっていた。娘の父でありいつも物資を運んでくれていた男は数日前に息を引き取っていたのだ。不思議な暗合である。娘は始末をどうすればよいのか分からず、少しでも身体が傷まぬように小屋内を暖めず寒さに耐えていたのだ。
若者はこの男も弔うことにした。娘もこのところまともに食をとらず水だけでいたらしい。ならば潔斎は済んでいることにして、外の空き地に薪を組み壇として男を横たえた。男は髪を固く結んでいたので娘にそれを切らせ形見とさせた。火をつけて若者は五書を諳んじた。
弔いの最中ではあったが食事を作ることにした。自身も空腹ではあったがそれ以上に娘の衰弱が激しかったのだ。このままでは親子揃っての弔いになりかねない。おそらく山の上に運ぶ予定であったろう、五穀と野菜が納屋に用意してあった。重湯を作り、粥を作り、そして野菜入りの雑炊を作る頃には弔いも終わり、娘の体調も回復をしていた。ただ一つ、口が訊けなくなった事を除いては。
喋れぬ事に娘自身驚いていた。弔いの間中泣くこともなかったのだが、若者にはそれが不自然とは思えなかったのだ。若者も師を弔う間泣くことがなかったから。
娘は絶望した、父親に頼り切っていた生活であり、使い方は知っていても銭一枚どうやって手に入れればよいのか見当もつかぬ。飯さえこの若者がおらねば作ることさえおぼつかなかった。父を亡くし寒さに耐えていたときには気が付かなかったが、暖かさを覚えたとき自らの危うさに気がついたのだ。
そして今や何故か知れぬが口さえ訊けぬ身になった。
娘は若者に一礼し、形見の髪を手に握りしめて家を飛び出した。近くの川に身を投じようと思ったのである。
川幅は五間ほどだが流れは早かった。一切のためらいもなく娘は流れに走り込み身を任せた。まるで頼るものはもうこの流れしかないかのように。
よくわからぬままに追いかけてきた若者はその様子を見て躊躇なく飛び込んだ。わからぬなりに原因が自らに有るかとも思ったのだ。それならば余計に娘を死なせるわけにはいかない。もう弔いなどしたくはないし自らがその原因にもなりたくはない。
水は冷たく娘はすぐにもがくことさえ出来なくなった。生きていくすべを持たぬものは生きる資格がないと思いこんでいるから、身体がこわばり息が詰まる苦しさも耐えようとした。頭の芯が熱くなった。
突然首を捕まれ顔が水の上に出た。無意識に呼吸を行いむせた。喉が痛くなったが肺の腑は息を求めたのだ。引きずられながら身体をを川岸にあげられる、まだ自らの意志では動けない。なすがままに横たえられ背中を強く押された。喉を焼くようにして水を吐いた。
何故このような苦しみを与えるのか、もう少しでこの役立たずの身を捨てることが出来たのに。恨めしげな目つきになっていたのかもしれない。若者は素直にあやまった。父の後を追おうとしたのを無理やりやめさせたのだから、恨まれても仕方がないのだろう。しかし私の話も聞いてくれ。師を失ったばかりの私の話を。
若者は草の上に結跏趺坐し娘を後ろ向きに抱えた。冷えた身体を温めつつ話を聞かせるのに適した体勢と思ったのである。
思えばこの山に来て季節は五回巡っていた。
育ったのは大きな建物の中であった。いつも女衆に囲まれていたが、母らしき人の記憶はない。邪険に扱われた記憶はないが、もてはやされた覚えもない。
食事の合間に書を読まされ、時に礼を習ったがどことなく中途半端さのあるものばかりであった。
ともあれまともな言葉遣いとそれなりに健全な肉体が育ったのだ。
だがそれは五年前に急変した。
ある夜のこと、前触れもなく寝所から着の身着のまま連れ出されたのだ。
連れ出した男は馬に二人乗りをして外へと駆けた。
男の前に抱えられ前方の暗がりへと突き進む。しばらくして男は馬を止め来た方向へと馬体を回した。
先程までいた建物が暗闇の中にあった。大きな屋根の輪郭が背後の明かりのためにはっきりと見えた。逆に出てきたであろう門のあたりは暗く判然としない。
建物の背後には夜空まで明るくするような街があったのだ。遮る建物はその街を支配しているに違いないだろう。してみると自分たちは正面ではなく裏から出てきたのだろう。それにはなんとなく不満を覚えた、出ていくなら正面からであろう。
それが口に出た。
男は笑った。嫌な笑いではなく、どこか気持ちの良さを感じさせるものであった。
「それならば、帰る時は正面からにいたしましょう」
そう言って馬を再び駆けさせた。
それが師との出会いだった。
十日以上は駆け続けた。概ね北に向かって進み、着いたのがこの山である。
そこまで語ったところで気がついた。娘の気配が薄くなっていたのである。もしや、と顔を覗き込むと目を閉じ眠っていた。
折角の自分語りも娘には子守唄代わりにしかならなかったようであった。だがそれで良い。良い眠りは人の心を健やかにする。娘の寝顔は安らかに見えた。
若者も眠気を覚えた。そこで娘を抱え、小屋に戻り火を起こし寝床を作り娘を横たえた。
自らは日のそばに座り、そのまま目を閉じた。
山を降りて一日目の終わりである。
まだ道中は始まりません。
こういう話に評価はいただけるんでしょうか。
不安です。