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氷の灯り  作者: 桜の樹
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藍色の幻

 目の前で、淡い色の睫毛が震えている。少年は夢でも見ているのだろうか、と彼は思った。幾度もの寝返りで、少し(はだ)けてしまっている服の隙間から、痛々しい傷痕が見えているのに気づき、青年はそっと目を伏せた。

 



 ――カエルラ先生!



 耳の奥で、少年の声が響いた。

 瞼の裏で、『パンドラ』は笑った。



 僕ね――――、



 『パンドラ』は神妙な面持ちで、言った。



 ――先生に、プレゼントがあるんだ!



 少年はいっそ不気味なほど笑んでいる。その両手を隠しながら。だからすぐに、ぴんときた。何か、企んで


 べしゃっっっ




 何が起きた。

 視界が無くなって、少年の両手が自分の顔に触れていることだけがわかった。だが、何が起きた。というかこの効果音は何だ。

 脳内で口の悪いツッコミを入れながら、恐る恐る、片目を開く。


 視界にまず見えたのは、『パンドラ』の笑顔だった。それも至近距離で。『パンドラ』は背伸びして近づいた顔に、そのままの笑みを浮かべている。私には、少年の顔の造形が、よく見えた。綺麗な顔立ちをしていた。



 やった!引っ掛かったね、カエルラ先生っ!



 けらけらと少年は笑いながら、カエルラを見上げる。

 少年はやっと、両手をカエルラの頬から離した。解放された青年は、頬を手の甲で拭ってみる。


 手が、柑橘蜜煮(マーマレード)まみれになった。手の甲で、蜜煮(ジャム)は綺羅と光を反射する。綺麗ではあった。だが、綺麗だからと言って咎めないわけにもいかないのである。



 『パンドラ』……!柑橘蜜煮(マーマレード)は好きなのでしょう?


 うん、大好きだよ!


 なら、こういうことに使うのはやめてくださいね?食べ物を粗末にしてはならないと、お兄さんは言いませんでしたか?


 えーと……、言ったっけ?



 少年は首を傾げている。私はがっくりと肩を落としながら、続けるしかなかった。もう少し、“常識”は身につけていて欲しかった――とは、言わない方が良いだろう。

 かなり、やりづらいと思った。



 今からでも、気をつけてください?いいですか、『パンドラ』?


 そう呼ぶの止めてくれるなら、ちょっと考えてもいいよ?


 面倒なので、咎めるのを止めた。

 生意気なやつ、と思わなかったわけではないが、それを言う意味も無いと判断して、顔を洗ってくることにする。

 くるりと背を向けたカエルラを見て、少年は、少し寂しそうな顔をした。








 ――彼は微睡(まどろ)みながら、薄められた意識の中で、そっと手を伸ばした。細く、白い指が、デュアルの胸の上の跡を()ぞる。少年の呼吸と、拍動と――、生きている証明が人差し指に流れ込むのを、微かに感じた。

 そして、意識は再び闇に堕ちる。



 東の空に、光が広がり始めた頃、少年は薄く目を開けた。

 左腕の傍に藍色の塊が見えたせいで、ぎょっとして彼は覚醒する。少しずつ意識がはっきりしていく中で、デュアルはやっとその“塊”がカエルラであることを認識した。


 そして、

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ?!!」

絶叫したのであった。






 藍色の髪の青年は跳ね起きた。

「――――!!?あ…………っ、えっと、どうか……しましたか?」

 努めて平静を装って尋ねる。

「ごめんなさいっ!まさか、カエルラ先生が傍で寝てるなんて思わなかったんだ!」

「――――そうですよね」

カエルラは苦笑した。すると突然、


「でも、先生が近くにいたから……、寂しくなかったよ」


少年がにこりとした。



 驚いた。その気があるのかと思った。そして、地味な汗をかいた、と青年は思った。


 少年には振り回されっぱなしだと常々感じる。

 それでも、カエルラはこの少年の面倒を見るのが好きだった。

 それでも、カエルラはこの少年に無情にならねばならなかった。



「そうでもないでしょう、苦しそうでしたよ?」

「ふふ、大丈夫なんだって!心配しすぎると老けちゃうよ?カエルラ先生!」


 さらっと酷いことを言う。いつも通りの調子である。

「そんなことはありません!なんてことを言うんですか」

笑いながら言った。

「あははっ、――――よかった」

少年も、笑いながら返す。


「カエルラ先生も、僕の家族なんだから」

 決め台詞だった。



「僕を置いて、消えないでね?」



 奇妙な微笑だった。笑ってはいるものの、口調の裏の心情を読み取らせ、試そうとするかのような。青年には、少年がそこまで大人だとも、思えなかったが。


 ひとつ、小さく息を吐く。青年は、紅い双眸の奥を覗きこみながら、言った。

「……ありがとう、『パンドラ』」

「ん?」


「家族と思ってくれるなら、私は、ここにいますから」


 彼が、きしし、と笑ったような気がした。




「ねぇ、“散歩”しようよ、先生!」


 言い終わる前に、少年は起き上がって支度を始める。気が早い、とカエルラは微笑ましく思いながら、そんな少年を見詰めていた。


 外へ出ようというときになって、カエルラは、少年が靴を履き忘れていることに気がついた。


 だが、考え直してみると、そもそも履いて来なかったことを思い出した。デュアルは靴を履くのを厭うために、しばしば、それを放置する。それで適当な所に放られているので、カエルラも気づかなかったのである。

 つくづく、この少年は我が道を行く性質(たち)なのだと思わされる。悪く言えば、「変な奴」となるのだが。


 木漏れ日が、眩しかった。光が生命を得たかのように蠢いている。空気が静まっていて、昨日までとは違う世界に来たかのような錯覚。不思議な心地だった。


()い朝だね?」


 デュアルがカエルラを見上げながら言う。

()い朝です」

 カエルラは深く息を吸い込んだ。


「ねぇ、行くよ!」


 ラフな格好の少年は、くるりとターンしてみせた。少し大きい上衣がはためいて、その爪先が――、



 ――地面を離れた。



「あまり無理をしないでくださいね?」

「大丈夫だってば!カエルラ先生ひとりくらいなら!」

 何もしていないのに、視点が上に動いた。それでも、地面が無くなった感触がするわけでもなかった。


「カルトゥーナ、空から見てみたいでしょ?」

 デュアルは一点の曇りも無い笑顔で問いかける。


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