狐のお面は僕に微笑みかけた
お祭りに来ていた男の子は屋台の後ろに見たことのない道を見つける。
好奇心に負けて道を進んでいくと...
雲の隙間から見える星も蒸されるように暑い夜だった。屋台に寄っている人々はそれを焼きそばを焼く鉄板や綿飴を作る機械の電気熱と勘違いしているかもしれない。夏祭りは小規模だったが、近隣の住民で賑わっていた。
僕は友達2人と行く予定だったが、1人は直前に彼女ができ、1人は親戚の葬式で来れなくなった。密かに楽しみにしていた分、茫然として悲哀の中に落ちる。特に彼女が出来た友人は、嬉しそうに誘いを断ったので15年間彼女のいない僕は些か気分を悪くした。
いっそこの祭の最中に作ってしまおうか。男前にしか許されない言葉を心の中で呟き、友人の断る際の顔を再び思い出し臍を曲げる。
「そうだ。丁度暇を持て余していたところだ。母の夕飯も良いが何分今日は身体に悪いものを食べたい」
友達と祭に行けない悔しさを、口にした言葉で否定し、健康第一の魚料理であるお袋の味も遠慮して祭に赴くことに決めた。1人で屋台を廻るのは恥ずかしいという節もあったが今まで予定を立てて実行しなかった計画はない。
少し古く、引くとがらがら鳴る戸を開け、玄関を出ると、夏独特のじめっとした空気が鼻を突く。
「あぁ。夏だな。それでは行ってきます」
母に一言放ち意気揚々と町を照らしているじんわりとした光の方角へ向かった。
「始めは何から頂こうか。やはり祭版3種の神器、焼きそば・綿菓子・りんご飴か。いやいやイカ焼きも捨て難い。待て、たこ焼きはどうか?」
本来なら友達と笑い合って話すべき会話も独り言にすると虚しいものである。
僕は近くにいた金魚掬いをしているカップルに手が金魚臭くなる呪いをかけて今晩の夕飯を探した。
奴も今頃あのようなふしだらなことをしているのだろうか。いや考えてはいけない、私はただ夕飯を食べにきた。そう、身体を毒しに来たのである。
僕のポケットには母から貰った千円札が皺を作って佇んでいた。
「すいませんおじさん。りんご飴を一つ頂けませんか」
「おう。小でいいのかい?130円だよ」
「はい。有難う御座います」
何故よりによってりんご飴というデザートを始めに買ってしまったのか。しかもフィルムに包まれた小りんご飴は予想以上に小さく、優しく微笑んでくれた屋台のおじさんまでにもムカムカしてきた。
「ふむ。先に胃の消化活動を促進してより多く食べられるようにするという訳だ」
自分でも分かっているが非を認められない性格なのである。其の時自らを嘲るかのように目から口にかけて冷たい笑いが動く。
その後お面屋に寄って、見せる相手のいない狐のお面を買っていかにも充実しているかのような素振りを見せた。
周りを見ても家族連れやカップルがいて窮屈なので、ふと屋台の後ろを覗いてみた。いかにもイカサマをしていそうな的屋の後ろには今迄見たことのない小さな舗装されていない凸凹道があった。
「はて、こんな所に道なぞあったかな?この辺りには神社や祠も多いしその類かな」
あまりじろじろと見ていると的屋の兄ちゃんに睨まれそうなので思い切って砂利だらけの悪路へ踏み出してみた。屋台の灯りは届かず、まるで祭の目出度さから隔離されているようだった。
不思議なことにこの道に親近感が湧いた僕は運動靴のゴム裏に小石をひっつけながら歩みを進めた。灯りは全く無く、夜の暗闇が辺りを支配していた。
「屋台から少し離れるだけでこんなにも静寂に包まれるとは。今日は月が明るい。まだ前へ進めそうだ」
母親が知れば頬を叩きそうな悪行を私はしていた。夜中に山へ入ることはなかなか危険である。
しかし町中に山などあっただろうか。普段来ていない場所の記憶は曖昧だ。少し疲れたが甘いものを食べる気にはなれず、りんご飴はポケットにしまった。
さて、暫く好奇心に身を委ねて歩いていると、向こう側から何やら騒がしい声が聞こえてきた。
「やれ踊れや、やれ唄え、今夜はワシらも同じ尺に酒盛って、月明かりの下で笑おうぞ」
それは人間の声であったが、人間とは程遠い容姿の化け物であった。
鬼だ。赤く血に染まったような身体をしている。他にも蜘蛛のような身体と牛の頭を持った牛鬼、妖怪界の大物酒天童子の姿も見えた。
思わず言葉を飲んで凝視する。
(こ、これは一体どういうことだろうか...まさか知らぬ間に黄泉の国にでも来たのだろうか...)
自分の頬を抓るもじんとした痛みが皮膚を伝う。
「これは一体...まぁいい。それはいいんだ。ここは来ては行けない場所、早く戻らねば」
「何処に戻るのですか?今宵は宴ですよ?」
突然背後から女性に声をかけられ、腫れ物に触られたかのようにアッと叫んだ。反射的に頭に乗っけているだけの狐のお面を被る。
振り向くと、そこには猫の耳が生え、浴衣を着たそれは可愛いらしい少女がいた。背は小さく目はくりくりしている。
「あら、狐さんでしたか。さぁ行きましょう。皆さんもう始めてしまっているわ」
僕は状況が飲み込めないまま彼女に手を取られ、鬼たちが晩酌をしている開けた場所に連れていかれた。
「おうや、化け狐とは初めて見たな!さぁさ呑め呑め」
鬼は宴会で上司が部下に悪ノリでビールを呑ませるかのように、檜でできた器に瓢箪から酒をついだ。
しかしどう呑もうか。
お面を外してしまえばいけない気がしてならない。口のところに僅かな隙間があるからそこに注ぎこもう。いやもういっそのこと顔面にぶち撒けて豪快さをアピールしよう。僕は後者を実践した。
「ぷっはっは!!やはりこの酒は旨い!全身に染み渡るようだ!」
「フハハハハ!そうだろう?河童の皿の水から作られた河童焼酎だ!」
「ふはは!ふは?」
一瞬驚いたが鬼がいて猫娘がいて河童がいないはずはない。
しかし我々が想像する優雅に池を泳いで人間のケツの穴から手を突っ込み内臓を取るような恐ろしい妖怪では無く、頭の上で焼酎を作るような生産的な妖怪であるようだ。
しかしこんな酔っ払いの相手は気が疲れる。癒しを求め先ほどの猫娘を探す。
異性とは距離を置く性分の僕でも、彼女には自ずと惹かれていった。
「なんだなんだ?お前も踊りたいのか?あそこの真ん中で化け狸やさら蛇が踊っているだろ?踊りたきゃ彼処へ行け」
酒天童子が指さした方を見ると猫娘達が盆踊りのような仕草をして踊っていた。それにしてもさら蛇とかいう妖怪が気持ち悪い。
顔は人間身体は蛇。適当に作られた感満載だ。
他にもウサギや一つ目小僧もいて楽しそうである。
何より人間に見られる窮屈さが感じられなかった。
(赤鬼も酒天童子も見た目は酷いが中身は良いおっさんだ。猫娘も優しいし麗しい。此処はなんて良い場所なんだ)
僕は友達のことなどとうに忘れ、輪になって踊る猫娘たちに混ざって見よう見まねで踊った。
「あら、お酒は呑んだの?なら私と踊りましょ」
そう言って猫娘は僕の手を取り、くるくると回った。
「ふふふっ」
猫娘は少し吊り気味の目を閉じてにっこりと笑う。僕の心も仄かに温かみを感じ、嬉しさに動かされて反射的に笑顔を見せた。
傘お化けはぴょんぴょんと跳ね、兎は餅をつきだす。化け狸は腹を叩いて笑い、猫娘は満足ぎみに微笑みを漏らす。
僕は幸福な時間を味わっているようで、身体がふわついた。
「狐さん。お目目は私と同じで切れ長ですけど、瞳の奥はとても澄んでいらっしゃるのですね」
「いいえ、私の瞳が、貴女の澄んだ瞳を映しているだけです」
なんとくさい言葉を吐いたのだろう。しかし我ながら上手いかもしれない。猫娘は一瞬目を見開いて、呆気に取られたが、徐々に頬を紅潮させていった。
あぁ、僕は何て素晴らしい場所を見つけたのだろう。
「待てっっ!!!!」
直後、全員を硬直させるほどの赤鬼の怒号が響いた。
赤鬼はそのまま重たい身体をずしずしと動かし、僕たちが踊っていた輪の中に入る。
「これは何だ...?」
地面から拾い上げたもの。それは僕のりんご飴だった。
「我々は人間から隔離された種族故、奴らの世界にある道具、食い物を我々の世界に持ち込んではいけない。誰だ!?これを持ち込んだ者は...!」
赤鬼はそこにいた全員に睨みを効かせた。
そこにいる妖怪たち皆が互いの顔を見合わせ、不振な表情をする。
僕は身体を恐怖に支配され、赤鬼の恐ろしい形相に釘付けになっていた。
「まさかとは思うが、この中に人間がいるのでは」
牛鬼が爛れた瞼をして赤鬼を見つめ、言った。
「そうかそうか、ならば貴様ら、ここで芸を見せてみろ。貴様らが妖怪であるという証拠を見せろ」
悪酔いした赤鬼が順番に芸をするよう指示をする。
傘を開く傘お化け、クネクネ曲がって蜷局を作るさら蛇、地蔵に化ける化け狸、風を自由に操る天狗。いろんな妖怪がいろんな技を見せた。
「次、化け狐!!」
「え、えっと...」
考えろ、考えろ。状況的にここで外すと身の安全は保障できない。嘘を吐いてでも一芸を見せなければ。
目の端には僕を心配する猫娘の姿が映っていた。
「私は顔を変えることができる。例えばほら、人間の顔にだって化けられるのです」
そう言って僕は狐のお面を外した。
「うむうむ。これは精巧だ。まるで本物の人間のようだ」
「ほほう。顔を外すとは面白いではないか、どれ?他にも変えられるのか」
「すみません。まだ未熟な化け狐な上、お酒を呑むと一度しか化けられぬのです」
「そうか、それは残念だ。しかし化け狐、なかなか面白いものを見せてくれたな」
やはり馬鹿だ。酒は馬鹿に拍車をかける。上手く機転を利かせられたようだ。このいざこざに紛れて逃げるしかない。もし正体がバレたら殺される可能性もある。
「さて、最後は猫娘。お前だが。顔馴染みのお前が掟を犯していては、憤怒で満ちることになるだろう」
「え...えと。私、この耳しか人と違う所が無くて...それで虐められてて...芸なんて...」
僕は震える声で、猫娘に言った。
「踊りだ、踊りがあるではないか」
「踊り!?踊りなんぞ人間にでもできるではないか戯け!!」
その助け舟も、赤鬼に沈没させられてしまう。
「お前が人間か、この罪は重いぞ」
赤鬼は猫娘の細い身体ち大きな手で掴んだ。
「違う!!人間なんかじゃない!!私は人間なんかじゃない!!」
猫娘は今までとは違う声質で叫び、妖怪たちに囲まれていた。
あまりにも悍ましい光景に僕は脚が竦んでしまったが、ここで逃げねば、と脚を叩いて動かした。
(あんな少女に乱暴するなんて妖怪はやはり野蛮だ!早く、早く屋台の灯りへ)
猫娘の悲鳴に背を向け、僕は必死にもと来た道を走った。
(すまない猫娘。許してくれ)
最後に一度、振り向いたことを後悔した。猫娘の内臓が宙を舞い、血飛沫が雨のように降り注ぐ。真っ赤に染められた着物の切れ端が、ひらりひらりと踊っていた。
屋台の隙間から出てきた僕を、他の人たちは奇異の眼差しを向けた。
見慣れた人間の姿に私は安堵して、帰路へついた。
しかし、僕は犯してはいけない領域を犯してしまったことを悔やみ、悔やみに悔やんだが、その足は家を向いていた。
もう一度狐のお面を見てみる。
「何か企んでいるような顔だ」
猫娘のあの声が脳裏に焼き付いている。
人間なんかじゃない。
確かに、彼女は人間「なんか」じゃない。
僕は卑怯で狡猾で、まるで狐のようだ。
彼等妖怪にも文化があり、居場所があり、掟がある。それは我々人間と同じだ。
僕は興味本意で彼等の文化圏に侵入し、掟を破った。
僕は、酒を酌み交わし惚けて踊れば天国だの楽園だのと謳い、いざ黒い場面に出くわせば化物だの異常だのと罵り、御伽噺を夢想する童のような男だ。
化物は彼等ではない。人間である僕だ。
僕は少し汚れた狐のお面を被ってみる。
「よく似合っている」
その狐の表情は、滑稽な僕の性格を揶揄しているようにも見えた。




