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氷の灯り  作者: 桜の樹
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天を踏む

 ファレスティアの帝都・カルトゥーナ。


 その上空を、二人は飛んでいた。


 カエルラ・フォーデウスは、飛んでいるという実感も無いままに、眼下に広がる街並みを眺めている。正直、目を疑っていた。到底、信じられないような眺めだった。



 その眺めは、「壮大」の一言に尽きた。


 澄んだ蒼穹の中に、筆で引いたような薄い雲。蒼と白との美しいコントラストの下に、石造りの家々が広がっている。帝の住まう宮は、一際白く、壮麗に佇んでいた。


 そして、カルトゥーナの北西に息づく森。「死の(あやかし)」と呼ばれる森の、深い緑が堂々と広がる姿は、自然の強さを思わせる。



 カルトゥーナを空から見るとは思いもしなかった。だから、言葉を失った。


「何だって、こんなことができるんです?『パンドラ』……」


 心底呆れた口調で、カエルラは呟いた。


「私は、その“異端の力”――――いえ、“魔法”を理解しているとはいえ、未だに信じがたいですよ……」


 先行するデュアルを見て、曖昧に苦笑すると、溜め息を吐いた。この力は便利だ。便利すぎると言ってよかった。


 デュアルが振り向いて、カエルラを見る。

「――どや顔ですか?」

 振り向いたデュアルが笑っていた。にやりとした笑みが、瞼の裏に焼きつく。


「君はいつも、そうやって“主人公”になるんです。気取ってますね?」


 笑って言った。皮肉をひと匙、混ぜ込んで。

 デュアルは笑って返した。


「いいじゃん、“主人公”って格好良いもの!気取ったっていいじゃん?――――あ、ねぇねぇ、あれが僕達の家でしょ?」


 デュアルが指したその先に、少しだけ大きな家が見えた。目抜き通りから一本入った、帝の直轄、宮にも程近い、かなり良い場所に建っている国営の孤児院である。


 空からはあんな風に見えるのか、とカエルラは微笑んだ。そして、少年がしばしば“空中散歩”をしているのが、少し羨ましくなった。

 何故なら、“魔法”は誰もが使えるものではないからである。そして――、大抵の人は、この奇跡を疑い、妬み、何としてでも手に入れようと、あるいは根絶やしにしようとするだろう。


 それでは、あまりにも可哀想だった。


 自分が世話した以上、彼に「そんなこと」に巻き込まれて――そのまま死んでしまうかもしれない――ほしくはないのだ。彼を、水面下で広がりつつある“異端狩り”の犠牲にさせるのは絶対に嫌だった。


 例えそれが、目的を果たすためだったとしても。


 そんなことを思考していたのはほんの一瞬で、藍色の青年は声を発した。

「えぇ、そうですよ。よくわかりましたね」

 デュアルは見ていなかったが、カエルラはとても綺麗な笑顔をしていた。凄絶とも言える、寂しい微笑を。そして、デュアルは見ていなかったがゆえに、乗り気でないカエルラを不満に思ったのである。





「先生、何でそんなつまんなそうに言うのさぁっ!」



 デュアルはむくれた。


「もう!突き落としちゃうよ?」

 いや、それは困る。

 この高さから落ちたら、まず命は無い。「困る」で済むレベルの話ではないのだ。

「私が死んでもいいのですか?冷たいですね?」

 デュアルを見つめて、カエルラが疲れたように問うた。



「うーん、『まぁ、しょうがないかな?』って思う」


 デュアルはけろりと言った。


 本当に、とんでもないというか、無頓着というか……、返す言葉が無かった。普通なら怒られると思うのだが。


 微妙な空気を敏感に(妄想かもしれないが)感じ取って、カエルラは視線を外す。地面に目を向けようとすると、必然、カルトゥーナの街が見える。何度見ても、息を飲む景色である。



 カルトゥーナは、広かった。かなり高い上空を飛んでいても、視界いっぱいに屋根と路の幾何学的な模様が広がる。豊かなファレスティアの、帝都ならではの光景である。

 デュアルはいつも、こんな景色を見ているのか……、と思った。感慨深いようで、手の届かない次元に生きる少年に取り残されるようでもあった。


 ぐるりと帝都とそれを抱く森の上空を見て回って、最後に、彼らは再び孤児院の真上に戻ってきた。陽は傾き始めていて、昼食を食べ忘れた彼らには耐えられないほどの空腹感が押し寄せていたのである。


 デュアルはごろごろと寝そべっていた身体を起こすと、いつも通り、飛び降りた。

 それは文字通りの“飛び降り”である。普通なら、通りに破砕音が響くはずなのだが――――、そうはならなかった。それどころか、物理的に聴こえるはずのない少年の声が、カエルラにまで届いた。


「先生も、早く降りてきてよ!夕飯が食べられなくなっちゃうでしょ?」


 当然のように、“飛び降り”ることを要求してくる。

 その上で平然と、夕餉の話をする。


「――――っ!?」


 絶句だった。



 いや、だから、この高さから飛んでただで済む訳が無いでしょう!と、少年の例も忘れて、内心絶叫した。


 しかし、怖じ気づいているわけにもいかなかった。


 覚悟を決めて、一階の窓枠を飛び越えるのをイメージして、



 ――――飛んだ。




 途端、“空中の地面”が消え失せる。

 落ちて、落ちて、落ちて――――、


「――あ。死んだな、これ」と思考した刹那、


 ――青年は、すとんと着地した。



 言葉も出なかった。

 ただ、ただ、驚愕に目を見開いていた。

 ゆっくりと立ち上がって、孤児院の門扉を見上げる。


 いつもの眺めだった。

 しかし、彼には、その眺めはとても新鮮に感じられたのである。それは、瞬間移動でもしたかのような。――きっといつもの路を歩かないで帰ってきたからなのだろう。


「早く!お腹すいたっ!」


 急かすデュアルに、衝撃から立ち直るのに時間が掛かったカエルラは、

「わかりました」

とだけ言って、中庭に足を踏み入れる。


 唐突に、日常が戻ってきたかのようだった。




 台所に立ったカエルラは、何を作ろうかと暫し黙考した。

 『パンドラ』は、あれだけ魔法を使った――そして一食抜いてもいる――のだから、今頃くたくたになっているのだろう。もしかしたら、彼は空腹を訴えておきながら、既に眠っているかもしれなかった。そう思うと、微笑ましかった。


 そして、彼はカエルラの作る料理が好きなのである。例え彼が眠っていたとしても、夕餉に呼んだ途端、飛び起きるのがありありと浮かんだ。


 とはいえ、あまり重たい料理(もの)を作るのも良くないだろう、と考えた。朝食のようだが、オムレツとトーストを手早く作り、戸棚から柑橘蜜煮(マーマレード・ジャム)を取り出した。


 これでも空腹を訴えるのなら、そのときはまた考えようと、一人微笑しながら。


「『パンドラ』、起きていますか?」


 夕餉とは言わなくても、少年は目を擦りながら歩いてきた。食卓に並ぶ料理を見て、彼はきょとんとする。




「あれ、夕食食べそびれた……?」

 呟いて、それから気がついたかのように、彼はカエルラを見た。


「おはよう、先生」




 カエルラは返答に困って、少し考えた。


「こんばんは、『パンドラ』」

 デュアルの目が、点になった。

「え、僕、もしかして――――一日寝てた?」


 カエルラは思わず吹き出した。笑いを噛み殺すのに必死だった彼には、とどめの一撃(ひとこと)だったのである。


「いいえ、そんなことはありませんよ」

 目尻に滲んだ涙を手で拭いながら、青年は笑いかける。

「さぁ、食べましょう!折角作ったのに冷えてしまうのは、私も悲しいですから」

 それはとても、平和な夕餉だった。

 何もかもが変わってしまう前の、平和な夜であった。

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