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氷の灯り  作者: 桜の樹
6/9

ユリウス

 ぺたぺたぺたぺた――――。

 裸足で歩く少年の足音が、異様に脳内に響き渡る。規則的なリズムを刻みながら、彼は軽やかに歩いていく。その歩調はだいぶ早い。


「――『パンドラ』、君には靴を履こうという概念は無いのです?」


 結った髪を揺らしながら、青年は諦めたように問うた。綺麗な藍色の髪の青年と、あちこちが緩く跳ねた銀髪の少年との間には、少し身長差がある。


「――靴?」

 少年は、きょとん、と首を傾げて、


「裸足じゃ、だめ?」


訊き返した。青年はさらに呆れたように、言った。

「質問に答えてください、『パンドラ』?会話が成り立っていないじゃありませんか」

「靴は――、履けって言うなら履くよ?」

 青年はがっくりとした。つまり自分から履かないのか。

「そこまで強制はしませんよ」

 その実、彼は少年の裸足で歩く姿が―靴を履いて歩く姿は見たことが無いので比較しようが無い――好きなのである。


「カエルラ先生、機嫌良いんだね?なんで?」

「そう見えますか……?私だって、気晴らしに外に出るのは好きなんですよ、『パンドラ』」

 実際、機嫌が良かった。それは、少年の今日の外出に対する期待を全面に出した、輝かんばかりの表情を見られているからなのである。


 ぺたぺたぺたぺた――――。


 軽やかに足音は続く。

「僕は『パンドラ』じゃないよ?デュアル・ユリウスだよ?先生、わかってるの?」

 少年がむっとしながら問うた。

「わかってますよ」

カエルラは即座に言った。そして続ける。


「――――でも『パンドラ』と呼ばせてください」

「なんで!」

語尾を言い切る前に少年は言う。

「それはね――――――――」

 カエルラは、ふと少年を見た。


「『パンドラ』、あなたのためなんです」


 藍色の髪の青年は、歩調を早めた。すぐに距離が開いていく。嫌味のように『パンドラ』と呼ばれたことに、少年が構っている暇などなかった。

「ねね、ちょっと、待って!」


 少年は駆け足で遠ざかる背中を追った。追いついた途端、カエルラは歩調を緩める。気づけば、孤児院からかなりの距離を歩いていた。まだ目的地は遠いらしい。

 そして、少年はあることに気づく。

「そっち、森だよ?」




 それから、しばらく。

 何度話し掛けても無反応な青年に、少し悪態をつきながら、少年はその背を追う。森の奥へ、奥へと。

「あ、着きましたよ?」

「え、ここって――――」

「わかります……よね、あなたなら」

「だって――――」

 銀色の髪が木漏れ日に煌めいた。




「僕の、家だもん」


 カエルラはやんわりと微笑んだ。

「そうですよ」

その笑みは、初春の日差しのように柔らかく、そして真っ直ぐデュアルの心に沁みていく。そのせいで、少年は大切な疑念を忘れてしまったのだった。

「大事な話がしたいんです。いいですか、『パンドラ』?」

 少年は頷くしかなかった。


 そして、歩き始めたカエルラについていく。長いこと見なかった、しかし、見慣れた扉、その真鍮製のドアノブを彼が握る。その光景が、異様に新鮮にデュアルの記憶に焼きついた。聞き慣れた扉の開く音、聞き慣れない家の中の静けさ、不自然な感じがして、デュアルは居心地が悪いと思った。

 平然とカエルラは椅子に座る。無表情、しん、と空気が張り詰める。自分の家だったはずなのに、さらに居心地が悪かった。それで、デュアルは慌ててお茶を淹れようと台所へ走った。


 ぱたぱたぱたぱた――――。


 少年の足音はとても軽い。それは、彼の幼さの証明だった。

(私は、どうして『パンドラ』と出会ってしまったのだろう……)

 カエルラは思った。情に流されそうで、しかし、情に流されることは許されない。そう、自分に科したのだから。

「ありがとう」

と、今更ながらに台所のデュアルに声掛けた。

「どういたしましてっ!先生!」

 デュアルが笑っているのがわかった。彼の前から去った家族の代わりに、彼を抱き締めたいと、思ってしまった。無情であらねばならないのに。


 ――――家族。 


 少年が失ったものは多い。それを否定することは、カエルラにはできない。

「レティー(にい)、か……」

 デュアルは夢の中で、何度もその名を呼んだのだろう、耳の奥に残像として残った、名前である。


 レティシア・ユリウス。


 デュアルの大好きだった、3つ上の兄。

 少年は未だに、兄の影に縛られているようだった。彼が何故、兄に執着するのか、その理由は青年には知れない。しかし、カエルラは、少年が時折、寂しそうな表情(かお)をするのを知っていた。


 思索に耽っているうちに、デュアルが戻ってきた。トレイを置いて、カエルラの正面に座る。カエルラは弾かれたように顔を上げた。


「カエルラ先生って酷いよね?いっつも僕が話し掛けても答えない。酷いよね?」

デュアルが口を尖らせていた。そんなデュアルを、やはり、愛しいと思ってしまう。そして、カエルラにはお構いなしに、デュアルは続けた。


「あー……疲れた!カエルラ先生も空を飛べればいいのに」

「誰でも魔法が使えるわけじゃ、ないんですよ?あんまり見つからないようにしてくださいね?」

「わかってるーっ」

 僕だって何回も言われるくらい子供じゃないんだよ、とカエルラを見上げながら、デュアルはちょっぴり大人ぶった。カエルラは、微かに哀しい顔をしたが、デュアルは気づかない。

(それに――、いや、『パンドラ』にはまだ伝えるべきでないか……)

彼は気づくことがなかった。カエルラの葛藤にも。


 カエルラは紅茶に口を付けながら、口内で呟いた。

「“異端の兄”、ね……」

 その味は妙に苦く、この幼い少年が好むとは思えなかったが、彼の好みは偏っていて理解しがたい部分があることを思い出し、何も言わなかった。(もっと)も、自分が感傷的になっているだけなのかもしれないが。


 それで――、切り出す、決心をした。




「君は――寂しくないのです?」



「――――え?」

 少年は、その意味を上手く汲めなかった。カエルラの言葉の続きを待つ。

「私では、家族の――、いや、“レティシアの代わり”にはなりませんか?」

 なるよ、とは、すぐに言えなかった、何故か。カエルラも勿論大切に思っているのに、どうしても、言うことができなかった。レティー兄の、代わり。カエルラも、デュアルにとってはもうひとつの家族なのである。それなのに――――。


「ごめんなさい、先生」


 小声で謝り、項垂れる。

「図星ですか……。そうですよね」

デュアルの紅い瞳が、涙に光っていた。その柔らかな睫毛が、涙に濡れていた。

「カエルラ先生も、僕の家族なんだよ。皆も……」

頬に涙が、堕ちた。

「それでも……、お兄ちゃんに、会いたいよ……」

声が震えた。


「寂しい、ですか?」


青年は、至って優しく訊いた。


「寂しい……っ」


 少年の“強がり”が、崩れた。彼は自らの服の裾を、拳が白くなるほど、強く握り締めていた。その手の甲に、ぽたぽたと雫が落ちる。ひとつ、ふたつ、みっつ――――――――。雫は結びついて手の上を滑り落ちた。

「ここだって、僕の家なのに……っ!なんでこんなに静かなの?何処にいるの?お兄ちゃん……」

 デュアルは、まだ何も受け入れられていなかったのだった。無理もない、とカエルラは考えた。彼はこんなにも幼いのだから。


 カエルラは、少年が廊下の奥を見ていないことに対して、安堵していた。先程、彼は視界に、凄惨な跡を捉えていた。少年が見てしまっていたら、きっと混乱しただろう惨澹たる光景。

「きっと全て忘れてしまえば、君は楽になるのでしょうね……」

思わず、零れ落ちた言葉だったが、


「――先生?どういうこと?」


少年は聡く、すぐにそれを拾った。カエルラは、しまった、と言いたげな顔になる。

「『パンドラ』、世界には知らない方がいいこともあるのですよ」


 それがいけなかった。

「知らない?嫌だ、そんなの!僕を置いていくなんて!」

「置いていく?」

その一言が妙に引っ掛かり、尋ねる。


「僕だけ何も知らないままで――、いつの間にかレティー兄もいなくなっちゃった」


 デュアルは袖でごしごしと涙を拭う。

「あぁ……」

 納得の溜め息、同情の溜め息である。デュアルはそれを敏感に感じ取った。


「あっ……、気にしないで!先生、忘れて!」


 少し造った笑顔で、両手を胸の前で振る。少年は気まずくて、好みの紅茶を口に含んだ。

「――わかりました。とにかく、落ち着いてください?」

 机に肘を乗せ、手を組んで顎を落とした青年の双眸が、(くら)く光る。空気の温度が、すっ、と落ちたような気がした。


「話したいことは、まだあるんですから……」


 カエルラの豹変に、デュアルは面食らった。神妙な面持ちで、

「……はい」

と怒られたときのように首肯しつつ言った。



 日が暮れていくのが、二人にも感じられた。互いの顔が夜の影に埋もれていく。デュアルは、歩き疲れているようだった。カエルラは、うとうとしているデュアルを見て、今夜はここに泊まろうかと考えた。

 僅かに眠ってしまっている少年を起こさないよう、そっと寝室を見に行く。廊下の奥は血飛沫が点々と咲く華のように散らばり、ある意味では――つまりその意味を考えない上では――芸術作品のようにも見えた。カエルラは、悪趣味だな、と自嘲する。


 そのうち、かつては少年が使っていたのであろう部屋が見つかった。家具は少なく、書物が散乱していなければ生活感の酷く無い部屋だと感じたであろう、彼の私室。とりあえず、ダイニングからこの部屋に至るまでは、「あの光景」を見ずに済むようだった。てきぱきと寝具を整え、少年を呼ぶ。

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