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氷の灯り  作者: 桜の樹
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憧憬の記

 ファレスティア皇帝は、離宮の前で空を仰いだ。旧い記憶が浮かんでは消えていく。深い緑の中、思索に耽るのは心地の良いものであった――その内容を除いては。


「兄上――――。貴方ならば、この災厄をどう取り除くのですか……?」


 アウレウス・ファレステニア――その名が示すのは、サンディークスの兄である。彼は君臨することこそ無かったものの、民を愛し、民に愛された聡明な兄だった。彼により、ファレスティアは無益な血を流さなくなった。先帝時代には、既に賢君になると噂されていた。サンディークスにとっては、アウレウスは憧れの人物だったのである。

 ファレスティアの北西の離宮。小川のせせらぎと輝かんばかりの緑に包まれたここは、アウレウスの気に入りであった。

 そして――――――――。






 彼は、この場所で、死んだ。



 それは事故だった。そう聞いた。あまりの衝撃に詳細は朧気であるが、突然のことだったのだという。

 しかし、サンディークスはそれを信じなかった。否、信じることができなかったのだ。故に彼は、度々この離宮を訪ねていたのである。兄の死因は事故などではないと、証明したかった。一方で、その『兄を弑した者がいるかもしれない』という可能性を肯定してしまうということを恐れながら。


 離宮の側に、毒々しい紅色や紫色の花が揺れている。この場所を好んだアウレウスへの手向け花には似つかわしくないほどの、陰鬱な花が。それが、サンディークスには兄の無念の情に見えた。何年も昔の、その背を追い続けた兄の死を知った頃と、同じように。


 彼は、離宮へと歩いていった。久しく使われなかったせいで、所々が荒れていた。壁に触れる。風が髪をさらっていく。小鳥がさえずる。小川のせせらぎも微かに聴こえてきた。冷たい壁から手を離し、宮殿の私室の扉と大きさのさほど変わらない離宮の入り口をそっと開く。



 何もかもに、等しく埃は積もっていた。室内は暗い。


 この離宮には、何も無い。そのことをよく理解していながら、彼は足を踏み入れずにはいられなかった。その度に、何度も何度も、兄の跡を探し続けた。何も無いのを知っていたのに。そうして、彼は今、茫然と立ち尽くしている。


「何をしているんだ、俺は――」


 ふと我に返ると、彼は溜め息混じりに呟いた。そして思う。また俺は同じことをしている、と。

 兄を失って、そう短くはない月日が経った。それでもなお、兄の背を追っている自分がいる。自分は、アウレウスに比べればあまりにも無力だと、意味の無い思考をしてしまう。それを知れば、兄は勿論、優秀な宰相も呆れ返るだろうか。

 息が詰まった。決断を下さねばならなかった。最も下したくなかった決断、自分は賢君などではないと、サンディークスは思っていた。


 意味も無く自信だけを奪っていく思考を止めようと、彼は離宮の掃除にかかる。窓を解放すると、いつの間にか薄暗がりに慣れていた目には眩しい光が差す。淀んだ空気が、新鮮な緑の香りに薄められ、(埃さえ無ければ、)この北西の離宮本来の姿を取り戻すようだった。舞い上がる埃に噎せ返りながら、彼は甲斐甲斐しく働く。


 時間は掛かったものの、一通り掃除し終えた彼は、川から水を汲み、それを一応濾過して茶を淹れ、綺麗になったもののぼろぼろの椅子に腰掛けて、これも彼が磨いた美しい茶器に、口付けた。

 忘れたはずの、喪失感。込み上げてきたものに似合わないほど、淹れた茶は甘く、酸っぱく、涙の落ちる音聴いて、彼は苦く笑った。茶器洗って、立ち上がり、サンディークス・ファレステニアは離宮を後にする。





 そして彼は、決断する。


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