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告白  作者: 柴田歩
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1話

『ねえ、マキちゃん』


 男の人の大きな手が、私の肩に掛かる。


『チューしよっか』


 そう言ってそのお兄さんは、私の顔に顔を近づけてきた。


『__嫌っ!』


 私は思わず彼の頬を叩くようにして彼をはね除け拒絶した。


『痛っ__』


 お兄さんが痛みに手で顔を覆った。それを見て、私は我に返った。そしてすぐに彼に謝ろうとした。


『__よくもやりやがったな』


 つい先程まで優しく微笑んでいたお兄さんの表情が、突然憤怒の形相に変わった。彼の頬には、痛々しい引っ掻き傷が付いてしまっていた。


『ごめ、なさっ__』


 言いながら後ずさる。彼が恐ろしかった。


『許さねえ!』


 お兄さんの大きな手のひらが、私の目の前に迫った。




「__っ!」


 目が覚め、布団から飛び起きる。すぐにただの夢だと分かり安堵するも、しばらく心臓の激しい鼓動が収まらなかった。

 また、昔の夢を見てしまった。二度と思い出したくないのに、今でもたまに夢に見て思い出してしまう。

 あの後の事は、よく覚えていない。なにしろ私は幼く、脆かった。

 彼は当時近所に住んでいたお兄さんで、私は何故かその時彼と偶然出会い、話をして、少しだけ一緒に遊んでもらった。その帰り際に、どういうわけだか彼にキスを迫られた。おそらく彼の性的嗜好の対象が、幼い女の子だったのだろう。

 彼はその時、踏みとどまる事が出来なかった。そして、その相手がたまたま私だった。それだけの事だ。たったそれだけの出来事が、未だに私の胸に深い爪痕を残していた。

 あの出来事の後から私は、男性恐怖症になってしまった。


 小学校、中学校と、私は異性とほとんどまともに口を利くことが出来なかった。それを理由に目をつけられたりもした。人間というのは残酷なもので、私のような特殊な人間を理解することが出来ない人も中にはいるようだった。

 私は私なりに少しだけ、この症状を無くす為に異性と会話をしたり、近くにいる努力をしたりした。しかし、恐怖心はそう簡単には無くならず、その内に私は克服することを諦め、男性恐怖症である自分を受け入れることにした。

 高校受験で、私は私立の女子校を受験した。けれど無惨にも結果は不合格で、やむ負えず男女共学の県立高校に通うことになった。

 現在、毎日が苦痛だった。高校生になると大体の男の子は背丈があって、皆あの時のお兄さんと重なって見えてしまう。学校にいる異性全員が恐怖の対象であり、日に日にその恐怖心が増してきている気がする。卒業まで、とにかく我慢する他が無い。



「起立、礼」


 放課後になり、私はいつも通り誰よりも早く教室を出た。


「草野さん」


 廊下に出たところで後ろからクラスメイトの男の子に呼び止められ、私は驚いてその場で固まった。


「今週俺ら、掃除当番だよ」


 しまった。すっかり忘れてしまっていた。いつも自分のことばかりしか考えていないからかもしれない。

 私は反省し、後ろを振り返った。


「はい」


 こちらに駆け寄り、彼は爽やかに笑いながら私に箒を差し出した。彼があまりにも眩しい笑顔だったので、私は逆に訝しげに思いながらも彼から箒を受け取った。


「……あ……」

「ん?」

「あり、がとう」

「おう。さっさと終わらせようぜ」


 そう言って、彼は踵を返した。私も彼の後に続き、半ば放心状態で掃き掃除を始めた。

 ……久しぶりに、男の子と会話をした。やれば出来るんだ……。


「草野さん、あのさ」


 掃除をしながら、クラスメイトの男の子が唐突に口を開いた。

 彼は確か、東条(とうじょう)という名前だっただろうか。


「草野さんて、この前のテストで学年三位だったよね」


 恐怖で心苦しく思いながらも、何とか口を開き私は彼に答えた。


「……ええ」

「すごいなあ。努力家なんだな」

「いえ、別に……」


 それきり会話も止まり、私はホッとした。その後掃除を素早く終え、すぐに下校した。

 帰宅後、私はいつも通りすぐに勉強机に向かい、勉強をし始めた。毎日の習慣としてこれが身に付いているのだが、今日はいつもよりやや強迫的なまでに勉強に熱中した。今日の出来事のこともあり、私はもっと頑張らなくてはいけないと、改めて思えた。一生一人で生きていく為にも。やっぱり私は、異性と一緒にいることは出来ない。


 なんだか、眠い。少し、遅くまで頑張りすぎてしまっただろうか。睡眠時間も考えないと効率が悪いだろうか、などとぼんやりと考えながら、重い瞼を擦りつつ、私は朝の通学電車の中で英単語帳を開いた。しばらくして、私の隣に突然、スーツを着た男性が座ってきた。私は困惑した。

 おかしい。席は空いているのに、どうしてわざわざこの人は、私の隣にやって来たのだろう。


「__ひっ!」


 私は思わずみっともない悲鳴を上げた。男の人の左手がいきなり、右の太ももの上に乗ってきたのだ。


「あ……う、あ……」


 太ももを撫で回される。硬直しながら、私は恐る恐る男性の顔を横目で伺い、ひやりと背筋が凍った。彼は、不気味な笑みを浮かべていた。

 腰が抜け、席から立ち上がれない。ガタガタと全身が震え、じわりと涙で視界が滲む。

 嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ。どうして__。


「おい。何してんですか」


 突然目の前から鋭い声がして、ハッとして顔を上げた。そこにいたのは、クラスメイトの東条くんだった。彼は、男性の左手を右手で掴み上げていた。

 ちょうどその時電車が次の駅に止まった。すると、スーツを着た男性は彼を押し退け電車から降りていった。


「お、おいっ! 待て!」

「止めて!」


 男性を追いかけようとした彼を、私は反射的に引き留めた。


「どうして! あのまま逃がしたらまた__」

「……お願い、行かないで……」


 一瞬、怖くなってしまった。もし彼の身に万が一、何かがあったらと思うと。相手は大の大人なのだ。


「……分かった。……でも俺、草野さんの事が心配なんだけど」


 彼は真顔で私の顔を見つめてきた。私は彼から目を逸らした。


「……。いつも草野さん、この電車に乗ってるよね」

「……!」


 何故彼はそんなことを知っているのだろう。気にかけて見られていたなんて、私は全く気が付かなかった。


「明日からは、三本早く乗って」

「……え?」

「またあいつと乗り合わせるかもしれないから。俺も、一緒の電車に乗ってく。後、駅員にも連絡しよう」

「いい、そんなことしなくて。駅員さんには私が連絡する」

「でも」

「貴方には、関係ないじゃない」


 すると、彼は押し黙ってしまった。

 しまった、と私は思った。明らかに言いすぎてしまった。


「……ごめんなさい、親切心で言ってくれたのに、私……」

「……関係、あるよ」


 彼はやや緊張した面持ちで、まっすぐに私の目を見ながら、しばしの沈黙の後口を開いた。


「俺__草野さんの事、好きだから」


 彼は静かに、そう打ち明けた。

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