イミテーション・ドール
エリル・シェランは十六歳にして、多額の遺産を相続した。マルセル・グラハムというホテル王の遺言にベリーズ・シェランに一兆ドルの現金を相続させる。万が一、本人が死亡していた場合は、その子どものエリル・シェランに相続するということだった。
エリルの元を訪れた弁護士にそう説明を受けたが、くだらない冗談か詐欺だろうと思って彼女は弁護士をたたき出した。そんな与太話を信じるほどロマンチストではないと自負しているエリル。
ところが、ハイスクールへ出かけて行けば、学校のまわりにカメラやマイクをもった黒山の人だかりができていた。
(正門は駄目ね)
即座に状況を判断したエリルは、路地に入り塀をよじ登る。遅刻しそうなときは、いつもやっていることなので、なれたものだ。エリルが塀を乗り越えて、服の埃を払っていると、白衣を着た生物の教師であるランス・L・へスターがやっぱりというあきれ顔で立っていた。
「ハイ、プロフェッサー」
エリルは嫌みをこめてにこやかに微笑む。
「君は今日はお休みすべきだったよ。エリル」
「そうみたいね。まさか、あの話が本当だったなんてね」
「ああ、君は間違いなくグラハム氏の孫だ」
エリルは、深いため息をついた。今の時代、戸籍データに遺伝子データも入っている。ただし、照合の手続きは複雑でお金もかかる。ランスの話だと、病気が発覚した時点でベリーズを探したがすでに死亡しており、その娘エリルを見つけたそうだ。だが、見つけた当時は父親と仲良く生活していることがわかっていたので、それならそっとしておくのがよいと判断したらしい。
だが、エリルが十二歳になったころ、父親は蒸発。父は詐欺にかかって借金をし、バーレルという女と駆け落ちしたのだという。バーレルは夫殺しの殺人犯で手配中だった。そのせいで、警察が来て、家じゅうを引っ掻き回し、二人の居所を知らないかと何度も聞かれたエリルだったが……。寝耳に水。真面目そうな父の以外な一面を知ったショックとこれからどうするかという問題が一気に頭の中を占めたのは、今でもはっきり覚えている。
「だけど、なんでマスコミが学校までこれるわけ?」
「君の素性を調べた調査会社の社員が情報漏えいさせたんだよ。君の伯父さんたちにね」
「伯父さんたち?」
「グラハム氏には養子を含めて三人の息子がいるんだ。それでそのうちの二人が君の保護者に名乗りをあげたんだよ。そしてそれぞれの息子の婚約者にしたいと、今、校長室にいる。だから、僕は君を迎えにきたってわけさ」
いかないわとエリルは、ひとこと言い置いて校舎とは反対方向へ歩き出した。
「なんでついてくるのよ」
「うーん、ちょっと考えがあって話し合おうと思ってね。それにお姫様はご機嫌ななめだし……」
ランスはくすりと意地悪く笑った。
「……ということで、この学校にはエリルが三人いるんですよ」
ランスはにこやかに笑った。
エリルを迎えに来たはずの二人の伯父たちは愕然とした。エリルは機械工学に秀でた才能の持ち主だが、金銭的に市からの補助金で生活しているため、飛び級はできず、生物学者のランスの元で廃材で作った自分そっくりの自動人形をつくったというのだ。
「ややこしいことになってしまってすみません」
と三人のエリルがハモる。
「いったい、本人はどれなんだ」
三人が私ですと同時にこたえる。仕草も同じ。
「どうやってみわけろというんだ!」
「ばらばらになければ、エリル本人の影響がないのです。こうやって並べている限り、本人以外に自動人形の区別がつきません。とりあえず、選んでいただいて三日ほど預かっていただければ、人形か人間かわかります。人形は食事ができませんから。ただし、人形を持ち帰った方には保護者の権利主張をとり下げていただきたい。それから、どちらも人形をだった場合は、エリルの意志を尊重していただきたいのですが、よろしいでしょうか?」
三人のエリルはどうかお願いしますといっせいに頭を下げた。
「わかった、では、真ん中のエリルを連れて帰るよ」
「なら、俺は右だ。だが、残りは誰が面倒をみるんだ?」
「ああ、それは私が責任もってお預かりすることになりました。共同研究者の責任なので……では、こちらのエリルを私が預かると言うことでよろしいですか?」
ランスは左のエリルの後ろにそっと立ち、肩に手をかけた。
すると、二人の伯父は悩みだした。
「どうしました?」
「やはり、私が左の子をあずかろう」
長男のアベル氏が急に真ん中と左を変えるといいだした。
「そうですか?では、私は彼女を預かるということで……」
「まて、俺は真ん中だ」
ランスは面倒くさそうにそうですかといった。
「もう、変更はないですね。では、お連れください。三日後、もう一度、エリルを連れてきてください。本物が人形のふりをしていたら、健康状態のチェックが必要になりますから」
そう言われて二人は、それぞれの【エリル】を連れ帰った。
「三日後がたのしみだ。そう思わないかβ」
「私はマスターが心配です。食事ができないのでは、倒れてしまわれます」
「大丈夫さ。僕お手製の栄養剤を持たせてあるからね」
「また、そんな怪しげなものを……」
【エリル】βは小さくため息をついた。そういう仕草は本人とあまり変わらない。マイクロチップに自分の細胞から培養した脳細胞を組み込まれているだけに、条件反射的な動きはエリルそのものだ。
ただし、性格についてはランダムプログラムを組んであるから、あまり似ていないとランスは思った。
「それにしても、博士はよく私がβだとわかりますね」
「間違えるわけにはいかないよ」
ランスはそういって苦笑いした。
本物のエリルは、非常に怒っていたがそんなそぶりを見せるわけにいかない。なぜなら、今更、保護者などいらないのである。
「まさか、部屋に隠しカメラとかありませんよね」
にこりとエリルはアベル氏に言う。
「しないさ。女性の部屋にそんなことをしたら犯罪だよ」
そうですよねとエリルはポケットから銀のペンを引き抜き、ボタンを押す。
『しないさ。女性の部屋にそんなことをしたら犯罪だよ』
アベル氏はぎょっとした。
「万が一、部屋にそのような物があれば、犯罪として訴えますので、あしからず。もちろん、カノン氏のところの私も博士のところに残った私も、今頃同じことをしています」
アベル氏は苦笑いを浮かべながら、本来用意させていた部屋とは別の部屋に案内した。
車で邸宅までの移動中にしきりとメールを打って支持をだしていたのだ。もちろん、弟のカノン氏も同じことをして、同じように脅された。そこまでは、ランスと打ち合わせてプログラミングをしておいた。
エリルは三日間耐えた。目の前にならんだ豪華な食事にもポーカーフェイス。トイレだけは我慢できないので、部屋についているトイレを使う。カイン氏のところにいるαもトイレには行くようにプログラムしてあった。
アベル氏もカイン氏もあの手この手で、人形か人間か見分けようとした。買い物や食事はもちろん、会話にも気をつけていた。
そして、運命の三日目。約束どおり、再度学校へやってきたアベル氏とカイン氏。どちらも自分じゃないほうが人間のエリルだと思いながら、あきらめ半分だった。
校長室に通された二組はそれぞれ向い合せにソファーに座り、目の前に大きなピザを置かれた。
「どうぞ、エリル。君の大好きなジャーマンポテトですよ」
そう言われたエリルとαは、ぴたりと動きをとめてしまった。そしてβがピザをパクリと食べてみせた。
「どうして同じように動かないのかね」
「それは私がエリルだからです。食事を彼女たちの前で食べるときはスイッチがオフになるようプログラムしていますから。でないと、実験中に同じ動きで食べ物を口にもっていかれてものみ込めないのですから」
βはぱくぱくと食べる。それを見た伯父たちは、わかったと言った。
「君の希望を聞こう」
「簡単です。今後、わたしに関わらないでください。何があっても決して。遺産は放棄期間がすぎているし、これからの生活に必要なので手続きさせていただきます。いいですよね」
「いいも、悪いもないさ。我々は君を見分けられなかったんだからね」
「俺は納得いかないぞ、本当にこっちは人形なのか!皮でもはいで見せてみろ」
わかりましたとβは言うと果物ナイフを手にしてエリルの皮膚に突き立てた。すると青い液体があふれ出す。もういったいのαにも同じことをして、同じ現象がおきた。最後に自分の小指を軽く切って赤い血がでたことを見せた。
「これで私が本物のエリルだと信じていただけますか?」
刺されてもピクリとも動かないエリルとα。そして青い液体。ようやくβが言っていることが正しいと二人の伯父はあきらめて帰って行った。
窓から伯父たちの車が去るのを見届けると、エリルたちは公舎からでて研究室にしている古い備品倉庫にはいった。そして、開口一番、エリルから罵声が飛んだ。
「ランスのバカ!!ものすごく大変だったんだからね!!」
「マスター起こる前にピザ食べなよ。倒れるよ」
「αは黙ってて……」
ランスは倒れ込んできたエリルを抱き留めてソファーに座らせた。自分も隣に座ってエリルを支える。
「ごめん、ごめん。もう少し悩むかと思ったんだけど、案外あっさり決められたもんだからさ。でも、これで君は自由の身だ。飛び級して大学にもいけるよ」
「それより、私たちを量産して売った方がもうかるんじゃないの?」
「やめてください。これ以上あなたみたいなのが増えると不愉快ですよ」
「なんだよ、βってば、ひどい」
βはふんとそっぽを向き、エリルとランスにいう
「とりあえず、もとの体にもどりたいのですが。やっぱり自分の体が一番らくです」
「あたしも……人間型って面倒くさい」
「だそうだよ、エリル。君はとりあえず、ピザでも食べなさい」
「ランスの馬鹿。すぐにあたしのことわかってくれたと思ったのに……」
エリルは無自覚にそんな苦情を口にしていた。
「マスター。博士は間違っていませんでしたよ。最初にちゃんとあなたを選びました。そして私が残ったこともすぐにわかりました。この三日間あなたと同じように食事をとらないでいらっしゃたし……」
ランスが不意にくちびるの前に人差し指をあてた。
エリルは安心したようにスースーと寝息をたてている。ランスはそっとクッションをとり、エリルをソファーに寝かしつけた。
そして、αとβのデータをもとの姿のほうに移行する。
「慣れた体はいいわ」
ほっとしたようにαがいう。猫の姿で。
「確かに人間型はまだまだ改良が必要ですね」
そういうβは小型犬だ。
「二人ともお疲れ様」
「博士こそ、たいへんだったな」
「本当に、三日も食事されないんですから、何かあったらとひやひやでした」
「恋人が三日もご飯を我慢してるのに、僕だけたべるわけにいかないだろう。もう少しうまくやれれば、ナイフに細工したりしなくてすんだし、エリルをこんなに疲れさせることもなかったんだけどね」
さすがに限界といいながら、ランスはピザをひとかけら食べた。
「まさか、義姉さんの娘だったなんて知らなかったけど」
「え?どういう意味」
「ベリーズ・シェランは僕の義姉だよ。といっても、僕は養子だから、血のつながりはないけどね」
「じゃあ、なに。もしかして博士……」
αもβも興味深げにランスを見上げた。
「遺留分をちゃんともらったよ。小さな家と広い庭に現金を少々ね」
ランスはにっこり笑う。
「マスターがきいたら」
「怒るでしょうね」
αとβは呆れたようにため息をついた。
そして、その後、事の真相を知ったエリルは大声で叫ぶ。
「だったら、最初からランスが引き取るって言えばよかったんじゃないの。ばか!!」
と言う声と同時に鉄拳を腹に一発。
ランスはそれ以上のお咎めはなく、エリルは早々にハイスクールをやめて大学進学の勉強をはじめる。そして新しい家で暮らすことになった。ランスと二人で広い敷地に可愛いお家の中。二匹のロボ・犬、ロボ・猫といっしょに。
【終わり】