チャプター4 孤独な兎の
ああ、っついわー。なんでこう暑いのかしら。夏だから? それを理由にこの暑さを許せるほど、私は人間できてないのよ。
コンビニでアイスでも買って、せめてもの癒しと冷涼をあの棒状に求めようとしたわけだけど、クラスの連中、何人かがコンビニの中にいた。これから部活に行くのか知んないけど、きゃあきゃあと、何が楽しいんだかはしゃいでいて、私はそれを見るなり、アイスを諦めた。
この言いようのない敗北感。悪いのは今日、ここにある奴らの存在であって、私がクラスでぼっちであることからくる引け目なんぞ、棚上げにしてくれよう。そうでもしなければ、この暑さの中、私の精神は正気を保っていられなかった。
制服のブラウスが汗でべっとりと肌にくっつく。首元から胸の谷間にしたたる汗が、この上なく気持ち悪い。まあ、谷間というより、なだらかな丘陵地帯程度なのは否めないんだけど。グランドキャニオン級の谷間に憧れなくもなかったけど、私がそんなものを装備した姿を想像しても、なんかビッチっぽくて合わない。これはこれで、分相応なのかも知れないと、ぱたぱた胸元に風を送りながら思う。
髪、ちょっと切ろうか。前髪で隠れた視界の中にいるのは居心地がいいんだけど、とはいえこの暑さ。さすがに髪が鬱陶しい。ヘアピンで止める、というのも考えた。というか、やってみた。けれど、鏡の前で、誰だお前は、と自分にツッコミを入れたきり、ヘアピンを使う案は即却下した。目つきの悪い、いじけた女が鏡の中から自分を見つめていた。
自分で自分をいじけた女とか評したことを思い出し、へこむ思いで、暑苦しい蝉の鳴き声シャワーをくぐり抜け、私はようやく学校へとたどり着いた。普段は、一度校舎に入って上履きに履き替え、それから部室に行けと、先生や生徒会やらはうるさく言う。けれど、休みの日にまでそんな面倒くさいこと、やってらんないわ。
直接部室に向かう。鍵、開いてればいいけど。望美か彩火がもう来てるかな。建て付けの悪い部室の扉をゴトゴトと開け、とどめの一汗をかかされながら、中に入った。
生ぬるい空気が室内を満たして、オンボロクーラーの奮起が、かろうじて外気よりも室温を下げている程度の部室だった。
「ぉはよ。」と、いつもの挨拶をしながら、私は見慣れないものを部室の中央に見ていた。
「あら、斑ちゃん。おはよう。早いのね。」と、挨拶を返してくれる北野。いや、それはいいのよ。北野はこの暑い夏のさなか、いつものように涼し気な顔をしている。問題は真ん中に座っている、これは、着ぐるみ? このくそ暑いなか、なんかのバイトかしら。端正な顔立ちをした兎の着ぐるみが、学校のジャージ上下を着て、椅子の上に置かれている。でも何で部室に。
「あのさ、北野。」
「何?」
「それ、何?」
「ああ、これは・・・。」
言いかける北野の隣で、着ぐるみの耳がピクと動いた。青信号みたいな緑色の目が、きょろりと私を見る。
「よくできてんのね、それ。中に誰か入ってるの? 鎌倉の奴? 何かの罰ゲーム? おーい、鎌倉。暑さで死んでないかー?」
「カマクラ、とは何のことだ。」と、唐突に、着ぐるみが、喋った! マイク付き?
「鎌倉は鎌倉じゃない。脱水症状で死んじゃうわよ、本当に。脱ぎなさいよ。」
私はそう言って、ぐいぐいと頭を引っ張るのだが、いっこうにその頭が抜けない。フワフワのもふもふした毛並みが、異様にリアルだ。
「待って、斑ちゃん。着ぐるみじゃないの。クダリよ。」と北野が止めに入る。
「下り? 何が下りなのよ。」
「下りじゃなくてクダリ。来てくれたのよ、マゼラ様が。」
「・・・・は?」
マゼラサマガキテクレタ・・・? 何を言ってるんだ、北野は。暑さで頭がおかしくなっちゃった?
「マゼラ様って、あの宇宙人のこと? 冗談言わないでよ。よくできた、ただの兎の着ぐるみじゃない、これは。」
「だから、着ぐるみじゃないの。ハラクダリ・ダルマヤスカ。ウニヤラという星から来た、正真正銘の地球外生命よ。」
「え? ・・・・いや、何言っちゃってんの。・・・・ウソ。マジで?」
「本当だ。」と着ぐるみが言った。
「俺はそのカマクラという者でも、着ぐるみでもない。この惑星外から来たのは事実だ。」
「・・・・はぁ?」
マジでか。本当に、地球外から? 北野がアラバマへマゼラ様を迎えに行くと言ったのも、夏休みを利用した壮大な宇宙人お出迎えごっこの一環とばかり思ってたのに。本当に連れて来ちゃったのか、宇宙人を。
「ほ、本当なの?」
私はそう言って、もう一度、そのふさふさのほっぺたに触れてみる。毛の下から、温かいぬくもりが伝わってきた。作り物、じゃない。クダリ、と呼ばれたその兎は、不機嫌そうに言った。
「本当だと言っているだろう。くどい。君の名前は。」
「斑。設楽斑・・・。」
「マダラ。今、俺の頬を触れて感じただろう。人形でも作り物のハリボテでもない。どうすれば、この惑星外からやって来たと信じるんだ。」
「あ・・・、うん。いや、ごめん。」
兎星人、クダリの剣幕に押し切られるように、私は思わず謝ってしまった。私を騙して笑ってやろうとか、そういう空気を二人からはまったく感じない。
それにしても、夏休み中、部室に行ったら宇宙人が座っていた、とか、どんなシチュエーションなのさ。この状況を私はどう解釈したらいいのか分からず、しばらく無言でクダリを見つめてしまった。クダリは腕を組みながら言った。
「何だ? 無言で見つめられても、デバイスを使わなければ思考は読み取れない。言葉なら理解できるのだから、口に出して言ったらどうだ。」
ちょ、・・・・偉そうな態度。私は何だか、さっきから上から目線でものを言う兎星人に腹が立ってきた。
「んな偉そうに言わないでよ。じゃあ、あんた。クダリって言ったわね。部室で何してんのよ。そもそも、地球に何しに来たのよ。一人で来たの? 仲間は? 地球侵略のため、とか言わないでしょうね。」
反撃する私をなだめるようにして、北野が言った。
「侵略じゃないわ。違うわよね、クダリ。」
「俺達の行動は、侵略、という概念には当てはまらないだろう。母星の属する恒星系が寿命を迎えつつあった。星そのものに、住めなくなったんだ。だから、生存可能な他の惑星を探し出し、移住する必要があった。いくつもの船団が、ハビタブルゾーンの惑星を目指し、宇宙各所に向かって散って行った。俺はそうした集団の一人だ。言うなれば、移民、ということになる。」
移民・・・。星単位の引っ越し、ということか。私は兎星人に言った。
「じゃあ、あんたみたいなのが、大勢地球にやってくるってこと?」
「そういうことになる。ただ、この惑星の正確な位置を母船に知らせる必要がある。大まかな位置は把握しているだろうが、ピンポイントでここに向かわない限り、数十光年単位で到達場所がずれるからな。」
北野が言葉をついで言った。
「その通信を行うために、この場所に来る必要があったんだって。」
「ふぅん。何だか壮大な話ね。でも、地球にあんた達が住める場所なんて、あるのかしら。生きるに適した場所には、とっくの昔から人間が住んでるわけだし。」
「それは無論考慮する。俺達としても、土地や資源を巡っての衝突は極力避けたい。俺達の船が、無補給で航行するにも限りはあるが、だからと言って何の段取りもなしに大挙して押し寄せるつもりはない。だから、まずはごく少数の人数でやって来た。」
「ごく少数ってことは、あんた以外にも地球に来てるってこと?」
「いや・・・・。今はもう俺一人だ。月に着陸した際の事故で、先遣隊の他のメンバーは、全員・・・・、死んだ。」
え? という顔をして、北野がクダリを見た。どうも、その話は北野にとっても初耳だったみたいだ。北野はクダリに言った。
「みんな・・・?」
「ああ。制御システムの故障だ。頭から月の裏側に突っ込んだ。コックピットが丸ごとひしゃげて、助かったのは俺だけだ。」
クダリは淡々と起きたことを話しているけれど、その声は心なしかふるえていた。「助かったのは」と口にする時、自分だけが助かった、いわれなき罪悪感をその口調の裏に感じたのは、私の気のせいだっただろうか。
「そうだったの・・・。」と北野は言って、クダリの手を取りながら続けた。
「それは・・・、残念だったわ。あなたは、よく無事に地球まで・・・。」
北野は今にも泣き出すんじゃないか、というくらい悲し気な顔でそう言った。それは、私にとって意外な、とても意外な北野の反応だった。他人を遠ざけ、無関心と孤独の檻に自ら収まろうとし続けた最近の北野からすると、クダリに示した同情は、そんな傾向とまったく正反対のものだ。
私は、そんな北野の反応に少なからずうろたえながらも、クダリに言った。
「それは、まぁ、その・・・、大変だったわね。それでも、あんたが無事に地球まで来れたことは、喜ぶべきことと思うわ。」
「喜ぶべき・・・・。」クダリは、消え入るような小さな声で、そう呟いて、うつむいた。うつむいたクダリは、何だかとても、幼く見えた。大人ぶった、堅苦しい口調の割に、私よりも年下なんじゃないかと、そう思わせる姿だ。部室の中央に、しょげて縮こまる子兎。大人ぶった口調は、与えられた使命の重さと不安から、自分自身がつぶれないよう守る、支えのようなものなのかも知れない。
私は、座ったままうつむくクダリの、マシュマロみたいな頭頂部を見つめていると、いたたまれない気分になって言った。
「そんなしょんぼりしないでよ。やることがあるから、ここにいるんじゃない。その母船との通信だっけ? 連絡が取れれば、みんな来るんでしょ。落ち込んでる暇なんて、ないんじゃないの。」
クダリは、むくりと頭を持ち上げて言った。
「そうだ。やるべきことがある。いや、落ち込んでなどいないし、悲しんでもいないよ、マダラ。君に言われるまでもない。」
「・・・・あんた、生意気ね。」
「ありがとう。」
「褒めてんじゃないわよ。まぁいいわ、元気が出たなら。」
クダリはもふもふの腕に埋もれるようにしてついている、腕時計を見て立ち上がった。
「時間だ。このタイミングなら、通信もつながりやすいだろう。」
北野は、
「どこがいいのかしら。やっぱり、屋上?」とクダリに訊いた。
「そうだな。上空が開けた、屋外がいい。」
「じゃあ、やっぱり屋上ね。行きましょ。」
そう言って、北野は先に立つと部室の出口へと向かう。宇宙人が母船と通信する様子なんて、そうそう見られるものじゃない。私も後について、二人に言った。
「私も行くわ。・・・・ところで、あんたたちさ、どうするの?」
「どうするって、何を?」と北野が首をかしげる。
「クダリのその姿よ。変装とか、何かかぶるとかしないと、目立つんじゃない?」
「別に、平気だと思うわ。」
「そう、なの? そもそもさ、学校までどうやって来たのよ。そんな姿じゃ、宇宙人でござい、と宣伝してるようなもんじゃない。」
「学校に来るときは、クダリに風船を持ってもらったわ。途中、何人かの子供達にあげたけど。」
「ああー。風船、ね。」
言われてみると、部室の端の方に、何個かの風船がプカプカと浮かんでいる。彩火のドM御用達ダンベルや、望美の愛玩ロケットなんかが部室にはあるものだから、それに、私の愛しい全身骨格とか、そんなものたちに紛れて目立たなかったけど、確かにあの風船は昨日までなかった。
クダリがジャージ着て風船持ってれば、完全にイベント主催者の用意した着ぐるみだ。ちょっと人目を引きはするけれど、町中にいたっておかしくはない。下手に覆面なんかさせるより、よほどうまいカモフラージュだ。
「考えたわね、北野。」
えへへ、と笑って北野が照れる。
「斑ちゃんに褒められるなんて、すごい久々な気がするわ。」
クダリは、面白くもなさそうな顔をして言った。
「風船など持つ必要はないと言ったのに、キタノが持てとうるさいから持ったんだ。人間の子供達はまとわりついて離れないし、いい迷惑だ。」
「確かにね。あんたが風船持って歩いてたら、子供が半端なく食いつきそうだわ。でも、お陰で怪しまれなかったんでしょ。この暑さの中、目出し帽なんかかぶってたら、学校に来るだけで三回は職質されてたわよ。」
「斑ちゃんも、そう思うわよね。それにほら、見て。」北野は嬉しそうに言いながら、クダリの背中にセロテープで、A4大の紙を貼り付けた。そこには、SF部、と大書してある。
「これなら、校内で誰かに見つかっても、そんなに違和感ないでしょ。」と北野は言った。
「そうね。うちの部に変なのそろってるのは、全校に知れ渡ってるわけだし。SF部の着ぐるみとなれば、それほどつっこんだ質問も来ないでしょ。」と北野に返す。
部室の外に一歩出ただけで、湿気を含んだ熱い空気が身体にまとわりついた。あんなオンボロクーラーでも、ないよりはましということよね。
校舎に入ったところで、一応あたりに注意を払う。いくらSF部所属の着ぐるみを装っていても、やはりクダリが目立つことには変わりない。できることなら、他の生徒には会いたくなかった。
夏休み中の学校なわけで、幸い人影はない。下駄箱の影に隠れて生徒がいないことを確認すると、
「・・・大丈夫そうね。」と私は二人に言った。
北野は呑気な声ながらも、
「そんなに心配しなくても大丈夫よ、斑ちゃん。きょろきょろしてると、かえって怪しまれるわよ。こういうときは堂々としてた方がいいわ。」
と、なかなか図太いことを言う。北野みたいなのに限って、平然と大胆なことをやってのけるのよね、きっと。裸で校内一周とか。・・・・まぁ、それはないにしても、ちょっと後ろめたいことをやるときでも、この動じなさぶりは、味方にいると頼もしいわけよ。私は北野に言った。
「堂々としてるわよ。私が挙動不審だと?」
そう言いながら歩きかけると、視界の端から、まったく唐突に鋭い詰問が飛んだ。
「何が堂々と、なのかしら?」
「げっ・・・! 海江田・・・。」
海江田菊菜。生徒会長。風紀委員長兼任。和服でも着せて、「黙っていれば」かわいい部類に入る、ひとえまぶたの女子。けれど、その辣腕運営は我がエンケラドス学園の鬼嫁と言われるほどに鋭い。なんで鬼「嫁」なのかっていうと、これでなかなか面倒見はいいらしいからだ。いつ、誰が評するともなく、鬼嫁の二つ名が定着している。十代で嫁とか言われて、同情しないわけではないけど、こいつには、そんな同情一グラムも必要ないみたいだった。
海江田の冷たいひとえから注がれる視線が、私達一人一人を刺すように見据え、クダリのところでぴたりと止まった。よりによって、今一番会いたくない相手と、いきなりエンカウントするなんて・・・。旅立ちの町を一歩出たら、いきなりラスボスに襲われたようなものだ。
しかし北野は、まったく慌てる様子もなく海江田に言った。
「あら、海江田さん。こんにちは。今日も暑いわね。」
「東さん。こんにちは。」
クラスは違うはずだけど、北野の名前が海江田の口から即出てくる。噂では、全校生徒の名前と顔を、すべて記憶しているらしい。当然、
「設楽さん。あえて堂々としなければならない理由は、そこにいる着ぐるみかしら。」
私の名前も、海江田にはインプットされている。いきなり痛いところを突かれた。私はなるべく平静を装って海江田に言った。
「ああ、これはね。罰ゲームよ、罰ゲーム。中身は、えーと、うちの部の鎌倉よ。一年の。」
私は腹話術士顔負けの巧妙さで、ほら! うなずくのよ! と口を動かさないまま小声でクダリに言った。クダリは言われるまま、こっくりとうなずく。
「罰ゲーム・・・?」
海江田はわずかに眉をひそめ、クダリを頭の先から、いや、耳の先から足先まで眺め下ろして言った。
「いじめとかじゃないでしょうね、設楽さん。」海江田の目が、きらりと光った。
「い、いや、違うって。そんなんじゃないから。ね、鎌倉!」
再び、クダリはこっくりとうなずく。
「ふぅん・・・。」
海江田はなおも疑わしそうに、クダリと私を交互に見ている。何よ。私が鎌倉をいじめる人間に見えるとでも思って・・・、思って、いるのよね、きっと。くっ・・・。日頃の行いがこんなところであだに・・・。
私が鎌倉を着ぐるみに押し込んでいじめてるんじゃないか疑惑によって、今にも生徒会室に連行されそうなところ、北野が私と海江田の間にするりと入って言った。
「罰ゲームっていうのは本当よ。斑ちゃんもさっきまで入ってたんだから。ほら、それでこの汗。」
北野に言われるまで気づかなかったけれど、私は冷や汗と普通の汗で、もはやびちゃどろの状態になっていた。汗だくの私を見ながら、海江田はようやく納得したみたいだった。
「そうなの・・・。ま、東さんがそう言うなら信じるけれど、ほどほどにね。着ぐるみに入って熱中症とか、しゃれにならないわ。せっかく生徒の少ない校舎で、夏休み気分を満喫してたんだから、問題は起こさないでね。じゃ。」
海江田はそう言って、くるりときびすを返すと、すたすた歩いて行ってしまった。
「ふぇぇー、助かった。ちっ。何よ、私が言ってもまったく信じなかったくせに、北野の言うことには納得しちゃってさ。問題は起こさないでね、じゃ、じゃあないわよ。」と私は悪態をつく。北野は平気な顔して嘘をついたのが嘘のように、すまして言った。
「でも、ごまかせてよかったわ。クダリに中の人なんていないってばれたら、いろいろ大変だったわよ。」
クダリは、面倒なことに巻き込むなと言わんばかりに、ふん、と鼻を鳴らして北野を促した。
「その屋上というのは、どうやって行けばいいんだ。こんな邪魔が入っていては、通信のタイミングを逃す。」
私は、北野の代わりに答える。
「分かってるわよ。こっち。」
足早に階段を昇って最上階まで行くと、屋上に出る。幸い、夏休み中にも関わらず屋上への扉の鍵は開けられていた。
一歩外に出ると、真夏の日差しが殺人的に降り注いでいた。直射日光を嫌うところにおいて、私は人間吸血鬼も同様だ。わずかに残った建物の日陰へ、ねじ込むように身体を入れた。クダリに言う。
「ほら、ここならいいでしょ。ちゃっちゃとやっちゃって。」
「分かっている。」
クダリはそう言って、ジャージのポケットからもそもそと何か、緑色の物体を取り出した。北野が興味津々といった感じでのぞき込む。
「それは何?」
「通信機だ。指向する座標さえ合えば、脳からの波形を信号化して、数秒のタイムラグで相手にこちらの意志を伝えることができる。キタノ、君に声を送ったときも、これを使ったんだよ。」
「そうだったの。でも、それって・・・。」
屋上のど真ん中、燃えたぎる日光を浴びる二人からちょっと離れた場所にいる私は、クダリが緑の物体を、頭の上にのっけるのを見ていた。クダリの耳と耳の間に、ちょうどいい感じで収まるそれは、どう見たってカメレオンだ。ざらざら、いぼいぼした皮膚の感じ、きゅろきゅろと動く目、半開きの口。あれで、母船と通信を行うっていうのかしら。
クダリはおもむろにその場であぐらをかいて座ると、っていうか、お尻、熱くないのかよって思うんだけど、両手を楽にして広げ、目を閉じて瞑想を始めた。北野も、二歩ほど下がって、クダリの様子をじっと見つめている。
・・・・・・。
・・・・・?
・・・・・・・むぅ。暑い。てか、長い。
たっぷり5分は、そのままでいただろうか。クダリは、はっ、と目を見開くと、頭の上のカメレオンを慌てて手に取り、何を思ったのか、カメレオンの舌をみょいと伸ばして見つめている。その様子がただ事じゃなかったものだから、私はしぶしぶ日光の下に出て、クダリに言った。
「どうしたのよ? 問題?」
「・・・・・。」
クダリは無言で、カメレオンの舌をさらに調べ、次いで、お腹やら尻尾やらをいじり始めた。北野も心配そうに言った。
「どうしたの、クダリ。母船に何かあったの?」
「いや、そうじゃない・・・。壊れてる・・・。」とクダリはつぶやくように言った。
「は? 壊れてるって、そのカメレオンみたいな通信機が?」と私が言うのもほとんど耳に入らない様子で、クダリは北野に向かって言った。
「ど、どうしよう、キタノ。これが使えないと、母船を呼べない。み、みんなが、船のみんなが・・・! 食料と水の自給にも限りがあるし、このままじゃ、宇宙でのたれ死にだ。」
なんかいきなり、テンパり出した。さっきまでの堅苦しい喋り方もどっかに吹き飛んでしまって、おたおたと慌てる姿に、クダリの地が現れているような気がした。
クダリって、もしかして結構若いんじゃないのか。兎星人の見た目から、年齢なんて推測したことないから、見当もつかなかったけれど、今、目の前にいるクダリの言動は、中学生くらいに見える。
私は動揺しているクダリに言った。
「ちょっと。落ち着きなよ、クダリ。壊れたって、それ、確かなの?」
「確かだよ。舌の先に自己診断シグナルが出るんだ。コードは、Unhandled Fatal Error.」
「どういう意味よ、それ。」
「予期しない、致命的問題が発生している。」
「直せないの? あんた宇宙人でしょ。」
「宇宙人だから自分の持ってるデバイス直せるなんて、そんな理屈はない。」
「・・・まぁ、そうね。私だって、自分のスマホ直せるわけじゃないし。予備は?」
「ない。」
「そんな大事なものなのに、予備がないって。」
「しょうがないだろ。資源も時間も、何もかもがぎりぎりの状態だったんだ。それにこれは、滅多なことじゃ壊れないようにできてるんだ。」
「でも、壊れちゃったんでしょ、それ。」
「う・・・・。」
ぺた、とクダリの耳がしょげてしまった。耳ごとしょげられると、何かかわいそうになってくる。それに、クダリは母船の仲間を心配しているけれど、この状況はもう一つ、別の大きな意味をもっている。
クダリはいわば、迷子になってしまったのだ。この広大な宇宙で、生まれの星の人々と、連絡がつかない。地球人が見知らぬ惑星で、宇宙人に囲まれながらたった一人、地球との連絡がつかなくなってしまったのと、同じだった。まさに、十億光年先まで孤独だ。
北野がクダリの肩に手を置きながら言った。
「とりあえず、一旦部室に戻りましょ。まだ、何か方法があるかも知れないわ。誰かに見せて、直してもらうとか。」
「見せるって、誰に見せると言うんだ。この惑星の科学水準じゃ、機構を理解することすらできないよ。」
「それは・・・。」
北野も黙ってしまう。クダリは自分で言ったその事実に、あらためて落胆したみたいで、耳のみならず、ひげまでも下向きになってしまった。私は、うなだれて座るクダリの背中を、べし、と叩いて言った。
「落ち込んで解決すんなら、いくらでも落ち込みなさいよ。でも、それで解決なんてしないでしょ。ほら、立って。こんなところにいつまでもいたら、熱射病になっちゃう。」
「あ・・・、うん。」
のろのろと立つクダリを連れて、私達は部室へと戻った。
部室に戻ると、望美、彩火、鎌倉の三人が来ていた。三人とも棒アイスをくわえながら、部室に入る私達へ、正確には、クダリへ、その視線を注いだ。何だ、それ、と口に出さなくても目がそう言っている。
望美がアイスを口から引き抜くと、三人の疑問を代弁するように言った。
「何? その兎。何かのイベント?」
北野が答える。
「イベント、と言えばイベントかも。一生に一度、あるかないかくらいの大イベントね。マゼラ様よ。名前はクダリ。」
さらっと言ってのけたその紹介に、望美は一瞬、北野を凝視しながら眉をひそめた。
ああ、うん。これは、この子、とうとう兎の着ぐるみまで用意して、マゼラ様ごっこに没入しちゃったんだわ心配、とか考えてるパターンね。望美は再びアイスをくわえなおすと、クダリの前に立って言った。
「マゼラ様って、これが? でも、中に人が入ってるんでしょ。暑くて倒れちゃうわよ。」
口の動きに合わせて、アイスの棒がぴこぴこと上下している。望美は言いながら、クダリの両耳を持って上に引っぱり上げようとした。
「いて! 何をする! 俺の耳に触るな! 侮辱するか!」
クダリが鋭く叫んだ。耳を触るのは侮辱にあたるんだ、こいつらにとっては。望美が、危うくくわえたアイスを落としそうになりながら、驚いた表情で言った。
「こ、この感触。よくできた耳ね。もふもふの毛なみに、柔らかいながらも筋肉質な・・・。」
叫んだものの、すぐにまたテンションが落ちたクダリが、望美に言った。
「当たり前だ。本物なんだから。」
「ほ、本物って、本物の兎の耳を付けちゃったの? うへぇー、ちょっと残酷じゃない?」
「耳の生えることがどうして残酷だと言うんだ。耳が長いままなのを、進化の謎とする学者は多くいたが、そんなことはどうだっていいだろう。」
「進化? 君、面白いこと言うのね。着ぐるみの耳が長いことに、疑問を抱く学者がいるんだ。それは初耳。」
耳だけにね、と言い足しそうになるのをぐっとこらえる。クダリは、もうそんなことどうでもいいという感じで、ぐったりと椅子に座ってしまった。
望美は北野に向かって言った。
「で、どこから連れて来たの? この人。バイトで?」
「アラバマよ。バイトじゃないわ。私達にだって、人間になるバイトなんてないでしょ。元から人間なんだから。それと同じよ。クダリは生まれたときからクダリなのよ。」
「・・・・えーと、つまり、アメリカ人のお友達。」
だめだ。話が完全に噛み合っていない。まぁ、望美が疑うのも無理はない。そういう私だって、クダリがどうやら本当に宇宙人「らしい」と、思ってはいるけれど、それだって、決定的な確証があってのものじゃない。空から飛んできた宇宙船でも見てれば別だけど、クダリに触った感触が生っぽかったという、そこんところだけが、クダリを宇宙人とみなした物的根拠なわけで。ただ、北野とクダリが私を騙す理由も見つからない以上、私は北野の言葉をそのまま信じたまでだ。
「アメリカ人じゃなくて、本物よ。本物の、宇宙人。母船の水先案内役として、地球まで来たのよ。」と、私は望美に言った。
「ちょ、斑までそんなこと言って。・・・・冗談、よね。」
「冗談ならもっと面白いこと言うわよ。クダリの耳、触ったでしょ。作り物なんかじゃないわ。生きてるんだもの。」
望美がなかなか現実を認めない。きっと、北野が毎日のようにマゼラ様が、宇宙がと繰り返すものだから、望美の方がその方面に対する事実の許容範囲を、狭めてしまったんだろう。そんなこと、あるわけがないと毎回心の中で思っていたものだから、望美の中で、あるわけがないことになってしまった。
私と望美のやり取りのかたわらで、さっきからクダリの身体を彩火が物色していた。クダリはなかば放心状態で、彩火のされるがままになっている。二の腕や背筋、腹筋やらを彩火はさわさわと触りまくって、ジャージの上からその感触を確かめているみたいだった。ってか、クダリがもし普通の人間だとしたら、彩火の行動はとっくにアウトな感じのセクハラだ。
「だから、宇宙人なんているわけないじゃない。」と望美。
「いるわけないっつったって、いるんだからしょうがないでしょ、目の前にさ。望美らしくもないわね。目前の現実を認めないなんてさ。」と私が言って、
「いるわけないも何も、今こうしているわけだし。ついに人類が、地球外知的生命との接触を果たしたのよ。素直に喜びましょうよ、望美ちゃん。」と北野が続く。
その間に、彩火はひとしきり触り終わったと見えて、静かに、宣言するように、望美へ言った。
「望美。この人、いや宇宙人。本物だよ。」
望美は彩火へ食いつくように言った。
「本物って、何で分かるのよ。」
「だって、上から触った筋肉のつきかた、これは人工的なものじゃないよ。生きた、生身の身体だ。上から着ぐるみ状のものを着ているわけじゃない。」
「ウソでしょ・・・。」望美はまだ、信じられない、というように言った。
「本当だよ。」と彩火は断言する。
今まで、一人、みんなの様子を傍観するように立っていた鎌倉が口を開いた。
「坂井田先輩が筋肉についてそう言うんだから、本当、なんでしょうね、きっと。クダリ、だっけ。よろしく。」
食い入るようにクダリを見つめながら、鎌倉が手を差し出した。クダリは条件反射みたいにその手を握ると、気のない握手を交わす。鎌倉は、クダリの手の感触を確かめるみたいに、ずいぶん長い間、そのままでいた。鎌倉からしても、宇宙人と握手なんて初めてなんだろうけれど、それにしても長い握手だ。クダリの手を握ったまま、じっと相手の目を見ている。まるで、それが始めての挨拶ではないみたいな、初対面というより、再びまみえる、再会とでもいうような、そんな挨拶に見えるのが、不思議だった。クダリは、鎌倉の様子を不審がる様子もなく、手を握られるがままになっている。
望美は事実に受けた衝撃からまだ抜けられないみたいで、開きっぱなしの口を閉じもせず、北野とクダリを交互に見ている。まぁ、その気持ちも分かるけど。同級生が宇宙人連れ帰ったって、どんなトンデモシチュエーションよ。
元気のないクダリの顔をのぞきこみながら、彩火は私に言った。
「でも、どうしたんだ、この人。人、と呼んでいいのか分からないけれど、なんだか元気がないみたいじゃないか。」
「ああ、うん。ちょっとね。トラブルがあって。」
私は、彩火や望美に事のあらましを伝えた。クダリが母船と通信しなければならないこと。けれども、カメレオンみたいな形をした通信装置が壊れて、通信する手だてを失ったこと。一人ぼっちになってしまったこと。
話を聞いた望美は、うなずいてクダリに言った。
「状況は分かったわ。その通信装置って、見せてもらってもいい?」
ようやく、望美に現実的な思考が戻ったみたいだった。こうなると、うちの部長は頼りになるのよね。
「あ、ああ・・・。」
クダリがもそもそとポケットからカメレオンを取り出し、机の上に置いた。望美は眼鏡を、くい、と上げながら、それに顔を近づけて見る。
「へぇぇ。これが通信装置。確かに、カメレオンに見えるわね。というか、カメレオンにしか見えないわね。これで通信するんだ。そして、壊れている、と。」
「そうだ。」とクダリが力なく言った。
「直す方法はないの? 地球にはない技術でも、それなりに詳しい人が見れば、なんとなく分かるとか。」
「いや、無理だろう。空間的隔絶をほぼ無視できる、量子形状の同時的遷移性を応用した通信理論は、この惑星において実用の目処すら立っていない。こいつを分解したところで、どうやって動いているのか、理解することすらできないだろう。そもそも、俺だって内部の処理内容を理解しているわけじゃないんだ。知っているのは使い方だけであって、修理、という方法を取るのは無理だ。」
途中、日本語であるということ以外まったく理解できなかった単語がいくつか含まれていたけれど、修理がとてつもなく難しい、というのは分かった。望美は腕組みしながら言った。
「うーん、なるほどねー。でもさ、これって、完全に、根本的に壊れちゃってるの? 見たところ、目玉とか尻尾とか動いてるし、なんか、もうまったく電源入りません、的な壊れ方じゃないみたいだけど。」
「一応、稼働はしているが、肝心の通信処理でエラーが出る。」
「再起動してみた?」
「何度もやった。」
「電池を抜き差ししてみるとか。」
「外気温や俺の体温から自家発電している。バッテリーは不要だ。」
「あら。そういうところからして、相当な技術力ね。叩いてみる、とか。」
「太古の機器の中には、叩くことで復旧するものもあったらしいが、現在のデバイスが叩いて直った試しはない。」
私は望美に向かって、
「昔のテレビじゃないんだから。叩くって何よ。」とさすがにツッコんだ。
「だって、こんな常識外れの機械、何の拍子に直るか分かんないでしょ。だめもとでやれることはやった方がいいじゃない。」と望美も反論してくる。
「それで悪化したら、元も子もないでしょーが。」
「う・・・、それはまあ、そうなんだけどさ。あ、そうだ。」
望美はまた、何か思いついたみたいで、クダリに言った。
「電源は入るわけよね。だったら、何かこう、通信モード? みたいな、別の方式で通信したりできないの?」
それまでしょげかえっていたクダリの顔に、一筋の光が差した。
「そ、そうだ。従来型の電波通信なら・・・!」
クダリは、がば、とカメレオンを手に取ると、お腹の辺りをぷにぷにと押している。押されるたびにカメレオンの口がぱくぱくと開き、最後に一回、ぷにり、とお腹を押すと、カメレオンのまぶたに包まれた目が、チカチカとゆっくり明滅し始めた。
「よし、こっちの機能は使える・・・! あ・・、でも・・・。」
私は再び落胆するクダリに言った。
「でも、って何よ。一部の機能は使えたんでしょ。」
「使えるには使えたが、このモードはあくまでも近距離用だ。惑星とその衛星程度の距離ならさして問題はないが、恐らくこの通信が母船に届くには、数十年か、下手をしたら数百年かかってしまう・・・。」
「数百年・・・。」
兎星人の寿命がどの程度なのか知らないけれど、クダリの落胆ぶりからして、時間と寿命の概念は、人間とほとんど変わらないみたいだった。
重い沈黙の下りた部室の空気を破るみたいに、望美が言った。
「それでも、発信はできたんでしょ。自分はここにいるんだー、って。下手をしたら数百年だけど、うまくすれば十年とか、もっと短い期間で居場所を見つけてくれるかも知れないじゃない。可能性はゼロじゃなくなったのよ。それは大きな一歩だと思うの。今すぐ元気出せとは言えないけど、前向きに考えましょーよ。ね。」
そう言って、ぼん、とクダリの背中を叩いた。さすが、望美。小所帯とはいえ、部長の肩書きは伊達じゃない。望美は、あえてそうしていると見えなくもなかったけど、明るい調子で続けた。
「そういえば、自己紹介がまだだったわね。私は神崎望美。斑と北野はもう知ってるかな。あと、こっちのさわやか人間が坂井田彩火。なよっとしてるのが鎌倉健吾。よろしくね、クダリ。」
「あ、ああ・・・。よろしく・・・。」
望美の勢いに気押されるようにして、クダリは目をぱちくりさせ、うなずいた。北野が、クダリに抱きつきそうなくらい嬉しそうにして言った。
「母船と連絡を取るのに時間がかかるってことは、しばらく、クダリは地球にいるってことよね。」
「そうなる。」
「じゃあ、うちに来て。住むところが必要でしょ。部屋が余ってるってわけじゃないけど、私の部屋にいればいいと思うの。」
楽しそうにしている北野に、鎌倉が言った。
「へ、部屋って、いいんですか、東先輩。」
「いいんですか、って? 何か不都合なことでもあるの、健吾君。」
「いや、一応、クダリは性別的に男性っぽいし・・・。」
彩火が大真面目な顔で鎌倉に言う。
「健吾君は北野の操が心配だと、そう言いたいんだな。」
「み、みみ操っていうか、まぁ・・・、はい。」
「それは考え過ぎじゃないか。クダリ君には失礼だが、部屋でオス犬を飼う若い女性の、身の危険を案じるようなものだろう。」
私は口をはさむ。
「オス犬・・・。若い女性。身の危険・・。マニアックね。」
彩火が、くにっ、と首をかしげて言った。
「マニアックって、何が? 斑。」
「いや、分かんないならいい。というか、分かんなくていいよ。でも、それはそれとして、北野のお父さんはどうすんの。いくらクダリがもふもふ着ぐるみに見えても、いきなり連れて行って、今日からこの人と一緒に暮らすからよろしく、って言ったって、色々問題が起きそうなのは目に見えてるんだけど。」
望美が私の言葉を継いで言った。
「そうね。斑の言うことももっともだわ。北野のお父さんの説得から始めなきゃいけないというのも、大変だわ。いっそ、しばらくここに住んだら?」
北野が明らかに不満そうに言った。
「ここって、この部室ってこと? 望美ちゃん。」
「そうよ。一応クーラーとか給湯はついてるし、お風呂だって、学校のシャワーとかこっそり使う手もあるし。」
「でも、ここに住むって、どうなのかしら。」
北野はそう言って、部室の中を見回した。特に、私のお気に入り、人体全身骨格模型を心配そうに見つめている。私は北野に言った。
「何よ、北野。私のハンニバルに、何か文句があるっていうの。」
ハンニバルって名前なんだ、それ、という鎌倉のつぶやきはスルーする。北野は言った。
「文句ってわけではないんだけど・・・。クダリ、ここに住むって案、どう思う? あ、そう言えば、ここに来るまで乗ってた宇宙船は? そっちで過ごした方がいいのかしら。」
宇宙船! と望美が敏感に反応する。クダリは言った。
「船は海中を泳がせている。いくら姿を消せても、人口密集地帯にあのサイズの物体を隠し置くのは難しいからな。俺の船を拠点としてもいいんだが、通信機へのアクセスを考えると、なるべくここから近い方がいい。」
うちゅ、宇宙船・・・。船・・・、と涎を垂らさんばかりに話を聞きたがっている望美をとりあえず置いておき、クダリが続けた。
「もし居させてくれるというなら、俺はここでも構わない。居住空間に贅沢は言っていられないからな。ノゾミ、ありがとう。」
お礼を言われた望美は、はっ、と我に返ってクダリに言った。
「いいってことよ。困ったときはお互い様じゃない。それより、今度、機会があれば、というか機会を作って、クダリが乗ってきた宇宙船を見たいんだけど・・・。だめ?」
「別に構わない。あえて隠すものでもないからな。」
「やった!」
望美はガッツポーズをとって、小躍りように、というか実際ぴょいぴょい跳ねながら、喜ぶこと甚だしい。夢の宇宙船に出会える喜びにひたる望美を脇に、北野はクダリに言った。
「じゃあ、しばらくここに住むってことで決まりね。夏休み中でもほとんど毎日来るから、差し入れするわね。」
「すまない、キタノ。それにしても。」
と、クダリは私達を見回して言った。
「君達はあまり俺を怖がったりしないんだな。」
彩火が不思議そうに聞き返した。
「怖がるって、君を? なぜ?」
「なぜ、と言われても困るが、俺はいわば、異星から来たまったく未知の生物だ。恐れたり、警戒したりされても仕方のないことと思っていたんだが・・・。」
「うーん。それはないと思う。というより、その姿、格好に対して恐れをなす人間の方が、少ないと思うよ。むしろ・・・。」
「むしろ?」
「抱きしめてもふもふしたいくらいだ。」
「も、もふもふ?」
「そう。君が嫌でなければ、今すぐそうしたいくらいだ。どうだろう?」
私は横から、彩火に言った。
「どうだろう、じゃないわよ。抱きしめてもふもふって、仮にも地球外から来たお客さんよ。遠慮ってもんが必要でしょーが。」
「じゃあ、斑は遠慮すればいいじゃないか。私は今、クダリにお願いしてるんだ。これは私とクダリの問題であって、君とクダリの話ではないと思う。」と、彩火は聞く耳持たない。
「そういう問題じゃなくて。クダリ。嫌なら嫌と言いなさいよ。」と私がフォローに入っても、当のクダリは、
「別にそうしたいと言うなら、あえて拒む理由もないが。耳に触れる以外、身体的接触は友情表現の一つとして俺達の習俗にも存在する。」
とか言って、気にする様子もない。彩火はドヤ顔で私に言った。
「ほら。クダリは構わないと言ってるじゃないか。じゃあ、早速。」
彩火は、わきわきと両手の指を曲げ伸ばししながら、一歩間違えば痴女とも呼ばれかねない動きでもって、もふ、と後ろからクダリに抱きつき、奇声を上げる。
「ふぉぉー。もふもふだー。」
さらにクダリの後頭部へ顔を押しつけ、ふもふもと顔を左右になすりつけている。って、ちょっとやり過ぎなんじゃ・・・。愛猫を溺愛するお馬鹿な飼い主ばりに、彩火はそのふかふかな毛並みを堪能していた。
気づくと、北野や望美、鎌倉が、彩火の後ろに列をなして並んでいる。私は連中に向かって言った。
「ちょっと、あんた達は何やってんのよ。」
北野がにこにこしながら言った。
「何って、待ってるのよ、順番を。私も初めてクダリに会った時から、ずーっと、これをやりたいなぁ、って思ってたんだけど、なかなか言い出せなかったから。彩火ちゃんが遠慮せずに言ってくれて、よかったわ。」
「あのねぇ・・。望美と鎌倉もそうなの?」
望美は、
「もちろん。」
と、聞くまでもないだろう感満載でうなずくし、鎌倉もちょっと気恥ずかしそうに、はい、と言う。望美は、
「斑はいいの? なかなかのもふもふ感みたいよ。」
と私に言って、目線で彩火の方を指した。彩火はもはや、恍惚の表情を浮かべてもふもふもふもふ、クダリの真っ白な毛並みに埋もれている。私はむきになって言った。
「私はいい。ペットじゃないんだし、馬鹿じゃないの。」
私は腕を組んで、ぷい、と横を向いた。
私を除く望美達全員が、クダリの毛並みをたっぷりと堪能した後、私達はクダリを部室に残し、買い出しに行った。クダリに何を食べられるのか聞いてみたんだけれど、クダリが事前に確認した限り、人間の食べられるものなら、彼らも普通に食べられるらしい。見た目が兎っぽいからと言って、肉や野菜がだめということもないみたいだ。誰が使うでもなく、なぜか部室には鍋やフライパンなど調理器具が一式揃っていたし、おまけに冷蔵庫まである。普段はジュースやアイスしか入れてないんだけど、その冷蔵庫も買い込んだ食材で一杯になった。
夕方になり、彩火や北野、望美と鎌倉達は皆帰って行った。最後になった私も、一人校門から外に出る。ひぐらしの鳴き声を聞きながら、西の空へと沈みかける紅蓮のオレンジみたいな夕陽を見て、私は、ぱた、と足を止めた。
気になる。どうにも、クダリのことが気になってしかたがなかった。三秒考えてから百八十度向きを変え、私は戻り始めた。歩きながら、昔の思い出を、苦い味と共にある思い出を振り返っていた。別にそんなもの振り返りたくなかったし、思い出そうと思って思い出したわけじゃない。ただ、地球に一人、放り出されたみたいな孤独にある、クダリのことを考えると、私は思い出にある自分と彼を、重ねずにはいられなかった。
小学生の頃、私はよくいじめられていた。暗いとかキモイとか、まあ、ちまたによくある根拠の不明確な理由でもって、女子からは無視され、男子からは指をさされて、わけも分からず笑われた。うちの学校、どういうわけか、給食にパセリがよく出た。班ごとに机をくっつけて食べるわけだけど、私の机だけ、誰ともくっつかず、教室の隅っこに追いやられた。いじめる奴らが狡猾なのは、先生の目に触れるときだけ、私の机を他の机に無理矢理くっつかせること。先生の注意が逸れると、足で机を蹴られて、ごとごと音をあげて分離させられる。そうして、一人食べる給食の最後に残ったパセリが、苦くて苦くて、それが苦いからなのか、それとも一人ぼっちだからなのか、そのどちらとも区別がつかないまま私は、誰にも見られないよう必死に隠しながら、涙をこぼした。
そのうちご飯が食べられなくなって、学校にも行きたくなくなって、それでも担任は家にこもってはいけないと、保健室でいいからとにかく学校に来いと、そう言われて私は、保健室に直行直帰の日々を送った。保健室の先生は他にも兼任の役があったらしく、しょっちゅう保健室を留守にした。コチコチと音をたてる時計とにらめっこをしてばかりいてもしょうがなかったので、部屋にあった人体骨格模型にスキピオと名付け、私はずっと会話ごっこをしていた。会話ごっこっていうのは、スキピオが喋るものと仮定して会話をする、私の編み出した究極の一人遊びだ。例えばこんな感じ。
「おはよう、スキピオ。」
「おはようございます、斑さん。今日は寒いですね。」
「そう? 寒いのは、スキピオがそんな格好してるからじゃないの。骨だけのすけすけだもん。」
「それはだって、私は骨ですから。骨だけのすけすけなのな当たり前ですよ。」
「服を着たら?」
「私が服を着たら、骨格模型としてみなさんの勉強になりません。何も着ないでいることは、私のレーゾンデートルの根幹をなす、いわば誇りのようなものなのです。」
「ふーん。よく分かんない。」
「いずれ斑さんにも分かります。ところで、斑さんは、ここが好きですか?」
「まぁね。静かだし。でも教室は嫌い。みんなが何考えてんのか、まったく理解できない。うそくさい笑顔を無理矢理作って、誰と誰が友達とか、今日から友達じゃないとか、友達にしてあげてもいいとか。馬鹿みたいだから、シカトしてたら、いつの間にか私はキモイ呼ばわり。」
「人とは、難しい生き物ですね。」
「あんたは人じゃないの? 人間の骨じゃん。」
「骨であって、人じゃあ、ありません。かつて人であったこともないですしね。作り笑いだってできないんですよ。そもそも笑えないんですから。」
「そうやってかちかち歯を鳴らしてると、嗤ってるように見える。」
「嗤ってません。歯をかちかちさせてるだけです。斑さん。辛いことがあったら、いつでも私に話しかけてくださいね。私はあなたの味方です。人間じゃないから、裏切ることもありません。どこでも、とは言えませんが、いつだって、あなたのことを案じているものと、思ってくださいね。」
「・・・・うん。」
と、こんな具合だ。レーゾンデートル云々とか、その辺りはもっと簡単な表現をしていたかも知れない。今の私による、記憶の脚色は多少あるのだけれど、だいたいそんな会話をしていたように思う。私はそうやって優しいスキピオに心強さというか、好意と呼んでいいほどの好感を持つようになった。
つーか、骨に向かってぶつぶつ独り言を言っている私の姿というのも、今思えばかなり不気味だけど。保健の先生も私の会話ごっこに気づいてたみたいだけど、無理矢理止めさせられることはなかった。過度な心配をせず好きなようにさせてくれてたし、かといってまったく無関心かというとそうではなく、むしろ、注意深く見守られていた感じで、そういう優しさに今更ながら気づくことがある。
あの頃の私。スキピオとの会話に夢中になっていた、保健室に一人座る孤独な私。その残像を脳裏に残しながら、私は、がたり、とSF部の部室を開けた。
部室の真ん中に座っていたクダリが、びくりと身を振るわせ、慌ててジャージの裾で顔を拭っている。私はクダリに言った。
「あ・・、ごめん。急に開けて。」
「な、なんだ、マダラか? 入るときは、入ると言ってくれ。」
「うん・・・。あのさ。」
「何だ。」
「今、泣いてた?」
「な? なな、泣いてなんてない。泣くわけないじゃないか。誰が泣いてるって? 俺が? そんなことあらわけない。」
「あらわけないって、噛んでるよ。そんなテンパらなくていいじゃん。」
「て、テンパるって、動揺するってことか。僕は動揺、えほん、こほん、「俺」は動揺なんてしていない。」
「「俺」が「僕」になってたし。無理しなくていいのに。」
「無理なんてしてない。」
いいえ、無理をしている、とまでは、口に出して言わなかった。それを言っちゃうのは、なんだかかわいそうな気がしたから。クダリは、恐らく泣いてたであろう素振りをふりはらうみたいに、ぐい、と背筋を伸ばして言った。
「何をしに戻って来た。忘れ物か?」
「忘れ物じゃないんだけどさ。」
私はそう答えながら、すたすたと冷蔵庫に歩み寄って、扉を開いた。買い込んだ食材の中に、確か・・・、あった。私は振り返らず、クダリに言った。
「ちょっと気になったから。それよか、地球の料理をご馳走してあげよう。」
「料理? 食材を調理するくらいなら、俺にもできるが。」
「そうかも知んないけど、って、クダリ、料理できんの?」
「その金属プレートを加熱して、肉や野菜に火を通すだけだ。誰にだってできる。」
「それくらいなら、誰にでもできるだろうけど、焼きそばは?」
「ヤキソバ?」
「知らないでしょう。簡単にできて美味しいのよ。今作ったげるから、待ってなさいよ。」
「ふぅん・・・。ヤキソバ・・・。」
私がキャベツと人参を手早く刻み、豚肉を用意しながらフライパンを温める隣で、クダリが興味深そうに眺めている。これを知ると、大抵の人間が驚くんだけど、私は料理が得意だ。焼きそばくらいで得意がるなと思うなかれ、もちろん他の料理だって結構いけるのだ。鎌倉の奴には、料理が得意だと三回同じことを言っても信じなかった。今度私の手料理を食べさせてから、土下座して謝らせる。
十分熱したフライパンにさっと油をひいて野菜と豚肉を炒め、麺を入れながら、フライパンにくっつかないよう、水を少々。ソースをかけて、全体をまぶして出来上がり。お皿に盛って、青のりふって、クダリを座らせ、あつあつの湯気立つ焼きそばを、王様のディナーにだって負けないその一皿を、机の上に置いた。
「はい。食べなよ。」
そう言われたクダリは、私と焼きそばを交互に見比べている。
「何よ。」
「いや、意外な感じがしてな。マダラは調理という行為に、あまり興味を持たない雰囲気だ。どちらかと言えば、出されたものを食べるだけという、受け身な感じがしていた。」
「失礼なこと言うわね。私だって、能動的に動くことだってあるのよ。デリカシーのないこと言ってないで、さっさと食べなさいよ。冷める。」
「分かった。では。」
クダリはそう言うなり、目を閉じて数秒沈黙したかと思うと、焼きそばに向かって深々と頭を下げた。な、何してんのかしら、この兎は。
「ちょ、ちょっと、何やってんの?」
「何、とは? ああ、口にする食料に感謝していたんだ。今日を生き長らえさせ、明日への希望の糧となるこの食物に、頭を垂れた。君達の習俗にこうした習慣はないのか。」
「食前のお祈りってやつ? まぁ、お祈りまではしないけど、いただきます、って感謝の掛け声は出すわね。」
「いただきます?」
「そう。」
「そうか。では、「いただきます。」」
クダリは意外にも、器用に箸を使って食べ始めた。箸を使う習慣があるのかしら。一口食べて、うっ、と口を抑える。
「え? 何? 口に合わなかった? それって、あんた達には苦手な味だったとか?」
私は慌てた。そもそも、兎星人の味の好みなんて、知る由もない。もしかして、悪いことした? クダリの食べる物は、クダリに任せて自分で作ってもらえばよかったのかも。
「無理そう? 駄目なら駄目って言いなさいよ。」
差し出がましいおせっかいで、クダリに嫌な思いをさせたことを、私は悔いた。
クダリは、うつむきながら口を抑えて、呻くように言った。
「う、うまい・・・!」
「ぅおい!」お約束かよ、と私はクダリの肩を、どす、と小突く。ちっ。私は嫌な思いをさせたと悔やんだことを悔いた。
クダリははふはふ言いながら、焼きそばを次々と口に運びながら言った。
「こ、こんなうまい物が、この惑星にあるなんて・・・! これは驚嘆すべき発見だ!」
「そんな大げさな。」
と言いながらも、悪い気持ちはしない。クダリは、お皿いっぱいの焼きそばをあっと言う間にたいらげ、ポケットから取り出したハンカチで口の周りの毛を拭いながら言った。
「マダラ、このヤキソバと呼ばれる料理、俺の生涯でも一、二を争う美味しさだった。礼を言うぞ。」
「いや、まぁ、そこまで言うほどのことはないんじゃねーの。ほんとに。ふへへ、ま、美味しかったんならよかったけど。」
多少の自信はあったものの、予想外に激誉めされ、私は照れ隠しに慌てて椅子に座る。クダリの対面に椅子を引っ張ってきて、もう一回言った。
「美味しんだったら、よかった。」
「ああ。マダラ。」
「何よ。」
「これはつまり、俺を元気づけようとして作ってくれたものと、そう解釈していいのか。」
「は、はぁ? 別にあんたのために作ったんじゃないわよ。」
って、ツンデレテンプレートか。私は早口で続けた。
「せっかく地球に来たんだから、いろいろ知ってもらいたかっただけよ。」
「そうか・・・。ありがとう。」
クダリはそう言って、緑色に輝くエメラルドみたいな目をまっすぐ私に向けた。きれいな瞳だった。私は正面から見つめられ、心臓の鼓動が早くなる気がして、視線をかわすように言った。
「まぁ、私や北野達もいるんだし、だからと言って、地球に一人いるあんたの孤独が解決されるわけじゃないけど、力にはなれると思うわ。」
思いつくままに言うわけだけれど、何だか、私は自分の喋っていることを自分で信じられなかった。力になれると思うわ、なんて、柄にもない。クダリは言った。
「そうだな。君達の協力には感謝している。この惑星の住人に、善意を感じたということは、貴重な事実だ。」
「貴重な事実、ね。ま、そう思ってくれるんならいいけど。クダリはさ。」
「何だ?」
「やっぱり、寂しいんじゃないの?」
「寂しい?」
「そう。だって、自分の星とか、仲間、同胞から遠く離れて、コミュニケーションも取れなくなって、孤独、といって、これほど当てはまる状況もないと思うんだけど。」
「孤独か。確かにそうかも知れないが、寂しくなどはない。自分は使命があってここに来た。当然、こうした状況は想定済みだ。」
「ほんとに? 怪しいわね。想定してた状況だって、悲しくなったり、辛くなったりするのは避けられないもんじゃないの? だから、さっき泣いてたんでしょーが。」
「あ、あれは別に、泣いていたわけじゃ・・・!」
「んなこと言ったって、目の下の毛が湿ってたわよ。」
「そ、それは・・・・。マダラ。」
「何よ。」
「みんなには、秘密にしておいてくれないか。」
「やっぱり、泣いてたのね。」
「・・・・。」
「分かってるわよ。言わないって。私とクダリの秘密にしておくわ。」
「すまない。」
「くっ、くっ、くっ。いいってことよ。これで、人に明かされたくない、宇宙人の秘密をゲットしたんだから。あんたの弱み、大事にさせてもらうわよ。」
「・・・・善意の他に、陰湿さも感じる。」
「陰湿って何よ。陰湿じゃないわよ。陰湿な善人とか、おかしいじゃない。」
陰湿とか、人にはよく言われるけど、一応否定しておく。クダリは言った。
「しかし、君からは俺の置かれた状況に対して同情というか、共感といった感情を読み取れるんだが、どうしてだ?」
「どうしてって言われても・・・。昔、私もいじめられて一人だったことがあるから、ちょっと気になっただけよ。あんたの場合、いじめとは違うし、私とは全然状況も違うけど。一人でいるのは寂しいじゃない。一人の方がいい時だってあるけどさ。急に一人きりになるなんて、ちょっとしんどいかも、って思っただけ。」
「そうだな。みんな、いい奴らだったから・・・。」
クダリの目がかげった。月で死んでしまった、仲間のこと・・・?
「ごめん。なんか、思い出させて。」
「いや、マダラが謝ることじゃない。こうして身を案じてくれたことに、感謝する。」
そう言うクダリと、保健室のスキピオの姿がなんだかだぶった気がした。今は私が心配する方だから、立場は逆なんだけどね。
私は薄暗くなった窓の外を見て、立ち上がりながら言った。
「じゃ、私、帰るから。お皿、洗っといてね。ああ、それから。」
「何だ?」
「私が今日、戻って来て、焼きそば作ったこと、みんなには内緒にしといて。」
「なぜ? ヤキソバの感動を、皆とも大いに共有しようと思っていたんだが。」
「大いに共有しないでよ。なんか照れくさいから。もしばらしたら、あんたが泣いてたことも克明に描写して教えちゃうわよ。」
「そ、それは・・・! 困る。分かった。秘密にしておく理由はよく理解できないが、黙っておく。」
「うん。そんじゃ。」
私はクダリを残し、外に出て部室の扉を閉める。扉を閉め際、クダリが、じっ、とたたずんだまま、無言で私を見送っているのが見える。なんとなく、このままクダリを一人にしてしまうのを悪くも思ったけど、建て付けの悪い扉を思い切って閉め、私は部室を後にした。
けど、なんで私はこんなことしたんだろ。わざわざ戻って、ご飯作ってあげるとか。昔の自分とクダリの姿が重なったのは確かだ。確かなんだけれど、私は、自分で自分の行動をうまく理解できなかった。クダリは同情とか、共感という言葉を使ったけれど、私はクダリに同情したんだろうか。同情という、はっきりした感情の形を取ったわけじゃない。ただ、とにかく気になって、自分の使命とか責務とか、そんなものを精一杯背負い込んでいるけなげな兎に、何かをせずにはいられなかった。
私は私らしからぬ行動に、今更ながら動揺した。どうかみんなにはばれませんよーに。ばれれば、私のイメージってやつが、崩れてしまう。クールで何事にも無関心、が私の基本スタイルなのだから。
そうして私は、どういうわけだか軽い足取りで、校門を出た。オレンジ色の夕陽はとっくに落ちて、濃紺の空に光る火星がきれいだった。