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氷の灯り  作者: 桜の樹
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紅の暁闇

 全てが終わった後の部屋は、少年が、深夜眠りにつく部屋のように暗闇に閉ざされていた。窓もなく、壁にかかっている燭台の灯を消せば星明かりすら入らない。正真正銘の、闇の中である。そしてそこには、金属のような残り香が漂っていた。


「これは罪ではありません……!!そうでなければ――――!!!」


抑えた悲痛な叫びは、静かに、しかしはっきりと響いた。

「だとしても、誰も赦してはくれないだろうことをしている、だろう?」

先の声とは違った、低く淡々とした声である。

「何故、貴方が……?何故、責めるのです?」

「そう困惑した声を出すな。目的は明らかに今のファレスティアの誰もが望んでいないことなんだ。改めて、『訊いた』んだよ。これは本当に必要なことなのか?ここまで、一人に全てを負わせて突き落とすのが?」


「――必要なこと、です」


血を吐くように言う。部屋が明るければ、その目尻に涙が滲んでいるのがわかったであろう。そう思えるような言葉だった。


 しかし、次の瞬間その悲痛なトーンが突然変わる。何もかもを押さえつけて、攻めて出た。

「感情移入でもしましたか?」

「あぁ、したさ。だがな、お前だってそうだろう?だから、もう遅いことに苛立っている。目を背けたがっているし、悲しんでいる。――本当にお前のやりたかったこととは思えないがな」

「やりたかったこと、ですか」

「そうさ。誰も望まない、寧ろ罪だ。ここまでして、誰もが怒るようなことをしたかったのか?」

「私の為したいことは――――――――」


 その答えはあまりにも大きく、重かった。一人で背負いきれるとは到底思えなかった。だが、その答えは無意識に予想していた答えだったろう。それでもほんの少し息を呑んだ彼に見えないのは承知で、曖昧に笑った。



 そして部屋の中は時が消えたようで、暗闇に灯りひとつ、ぽつりと照らすその側で、筆を走らせる音だけが静かに在った。その軽やかであり複雑なリズムに、押し殺した悲嘆の吐息の音が混ざる。

 ただ一人机に向かっていた人影が下から照らされている姿は、ほんの少しの不気味さを漂わせながら、影が、顔を上げた。


「何故……こんなことになってしまったのでしょうか……」


 その頬には、本人も気づいていないであろう涙痕があった。後から、後から、上塗りされていく痕である。

「本当に、こんなことを望んでいたのでしょうか……」


 悲痛な問いに答える者はそこに無い。何度も繰り返された非道が、未だ終わらない苦悩。あと何回罪の意識に蓋をして、目を背けなければならぬのか。あと何回、全てを負わせる犠牲を払わなければならぬのか――――。


 もう自分でも、これを消極的にでも肯定することができなくなっていた。

 もう自分でも、こんなことをする意味を、どこにも見いだすことができなくなっていたのかもしれない。



   ***


 サンディークス・ファレステニアは、気に入りの窓の下、苦い顔で外を眺めていた。切り取られた暁の澄んだ美しい空を、思考によって不釣り合いなほど歪められている顔で見上げている。冷たい風が首筋を切るように吹き過ぎ、彼は本能的な恐怖に我に返った。

 沢山の人々の悲鳴や怒号、そんな叫びが脳内に反響していた。その叫びへの答えを彼は決断しかねて、この気に入りの窓辺に足を向けたのである。思考の中では気づかなかったが、相当に混乱していたらしい。やはり考えはまとまらず、決断はできそうに無かった。


 ――――ノックの音がする。サンディークスは振り返った。

「入れ、オールドーだろう?」

 オールドーは一礼した。その腕の書簡の量に――線の細い彼には尚更、非常に重そうに見える――サンディークスは露骨に嫌そうな顔をする。

「サンディ様……あまり表情に出すのはよろしくないかと……」

「……お前まで、あいつみたいなことを言うか」

彼は苦笑した。吹き込まれたのか?と訊くのは流石にまずいと直感した。言いたいことはわかっているのだ。それはつまり、「皇帝なのだから、駆け引きできるだけの感情の制御は当然である」ということだと。これ以上は耳が痛いのは容易に予想がついたので、彼は話を切り替えることにした。


「それで、わかってはいるが……本題は?」



「国内からの『異常報告』が多数です」


 彼は真実頭を抱えた。が、左手はすぐにだらりと落ちて特大の溜め息を吐く。だから、決断しかねているんだ!と心の中で絶叫し、苦悶する。



 ファレスティア帝国は、豊かな国である。しかし、そこにはある問題があった。


 突然、異常気象や事故、火災、果てには大量殺人――農村が壊滅したことすらあった――そんな困難がこの国を襲うようになったのである。人々は恐怖し、悪魔や魔女の存在を信じるようになった。彼らによってファレスティアに困難がもたらされているのだ、と考えた。人々は彼ら――特に魔女――を“異端”と呼ぶ。


 ほんの一瞬、また叫びが頭の中で爆発する。




 この、“異端”め――――――!!



 彼は息が詰まったように思った。目眩がして、背にした窓枠に手をつく。

「オールドー」

「はい」

 オールドーには、サンディークスが何を言うかわかっていた。しかし、返事だけをして次の言葉を待った。


「だが俺は……、まだその手を使いたくは無いんだ」

「…………」

「わかるだろう?」

「はい」


 サンディークスは再び外に目を向ける。

「民にとっては“異端”だが……俺にとっては、俺の、『一部』なんだ」

「ですが、彼らは納得しないでしょう」

「――わかっている。だから、決めかねているんだ」



 しかし、その数時間後のことである。ファレスティアの皇帝の下に、彼が最も聞きたくなかったであろう報せが届いた。

 彼は呻いた。何故、こんなことになってしまったのか。俺は、どうすれば――――!報せを持ち込んだオールドーが、目を背けたほどの苦悩が滲んでいた。執務机に何度も、何度も拳が落ちる。彼は無力に喘いでいた。


 そうして、彼は苦い沈黙の空気から逃れるように、その場を後にしたのである。

 憂鬱だった。私室へ歩く間、オールドーによる“最悪の報せ”が絡みつくように勝手に思考される。足音を完全に消してしまう廊下の絨毯の上を、重い足取りでただ歩く。宮殿の中でも質素な私室の扉も、サンディークスの心を落ち着かせることは無かった。

 正装を投げ出し、軽装に着替え、彼は宮殿から出る。


 帝都・カルトゥーナの端に位置する森の中、涼しい風に吹かれてサンディークスは立ち止まった。






 小川に架かる石造りの橋と、離宮がそこには在った。

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