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彼女と彼のあれこれ

 今まで幾度も、こうして二人で顔を突き合わせながらレポートや課題に取り組んできた。

知り合ったころ、まだ俺たちが高校生だった頃は二人とも学年では知れた不良児で、夏休みなんかはひいひい言いながら八月末の最後の蝉の声を聞きながら課題に励んでいた。喧嘩をするとかそういう、ある意味元気の要りそうなことはしなかったが、智は持ち前の気まぐれで授業に出たり出なかったりで、俺の方もほとんど教室には行かず中庭や校舎裏で昼寝に勤しんでいた。今から思っても大した後悔はしていないが、流石に受験が迫ると焦りが出始め二人で担当教科の教師に詰め寄ったりもした。学部内で常に上位の成績をキープしている今の智からは考えられないのかもしれない。俺にしても、ひとまずこっち二年はまだ無断欠席をしていないから、成長はしたのだろうか。

 頭はまださほど遠くない過去の記憶を追いかけているのに、眼は散らばった資料からマーカーのついた箇所を確実に拾い上げ、指先もまた確実にそれを組み立て打ち込んでいく。いつになく作業が捗るのは渋い紅茶のおかげだろうか。

俺と智がキーボードを叩く音だけが控えめに沈黙に響くこの時間を、俺は高校時代から気に入っている。会話はなく互いに干渉しあうことさえないことに、俺は集中力が続く間不思議と居心地の良さを感じるのだ。まあ大抵は俺の方から根をあげて休憩を提案するのだが。

頭と体がちぐはぐに、しかし確実にそれぞれの作業を進めるうちに部屋は薄暗く、カーテンがオレンジ色の光を受けはためいていた。レポートの方が半ばに辿り着いたところで行き詰まり、ふと顔をあげると窓から差し込んだ陽光に照らされ少し火照った智の顔があった。俺にしては随分を根をつめた方だが机を挟んで向かいに座る智は、指先と眼以外が微動だにしない。相変わらずの集中力だ。部屋の散らかり具合も、食事も睡眠も、何かに没頭した智の眼には映らない。そして灰皿代わりらしい小さなグラスに、ずんずん灰が降り積もってゆく。

「智」

グラス半分まで溜まった吸い殻の山に火を押し付けた智に、流石に声を掛けずにはいられなかった。普段は数を吸う方ではないし、そもそも俺が口出しするようなことでもないのでわざわざ注意したりはしないが、何かに没頭すると自分に対して配慮が行き届かなくなるのが智の悪い癖だ。

「のめり込み過ぎじゃないか、一息いれようぜ」

言ってみたが、予想通り智は俺に眼もくれずディスプレイに集中している。

「智、おい智」

ほぼ無意識であろう机の上に散らばった煙草に伸びた手を掴むと、智の顔が跳ね上がり俺を見た。よほど深く自分の世界に潜り込んでいたらしく、寝惚けたようにぽかんとしている。

「休憩、しようぜ。もう陽も暮れかけてる」

「あ、ああ、うん」

「紅茶、おかわりもらえるか?できれば砂糖を入れてほしい」

戸惑いながら立ちあがった智は、少しふら付きながらキッチンへ向かった。その細腕には薬缶はどうにも不釣り合いだ。

カウンター越しの智の姿を改めてよく視てみる。見慣れた友人をまじまじと見るのは気恥ずかしいが致し方ない。

智は悪い癖のせいで食事も睡眠も頭から抜け落ち、久しぶりに部屋を訪ねたら倒れているということが今まで度々あった。

今はこのレポートにのめり込んでいるのだろうか、もとから細く骨ばった身体(からだ)が若干ではあるが削り落されている気がした。

「なに」

俺の視線に気付いた智が、まるでゴミでもみるような眼で俺を睨んだ。

「そんな顔するなよ、お前の顔を見るのは久々だろ。また少し痩せたな、忙しいのか」

「そうかな。まあ、忙しいけど」

「ちゃんと食ってるのか」

智の眼の不機嫌の色が濃くなる。

「真にそんなこと心配される筋合いないよ」

口を尖らせて智が言う。痛いところをついたようだ。無愛想だがよく見れば単純な智の性格は俺にとっては付き合いやすい。

会わなかったのは一週間ほどだし、俺はひとまず今日はこのまま夕飯を一緒に摂ろうと心に決めた。

「お前も子供じゃないんだから加減を覚えろよ。倒れる度に面倒見てるの、誰だと思ってるんだか」

いくら釘を刺しても智は無茶をやめないが、一応、後から俺が後悔しないために言ってみる。

すると智は意外にも気まずそうに視線を逸らした。意外、と言うには弱い。それは衝撃として俺の脊椎を走った。

「なんか、作ってくれよ」

その表情があまりに予想外で、言葉が口を衝いて出る。止める暇はなかった。状況と微妙にずれた厚かましい

セリフだが、その言葉に言った自分が驚いてしまった。

「え、っと、ほら腹減ったし!お前も何か食わないと、だろう?」

慌てて言葉を繋ぐと智は見慣れない、不安か戸惑いか或いは寂しさかが入り混じったような表情で、俺を見ていた。しかし俺の頭が動揺の渦に呑まれかけたころ、それはゆるりと解けた。

「唐突、厚かましい、何考えてるの?」

意地悪く歪んだ唇から零れ出てきたのは、悪態の嵐だった。しおらしい表情は本当に一瞬だけで、見慣れた智の表情に安堵してしまった自分を恨んだ。何を考えていたのか俺が知りたいくらいだ。

「何って…。良い、何か買ってくる。とりあえず休憩だ、そう休憩!俺は休憩が出来ればそれでいい」

みっともないと自覚しつつ、さっきの一瞬を無かったことにせんとばかりに俺は鞄を引っ掴んで立ち上がった。リビングと廊下を隔てるドアに向かう。

「大したものは作れないけど」

ドアノブに手を掛けようとした時、智の声がすうっと響いた。

「わざわざ買いに行くのも面倒だし待ってれば?作るよ、なんか適当に」

智を振り返った俺の顔は相当間抜けだったと思う。まさに鳩が豆鉄砲を食らったような、そんな顔をしていただろう。

「なにか不満が?」

「あ、いや。え、なに、本当に?」

「動揺しすぎだ、馬鹿。座ってお利口に待ってなさい」

智はとても楽しそうに口の端で笑いながら冷蔵庫をあさり始めた。手料理を振舞うことにではなく、俺が動揺を見せたことを愉しんでいるようだった。

俺はキッチンから離れ、段ボールの山々が連なるリビングに戻った。

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