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Giorni del dolce veleno

 5


真のその瞳の色を、久しぶりみた気がした。

誰かの抱える“秘密”に踏み込まずにはいられない真の衝動は、実際高校以来久しぶりに目の当たりにする。その時は他人に向いていたその視線を、いざ自分に向けられると明確な恐怖が頭の中をうるさいくらいに駆け廻った。こうなることはずっと前から分かっていて、分かっているから何もないふりを続けていたのだ。今さら誤魔化せる訳はなかった。アルバムがそこにあること、写真が挟んであったことは真に言われて初めて気がついたが、それと同時にそれが意図的なミスであることにも気付いた。だからどれだけ辛かろうと、それは僕の意思以外のなにものでもない。

「智」

紅く染まった部屋に真の静かな声が響く。ぎらついた瞳に一瞬だけ陰りが見えた。厭わしい性を生まれ持っているくせに真の根本は優しく、今きっと罪悪感を拭いきれないのだろう。その中途半端さに僕は過去にも出会っている。

「同じだ…、真も、央も」

乾ききった喉から掠れた声でその名前を口にした時、体の奥が強く揺さぶられた。思いがけず熱いものがこみ上げてくる。決して短くない時間塞ぎこんでいたものが開け放たれたら、それは全く色褪せておらずむしろ生々しい感覚で僕に訴えかけてくる。

目の前で猛るこの男は、こんな話を一体どんな風に聴くのだろうか、聴き届けてくれるだろうか。馴染んだ恐怖が僕の背を押した。

「誰よりも大切な人だ。そう、大切な人だった」

 忘れようとして忘れられなかった面影が、真に重なり視界が揺らいだ。

「央、央はね、当時の、中学生だった僕にとっての、たった一人の友達。友達だった人」

数年間、忘れようとさえした懐かしい名前が口の中で絡まって、上手く言葉になってくれない。それでも真は落ち着きない手つきで冷めかけた紅茶を啜りながら、僕の言葉を待っているようだった。

「学校とか集団とか、そういうものがその時から苦手だった。中学の時、一年生の最後の方だったかな、転校したんだけど、馴染めなくて、孤立していた」

真の張り詰めた視線がふっと解ける。想像つくよとでも言うように、口の端を吊り上げた。それは僕への

気遣いであるような気もして、強張った肩から幾分力が抜けた。

「そんな時なんだ、央と出会ったのは。って言っても少し後にはなるんだけど、進級したクラスでクラスメイトだったんだよ。周りは相変わらず僕によそよそしくて、居心地も悪いままだったけれど、央だけはそれが当たり前みたいに普通に声をかけてくれて」

一度思い出すと溢れるように、記憶がありありと蘇って来た。よく晴れた日、砂埃がたつグラウンドで張り出されたクラス分けの一覧に一喜一憂する人々の中で、なんの感動もなく突っ立っていた僕に央はごく自然におはようと言ったのだ。

「それだけなんだよ、それからもただ挨拶をして、そのついでに下らない話をして。たったそれだけだったけど、そんな当たり前の事しかなかったけど、その時はそれが、嬉しかったんだ」

 真の目が少し見開かれた。僕自身も口にして驚いた。嫌いだ嫌いだと言いながらそれでも、どこかであそこに居場所を求めていたのだ。

「央は明るくて愛想が良くて、でもそれが鼻につかないんだ。面倒見が良いからかな、そういうところは真に似てる」

真が怪訝そうに眉をしかめた。

「真は明るくないし無愛想だけどね。でも、だから央には多分、気遣ってもらってたんだ、と思う。優しいから、あの人は。

央と僕が同じ作家のファンだったから、周りより少しは一緒に話をしていたかもしれない。一緒に帰ったり。央の部活は忙しくて、終わるまでよく図書室で待ってた。少し遠くから央の歌声を聞きながら」

少しかび臭い図書室の匂いと、曇った橙色の光に輝く塵が目の前に広がる。心の底に沈めた記憶が小さな鳴き声をあげ始める。

その切なげな声の奥に、少し掠れた柔らかい響きが僕の名前を呼ぶ。


 「おまたせー、帰ろうか」

「疲れたー、もう部活いやー」

分厚い扉越しに足音が過ぎ、褪せた笑い声が聞こえた。

「あのう、そろそろ閉めたいんですけどお……」

やけに間延びした声が、机に向かった僕の背中から投げかけられる。ふと目の前の時計に目をやると、下校時刻間近の時刻を指示していた。

「鍵、閉めておくので」

抑揚のない僕の声に一瞬戸惑ったおさげの彼女は、慌てて鍵を差し出した。

ではあ、と微かに呟いて、逃げるように重たい扉を引く。鈍い動きの扉にしびれを切らしたように飛び出していった。

「きゃっ」

「おっと、ごめん大丈夫?気をつけて。智!お待たせ!」

おさげの彼女と入れ替わりに、つうっと通る聞きなれた声が僕の名前を呼んだ。

「央!お疲れ様、お帰り」

扉に一番席に座り央が来るのを待ち構えていた僕は、慌てて手にしていた本を滑り落した。

「智どんくさいなあ、はい」

央は屈みこんで落した本を拾い上げ、僕に差し出した。少しくたびれた風な貌が悪戯っぽく笑みを浮かべた。

「ありがとう央、これ戻してくるからちょっと待っててもらって良い?」

「行ってらっしゃい、寄り道しないで帰っておいで」

冗談っぽい口ぶりで央は笑ったが、本棚を見ていると本を元の場所に戻すだけでは済まないのは僕の良くない癖の一つだ。

無意識に取り出した本をぱらぱらと捲って戻し、別の本を摘むように取り出して“寄り道”する僕を、それでも央は待っていてくれる。

「ほい」

机に置いていた鞄を央が差し出し、僕はそれを受け取った。

「今日は寄り道しなかったね。でももう結構遅くなったな、寒くない?」

「うん。そうだ、聞こえてたよ、央の声。文化祭が待ち遠しいな」

人気のない校舎を並んで歩く。吹き抜ける風が少しだけ冷たい。

「もうすぐだからね、みんなぴりぴりしてるよ。そっちはどう?締め切りだっけ、間に合いそう?」

「うん、なんとか。でも他の人はどうなんだろう。こっちもぴりぴりしてるよ」

央の軽音部も僕の文芸部も、文化祭を目前に控えたこの時期は忙しい。と言っても文芸部は個人の作業が主体なので集まりはほんどなく、バンドで活動している央を僕はいつも図書室で待っていた。

「間に合いそうなんだ、なら良かった。智は締め切り守るって意識、お母さんのお腹の中に置いて来たんじゃないかと思ってたよ」

「なにそれ酷い!部内じゃ真面目な方だよ、この前は直前でインフルエンザに罹ったからだってば」

「そうだったけ?で、その前は?」

央は悪戯っぽい笑顔を浮かべて、意地の悪い問いかけを繰り返す。痛いところを突かれてはいるが、央の疲れが少しは紛れたようで、内心満更でもなかった。

「あ、そうだ。これ貸すって約束の、持って来たよ」

忘れかけていた真新しい文庫本を差し出すと、央は一層煌めいた顔で腕に飛びついてくる。

「待ってましたよ!ありがとう、凄い楽しみにしてた」

「でしょう?前回良いところで終ったからね。今回も面白かったよ、それでまたも良いところで切れてた。もう続きが楽しみだよ」

「うわ、また?この先生そういうこと本当に上手いよね。でも智がこの先生のファンで良かったよ」

「それはこっちのセリフだよ。まさか同級生に同じファンがいるなんて思ってもみなかった」

央が手にした文庫本はやけに荘重で、央の背のギターケースとも、僕と同じ制服ともつり合わなかった。僕らが生まれる少し前になんだかの賞を受賞したのだという作家の時代小説なら、それも無理はないのかも知れない。

「でも今は忙しいから返すの遅くなるかも、大丈夫?」

「平気だよ、ゆっくり読んで。と言うかしっかり読んで、伏線がね、もう色んなとこにね」

「ちょ、内容ばらすのはなし!ストップ!」

央が慌てて僕の口塞いだ。僕はさっきのお返しとばかりに悪戯な笑みを浮かべてみた。

「そういえば、今日はなんか発売日だったよね」

「ああ、文芸誌のほうか。あれは高いしかさばるからなかなか手が出せないよね」

「ほんとに。部活がなければなあ…」

央が残念そうに呟いた。今のメンバーとバンドを組んで一年半が経つそうだが決して気が合う面子ではないらしく、このところの帰り道の央はいつもこうだった。

「でもステージの央は格好良いよ」

央のステージを目にしたことはそう多くないが、スポットライトに浮かぶその姿を僕ははっきりと覚えていた。

「そうか…、ありがと、なんか頑張れるよ」

僕に向いて言った央の言葉が少しだけ明るくなった気がして、僕は素直に嬉しく思った。

「じゃあ。また明日ね、智」

帰り道、それまでの一本道が二手に分かれた場所で、央はひょいと手を挙げ背を向けた。

「うん、また明日ね」

僕は遠のいて行く央の背中に呼びかけて、反対側の道を歩いた。

本の感想を言い合って笑って、先生の些細な悪口を言って笑って、兎に角笑っていた。何が楽しいのかと訊かれても、他愛もない会話に当時の僕は具体的な答えを見つけられなかった。本当に、ただの世間話にすぎないような会話しかしていなかった。けれど、今現在の僕がその問いに答えるなら、明確な答えが一つある。それは裏切りの言葉。

僕らが出会ったばかりの、中学二年生の、秋と冬の狭間にたった十月ごろの日常だった。

このたびお引越しすることにいたしました。

中途半端なところで申し訳ありませんが、なにとぞご理解ください。

Denkinovel http://denkinovel.com/books/38

こちらで書かせていただいております。

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